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現役の中・高生の声を聞きたい

25 2月

下図を見てどのような学校生活が始まるか、想像できますか?
 現在、市のホームページに示されている特別教棟の中高特別室(中・高音楽室、中・高各理科室、家庭科室など)の配置計画です。高校の特別教棟を中学校と高校が使うというもので、中学、高校の中間に位置しています。

 将来の中高生には想像しがたくても、現役の中高生には容易に想像できるでしょう。もしも、中高の授業でみんながこの配置図を見て、話し合いを持ったら、それこそいろんな意見が出てくるのではないでしょうか。

 校舎の中で、ことある毎に、中学校1年生から高校3年生までの生徒が出会うことになるのです。それだけではなく、勝高に進学すれば、中学校の先生にも常に出会うことになります。

 中学、高校にはいろんな生徒がいます。このような環境をよしとする生徒もいるでしょうが、耐えられないと感じる生徒もいることでしょう。後者の生徒はおそらく、他校への進学を希望することでしょう。

 これは特別室での授業だけではありません。体育の授業もそうです。勝山高校の二つの体育館やジオアリーナを共用するのですから、頻繁に年齢幅の大きな生徒達が出会うことになるのです。

 更に、登下校時のバスの中でも、バスを降りても、狭い地下通路を一緒に通らなければ学校へは入れないのですから、一緒に行動せざるを得ないのです。家庭の車送迎の場合にも、地下通路は同様です。

 私の、これまでの聞き取りでは、単独の中学校、高校の場合でも、上級生はかなり怖いとのことでしたから、中学校1年生と高校3年生では萎縮しないかと心配です。

 中高一貫校の生徒にも聞きましたが、高校生とあまり交わらない方がいい。教室が離れているだけでもありがたいとのことでした。朝の登校から、授業、そして、下校までこのような環境になった場合、果たして当事者達はどう思うでしょうか。今の子ども達に、想像してもらうしかないでしょう。

 0歳から15歳のお子様がいる保護者の皆様に対して説明会(各家庭1名限定)
 将来、再編した中学校へ入学する可能性のある子どもの保護者に対してできる説明とは、既定の方針を説明するしかないでしょう。市民の疑問には答える場にはならないでしょう。

 上記のような問題は話題にもならないでしょうし、誰も想像できないでしょう。しかし、子ども達は、大人の決めたこうした環境に飛び込んで行かざるを得ないのです。いろいろ想像してみて下さい。

 

中学校再編問題を単独で考えてよいか

24 2月

『流山がすごい』
 月曜日に病院の定期検診に出かけた。どうせ待ち時間があるだろうと、週刊誌を買った。
あちこちの記事を読んでいるうちに、ある広告が目についた。

 『今週の必読』と書かれた本の紹介だ。「人口増加率が日本一となった理由とは」のキャッチフレーズよりも、紹介文に書かれた『……本書には様々な「ひと」が登場する。そして地域の価値を上げるためにはいかに「ひと」の力が必要かを説いている。……』の部分に惹かれた。

 ここまで読んで決めた。この本を買おうと。思えば、22年前、市教委にお世話になることになった。そして、何かで自分の意見を表す機会があった。私は迷わず『事を為すのは人である』をベースに自分の意見を書いた。

 帰宅して早速本を注文。そして、ゲット。人が一番大切なんだ。人が活かされる「まち」かどうかで、人が集まりもするし、去っても行く。

 子どもも大人もみんな人。

 ・このまちに住んでいたら、何かができそうか?
 ・このまちに住んでいたら、夢が持てそうか?
 ・このまちに住んでいたら、面白い人に出会えそうか?
 ・このまちに住んでいたら、自分が活かされるか?

 誰かが勝手につくったまちに「住まわせてもらう」のではなく、「私たちがまちをつくっていくんだ」
という雰囲気が流山にはあるという。

DINKsかDEWKsか
 DINKsは以前によく流行った言葉だ。Double Income No Kids(つまり,子どもを持たない夫婦)。
子どもをもうけず人生を楽しもうという人たちだ。

 一方のDEWKs。 Double Employed With Kids (つまり、子どものいる共働き世代)。働きながらの子育て。一番大変な世代だ。しかし、この世代がいなければ少子高齢化が進みやがて過疎になる。

 流山は DEWKsにターゲットを絞っている。その第1が、子育て世代の支援。保育士の厚遇。
2010年に17カ所しかなかった保育園が100カ所に。

 これは序の口。あまり書きすぎると、かえって邪魔になる。買っても読みたくなるかどうかです。読んでいると、ついつい比較したくなるのでここまで。

中学校再編問題は地域の浮沈を懸けた重要な問題
 私の持論。中学校再編問題を単なる学校問題として捉えてもダメだと思う。中学校の再編問題は、このまちをどうするかの大問題。保育施設、小学校、そして、高校さえも一緒に考えなければ意味がないと思う。

