RSS
 

Archive for the ‘未分類’ Category

坂本龍馬デー……武生菊人形

04 11月

武生菊人形で龍馬と出会う!
  私は坂本龍馬が大好きだ。土佐藩の下級武士が、脱藩し、近代日本を開く原動力になったところがすばらしい。自分の国(土佐)では、殿様への目通りもかなわない下級武士でありながら、福井の松平春嶽公など当時の上層階級から下層階級まで様々な人たちと交流を深め、日本の危機を救った人物としてその人気は今も衰えていない。  特に、今年はNHK大河ドラマで『龍馬伝』が放映中であり、高知をはじめとする四国、九州でも、龍馬に関わるイベントが盛んに開催されている。私も、退職直後の4月に家内と九州、四国を車で回りながら、龍馬の足跡をたどったりもした。

  また、恥ずかしながら、生まれて初めて歌謡浪曲に挑戦し、『幕末青春日記-龍馬』なる歌も作ったりした。これも、龍馬好きの私としては、是非ともやってみたいアクションの一つだった。

『第8景 維新への回想~龍馬と三岡八郎(由利公正』の場面の前で

  福井でいくつかの用事があったこともあって、思い切って「たけふ菊人形」も見に行くことにした。一番見たかったのは、OSK日本歌劇団のグランドレビューショウだ。

   この中で、坂本龍馬のショウがあったからだ。主役の坂本龍馬を“桜花昇ぼるさんが演じていた。戦いの場面などもうまく表現されていた。

   劇中に使われる音楽のボリュームはかなりのものであった。腹に響く重低音が終始会場に響き渡り、戦闘シーンの大砲などの音、殺陣のシーンでの剣と剣が打ち合った時の音など迫力満点であった。

   ショウにおける音楽の使われ方が、興味深く、参考になる部分が多かった。特に低音部分の迫力は是非見習いたいと思う。

   そして、いつの日にかミュージカル『平泉寺物語』を書いてみたいなあという漠然とした夢が再び頭の中に浮かんできた。しかし、これは簡単なことではないと思う。

   その後、昼食の後、『菊人形館』を見学したが、龍馬の生涯が菊人形で表現されていた。特に、龍馬の活躍を支えた越前の人たちとの関わりを表す場面もあった。 

『たけふ菊人形』のチケット(チケットの写真は龍馬役の桜花昇ぼるさん)

  今年の菊人形は龍馬が主役であった。 一年中、龍馬ブームが続いているようだ。私にとっては
来年以降が寂しくならないか心配である。  最後に、様々の種類の菊が咲き誇る会場を見て回った。同時開催されていた『北陸三県菊花コンクール』で勝山菊友会のT氏の「国華金山」が上位入賞していた。

  天候に恵まれ、龍馬とも会えて充実した一日だった。平日のためゆったりと会場を見学することができた。入場者の多くは、高齢者であった。

(日記:『たけふ菊人形』を見に行く。その後、福井市内でいくつかの用事をした。また、楽器屋へ寄ってオカリナの本を2冊買った。)

勝山菊友会のT氏の国華金山(1本の幹から7本が枝分かれし、それぞれに見事な大輪の花が咲いていた。)

 
 

無縁社会の到来

03 11月

なるべくしてなった社会
  最近、ラジオやテレビで「無縁社会」という言葉をよく聞く。かつてはこんな言葉を聞くことはほとんどなかった。今はいつでもこの言葉を聞くことができる。

  家族からも地域からも職場からも孤立した人が増えているそうだ。その結果、人生の終末期を誰からも見守られることなくなくなる人が増えていることが問題になっている。

  私は、人生に“いいとこどり”はないと思っている。便利のよいモノの裏には不便や害のあるモノが多い。どんなに都合のよいモノにも不都合な部分があると思っている。

  パソコンや携帯を考えても、明らかに両面はあると思っている。有用性を強調する人が少なくないが、直接・間接的に我々を蝕んでいる部分は少なくないと思う。使い方に気をつけなければならないと思う。

