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Archive for the ‘未分類’ Category

シャドウ・キャビネット(影の内閣)

13 1月

内閣改造
 この一年、新政権は何をしようとしていたのだろうか。毎日毎日繰り返される政局、同じような問題で行きつ戻りつしている。政策論争はほとんど聞かれない。

  私は、シャドウキャビネット(影の内閣)に興味を持っている。ご存じのように、シャドウキャビネットとは、野党が設置する政策立案機関のことで、イギリスなどでは制度化されている。

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  イギリスでは野党第1党の党首が、陰の首相に就任し、党所属国会議員から影の閣僚を任命して影の内閣を組織する。影の内閣は、政府・与党の内閣と対する組織として存在し、議場では与党と野党が相互に向き合う形になっている。

  健全な議会政治において、政権交代と野党の政策立案能力が必須であるという考えに基づき、影の内閣は公職とされ、その運営には予算が計上され、議会内に影の内閣専用の執務室が提供される。

総選挙で野党が勝利し政権を奪取した場合には、影の内閣のメンバーの大部分はそのまま新内閣の大臣に就任することが一般的である。
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  イギリスがうまくいっているかどうかはわからないが、日本流にシャドウ・キャビネット(影の内閣)をきちんと制度化して、野党として相手を非難するだけではなく、責任を持った政策を立案し、論争を展開してほしい。

  2大政党制を日本に根付かせるならば、シャドウキャビネットを制度化して、すべての分野において野党はどんな考えを持っているかを国民の前に明らかにしてほしいと思う。

  今のままでは、打撃練習しかしない野球チームのようなものである。いざ守備についたら、ルールも知らなきゃ技術もないではすまされない。「海兵隊の役割を知らなかった」と言う総理。自衛隊を「暴力装置」と言う官房長官、「二つの言葉さえ知っていれば大臣は務まる」と支持者の前で堂々と発言する大臣など、国民はあきれてしまっている。

  いつでも、自分ならどうするかというビジョンを持っていただき、この大変な時期を乗り切るためにも、本当の意味でのシャドウキャビネットの制度を日本にも根付かせてほしい。政治不信を払拭するためにも切に願う。

(日記:早朝から異常な腹痛に襲われた。尿管結石や腎臓結石の時の痛みと同じだった。口では表せない痛みだ。午前中は、自宅でオカリナ教室の準備で、編曲作業をする。午後は、事務所で数学のホームページ作り。夕食後、再び、オカリナの編曲作業。カラオケをつくり、二部合奏にするのだ。予定の6割ほどしかできなかった。)

 
 

マニュアルの難しさ

12 1月

複雑化するソフト
  いろんな製品にマニュアルがついている。複雑な機械や器具になればなるほど、マニュアルは厚く難しくなる。携帯のマニュアル一つとってみても、かなり厚いものが付いている。 

  しかし、携帯の場合は、マニュアルのすべては読めもしないし、読みたくもない。最低限の使い方ができればそれでいいと思っている。相手と話すことができて、メールが打てて、目覚ましが使えればそれでいいからだ。 

  しかし、私が使っている音楽ソフトとなると、今度は、いろいろな機能を使いたいのに、マニュアルが理解できないのだ。先ず、中に出てくる言葉の意味が、理解できないからだ。 

  こんな状態なのに、昨年の4月に音楽ソフトのバージョンを上げた。購入して10ケ月になろうとしているのに、まだ新しいバージョンのソフトを全く使っていない。 

  今まで使ってきたバージョンもまだ十分理解できていないというのに、新しいものを手にして、これから一年で、最低限、必要な部分だけでも理解したいと思っている。せめて携帯のように。 

  話は変わって、私はこれまで、音楽ソフトを使って、演歌、民謡、ビデオのBGMなどを作ってきた。特に、歌の場合には、完成したカラオケ(伴奏)に合わせて歌を吹き込まなければならない。 

  今のところ、吹き込みは、主に二人の方にお願いしている。歌の上手な若い人もスカウトしたいと思っているが簡単ではない。それは、若い人向きの歌を作れなければならないからだ。しかし、若い歌作りにはチャレンジしたい。 

  ところが、コンピューターの世界では、人口音声ができている。まだ人間には比べると「ぎこちなさ」があるが、それがかえって受けている。そんなソフトの一つが「初音ミク」だ。若い女性の音声ソフトだ。 