 さらに、少子高齢化問題、都市計画(まちづくり・交通問題・道路・水路・積雪時の問題……)、雇用問題、経済問題、観光問題、起業問題、公と私の棲み分けと協働、生き甲斐・やり甲斐、各年齢層の団体、学び直しの問題、……、あらゆる角度から考えなければならないと思う。もったいない。どれにも繫がっていく問題だからだ。

 行政は、ともすれば都合のよい部分から理屈をつけてやろうとする。そして、後からあまり効果のなかったとしても、そのことには触れずに次を目指す。今、何が必要か?今後何が必要になるかと前ばかりを見ている。

 現実には、狭い範囲で考えているように思えてならない。今のままでは、所期の目的さえ達成できそうにない、と私は思う。もう少し考え直してほしいと思うが、こんなブログだけじゃ、声は届かないだろうなあ。残念無念。よそのまちのこととして傍観もしていられないし……。 

興味のある方は是非とも読んでみて下さい。

ついでにこの本も宣伝させて下さい。


 

令和10年2月23日 杞憂に終わればいいが

23 2月

 一台、また一台とスクールバスがジオアリーナを回って地下通路の入り口へ向かっていく。バスの中からは、中学生、高校生が次々と降り、無口で地下通路を降りていく。

 時間に遅れまいとするが、先を急ぐことはできない。通路の土足帯は二人が並んで歩くだけの幅しかない。何か用事で先を急ぎたい生徒は、ついつい土足のまま上履き帯を歩いて、先を行く者を追い越さなければならない。

 みな、無口で地下通路を通り校舎へ急ぐ。中学校1,2年生の生徒達は時々駆け足を交えながら、前を行く高校生に遅れまいと先を急ぐ。毎日、通学時間帯に起こる登校風景である。

 地下通路入り口では、次々とバスが地下通路へ到着するが、先行するバスが全ての生徒を下ろさなければ、次のバ                スは停車位置へはたどり着けない。バス通学生だけでも、約300名ほどの生徒がいるので、混雑は避けれれない。

 一方、保護者の車で送られてきた生徒も大変である。ジオアリーナの駐車場へ入るためには、交差点で信号待ちをしなければならない。一度の青信号でジオアリーナ方向へ曲がれればラッキーである。大概は、走破できない。

 そして、なんとか駐車場へ入れれば、車を降りるやいなやジオアリーナの横を通って、地下通路の入り口まで足早に地下通路へ向かって急がなければならない。

 バスが入ってきたり、保護者送迎の車を避けながらの移動は毎朝大変である。その上、雨や雪が降ったら大変である。地下通路へ入るまでに身体や靴が濡れると、いきなり階段を降りるときに滑ったりする危険があるからだ。

 バスを降りた生徒達と、保護者に送ってもらった約200名あまりの生徒が、毎朝地下通路で出会うので、どちらが先に通路へ入るかでも気を遣う。誰も通行整理をしてくれないので、中学生はどうしても高校生に先をゆずりがちになる。

 こうした、事態を避けるため、中学生や高校生の一部が、決められたジオアリーナの駐車場で保護者の車を降りるのではなく、併設前のように、長山付近で車を降りたり、特別支援学校周辺で車を降りることが当たり前になっている。

 そのため、学校周辺に住む人たちの車と出くわすことが多くなり、危険だと指摘される。結局、学校の先生や保護者がそうした生徒の指導をしなければならない。また、交通整理をしなければならない事態が生じている。

 とにかく中高生徒の半数あまりが、国道を横断して地下通路を通らなければ学校へ入れないというのが、今の再編計画だ。高校生には、それまでよりも、登校がかなり大変になってしまうというのが中高併設による大きな変化だ。

 この先もずっと、このような事態が生じるのかとうんざりしてくる。……と、こんなことが起こらなければよいのだが……。まだまだ、課題の多い中学校再編計画ではある。

西(左)側から半数、東(右)側から半分の生徒が登校する新しい中学校と高校
 

友来る。それって当たり前?