  最近は必要以上に、個人情報の管理を問題にしているように思う。学校では子供達の緊急連絡網さえうまく作れない状況にある。やがては、それぞれの家から表札が消えるのではないかと私は考えている。

  マンションやアパートでは、すでに表札のない家庭がほとんどである。隣人と干渉しあわない生活は楽かもしれないが、挨拶さえ交わさない隣人同士というのもどうかと思う。これでは、いざというときには助けを求めることは困難になるであろう。

  世の中の景気が悪化しているために、好むと好まざるにかかわらず、家族の生活を維持するために身を粉にして働かなければならない人も少なくない。

妻が友人からいただいたサボテン(?)が玄関先で白い花を咲かせています。何という名前でしょうか?

 そのために、子供達を保育・教育施設に預けなければならない。問題は、子供を育てることは、本来保護者が一番先に考えなければならないはずだが、これが後回しになっている場合も少なくない。子どもをみる時間の長短ではないと思う。

  問題は、自分の楽しみのために子供達の養育を後回しにしているような保護者が最近増えているということだ。

  その延長として、親の身体が不自由になったら安易に施設へ預けるなどして、少しでも多くの自由な時間を確保しようとする人も少なくないという。

  また、子供の遊び方にも変化が起きている。友達同士で交わらなくても、自分一人で楽しく時間を過ごせると感じている子供が増えているようだ。

 さらに、子供達が子供だけで過ごす時間が激減している。常に大人が介在して放課後の時間を過ごしているように思われる。塾、スポーツ活動、児童館等の施設での活動、子供会活動など、大人の“指導”という名の関わりの中で放課後の時間のほとんどを過ごしている。

  子供同士が、競い合い、協力し合い、時には身体をぶつけ合いながら、折り合いをつけ、生きる術を獲得するといった活動は激減している。

  コミュニケーションをはかる機会が激減しているともいえよう。車社会や情報化社会がこれらに拍車をかけているように思われる。過剰なモノもこれらに追い打ちをかけている。

  その結果、家族や地域とのつながりが希薄になり、人と人とが交わる機会が少なくなっているようだ。経済活動が優先され、少しでも多くのモノを手に入れることが豊かさであるような勘違いしている人が増えているのではないか。

  いずれにしても、自分が高齢者になり、身体が不自由になったらどうどうなるだろうか。子供達から同じような扱いを受けることは自然な成り行きではなかろうか。

   チリの落盤事故では、「過酷な条件の中でごくわずかな食料を分け合っていたときには、争いは起きなかった。しかし、モノが地下へ届くようになってから、争いが起こり始めた」と生還者がテレビで発言していた。今も心に残っている。

  今更、昔の生活に戻ることはできないが、昔の生活から学び、それらを今風にアレンジして「無縁社会」という言葉が死語になることを期待したい。今こそ、知恵の働かせどころだと思っている。

(日記:午前中は、数学のホームページ作り。午後も3時までは継続。その後、家の内外の清掃や整理整頓。)

 
 

今年もあと二月

02 11月

あと二月しか
    いよいよ11月が始まった。今年中にやっておきたいこと、やらなければならないことなどいろいろある。特に、雪囲いや年賀状書きや、大掃除など毎年やらねばならないことがたくさんある。

  やっておきたいこととしては、先ず第一に、『数学のホームぺージを公開すること』がある。連日5時間ずつホームページ作りを行っているが、遅々として進まない。作りながら考え、考えながら作っているからだ。

  完成までには、数年かかるかもしれない。そこで、部分的に公開しながら制作を進めたいと思っている。そして、今年中に一部でも公開したいと思うが、あと二月しかないので苦しい。

  高校で、数学の苦手な者が苦労する数学ⅡBの『数列』の章だけでも公開したいと毎日頑張っているが、時々自問自答することがある。こんなホームページを作って誰かの役に立つのだろうかと不安が頭をよぎる。

