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Archive for the ‘旅’ Category

ダブルナビで北海道・東北を3000km(①)

23 8月

10泊11日で北海道・東北旅行
20数年前に子供達と車で出かけた北海道へ家内と二人でもう一度旅行をしようと決めた。7月24日(日)の村の夕涼み会から8月6日(土)のさつき苑の夏祭り、翌7日(日)の村の山道作りの間の2週間を使うしかない。

新潟港で出港を待つフェリー「ゆうかり」

新潟港で出港を待つフェリー「ゆうかり」

今回の旅行の目的は、北海道を少し見て、後は東北の被災地を自分の目で見ることだ。最後は、映画「フラガール」のモデルとなったスパリゾート・ハワイアンズへ寄り、今春生まれた孫の顔を見ることも目的の一つだ。(他の孫達は8月7日にやって来ることになっている。)

早速、運動会の翌日の午後、新潟港へ向けてワゴン車で出発。「ダブルナビ」とは本当のナビと助手席に座る妻の指示だ。翌日の午前10時半の小樽行きのフェリーに乗ることにした。これも以前と全く同じ。

忙しかった毎日が嘘のようにのんびりした船旅。個室でのんびりくつろぐことができて車も運んでもらえるのがフェリーのよいところ。

途中で、小樽から新潟へ向かうフェリーとすれ違う。フェリー内では、新潟の歌手のコンサート。のんびりした時間が流れる。今回の旅行で一番困るのは、夏野菜の収穫と水やりだ。

上左:船上でのんびり。上右:鴎たちも旅に同行。下左:船上コンサート。下右:旅の楽しみの一つは食事(船内レストランで)。

上左:船上でのんびり。上右:鴎たちも旅に同行。下左:船上コンサート。下右:旅の楽しみの一つは食事(船内レストランで)。

トマトだけは、完熟したものから薄ピンク色のものまで数十個とキュウリなどを車に積み込んできたのだ。他は、家内の友達に頼んで、適当に処分してもらうことと、水やりだけはお願いしての出発だった。

計画はおおざっぱにしか決めていない。いざというときのために車にはマットレスで凹凸をなくして寝床が積んであるので、疲れたらどこでも休む(寝る)ことができるようにしての出発だった。はたしてどんな旅になることやら。(ブログの不具合で今頃旅行記をアップすることになった。)

 
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役員解散会

15 3月

おもしろくなければ飲み会じゃない
2年間、役員を務めた皆さんとはあと2週間ほどでお別れだ。二度と同じ組み合わせで区の役員会をすることはあるまい。

羅漢寺『久昌寺』を見学。

羅漢寺『久昌寺』を見学。

午前中は、最後の役員会。総会に提出する決算書や予算等の審議。午後1時半に集会場前へ集合して一路三国の民宿『三国屋』へ。役員10人のうち5人は奥さん同伴だ。

民宿へ着くと、早速、男性陣は一部屋に集まってビールを飲み始める。宴会前に出来上がった感じだ。午後6時から宴会開始。黄色いタグの付いたズワイガニも並ぶ。

それにしても、今回のメンバーは男女ともよく飲む。宴会の後は、スナックでカラオケ。次から次へとカラオケ。焼酎、ワイン、ウイスキーなどを飲みながら、カラオケ。

今日来た役員の奥さんたちは非常に乗りが良い。体でリズムを取りながらの歌唱で盛り上がった。お酒もずいぶん飲んだのではなかろうか。このメンバーで二度とこういう会を持つことはできないだろうが、とにかく楽しい解散会となった。

いつまで続くのだろうかという盛り上がりようだったが、ほかのお客さんの迷惑になるというのでようやくカラオケはお開きとなった。

楽しいカニ宴会

楽しいカニ宴会

各自が部屋へ戻り、入浴や雑談。家内によれば女性陣は12時過ぎまで話込んだらしい。皆さんが盛り上げてくれたので、幹事の私としてはほっとした。みんな、一年間ご苦労さんでした。

(日記 午前9時より定期総会に向けての臨時役員会。午後1時半集会場前を出発し、三国の久昌寺へ到着。住職のTさんは我が片瀬にある佛母寺の住職を兼ねてくださっているのだ。500体弱の立派な羅漢さんが祀られた立派なお寺だ。寺のいわれを聞き、お参りして民宿『三国屋』へ到着。午後6時より宴会。そして二次会でカラオケパーティー。楽しい一日だった。)

 

盛り上がったカラオケパーティー

盛り上がったカラオケパーティー

 
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最後の清流四万十川(7日目)