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合成音声ソフト『初音ミク』

 

  ※初音 ミク(はつねミク)とは、音声合成ソフトの製品名、およびキャラクターとしての名称である。ヤマハの開発した音声合成システムを採用したボーカル音源の1つで、メロディーと歌詞を入力することで合成音声によるボーカルパートやバックコーラスを作成することができる。
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   このソフトを買って、「ぎこちなさ」を逆に生かした曲を作れないかと思っている。アイディアはあるが、はたして、このソフトを使いこなせるかが問題だ。かなり本気で考えてはいるが、マニュアルを使うこなせるかだ。 

  私は、パソコンは「創作」のツールだと思っている。しかし、創作のためのソフトを使おうとすると、マニュアルの壁を乗り越えなければならないが、いつも苦労している。 

  もう少し若かったらと悔やむこともあるが、若いときに比べて、時間だけはあるので、あきらめないでチャレンジしてみたいと思う今日この頃である。 

(日記:午前中、歯医者へ行く。午後、友人が来て3時間ほど話し込む、彼も退職者だが、ヒップホップダンスなどに夢中だ。その後、少しだけ、数学のホームページづくり。)

 
 

道場(浄土真宗)の思い出

11 1月

道場は文化センターだった
  今日は村の道場の“お講”の当番の日だ。これまでは家内が当番を務めていたが、用事ができて私が行くことになった。早朝5時半に起きて、当番のために豆腐と揚げを持って道場へ出かけた。

  参拝者は、ご飯を持参してお参りに来るのだ。当番は、参拝者のために味噌汁をつくるのが役目だ。そして、お経の後、お話を聞き、みんなで朝食を食べて帰宅するのだ。

  当番は二人なので、もう一人の女性が味噌汁をつくってくれた。私は、薪ストーブに薪を入れるくらいしか仕事がなかった。そこで、参拝者と一緒にお経をあげていた。

  お経の後、短い講話があった。当番なので参拝者に、味噌汁を運んだ。そして、自分も味噌汁をいただき、ご飯を食べた。道場でご飯を食べるのは何十年ぶりだろうか。

  この、道場は、私の子供時代には、村の文化センターの役目も果たしていた。巡回映画があり、幻灯会があり、芝居などもあった。また、仏教的な行事には家族そろってお参りもした。

  夏休みには、遊んだりもした。ギターを目にしたのもこの道場だった。道場の息子さんがギターを弾くのを見て私もギターに興味を持ったのだ。それが現在につながっている。

  私が手元に置いて手放せない楽器はギターだ。このギターによって演歌も作れば民謡もBGMも作るのだ。今日、久々に道場へ来て村のお年寄り達と朝食を食べながら、昔の道場のことを思い出した。

  ご飯を食べながら、昔の生活にも話の花が咲いた。その中の一つが「皮煮しめ(野菜の皮を煮て作った煮物)」だった。昔は報恩講などには、たくさんの野菜を使って料理を作ったのだ。

  特に、芋や大根やにんじんなどは皮をむいて使ったのが、この「皮煮しめ」らしいが、とても美味かったそうだ。私は食べたことがないが、聞いただけでも美味しそうだ。

  道場に集うだけでも、昔のいろんな生活についお手話を聞くことができる。もっともっとゆっくり話を聞いていたいと思った。いつか文章にまとめたいと思う。

 
 

政治不信の時代

10 1月

先ずは政治に対する信頼回復を
 内閣支持率を調べるためのアンケートが、いろんなところで実施されている。アンケートの結果が世論であるかのごとく、報道されるがアンケートにも色々欠点があると思う。

  例えば、政党の支持率などを調べるために使われているが、多くの国民は、既存の政党を支持するどころか、政治そのものに失望しているのではないか。政治そのものを信頼していないのではないか。

  そんな国民に向かって、「どの党を支持するか」と言われると、比較の問題として適当な答えを書いているのではないか。今ほど政治不信の時代はない。政治不信は国家不信につながっていく。

  国民に信頼されない国家が、増税を考えても、国民は戸惑うばかりである。国家に信頼のある国では、我が国では信じられないような高額の税金を納めているが、国民は多少の不満はあろうが、それを支持している。

