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Archive for the ‘今と昔’ Category

昭和写真館

07 4月

荒れる九頭竜川

1.九頭竜川

度々、大洪水が勝山を襲い、甚大な被害をもたらした。

度々、大洪水が勝山を襲い、甚大な被害をもたらした。

 

 
 

昭和写真館 九頭竜川

06 4月

1.九頭竜川

恵みの川「九頭竜川」

九頭竜川には、投網やヤナで捕るほどたくさんの鮎が生息していた。

九頭竜川には、投網やヤナで捕るほどたくさんの鮎が生息していた。

 
 

「すき焼き」の思い出

12 2月

漫画『三丁目の夕日』から
二ヶ月に一度の定期検診のついでに眼科へ寄った。診察室の真ん前にある書棚にはたくさんの漫画の本が置いてある。そこに、たくさんの『三丁目の夕日』があった。

単行本は、読み切りの集まりになっている。その中に一つに10ページ前後の「すきやき」と題したまん画があった。少しリッチな友達の家で“すき焼き”をご馳走になった主人公が、家へ帰って家族に「我が家でも“すき焼き”をしてほしい」と毎日おねだりする漫画だ。

しかし、あまり豊かでない生活を送っている主人公の家ではなかなか“すき焼き”をする余裕がない。両親は子どもの望み通りに“すき焼き”をしてやりたいのだが、家計が許さない。

そして、ずいぶん月日が経過したある日、“すき焼き”が実現するのだ。しかし、その“すき焼き”は、肉が少なく野菜の多いものだった。肉は、友達の家でご馳走になったような牛肉ではなく、豚肉だ。それでも、家族はうまいうまいと言いながら食べるというところで終わっている。

さて,子どもの頃の我が家だが、“すき焼き”を食べる日はまるで祝日のように決まっていたものだ。臼擦りが終わった日(米作りの最終日)と大晦日の2回だ。肉は上等なものではなかった。大晦日に“すき焼き”を食べる習慣は今でも続けている。今はいつでも食べられないことはないが、カロリーの面から普段は敬遠している。時代は変わったものだ。

(日記 自宅を9時半に出発。二ヶ月に一度の定期検診。ついでに眼科でも診てもらうことにした。ドライアイで涙が出るので困っている。その後、芦原温泉へ。ここしばらくの種々の行事の打ち上げのつもりで出かけた。温泉につかり、家内とカラオケを存分に楽しんだ。)

 
 

昨日(経済、経済と言うけれど)の続き

11 2月

自作の歌『昭和の子ども達』より
ずいぶん、昔のことだが、「父さんの子供時代」という詩らしきものを書いたことがある。しかし、子ども達が大きくなって孫が5人になって、「爺ちゃんの子供時代」という感じになってきている。

その中に昭和でなく、今を題材にした「物、物、物」といタイトルのものが出てきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
『 物、物、物 』
物があるから  考えぬ
物あり過ぎて  考えぬ
あるからなくて  なけりゃある

 

昭和時代の託児所の幼児達。(写真提供:朝日印刷)

昭和時代の託児所の幼児達。(写真提供:朝日印刷)

考える暇  与えずに
物を作って  儲けてる
考える暇  ないほどに
物を作って  売りまくる

物に溺れて  物を買う
物に流され  物を買う
物を買うため  働いて
働いてまた  物を買う

気がつきゃ「時」が  流れてる
買えない「時」が  減っていく
貴重な「時」が  過ぎていく
気がつきゃ子育て 終わってる
後でどんなに 悔やんでも
月日はただただ 進むだけ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

完全防寒スタイルで田んぼ道をウオーキング。

完全防寒スタイルで田んぼ道をウオーキング。

「物を買うため 働いて 働いてまた 物を買う」という部分が、昔も今もじ実感としてそう思っている。「買えない“時”が 過ぎていく」というのも同感だと思う。一日一日を自分の合点がいくように生きていきたいと思う。

経済、経済という今の世の中、人に急かされて、人が皆生きていると言えなくもない。豊かさを感じるのは自分の物指しだ。自分らしく生きていきたいと思う。

(日記 午前中、いつものように数学。午後は、家内とウオーキング。田んぼ道を歩き、途中から住宅地をあるいてかえってきた。約1時間半のウオーキングだった。汗が出るくらいの距離だった。)