  11月中には、未完成であっても、誰か高校生に見てもらいたいと思っている。そして、どこがわかりにくいのかを教えてもらいたいと思っている。感想を聞きたいと思っている。

  映像編集もある程度マスターしたい。簡単なアニメも作ってみたい。ホームページ作りの能力もアップしたい。いずれも新しいソフトを持っているのに、時間と能力がないので何とかしたい。

猪野瀬公民館祭に向けて新しい村の民謡『片瀬豊年ばやし』の練習(於:村の集会所)

  このほかにも、歌を2曲作りたいと思っている。一つは“津軽演歌”、もう一つは“民謡隊ひらり”の主題歌である。小説もどきや童話もある。紙芝居も作りたい。村の郷土芸能も完成させたい。

  あれこれ考えていると、あと二月しかないと思ってしまう。しかし、多くは自分の設定している完成目標日であって、特別に締め切り日があるわけではない。これが退職者の強みだ。

  超多忙だが切羽詰まってはいないので、夜はのんびり過ごすことにしている。それにしても月日の経つのは早いものである。明日からも、一歩一歩自分の決めた目標に向かって進みたい。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午後も、4時近くまで作業継続。午後4時より津軽三味線の個人レッスン。午後7時半より、公民館祭の練習。)

 
 

求める人を拒まず

01 11月

オカリナ教室
  先週、知り合いから「オカリナについて話があるんですけどお伺いしてもよろしいでしょうか?」と電話が入った。電話の様子から、オカリナを始めたいいと考えているようだった。

  今日、午後7時半から、3人が私の事務所へやって来た。オカリナ体験教室へ行って、オカリナの魅力に惹かれたらしい。その教室で3人とも、楽器を買ってしまったらしい。偶然、私が持っている会社のものと同じオカリナだ。

  ということは、指使い(運指)が同じということだ。一緒に練習できるかもしれないと思った。彼女たちはオカリナを始めたいということだった。教えられると言うほどのものではないが、彼女たちの要求を受け入れることにした。

「オカリナ教室」の相談に来た3人の女性と早速オカリナの練習。(於:山児童館事務所)

  私も自己流でオカリナをかじった時期があるので、どこが難しいかある程度はわかっているつもりだ。早速、彼女たちと練習してみた。彼女たちも私が思っているよりは上手だ。

  引き受けることにした。私はオカリナができるから引き受けたのではない。引き受けることによって、練習せざるを得ない状況に自分を追い込むことができるからだ。それによって、自分も上達できると思うからだ。

親は子によって親となり、教員は児童・生徒によって教員に
   私たちは大人になることはできても親になることは簡単ではない。子供ができれば親になれるのではない。子供によって、親として育ててもらうのだ。

  教員も、教員免許を持っているから教員になれるのではないし、採用試験に合格したから教員になれるのでもない。児童生徒に鍛えられてようやく教員になれるのだ。新米の頃から「先生、先生」と呼ばれて、勘違いしている者は少なくない。

  同じように、オカリナについても同様だと思う。オカリナを練習してみたいという人と一緒に練習して初めて自分も上達できるのだ。そんなわけで、来週から私の事務所でオカリナ練習会を始めることにした。

  そして、最初に練習する曲目を決めた。クリスマスソングだ。12月25日の図書館でのクリスマス会に発表することを目標に、とりあえず毎週月曜日の午後7時半から練習することに決めた。

  私は、それまでに楽譜を用意し、練習用のカラオケを作りたいと思っている。楽しく、そして、上達の喜びを味わえるように「オカリナ教室」を始めたい。朝考えもしなかったことを夜には決めている自分がいる。一寸先は闇か!?