17 4月

地獄巡りで地球の鼓動を
 朝一番に別府の地獄巡り。時間の都合上、海・血・竜巻の3つの地獄を巡り、地球の鼓動を感じながら、足湯でリラックス。疲れた足には「足湯」もなかなかのもんんだった。

九州から四国へ
     別府から関門海峡を渡って中国道か山陽道で帰るよりも、四国へ渡って四万十川や龍馬のふるさと高知へ行った方が値打ちがあるだろうと決断。
ガイドブックを頼りに大分県の佐賀関へ。1時間おきに四国へのフェリーが出ていることを知る。四国の西端、三崎港へ移動。

四万十川に沿って走行   ここから、どこへ行くかが問題だ。四万十市へ移動すべく、ナビで調べると推奨コースとして海岸線を遠回りするコースが表示される。しかし、時間がかかりすぎる。敢えて最短コースを選ぶ。予想通り、山越えでヘアピンカーブの連続。

増水時には水中に沈む岩間沈下橋を渡る乗用車

 

途中から四万十川沿いを走ることになる。道幅は狭く一車線でカーブの連続。対向車も多く命懸けの難所。しかし一度見たかった四万十川に大感激。四万十川は予想通り清流であった。途中に岩間の沈下橋があった。車で渡りたかったが、橋の幅は普通車より少し広いだけで欄干はなし。妻に止められ、やむなく写真を撮るだけにした。

四万十川はどこまでも清く、水量も多かった。川魚漁師がいるということも理解できた。川の両側は綺麗な砂や小石があるだけで、見苦しい工作物は一切なかった。川の周辺の人達により川がしっかりと守られていることがよく分かった。四万十川は一見するだけの値打ちがあった。

(日記:別府で地獄巡り。その後、佐賀関港からフェリーで四国の三崎港へ。四万十川沿いに四万十市中心市へ。午後7時半にホテルへ入る。)

 
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特産品作りとSさんとの再会(6日目)

16 4月

梅栗植えてハワイへ行こう“梅栗植えてハワイへ行こう”を合い言葉に、梅を中心に特産品作りで成功している日田市大山町(※)の道の駅「水辺の郷おおやま」を訪ねた。店内には野菜やたくさんの加工食品が並び、食堂では地元野菜によるバイキングもあった。

上左:道の駅「水辺の郷おおやま」  上右:梅の加工食品  下左:野菜販売  下右:山菜バイキング

店員に店の況を尋ねたところ、事業部部長のK氏を紹介された。k氏から大山町の取り組みについていろいろ聞かせていただいた。とても参考になった。

上:響きの郷  下左:梅林  下右:梅加工所の案内看板

その後「響きの里」を紹介していただいた。途中の道路の両側は梅の木がたくさん植わっていた。しばらくして、「響きの里」に到着した。温泉あり、宿舎あり、食堂ありの憩いの場であった。

画家佐藤さんを訪ねて
  次に、勝山出身で日田市天瀬町に嫁ぎ、画家をしておられる佐藤さんを訪ねた。そして、色々お話を聞かせていただいた。佐藤さんは、中国でも個展を開催するなど日中友好にも大いに貢献しておられる地元の名士であった。嫁ぎ先は浄土信州の寺院であり、佐藤さん自身も布教活動をしておられるとのことであった。

今日は勉強になった一日だった。

(※) 大山町  大山町では、政府がまだ米の増産を推進していた1961年に、米作には不適な山地の地理的特性を生かして、作業負担が小さく収益性の高いウメやクリを栽培し、さらに梅干し等に加工して付加価値を高めるNPC(New Plum and Chestnut)運動を開始した。「梅栗植えてハワイに行こう!」というユニークなキャッチフレーズで知られるこの運動は、農家の収益の向上に寄与し、大山町は全国で最も住民のパスポート所持率が高い町になった。この運動は、後の一村一品運動の原点としても知られている。

勝山出身の画家・佐藤るりさん

(日記:長崎を9時過ぎに出て、日田市へ。大山町と天瀬町に立ち寄り、別府へ到着。)

 

修学旅行の生徒で賑わう長崎(5日目)

15 4月

長崎の二つの顔
 長崎には二つの顔があるように思う。

平和祈念像の前で

まず一つは、日本の近代化のスタート地点である。グラバー邸や出島などがそれであろう。異国情緒が漂うまちである。この地で幕末の志士たちが出会い、活躍したまちであり、それらを多くの外国人が理解し、支援したまちでもある。

もう一つは、世界で最後の被爆国であり平和に特に関心のある都市である。平和公園や長崎原爆資料館平和祈念像がその象徴であろう。平和ぼけしている私達に平和について考えさせてくれるまちである。