 
 

空腹の昭和時代

24 11月

自然の中でたくましく
子供時代のことを思い出すと、いつも空腹だったように思う。食べるものは粗末なものが多かった。ただ、田舎だったので、質的には貧しくても、量的には恵まれていた。

しかし、自然の中には食べるものがいっぱいあったし。冷蔵庫も、お菓子もほとんどなかったが、身の回りの物を探して口に入れていたように思う。いまなら食べないような生のモノもたくさん食べた。ナスなどは生で食べてもおいしかった。いまでも食べられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『昭和時代の子供たち』より ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

空腹
家へ帰れば  腹が減る
天井に吊った  かき餅は
服を投げたら  落ちてくる
生でかじれば  歯が欠ける
でも背に腹は  かえられぬ
腹ごしらえは これでよし
戦闘開始だ  遊ぼうぜ

 

有り余るほど甘く大きい実をつけた「イチジク」。今日は感謝の雪つり。美味しい果実を多くの人に何度も差し上げることができたし、ジャムまでたくさん作ることができた。

有り余るほど甘く大きい実をつけた「イチジク」。今日は感謝の雪つり。美味しい果実を多くの人に何度も差し上げることができたし、ジャムまでたくさん作ることができた。

食べられる物
何もない家  子にゃ宝
食うものなけりゃ  探そうぜ
何でも食べる  サバイバル
待てずに食べる  青い柿
ざくろ・イチジク  すいこんぼ
拾って食おう  栗・べっこ
桑の実食えば 人食い人
生でも食おう  サツマイモ
人参・キュウリ  茄子・トマト
パンツで拭けば  ビッカピカ

御裾分け
結婚式だ ご馳走だ
おっとどっこい  ちょっと待て
隣近所へ  御裾分け
せっかく貰った ご馳走が
羽を生やして  逃げていく
回り回って  お返しが
忘れた頃に  やってくる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(日記 午前中は、家庭の仕事をすると決めた。まず、トマトの雨よけを分解して片付けた。また、有り余るほど実ったイチジクに感謝して雪つりを行った。その後、農作業用の小屋を片付けた。午後は、久しぶりに数学の参考書作り。時間はかかったが、楽しかった。)

 
 

夏の寒さ、冬の暑さ……エネルギーの無駄遣い

13 8月

どんな格好で東京へ行けばいいのか
 昨日から、家内と二人で東京へ行き、娘のアパートで泊まった。行く前から考えていたことは、どんな服装で行くかだった。それはファッションのことではない。

上は、四人で買い物に出発。埼玉県若葉駅にて。下は新宿界隈を歩く娘と家内達。

上は、四人で買い物に出発。埼玉県若葉駅にて。下は新宿界隈を歩く娘と家内達。

 それはクーラーの効き過ぎによる寒さ対策だった。行く前から、考えていたことは、「新幹線はきっと寒いだろう」ということだった。そこで、私は、長袖のシャツを着ていくと決めた。案の定、新幹線は寒かった。

 家内は、マフラーを首に巻き、その端を半袖の先の腕に羽織っていた。東京駅の構内は人が多くてとても暑かった。しかし、ひとたび、建物の中へ入ればそこでは冷房が効いていて、涼しい。

 とか鉄なども、場所によっては、冷房が効きすぎていた。非常に暑いところと、冷房が効きすぎていて寒いところが混在していた。

 冬は逆である。外は寒いだろうと思って、ヒートテックに首のしまったセーターなどを着ていったら大変だ。建物の中や電車の中は暖房が効いていてとても暑い初。汗が背中を伝わるのがわかるくらいである。そんなわけで、今では、夏は寒さ対策をして、冬は暑さ対策をして出かけることにしている。それにしても、もったいない話だ。エネルギーの無駄使いも甚だしい。

(日記 東京、正確には埼玉の自助のアパートで目を覚ました。午前9時頃、アパートを出て、結婚に必要な家具や電化製品を買うために、新宿界隈へ出かけた。娘とその相手と一緒だった。昼食を3時頃食べるほど忙しく歩き回った。そして、午後6時半の「新幹線ひかり」で東京を発った。自宅へ着いたのは、5時間後の午後11時半過ぎだった。風呂へ入って寝たのは、翌日になってしまっていた。疲れた一日だった。)