全国的に冷え込んだ今朝の越前大仏と大師山

  政治に対する信頼を取り戻すことが、今、与党にも野党にも求められている。国家よりも、自分のことしか考えられない政治家のなんと多いことか。次回の選挙では、大幅な入れ替えがあるであろう。

  今日、テレビを聞きながら、作業をしていたら、「田中角栄」氏についての特集をしていた。最晩年は、裁判などで政治家としての活動はほとんどできず、最後は、脳梗塞で倒れてしまった。

  しかし、その番組の中で述べられていた田中氏のある部分については、コメンテーターも納得していたようだ。自分も同感であった。それは、「家族が一緒になって笑顔で暮らせる世の中をつくる」ことを願っているという部分だ。

  私たちの子供の頃は、日本海側や東北・北海道、四国・九州などは特に発展が遅れ、地元に働く場は少なかった。自分の同世代の者の半分ぐらいは仕事を求め、丁稚奉公という形で都会へ出て行ったのだ。

  また、そうでない大人達も、冬には出稼ぎに出かけていたのだ。集団就職とか、集団就職列車などという言葉をよく聞いたものだ。地域によっては、もしかしたら今でも出稼ぎに出ているのではなかろうか。

  かつては、「家族そろって生活する」ということは、地方に住んでいる人間にとっては、願ってもかなえられないことであったのだ。秋から春までは、年寄りや女性や子供だけという家庭が少なくなかったのだ。

  「道路を作り、鉄道を引き、地方でも働ける世の中をつくる」ことによって「家族が一緒に暮らせる世の中になる」と角栄氏は信じて行動したという。はっきりとしたビジョンを示した政治家だったというのだ。

  今、自分の言葉で語れる政治家はいるのだろうか。私は、今年ほど、作業をしながらラジオを聞いたことがない。ほとんどNHKなので、国会中継も多かった。

  そんな中で、野党は、与党の欠点や弱点ばかりを責め、与党の大臣や総理は責任転嫁の場面が多く、前向きの話葉ほとんど聞くことができなかった。

  このような世の中が続けば、国民は自分の将来は自分で守らなければと考え、金を貯蓄に回し、消費が落ち込むのは当然のことではないのか。増税になれば、ますますその傾向が強まるだろう。

(日記:午前中、松岡へ。午後数学のホームぺージづくり。わずかずつしか進まないが、それでも楽しんでやっている。)

 
 

バイバイ!孫達

09 1月

勝山を楽しんだだろうか
  先月の27日、勝山へ帰省した息子の子供(孫)達が横浜へ帰る日だ。12時に勝山を出発して、松岡にいる家内の所へ寄って、福井駅へ。1時37分の列車で帰っていった。

  この間、スキーをさせてやることができてよかったと思っている。捨てずに保存しておいたスキーやスキー靴が役立ってよかった。息子達が使ったものが孫達にも役立てられたのだ。

横浜へ向かう息子の嫁と孫達と「バイバイ」(福井駅で)

  スキーやソリの他、一緒に餅つきをしたり、逆上がりの練習をしたり、風呂に入ったり、寝たりと、楽しいひとときを過ごすことができた。

  家内とは、ゲームをしたり、本を読んでもらったり、私以上にいろいろ触れ合っていた。また、みんなでお寺へお参りもした。

  幼い頃の体験がその後の成長に大きく影響するように思う。幼児期から小学校、中学校で何を体験させてやれるかだ。これは、家庭や地域の力があるかないかで決まるように思う。

  最近は、生まれるとまもなく保育園へそして幼稚園へ。学校へ行けば、児童館や様々な習い事やスポーツクラブに子供を預けっぱなしにすることが多い。それはそれで仕方のないことだが、時には、地域の良さや家庭の良さを体感させてやりたいものだ。

  この頃の子供達は、ともすれば勝山に住んでいながら、都会の子供以上に自然に触れていない場合も少なくない。農家の子供達が、全く田んぼに入らなかったり、畑で野菜を採らなかったりすることも当たり前になっている。

孫娘の初スキー(雁ヶ原スキー場)