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午後、北部中学校で和太鼓指導。その後、ホームページ作りを再開。午後7時半より「オカリナ教室」について話し合い、簡単な練習をする。)

 
 

私は“ながら族”……ラジオ・テレビを聞きながら

31 10月

今は“ながら族”
  私は、“ながら族”である。一日の定められた時間の中でラジオだけを聞いていたり、テレビだけを見ているのではもったいない。自営で仕事をしている大工さん、土建業の人、農家の人の中にもラジオを聞きながら仕事をしている人は少なくない。

  退職してからは、すっかりとラジオファンになった。しかし残念なことは、私の持っているラジオではテレビは3チャンネルしか受信できない。民放のテレビが受信できないのだ。時には民放でもよい番組があり、聞いてみたい番組もある。

パソコンをやりながら、聞いている2台のラジオ(右端)

  そこで、先週の木曜日に福井へ行った際、100万ボルトでラジオを見ていた。自分の望むラジオはなかった。ところが横から妻が「家にある昔のラジオは何チャンネルものテレビの音声が入るわよ」と言うのである。

  そうか、確かに以前に外仕事をしながら、サンデープロジェクトなどの民放のテレビ音声を聞いた覚えがある。そこで、この日はラジオを買うことをあきらめた。試してからでも遅くはないと思ったからだ。

  今日から再び、午前中は数学のホームページ作りに、事務所へ出かけた。昔のラジオはダブルカセットだが、CDは聞けない。でも、多チャンネルのテレビ音声を聞くことができるのだ。

  二つのラジカセを併用しながら、“ながら族”でラジオを楽しんでいる。音楽も聴けるし、ニュースも聞けるし、国会中継なども聞ける。“ながら族”に絶対なれないときは、歌を作るときである。コンピュータミュージックでは、たくさんの楽器の音を聞きながら、それぞれの楽器に指示を与えていくからである

右側のラジオは古いが多チャンネルのテレビ音声が入る優れもの

  これからも、“ながら族”でいろいろな情報を楽しみながら、マイペースで自分のやりたいことに取り組んでいきたい。ラジオやテレビ音声を聞くことは今の私には大きな楽しみの一つになっている。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。昼頃、市民文化祭の展示を見に教育会館へ行く。
  絵も描いてみたいし、俳句も短歌も作ってみたいし、字も書いてみたい……との思いが強くなった。
  午後も、3時過ぎまでホームページ作り。その後、家の片付け。生活ががらりと変わり、着るものもすっかり変わってしまった。ネクタイなど、4月以来数回着けただけである。あれこれ片付けるのにかなりの時間がかかる。)

 
 

急に市民文化祭に参加

30 10月

『盆踊り復活』アピールのチャンス
  一昨日、市役所の方から「文化祭に参加しませんか」との電話を受けた。急に出演できない団体が出たからだ。その日にメンバーを募り今日は本番。昨夜は、11時半過ぎに、『勝山小唄』の編曲を始めた。ああでもない、こうでもないと考えながら編曲を続けているうちに午前2時をまわってしまった。 

  編曲を終えただけで、眠くなって午前2時過ぎに床に入った。朝6時半に目が覚めた。横に1歳の外孫(次男)が寝ているので、何となく気になった。でも、寝顔はとても可愛かった。朝起きてから、昨日作った曲を今日の文化祭で使うCDに焼いた。 

市民文化祭で『勝山よいとこ』を踊る遅羽・村岡・猪野瀬地区有志の皆さん。(黒い法被が私)

 

   協力をしてくれる村岡、猪野瀬、遅羽の踊り手の皆さんと歌い手二人を曲に合わせてどのように演出すればよいのか、考えながら、準備をした。 

  それに、私自身が何をするのかも考えた。ここは一番、恥を忍んで、全体としてよくなれば何でもやろうと考えて市民会館へ向かった。 

  12時に市民会館へ到着。3階でリハーサルを始めた。私自身は、1曲は踊り、2曲は太鼓を打つことに決めた。集まったメンバーは、猪野瀬は我々夫婦を含めて4人、村岡も4人、遅羽は6人であった。そして、市内の歌い手Yさんの合計15人が電話一本で集まってくれたのだ。感謝感激である。 