 
 

水泳「今昔」

30 7月

川とプールの違い
 孫達が帰省してから、プールへ行くことが多くなった。孫達はプールへ行けば、3時間ぐらいはノンストップでプールの中で遊んでいる。ビート板を使ったり、大きな筏のゆおな板を使ったり、ジョウロや輪投げの輪のようなものを使ったりして、飽きずに遊んでいる。

 私は、それらの相棒をしたり、家内に孫達を任せて大人用のプールで水中ウオーキングをしたり、少し泳いだり、ジャグジー風呂に入ったりして時間を費やしている。

 孫達は,全く飽きずに遊んでいる。私も、ほどほどには楽しいが、川での泳ぎが中心だった自分の子供時代と比べると、違いは歴然としている。しかし、子どもたちには、川での泳ぎを止められている。探せば、泳げる川もないではないが、それらは自宅からは遠いし、水も冷たい。

昔の子どもたちが泳いだ九頭竜川。ここは「まち」の子どもたちの水泳場だった。私たちはもっと上流だった。

昔の子どもたちが泳いだ九頭竜川。ここは「まち」の子どもたちの水泳場だった。私たちはもっと上流だった。

 昔なら、自宅から自転車で九頭竜川まで出かけて泳いだものだ。常に、一定の緊張感はある。それは、流れていることと、深みがあるからだ。しかし、川には、魚が泳いでいて、水の冷たさも所々で変わり、いろんな遊びができる。

 特に、大雨の次の日の水泳は命がけだった。川幅は普段の倍はあり、流れは早く、波もあり、水は濁っている。こんな川を泳いで横断しようとしたら川幅の3倍は泳ぐ覚悟がいる。途中では絶対に泊まることができないのだ。こんな濁流に飛び込んで波乗りもしたものだ。当時、私たちは「ながれかんじ」と呼んでいた。立ち泳ぎをしていれば、上流から長い距離を移動できるのだ。寒くなったら浅いところで魚を捕る楽しみもあった。プールでは経験できないいろんなことができた。時代は確実に変わってしまった。プールの中で時々昔を思い出すことがある。

(日記 午前中は、数学をしながら、孫の勉強の相手。午後は、近くのプールで水泳。かなりの時間プールで遊んでいた。泳ぎというよりも、孫との触れあいや運動という雰囲気であった。それでも、健康に早くだったであろう。孫達も喜んでいるようなので、これはこれで楽しい。)

 
 

エンゲル係数に代わるものは

10 4月

新エンゲル係数とは

我が家で収穫した作物達。いずれも食卓を賑わしてくれた。ありがとう!!

我が家で収穫した作物達。いずれも食卓を賑わしてくれた。ありがとう!!

昔ドイツの エンゲルは
貧富の係数 考えた

食費が家計に 占める率
エンゲル係数と 名付けたり

食費が支出の 半分を
占めたら生活 苦しかろ

今の暮らしの 豊かさを
何で測れば よいのだろう

テレビ・車に スマートフォン
娘をもてば 化粧品

いずれも昔は なかったが
今はこれらが 個人持ち

これら全部を 合わせれば
さぞや暮らしも きつかろう

いったい支出の 何割か
アベノミクスも 水の泡

贅沢係数 少し変
なんと呼んだら いいのだろう 

(日記 午前中、例によって歯医者。終わってから、畑を耕し、石灰を撒いた。GWが近づいたら順次、トマト、ナス、キュウリなどの苗を植え、トウモロコシ、インゲン、オクラなど種を播きたい。そして、5月からは昨年植えたエンドウ、ニンニク、タマネギなどが収穫できるだろうし、その後、今春植えたジャガイモなどがとれるだろう。そして、豆類が毎日収獲でき、7月以降は毎日トマト、キュウリ、ナスなどが食卓に上るだろう。一石二鳥とはこのことかも知れない。植物の生長を楽しみ、収穫物が毎日得られるのだ。次から次へと種を播いたり、苗を植えておけば、連日収穫できるだろう。晴耕雨パソの毎日が始まるのだ。午後1時半頃、福井から日立の技術者がパソコンの修理にやって来た。4時間ほど私のパソコンの修理に当たってくれた。後もう少しらしい。『5年保証』に入っていてよかった。)