  自分の子育ての反省も込めて、孫達には、たっぷりと田舎の良さを体験させてやりたいと思っている。それと同時に、孫達にとって居心地のよい家庭にしなければと思う。

  たぶん、孫達と十分交流ができるのは、中学校に入るまでではないのかと思う。それまでに、孫達が、帰りたくなる勝山にしてやることが自分たちの楽しみでもある。それが、「ふるさと」ではないだろうか。

(日記:午前中、数学のホームページづくり。12時頃から、車で孫達を福井駅へ送る。しばしの寂しい別れだ。午後も、数学のホームページづくり。)

地元のお寺へ初参りして手を合わせる孫達(片瀬佛母寺)

じいちゃんの腹を蹴って「えいーっ!」(逆上がりの練習)

 
 

福井で“片瀬豊年ばやし”

08 1月

「2011年事始めの会」に出演
  (社)明日の福井県を作る協会の『2011年事始めの会』に出演するために、銭太鼓有志の会のメンバーが三台の車に分乗して、午前9時に福井へ向かった。

ホテルフジタの会場(天山の間)全景

  「ホテルフジタ」へ市、午前11時から本番の会場でリハーサル。ステージの広さから全員の位置を決めたり、マイクの音量などをチェックし、本番通りに3回練習した。

 この会には、県知事、県教育長、福井市長、県議始め、県内各地でまちづくりに取り組む多くの方々が参加していた。

  昼食をとり、12時半過ぎから衣装を着け、2時少し前に、会場入り口にスタンバイ。事始めの乾杯直後に、いよいよ本番の舞台へ。だいたいお練習通りに演技ができたのではなかろうか。

 最初は、村の秋祭りに出演、続いて、地区の公民館祭に出演、そして、奥越のまちづくり大会に出演、そして今日は福井市での

片瀬豊年ばやしの女踊りの皆さん

「(社)明日の福井県を創る会」の事始めの会に出演と、約4ヶ月の間にいろんな舞台を経験した。

  まだ芸が十分完成しないうちに、次から次へといろんな場所へ出演した。今後、郷土芸能として磨きをかけなければならない。いろんなアイディアはある。

  「豊年」の意味を理解し、農業に関する様々な仕草を演技に取り入れ、芸能として完成させたい。また、伴奏もすべて生で演奏できるようにしたい。そこまでできたときには、本物の郷土芸能と言ってもよいだろう。

 
 

一進一退

07 1月

思うように作動しない
  アドビ社の「ドリーム・ウイーバー」で数学のホームページを作っているが、なかなか思うように動いてくれない。プログラム中1カ所でもミスがあったり、アルファベットの文字の種類が一つでも異なれば動いてくれない。

  2時間ほど全く作業が進まず、画面を見つめるばかりであった。ところどころ、自分の能力の限界を超える部分がある。しかし、ここであきらめたら、元も子もないと思って粘っている。

  マニュアルを眺め、DVDを見ても原因はわからない。それでも、ようやくミスを見つけて動き出すとほっとする。膨大な時間がかかっている。

今日、作業をした『数学のホームページ』の一部

  しかし、膨大な時間がかかるということは、誰もが簡単に真似のできないことで価値があるのだと思って自分を励ましている。なかなか一区切りがつくところまで辿り着かない。

  もっともと懲りたいと思うが、能力と時間が足りない。それでも、少しずつは進んでいる。全く、現役時代のような気持ちで事務所へ通っている。何物にも代え難い充実感がある。

  ただ、創作活動に時間を割けないのが苦しい。一区切りつけて、創作活動に乗り出したい。ああ、時間が足りない。しかし、切羽詰まっていないのは救いだ。自分勝手に動いているだけだから。

(日記:午前中、数学のホームページづくり。午後も作業を継続。夜は、『片瀬豊年ばやし』の練習。いよいよ明日は.福井のホテルフジタ(旧ワシントンホテル)で、披露するのだ。何やかんやで用事のある者が増え、全員が出られないのは寂しいが、それでも、頑張って来たいと思う。今日は本番前日ということで、気合いを入れて練習をした。)

 
 

孫娘の初スキー

06 1月
 

孫娘の初スキーに付き合う(雁ケ原スキー場)。

意外や意外
  昼過ぎに、息子の嫁と孫達と雁ヶ原スキー場へ出かけた。今日は二つの目的があった。一つは、是非とも、上の孫娘にスキーをさせたいということだった。まもなく、幼稚園が始まるために、横浜へ帰ってしまうからだ。