  出番は、1時半から15分間。1曲目は『勝山よいとこ』である。私は男一人ではあったが、男踊りを踊ることにした。踊りの開始直後、少し体がふらついた。昨晩は完全に睡眠不足であったこと、昼食を食べずに直前に45分間リハーサルを続けたこと、おまけに、厚手の草履を履いていたことなどからだろうか。 

『勝山小唄』を踊る3地区連合の踊り手の皆さん。(中央太鼓は私)

 

  途中で、草履を脱いで踊り続けた。2曲目は、『勝ち山ほがらか音頭』である。この曲は踊りの輪の中で、太鼓をたたいた。 

  3曲目の『勝山小唄』も太鼓をたたいた。途中で、盆踊り復活をアピールしたいためにマイクで話したが、全体としては、15分では終わらなかった。申し訳なかった。 

  とにかく、ピンチヒッターとしての役割は終わった。それなりに緊張感もあって楽しかった。 

(日記:市民文化祭出演準備。午後1時半、市民会館で『歌い踊ろう!勝山の民謡を』に出演。午後3時より、事務所に来客あり。教育談義。忙しい一日だった。今日はゆっくり休みたい。全くの“飛び入り行事”であったが、協力してくれた皆さんのおかげで無事終わった。皆さんに感謝したい。) 

私の津軽三味線の師匠河間氏の率いる三弦明萌会の皆さんの民謡発表

 
 

懐かしい「研究会」

29 10月

算数の授業を見ると
  昨日から、勝山市で、『第24回東海北陸地区へき地教育研究大会福井大会』兼『第58回福井県へき地複式教育振興研究大会奥越大会』が、開催されている。そして、今日はの市内の小規模校である平泉寺、野向、三室の3小学校で公開授業や研究協議が行われた。

一つの教室で2学年の授業が行われた複式授業。(左側は1年生、右側は2年生の授業)

    私は、校長のお誘いを受けたこともあって、平泉寺小学校の研究発表会に参加した。9時から、1・2年、3・4年、5・6年の複式授業が行われた。一人の主になる教員と、学習支援員がペアになって、一つの教室で2学年を指導するのである。

  いずれの学年も算数であったので、私の本職(数学教員)でもあり、とても興味深く研究授業を参観することができた。また、授業を見ていて私なりの意見も持つことができた。

  それを一言で言えば、小学校1年生では、引き算をやっていたが、指導者として考えるべきことは2つあると思った。すなわち、「なぜ引き算になるのか」ということと、「どうして引き算の計算をするのか」という二つである。

 とかく、子供達は、数字を見ると、加減乗除のいずれかの計算をしてしまう。そして、かなりの子供がミスをするのである。この二つをはっきり区別しながら、教師は指導にあたらなければならないと思った。

  なぜ引き算になるのかとを理解させるための図と、引き算の計算を理解させるための図では、自ずから異なると私は考えている。多くの指導者は、これらを一つにして指導しているように思えてならない。

  昨年までなら、市内であれ、市外であれ、時には全国大会でも、必ず発言したものだが、現役を退いた今となっては、発言は控えようと思った。

  私は、小学校の算数に対して、もう一つ考えていることがある。それを一口で言えば、「算数は足し算だ」であるということだ。足し算が理解できて初めて、引き算がわかり、かけ算がわかり、割り算がわかると思っている。

 算数のできない子供達は、特に文章題を見たときに、どんな理由でどのような計算をしなければいけないのかが理解できないのである。確信の持てないまま、加減乗除のいずれかをしてしまうのである。

  とにかく、久々に研究授業を見、研究会に参加して、わくわくしたものである。それと同時に、指導法の研究はどんなにやってもやり過ぎることはないと思った。楽しい一日だった。

町民文化祭に向けて『片瀬豊年ばやし』の練習

(日記:午前中、平泉寺小学校の研究会に参加。午後は、私の壊れたパソコンの修理にY君がやってきたので、それに立ちあった。夜は、猪野瀬の町民文化祭に出演するための演し物の練習を行った。今回の文化祭では『片瀬豊年囃子』に歌も入れて、銭太鼓と女踊りを披露する予定である。)