鹿児島や土佐、長州は、外国の状況について常に最先端の情報を入手することができる地域であった。しかしながら、20世紀になってからは、世界の状況をしっかりと見つめることができる人材が少なかったということであろうか。無謀な戦争のために多くの人達の命が失われたことを思うと心が痛くなる。

改めて“事を成すのは人である”と感じた

貸衣装を身につけた修学旅行中の女子高校生と一緒に

一日だった。修学旅行生が多いのもそのためだろうか。中学生、高校生にたくさんであった。また、外国人とも多く出会った。特にアジア系の人達の多さが目に付いた。

(日記:朝、熊本を出発し、長州港から多比良港までフェリーで渡り、長崎へ。ホテルの駐車場へ車を預け、電車で街中を移動。中華街、大浦天主堂、グラバー邸、平和公園、原爆落下地点の公園、長崎原爆資料館、出島、そして長崎まちなか龍馬館を見学。よく歩いた一日だった。)

手からえさをねだるカモメ(長洲-多比良間フェリー)

 
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気になる廃屋(4日目)

14 4月

野生馬のいる都井岬へ

鹿児島を出て志布志を経由し、野生馬のいる都井岬へ。あちこちで野生馬がのんびりと草を食べている。太平洋がよく見え気持ちが大きくなる。

新婚旅行のメッカ、今は
     続いて南国の香りのする宮崎、青島へ。途中で一人の高齢者と会う。この人は、以前、宮崎に住んでいたが今は熊本に住んでいるとのこと。「昔は、新婚旅行のメッカでとても賑わっていたんだが、今はだいぶん寂れてしまった」とさみしそうに話した。
東国原知事は宮崎を盛り上げていることが現地ではよく分かる。似顔絵が至るところで見られるからである。ポスター、看板、お土産の包装などに似顔絵が溢れている。

気になる廃屋   その後霧島神宮へ立ち寄り、熊本着。この数日間を通じて感ずることは、廃業により廃屋となった店舗がいたるところで目立つことだ。特に観光地の土産物屋や食堂、観光施設。高速道路のガソリンスタンドまでもが放置されている。

有名神社の門前に並ぶ廃屋の数々

 

日本の歪みのようなものが散見できて気が重くなる。民間は利益が上がらなければ廃業に追い込まれる厳しさがある。公務員と名のつく者の踏ん張りを期待したい。

 

 
 
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薩摩スチューデント(3日目)

13 4月

平和を願う-知覧特攻平和会館にて

午前9時宿舎を出て鹿児島湾(錦江湾)の最南端の長崎鼻へ。そこから見える開聞岳は最高に綺麗。

次に知覧特攻平和会館へ。若くして命を落とした隊員たちの無念さを思うと胸が痛む。いつまでも平和を守らねばと心に誓う。

続いて「知覧武家屋敷」を見学。午後は鹿児島市内見学。 

人材育成に力を注いだ薩摩藩“維新ふるさとの道”を歩き、「鹿児島市維新ふるさと館」 を見学。薩摩藩が人材育成のためにイギリスに留学生を送った史実を映像で見て感動。薩摩藩の先進性と人材育成にかける意気込みに感動する。イギリス人達から「薩摩ステューデント(※)」と呼ばれた向学心の強い留学生のその後の活躍に感銘を受ける。
その後、近代化産業遺産も残る島津家の別邸などを見学。終日桜島が見え、鹿児島にいることを実感。さらに、時々噴煙が空高く舞い上がり驚き。感動の一日だった。

龍馬(中央)や西郷隆盛が並ぶジオラマ

(※)薩摩スチューデントとは 薩英戦争を戦って、攘夷の不可能を悟った薩摩は、1865年に島津久光の意向で、国禁を犯して19名の日本人をイギリスに派遣した。その薩摩藩派英の留学生(15名)のことを、薩摩スチューデントと呼んだようだ(残り4名は引率役など)。   生徒の中には、森金之丞(後の外務卿・初代文部大臣・森有礼)、松村淳蔵(後の海軍中将)、畠山丈之助(畠山義成・東京開成学校-東京大学の前身-の初代校長)などになった人物などがいる。
この19名が、グラバー紹介のイギリス人に案内され、イギリスへの船旅をする訳である。
生徒らは船の中で勉強しながら旅を続けるのだが、途中の寄港地では、ホームに連れられて観光にも出かけたりする。    その寄港地で生徒たちは、時には植民地支配者的なイギリスの傲慢さを見たり、時にはイギリスがそれらの港や植民地に建造した施設などをみてその瞠目すべき工業力の偉大な力をみたり、また時にはイギリスが国内や植民地に布いた進んだ制度などに尊敬すべき点を見出したりする。