  是非とも、ふるさと勝山の良さを実感してほしいと思う。子供の頃の思いでは、いつまでも残る。幼い頃に十分にふるさとのにおいを身体にしみこませてほしいと思う。鮭がふるさとの川へ戻るように。

  春先に、あちこちを片付けたときに、私の3人の子供達が使ったスキーを廃棄物として捨てるつもりで外へ出しておいた。しかし、いざ捨てる段になって、もしや孫達に間に合うのではと思い返して捨てるのをやめたのだった。

最後には緩いスロープを一人で滑れるようになった。子供はすごい。

  スキーもストックもスキー靴も、幼児用から大人用まで10台近くはそろっている。今日はその中の子供用のスキーとストックとスキー靴を持ってスキー場へ出かけたのだ。

  最初はソリをしていたが、途中からスキーに切り替えた。一番最初は左足だけスキーを履いて歩く練習をした。次に右足だけスキーを履いて同じように歩く練習をした。一昨日、スキー学校でやっているのを見たからだ。

  そして、次は両足にスキーをつけて平地を歩く練習、そして、少しずつ緩やかなスロープで練習を始めた。そのうちに、だんだん慣れてきて、ゆるやかなスロープを滑り降りることができるまでになった。

  生まれて初めてだというのに、スキーを滑っている。病みつきになったのかなかなかやめなかった。おかげで、こちらは、坂を登ったり下りたり、十分身体を動かすことができた。久々に汗をかいた。

片瀬オリジナルの“ハンドル付きソリ”
  次に、やってみたかったのは、50数年ぶりに、日の目を見た片瀬オリジナルの『ハンドル付きのそり』だ。雁が腹のソリゲレンデで試してみたが、今日はソリには最悪の水気の多い新雪が降っていて滑りが悪かった。

50数年ぶりに日の目を見た片瀬オリジナルの“ハンドル付きソリ(私が子供の頃作ったもの)”。左下は表。右下は裏面。ひもを引くことによって左右に曲がることができる。

  プラスティックのソリでさえ、この前の半分も滑らなかった。下も孫娘さえ興味を失うほど、ソリにとっては悪コンディションだった。それでも、久々に出してみてよかった。

  ハンドルの切れは予想通りだった。いつか、「ゲレンデのスターになってやる!」と心の中で思いながら、ソリを使うのはやめにした。一昨日のようにもう少しコンディションのよい日にもう一度このソリを持って来て、試してみたいと思う。

  それと同時に、50数年前のこのソリではなく、新しいものを作ってみたいと思った。どこをどうすればよいかがよくわかった。孫達のために、是非とも新しい片瀬オリジナルの『ハンドル付きソリ』を作りたい。

(日記:午前中、事務所で数学のホームページづくり。そのご歯医者。昼食後、孫達とスキーとソリを持って雁ケ原スキー場へ行く。5時前に帰宅して、事務所へ数学のホームページづくりに行く。孫に、スキーの初滑りをさせられてよかった。)

 
 

ダイエット

05 1月

正月の悪しき食習慣をプールで解消!?
  4月の退職以来、秋までは、だいたい“一日一汗”が続き、腹回りもすっきりして体調もよくなっていた。しかしながら、寒くなるにつれて、外での作業や汗をかく機会もめっきり減ってしまった。

  その上、年末年始で食べたり飲んだりする機会が増えて、腹回りが気になり出した。このままでは、次回の定期検診では赤信号が出ること間違いなしと、危機感を持った。

  そこへ、今日のNHKの「ためしてガッテン」は、『決定版ダイエット2011』と題して、いつもよりも30分も延長してダイエット特集をするのだ。世の中には、ダイエットをしたい人が多いらしい。余計、体重の増加が気になった。

  そこで、午後1時過ぎに、家内と二人で市営プール(相互プール)へ行くことにした。私は、65歳を過ぎているので、プール代金は、普通600円のところ市からの補助があって300円で利用できるのだ。

  プールへ行くと、元同僚のTさんに会った。病気の予防にということで一般会員になってプールへ通っているとのことだった。彼も、夏場は仕事や運動で汗をかく機会があるが、冬場は運動不足になるということで毎日来ているそうだ。