 
 

You Tube で学ぶ

12 11月

学ぼうと思ったら何でもあり
文化祭で片瀬の演し物として、片瀬に住むALT(外国語指導助手)のJさんにも歌ってもらうことになった。彼女が示した歌える曲の候補の中から、「Hey,Soul Sister」を選ばせてもらった。

もちろん私は、この歌を知らないし、楽譜も持っていない。早速、YOUTUBEを調べると、歌手の歌から、ギターの弾き方まで数え切れないくらいたくさんの動画がある。もちろん歌詞もコードもある。

少なくとも、Jさんの歌の伴奏ができるだけの材料は揃った。私は、時々、YOUTUBEの世話になる。太鼓仲間がフラダンスを踊るときも、基本から応用までたくさんの画像がある。これらを見れば何でも学べる。

民謡も、ハワイアンギターの弾き方も、ドラムのたたき方も、何でもありだ。学ぶ気さえあれば、YOUTUBEでもかなりのことを学ぶことができると思う。

しかし、情報を選んでばかりいるのは、さみしい。私も、ネット上で自作の歌を公開しているが、これからは、YOUTUBEでも映像付きで公開してみたいと思う。

情報は、受信と発信の両方が大切だと思う。今の時代に生まれた子どもたちは、幸せであり、不幸でもある。それは、自分で考える機会をかなり奪われてしまうからだ。自分で創作する機会をかなり奪われてしまっているように思う。

私は、今後とも、いろんな形で情報を発信しながら、受信していきたいと思う。とにかく、ネット上には何でもあり、それらをいかに活用するかが、豊かに生きられるかどうかの分かれ道だと思う。

(日記 文化祭のためのカラオケづくり。意外と時間がかかった。夜は自宅で、村のNさんを誘って文化祭で演奏するオカリナ曲の練習。かなりの時間、パソコンにしがみついていた一日だった。)

 

よみがえる青春

09 11月

藤子・F・不二雄ミュージアムにて
長男宅でのんびりと目を覚ます。午前11時に長男の家族5人と我々夫婦が『藤子・F・不二雄ミュージアム』へ行くことになった。すでに切符も勝ってくれていた。

高速で1区間を経て川崎市にあるミュージアムへついた。藤子不二雄氏は、富山県出身の藤本弘氏と我孫子素雄氏二人が一つのペンネームで作品を描いてきたのだ。

後に、二人は別れて藤本弘氏は、藤子・F・不二雄氏として独立して現在に至っている。それまで、よくも二人で一つの作品作りができたと感心するばかりである。

二人は、それまで「お化けのキュウタロウ」や「ドラえもん」など数々の作品を生み出した天才的な漫画家ではないかと思う。ミュージアムには、たくさんの漫画が展示あれ、原画なども展示されていた。

鉛筆での下描き、ペン入れ、下描きの鉛筆を消して墨汁による墨入れ(ベタ塗り)、そしてネーム入れ(セリフを写植で貼り付ける)など、私が中学高校ですべてを投げ出して漫画に取り組んでいた時代が鮮やかに思い出された。

10年先輩の藤子氏(二人)は成功し、私はテレビの出現とともに漫画を描くことを断念した。テレビの出現とともに、当時10冊あまり発行されていた月刊雑誌は、すべて廃刊になるような時代だったのだ。

私を指導してくれた漫画家のYY氏(貸本漫画を中心に時々月刊雑誌にも描いていた)も手塚治虫氏らの言に従って漫画家を辞め、広告会社を作ったりした時代だった。

今日のミュージアムを見ていて、そんな私の青春時代を鮮やかに思い出させてくれた。ミュージアムを見ているうちに、私の体の奥底で眠っていた漫画魂がムクムと沸き上がってくるのを感じた。

今さら私は漫画家にはなれない。能力的に無理だし、年齢的にも無理だ。しかし、漫画の周辺を楽しむことはできる。ミュージアムで若き日の血が騒ぎ出したことだけは間違いない。

(日記 午前11時より孫達と『藤子・F・不二雄ミュージアム』へ行く。過ぎ去った青春時代の血が騒いだ。長男宅で2泊目の夜を迎える。)