22 2月

 午後1時半に友と会うことになった。といっても、彼は30代。私との年の差はかなりのものだ。それでも、いろんなことが話せるから嬉しいし、楽しい。

 政治のこと、保守、革新、まちづくり、起業、ビジネス、これまでのこと、これからのこと、そして、勉強(広義の勉強)の大切さ、学校問題、……。話題は尽きない。いつもとは全く異なる頭の使い方だ。時間の経つのがとても早い。

 この年になってこんなに話し込むことができる相手がいるなんて、とても嬉しい。時間があったら、まだまだ話していたかもしれない。これは当たり前ではない。とてもありがたいことだ。

 両方が、聞く耳を持ち、話すことがあったからではなかろうか。お互いに前を向いていたからだろうか。この関係を大切にしたい。午後7時頃まで話した。(5時間半だ)


 話の途中で時々、横浜の長男宅にいる家内からLINEが入る。孫とイチゴ大福を作っている写真や、犬と戯れている楽しそうな写真が送られてくる。動画もある。私も行けばよかったかなと思ったりもする。

 私の若い頃は、スマホなどはなかった。新幹線もなかった。途中で家内から送られてくる富士山の写真、長男宅での楽しい動画や写真を受け取ることなどは想像もできなかった。メッセージのやりとりも、かつてはできなかった。

 今の子ども達には、こうした環境は当たり前だろう。そうでなかった時代に生まれた私にとっては、これは目を見張る変化だ。決して当たり前ではない。電話でもしようものなら、チャリン、チャリン、……と落ち着かないだろう。

 便利さの行き届いた時代は、ともすれば人間の出番を少なくする可能性がある。人間を受け身的にする。人間をもっぱら消費者にする。1ヶ月の家庭の通信費を考えたら、驚くだろう。

冬の晴れ間は、雪国に住む私たちに取ったはありがたいが、表日本に住む者にとっては当たり前かもしれない。
10cmぐらいの雪は私たちには当たり前だが、都会人にとっては、大騒ぎだろう。

新幹線から(家内撮影)

 

 

 

 

 
 

第5回 中学校再編準備委員会を傍聴

21 2月
第5回再編準備委員会

 午後7時から市の教育会館で行われた中学校再編準備委員会を傍聴。冒頭、委員長の挨拶。「県内では、あちこちで探究学習が進み、成果を上げている」と。それならば、なぜ、勝山だけが無理矢理中高併設にして探究学習を目指すのか。他の所では、中高別々でもちゃんとやっているのではないかとの素朴な疑問が湧く。

そして、教育長から先日行われたパブリックコメントの意見が紹介された。(以下写真で)

 今、勝山市では中学校再編に関して市民の意見が二分している。この案を推し進めたい市ともう一度考え直してほしいという市民の意見がなかなか収束しないでいる。

 最も市民が疑問に感じているのは、勝山高校の敷地の中にグラウンドも体育館も持たず、音楽室や理科室、家庭科室などは全て高校の校舎の中に作り、体育館やグラウンドは共用するという「勝高併設案」に対してだ。

 事の起こりは、勝山高校の定員割れが続き、何とか存続させたいと。(その後、小規模校でも残すとの高問協の答申あり)。それには、中学校を勝山高校にくっつければ連携が進み、少しは勝高進学者が増えるだろうとの一市議の発想が発端だとか。(議会議事録参照)

 「勝高併設だけは止めてくれ!共倒れになる、どちらにも良くない」と、この一点について、多くに市民から考え直してほしいと必死で訴えているのだ。しかし、この方向で着々と計画は進められつつある。一度は4,000筆あまりの署名、2度目の署名は現在7,000筆を越えている。それでも、この案を強行されようとしている。

 「勝山高校に併設すれば、全国に誇れるジオアリーナがあり、長山グラウンドもあ理、部活動の選択肢も増えるる」と、ことあるごとに説明するが、中学校に与えられたスペースはジオアリーナ半分と長山グラウンドだけ。勝山高校の敷地の中に校舎を建てて併設しても、結局は元の中学校を使わなければ部活動はできないと、再編準備委員も述べている。(全て市のホームページで閲覧可能)

 なぜ考え直してほしいか、私の意見を今後少しずつ述べたいと思うが、紙面の関係で今日は速報のみ。

 

残日録再開 日は残りて 昏るるに未だ遠し

20 2月

とうとう80歳になった。藤沢周平先生の『三屋清左衛門残日録』の中の言葉をお借りしている。
《日は残りて昏るるに未だ遠し》の心境である。もう時間は残り少ないと考えるよりも、まだまだ時間は
あるとプラス思考で生きたいものである。