乗船当初には攘夷思想をまだ持っていた者までも、百聞は一見に如かずで、攘夷などできる訳がないと思うようになる。そしてサウサンプトンから機関車で最後の移動を終え、目的地のロンドンについてからは、藩父たる久光の意をくんで、皆は成果をあげようと益々心を引き締める訳である。

 

維新ふるさと館のパンフ

 
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本土最南端の佐田岬へ(2日目)

12 4月

本土最南端
    午前8時55分にサンフラワーで志布志港着。

本土最南端の佐多岬で

せっかく九州へ来たのだからと一路車で本土最南端の佐田岬へ。風雨は激しかったが、展望台からの眺めは素晴らしく、ほぼ300度の範囲で太平洋が見渡せた。さすがは九州の突端である。

桜島経由で指宿へ 砂むし風呂体験
続いて桜島経由で反対側の指宿へ。
ここで砂むし風呂を初体験。二人の男性がスコップで縦長の穴を掘り、そこへ身体を横たえる。身体全体を砂で覆う。砂って意外と重いものだ。じんわりと汗が出てくる。

汗と砂まみれの体をシャワーで流して命の

初体験の砂むし風呂、お腹の砂がかなり重い

選択。九州の旅2日目は温泉宿で大満足。明日はどんな旅になることやら……。

 
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サンフラワー乗船(1日目)

11 4月

さあ、出発
勝山を午前10時に発ち、午後3時に大阪南港着。午後4時にマイカーと共にサンフラワーに乗船。午後5時に鹿児島志布志港に向けて出航。久しぶりののんびりした船旅。風の吹くまま気の向くままの二人旅。ただいま充電中。帰ったらあれもしたい、これもしたいと少しずつやる気が……。

大阪南港に停泊中の鹿児島志布志港行きのサンフラワー

 
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旅の支度

10 4月

旅の形
 旅と言ってもいろんな形があると思う。一人旅。夫婦の旅。気の合う友達との旅。組織に一員としての旅。また、交通手段もいろいろである。歩く、電車、車、飛行機又は、これらの組み合わせが考えられる。

北海道一周
   これまで旅した中で一番の思いでは、家族揃っての北海道一周の旅であろう。ワゴン車の屋根に建具屋さんに特製の組み立て式骨組みを作ってもらい、テント屋さんに厚地の生地で特製テントを作ってもらって新潟からフェリーで出発した。最初に小樽へ行き、札幌、旭川、富良野、宗谷岬、網走、知床、釧路、池田、函館……と、家族5人が車中泊とホテルや民宿での宿泊を繰り返しながら、北海道を一周したことが大きな思い出となっている。

テレビなどで、摩周湖が出てきたり、カムイワッカ湯の滝や阿寒湖が出てくる度に、家族で「あっ、行ったことがあるとこや」と自己満足しているのである。

坂本龍馬を訪ねて
     坂本龍馬を訪ねて、高知県も旅したが、このときもメンバーは家族全員。桂浜や龍馬の博物館、生家のあった場所など龍馬ゆかりの地を尋ね、記念のグッズを買ったりもした。今年は、大河ドラマで龍馬伝が放映されているが、再度高知を訪ねたいと思っている。

明日から九州一周 
退職を記念して、今度は夫婦二人で九州を一周したいと考えている。九州と言えば、高校の修学旅行引率で何度か訪れたことがある。福岡、長崎、阿蘇、別府、宮崎、鹿児島などを見学したが、今度は、そうした観光地の他に、まちづくりや農業などの先進地も見学したいと思っている。

そして、観光地を見学する際にも、何が観光振興に役立つのか、もてなしの心はどうか、何か目新しい物産はないのかなど、地元の観光振興に役立つものを一つでも二つでも見つけられないかと考えている。

さらに、幕末の舞台となった長崎や熊本、鹿児島の史蹟なども見学できればと考えている。今日一日は、その準備に追われた。

(日記:旅行準備。退職の挨拶のためのはがきを書く。はがき投函の際、弁天の桜を見る。まだ、八分咲き程度だった。)

幕末青春記   『龍馬』         歌:旭 義明
作詞・作曲・編曲 いなか もん

一、土佐の城下は 俺には狭い
人に上下は あってはならぬ
剣に命を かけてはみたが
古い日本は 変えられぬ
姉貴 見てくれ
俺はやる この国を 洗濯する

二、藩と藩とが 争う時期(とき)か
お家大事は わかりもするが
周り見渡せ 虎視眈々と
迫る異国が 見えぬのか
俺は 守るぞ
父母の国 きみの国 命かけて

三、狭い了見 かなぐり捨てて
恨み乗り越え 手を取る時だ
国をまとめて 一つにしたら
後はまかせて 俺は行く
明日は 乗り出す
船の上 波の上 夢を求め

 
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