  私は、プールでは、先ず水中歩行を始めた。何度もプールを行ったり来たりした。その後、少し泳いで、サウナに入り、ジャグジー風呂に入り、またプールと3カ所を行ったり来たりした。

  毎日一定の運動をしているが、それにも増して、雑煮や間食ですっかり悪しき食習慣が身についてしまって、体重が増える結果となってしまった。なんとしても、今月中には元の体重に戻したい。

ダイエットのつもりで、雁ヶ原のソリゲレンデを孫と上がり下がりしたが……。

  夜は、ビデオにも録っておいたが、実際に番組を見た。色々参考になることが多かった。

 ・一定の身体を動かす運動は必要なこと。
 ・たくさん食べ続けると、それだけ空腹感も強くなり、ますます食べるようになること(適量を食べる方がよい)。
 ・空腹は脳が血糖値によって感ずるので、空腹時にダッシュをすると一時的に血糖値が上がり、空腹を感じなくなること。
   ・体重のグラフを書くと、ダイエットに対する意識づけができ、成功する確率が大きくなること。

など色々参考になることが多かった。病気になるのは、自分の悪しき生活習慣であることを反省し、ダイエットをしなければならないと強く思った一日であった。

(日記:午前中は数学のホームページづくり。午後は、市営プールでダイエット運動。その後も、数学のホームページづくり。
夜はNHKのダイエット番組を視聴。健康を考える一日だった。)

 
 

ソリ遊び

04 1月

雁ヶ原で孫達とソリ遊び
 
せっかく孫達が横浜から来たというのに、まだスキー場へ行っていない。そこで、今日は孫達と午前中、雁ヶ原スキー場へ「ソリすべり」に行くことにした。

雁ヶ原スキー場でソリ滑りを楽しむ長男の孫達。

  私と息子の嫁とその子供二人(孫)の4人で出かけた。家内が、ソリを2台買っておいてくれたのでそれを持って出かけた。雁ヶ原のソリ用のゲレンデで二人乗りや一人乗りで遊び始めた。

  途中で、松ぼっくりを拾い始めた。その後、ヒュッテで軽食休憩。三が日がすんだからか、スキー客はそんなにいなかった。雁ヶ原スキー場は完全にファミリースキー場になっているなと思った。

  休憩後、再びソリ遊びを始めた。ソリは滑る度に、斜面を歩いて登らなければならない。孫達はなかなか帰るとは言わなかった。二人乗りで何度も斜面を往復した。そろそろ「帰りたい」と言ってくれないかなあと思いながら斜面を上り下りした。

童心に返って私も孫とソリ滑り。ゲレンデの上り下りで少しは運動になったように思う。

  いささか食べ過ぎて太った私には、とてもよい運動になった。「牛に引かれて善光寺参り」ではないが、「孫に引かれてソリ滑り」の一日だった。

片瀬自慢の「ハンドル付きソリ」
  今日乗ったようなソリは、プラスチック製のソリだが、私たちが子供の頃は自分でソリを作ったものだ。そのソリも、滑走面には青だけを割って取り付けてあるものだ。当時、竹は火であぶって曲げて取り付けたものだ。

  特に、片瀬のソリは“ハンドル”付きのソリだ。これは、どこの地域でも作られていないと思う。子供の頃も、他地域では見かけたことがなかった。「片瀬オリジナル」だと昔も今も思っている。

  もしかしたら、今でも、私の車庫の二階に、あるかもしれない。足と、取り付けた縄で、左右自由に曲がることができる優れものだ。今でも、作れと言われれば作る自信がある。昔は、遊び道具は何でも自分たちで作ったものだ。

  こうした技術は、残念ながら、私も息子達には伝えていない。時間を見つけて是非とも作製し、雁ヶ原のソリゲレンデで孫達と楽しみたいと思っている。

(日記:午前中、歯医者へ行く。その後、事務所で数学のホームページづくり。12時半から、孫達と雁ヶ原スキー場へソリ滑りにいく。夜は、片瀬の集会場で『片瀬豊年ばやし』の練習。1月8日の本番に向けての練習だ。今朝、次女が大阪へ帰り、夜、長女一家が孫達と共に、福井へ帰っていった。残るは長男家族だけになった。)