『 傘寿来て 目出度さ・さみしさ そろい踏み 』

よくぞここまで生き延びることができたという感謝の気持ち。
人生は無限ではないという一抹のさみしさ。

はっきりしていることは、大きな節目であるということだ。
ただ、《八》という字の末広がりの縁起の良さ、これはありがたいと思う。

今日から、一服していた『いなかもん残日録』を再開したいと思う。
むかしの自分はかなぐり捨てて、思ったことは書いてもよいのではと思う。

どういうわけか、一月元旦よりも改まった気持ちになれるから不思議である。
それは、正月はこれまで80回経験したが、80歳の誕生日は初めてだからだろうか。

ここから先は、自分が元気で過ごせるように節制するのも大切な仕事の一つだと思う。

67歳で退職したときには、《退職グッズ》と称してほしいものをある程度揃えた。
そして、《退職プロジェクト》と称して少しだけやりたいことをやった。
〇 まあまあの速度のデスクトップパソコン
〇 種々のソフト(音楽ソフト、描画ソフト、文章作成ソフトなど)
〇 アコーディオン
〇 ウインドシンセサイザー、
〇 車の買い換え
などだ。

今度は、何にするかと考えていたモノのいくつかは、プレゼントされた。
それは、少し前に喜寿があったからだ。
 〇 最新のデスクトップパソコン
 〇 電子ドラム(買いたいと思っていたものよりはるかに効果)
 ※実は楽器屋さんにリアルドラムの中古が出ていたので買おうかなと迷っているうちに
  消えてしまっていた。でも、電子ドラムが手に入ったのでひとまず安心。
〇 車は喜寿の後に購入済み

そうなると、《傘寿グッズ》よりも、《傘寿プロジェクト》といった方がよいかもしれない。
 〇 描き終えたマンガ『マンガで学ぶプログラミング』の出版作業
 〇 できれば、続編マンガ『ゲームで学ぶプログラミング』を描き始めること
 〇 執筆中の冊子『中学校再編物語』の完成(これは手製の印刷製本冊子)
  ※ なんとしても記録しておきたい。なんでこうなるのか……。
 〇 童話
 〇 演歌などの歌作り
 〇 日曜大工(組み立て式雪囲い、未だ旧宅の半分しか完成していない)

そして、盆踊り復活にも取り組めたらと思うが、どうなることやら……。手を広げすぎて
右往左往。家内には、いつも「手を広げ過ぎて何でも中途半端」とたしなめられている。 

A5版 204ページ 

 
 

余興万歳

12 1月

どうせやるなら楽しく 地域や団体でいろんな会合があるが、時々それらの新年会や文化祭などに余興をすることがある。そんなとき、もしも私が所属している団体なら、なるべく楽しくやりたいと思う。

いやいややってお茶を濁すか、それとも真剣にやってうけるか、どちらを取っても、短時間の出来事だ。しかし私はどうせやるなら、真剣にやる方を取る。

 終わった後の満足感があり、みんなの喜ぶ顔があり、何よりも「またやりたい」と次に対する意気込みが違うからだ。そんなわけで今日も役員でもないのに猪瀨地区の余興の指導を引き受ける羽目になった。過去にも何度かはやっているが。

 遡ると、青年団時代からいろんな活動をやってきた。個人的なバンド活動のみならず、イベントも自分たちで作ったりして。

余興と郷土芸能 時には余興と郷土芸能の区別が付かなくなるときもある。でも、私の考えは、郷土芸能は余興になるが、余興は郷土芸能になるとは限らない。

 そんなわけで、今年も、「盆踊り復活」のための活動や余興などにも真剣に取り組み、仲間と楽しく過ごしたい。コロナに負けないでいたいが、……。

 さしあたって来月の勝山市の『高齢者ふれあい祭り』を乗りきらなければならない。猪瀨地区の皆さんと楽しく、取り組みたいものだ。

平泉寺鍬踊り(踊りも鍬も手作り)
『片瀬豊年ばやし』の挿入芸(これは片瀬オリジナルで郷土芸能のつもり)
これは余興か(高齢者ふれあい祭り)
 
 

アフターコロナ時代

08 1月

菌を避ける生活 近年は菌を避ける生活が当たり前になっている。除菌グッズ、無菌○○、そしてコロナが蔓延し、今や消毒やマスクが当たり前になっている。

 至るところで無菌でいることが多くなっている。幼い時代に雑菌と共に生きてきたわれわれなら今になって無菌、や消毒が当たり前になっても、かまわない。

 しかし、幼い頃から無菌あるいは菌の少ない環境で生活してきた子供たちは菌に対してどのように育つだろうか。聞くところによれば、今の子は砂遊びもままならないらしい。殺菌・消毒した砂がなければ砂遊びもままならないのだ。