 
 

マスターしたい「フラッシュ」の技術

28 10月

絵を動かしたい
  私は、かねてから絵を動かしたいという夢を持っていました。これまで、簡易アニメ『平泉寺物語』や『泰澄大師物語』を制作しました。ただしこのときは、私はただ絵を描いただけでアニメーションにするのは息子に頼みました。

  しかし、現在、息子は東京で働いていることと超多忙であるために、とても私の趣味に関わっているような時間がありません。そのために、自分でできることは自分でやらなければと思うようになりました。

  その第一弾が、ホームページを自分で作ることでした。ホームページ作りの第1段として、まだ完全には完成していませんが、『いなかもんの演歌の広場』として公開しています。そしていよいよ本番です。

 連日、『いなかもんの数学講座 数学は読解だ!』を制作しています。産業支援センターで何度か、講習も受けました。しかし、簡単にできるものではありません。毎日苦労しています。

  今年中に、一部でも公開できればと考えています。この中でも、絵を動かす技術があれば、子供達が興味をもって見てくれるのではないかと考えています。

  ところで、この動画ですが、映画の場合、1秒間に24枚の絵を動かしています。テレビの場合は、厳密にはコマ送り方式ではありませんが、1秒間に30枚相当の画像を動かしています。

  とても、こんなにたくさんの絵を描くことはできません。しかし、フラッシュの技術があると、1枚の静止画の部分を動かすことによって動画にすることができるのです。

  例えば、一人の人間を動かすとき、頭、胴体、右手、左手、右足、左足などにそれぞれ動く軌道を指示し、全体として歩いたり、走ったりしているように見せる技術である。

  人間を動かすなどは当分できないだろうが、簡単なものなら動かせるかもしれない。雲を動かしたり、口をぱくぱくさせるだけならできるかもしれない。そう信じて勉強しようと思っています。

産業支援センターで借りたパソコンと町おこし関係の書籍

産業支援センター通い
  産業支援センターには、いろんな書籍や機関誌やDVDなどがそろっています。興味をそそるものがたくさんあります。月に2度は必ずいくことにしています。書籍は2週間、DVDは1週間しか借りることができません。

  そして、数日遅れると電話がかかってくることになります。まだ見終わっていないDVDや書籍があったために、これまで2度電話での催促を受けました。

  今日も、フラッシュ関係の書籍を1冊を返却するために、産業支援センターへ出かけました。そして、再び別のフラッシュ関係を書籍などを3冊借りてきました。

  1年ほどかけて、簡単なものを動かせるようになりたいと願っています。動画編集も身につけたいし、ホームページの技術ももっと身につけたい。そう考えると、1日が24時間では足りないと思っている今日この頃です。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。しっかりした計画がないまま作業を進めているので、途中で軌道修正しながらの作業である。午後、産業支援センターへ。ついでに、100万ボルト、ワイプラザへ寄って帰宅。その後、ホームページ作りを継続。役所から電話があった。明後日の市民文化祭に出演できないクラブが出たので、穴埋めをしてくれないかということだった。急なことではあったが、あちこちに電話して、『歌い踊ろう!勝山の新民謡を』と題して、歌と踊りで出演することに決めた。)

 
 

家庭菜園の周辺整備終了

27 10月

花壇作り
  夏頃からの整備していた「家庭菜園の周辺整備」がようやく終わった。周辺が雑草だらけになり、畑へも侵入してくるようになり、手に負えなくなった。

  そこで、畑とそうでない部分の仕切りをコンクリートでつくり、雑草の生える部分はアスファルトで固めた。これまでは、歩道側に花壇を作っていたが、雑草が生え、これも手に負えないようになってしまった。

  この部分も、コンクリートで土間打ちして、その上に土管を置いた。雑草が生えてこないようにコンクリートにしたのだ。しかし、このままでは殺風景なので、今日この土管に家内と花を植えた。

  三つの土管に、それぞれ紫、白、黄色のパンジーを植え、中央にチューリップの球根を埋めた。来年、雪が解けた頃には、赤、ピンク、白のチューリップが咲き、パンジーも株が張っているはずだ。

家内と、三つの土管にパンジーとチューリップの球根を植えた。家庭菜園には、大根や蕪や野沢菜などの菜っぱが見える。(後ろの建物は山児童館。)

花を植えるなら一割は外へ向けて
  ノルウェーを旅行したときのことだ。ノルウェーは漁業が盛んな国で、夏は数時間しか太陽が沈まず、冬は数時間しか太陽が出ない国だが、花を愛する国だと思った。

  町を歩くと、窓辺には花が飾られていた。表通りを通る人からよく見える位置にたくさんの花が飾られていた。そのため、気持ちよく町を歩くことができた。

  それ以来私は考えている。花を植えるなら、1割は表通りに向けて植えたいものだ。10本花を植えるなら、少なくとも1本は近くを通る人たちのために植えたらどうだろうか。

  きっと、散策しても楽しい明るい町になるのではなかろうか。今でも、外へ向けてきれいな花を植えてある家が少なくない。きれいな環境できれいな心を持った子供達を育てたいものだ。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午後3時まで継続。目が疲れる。午後3時より花壇作り。夜、和太鼓。)

 
2 Comments

Posted in 未分類

 

津軽三味線で初めての歌伴奏

26 10月

津軽じょんから節
  私は、このブログで知り合いになった河間氏から『津軽じょんから節』を教えていただいている。津軽三味線と言いたいところだが、いきなり、先生に無理なお願いをして「“津軽じょんから節”を教えてください」とお願いして実現したものである。

  通常なら、順を追って教えていただくところだが、いきなり指使いの難しい「津軽じょんから節」に挑戦したので、最初から大きな壁にぶつかり四苦八苦であった。ピアノのピの字もできないモノが、「エリーゼのために」を教えてくださいと言ったようなものである。

河間先生の伴奏で津軽じょんから節を歌う石橋さん(於:山児童館事務所)

  8月から始め、月2回の個人レッスンを受け、今日がちょうど6回目のレッスンであった。そして、今日は、文化祭のリハーサルのために、河間先生が民謡の歌い手である石橋さんと一緒に私の事務所へ来られた。

  石橋さんは、締太鼓持参であった。今日まで練習した“津軽じょんから”節に歌と太鼓が入って本格的なものとなった。歌も河間先生の三味線もすばらしく、一緒に伴奏させていただいた私も楽しい時間を持つことができた。

  私の方は、最初歌に聴き惚れて、どこを演奏しているのかがわからず、途中で演奏が止まることもあった。何度か練習しているうちに少しずつなれてきて、楽しくなった。

そば屋で即興演奏
   レッスン修了後、3人で近くのそば屋「きふね」へ出かけた。ここの店には「おわら踊り」のポスターが何枚も貼られていた。また、店の作りが日本調であるので、「こんなところで演奏したらいいですね」と私が話すと、河間先生は「三味線を取ってきます」と私の事務所へ戻った。

 そばをいただいた後、民謡好きの奥さんの前で河間先生と石橋さんが「越中おわら節」を披露した。続いて、太鼓入りで「津軽じょんから節」を歌った。

  店の雰囲気に合い、とても楽しい時間を持つことができた。いつか、慰問活動などで私もご一緒できたらと思った。それにはもっと上手に弾けるようにしなければならない。

  また、一日も早く津軽系の演歌を完成させたいと思う。津軽三味線、尺八などが入る迫力ある演歌を完成させたいとの思いが強くなった一日だった。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。途中で歯医者へ行く。午後も、数学のホームページ作り。午後4時過ぎより三味線の個人レッスン。午後7時より、教育会館で行われた自動車運転者講習会にでる。午後、10時前に、Y君がパソコンを直しに来る。いろいろ変化に富んだ一日であった。)