アレルギー体質の増加 きっと、雑菌に対する抵抗力や免疫ができず、いろんなものに対して過反応を示すのではなかろうか。アレルギー体質の子供が増えるように思えてならない。杞憂に終わればいいが……。

 子供時代に一定の雑菌にさらされることはむしろよいことだといわれている。昔はあったのかなかったのか、スギ花粉症などの言葉を聞いたことがなかった。私たち子供は、田舎ではスギ花粉を浴びて育ったのだ。杉玉鉄砲遊びなどは、杉の玉を口にほおばり、それを弾にして、笹竹で作った杉鉄砲で飛ばすのだ。スギ花粉など気にしていては遊べもしない。

 私たちの子供時代も給食はあったが、アレルギーにたいして過敏な子供のために給食に特別配慮しなければならないようなことはなかった。今は、菓子などにもアレルギー物質と明示してある。そば粉が命取りになる子もいる。

一定の刺激を受けて育つことの必要性 子供時代に、いろんなタイプの子供と過ごすことも同様に必要ではなかろうか。特に、異年齢集団で過ごすことが必要だと思う。

 しかし、今は、同学年で過ごすことが多いようだ。従って、我慢をする、耐えるといった機会が減り、指導する、後輩を育てるといった機会もまたあまりないのではなかろうか。常に大人の敷いたレールの上を走るだけはいつかどこかで破綻がくるような気がしてならない。 

すべての子供の頭にDDTをかける。道ばたの草や麓の山のイタドリ・つつじの花はごちそうだった。

 
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現代人の余裕のなさ

07 1月

昭和時代の忙しさ
 昭和の忙しさを考えたら、今と比べものにならなかっただろう。何を行うにもかなりの時間が必要だった。

かまどでご飯を炊く 主婦は早朝4時か5時起きて、前日かしいであった米を入れたお釜をかまどに設置し、火を付ける。最初は枯れた杉の葉など燃えやすいものに火を付け、次に割る木等やや太い木を入れて本格的に燃やす。
「初めチョロチョロ、中ぱっぱ、赤子泣いてもふた取るな」と言われるようにある程度の時間がかかる。炊き上がれば、さらにおひつなどにご飯を移すのだ。当然、ご飯を炊くための薪は農閑期に集めておかなければならない。

風呂を沸かす 風呂を沸かすのはある時期私の仕事だった。風呂を沸かす前に、風呂桶に水を張らなければならない。手押しポンプでバケツに水をくみ、それを五右衛門風呂の桶に運び入れるのだ。子供にはかなりハードな時間だった。五右衛門風呂から水が漏れて炊き口に水が落ちると、火が消えてしまう。煙がもうもうとする中で火吹き竹を使って懸命に火を消さないようにするのだ。これも、薪作りは夏の間の重労働だった。

米作り 春も早くから、田んぼに堆肥などの肥やしをまいておかなければならない。一方、籾を水につけ芽出しをして苗代に蒔くのだ。一方、田作りは人力と馬だ。
大きな田んぼの田作りは馬の出番だ。馬を使って鋤で田んぼを荒起しし、水を入れて輪車である程度土を細かくし、最後に、万鍬でさらに細かくしながら田んぼを水平にするのだ。

 そして、枠を回し、苗を植えるというわけだ。その後、除草機をかけたり、人力でヒエや雑草を取るのだ。こんな調子で、精米にするまでには、まだまだ手がかかる。米という時が八・十・八と書くのは手間暇かかるからだという。こんな調子であらゆる作業を行っていたのだ。
 今のように、軽トラなどの車がなかったので、その作業の大変さは言葉では表されない。1家族で手に負えない作業は近所の人たちのたすけによる共同作業「結い」で行われてきた。

冠婚葬祭は手間暇かけて丁寧に それでも、冠婚葬祭は時間をかけて行ってきた。祭りなども若い衆祭り、弓矢(祭り前日)、本祭り、跡祭りと四日以上はかけていたように思う。あらゆる行事が丁寧に時間をかけて行われていた。電気釜も冷蔵庫も、自動車もテレビも電話もない中で、私の子供時代の日本人の平均寿命は50歳代だったと思う。

現代人はなぜ忙しい 作業を効率よく行う車も機械もない中でも、昭和の前半までは、粗食に耐えて仕事もよくするが、種々の行事も時間をかけて行ってきた。 

 昔はなかった車やスマホを持てば、いくらぐらいお金がかかるだろうか。若い人なら、これだけで月に1週間は丸々これらの維持費などのためだけに働かなければならないだろう。スイッチ一つで風呂を沸かすエコキュートなどを持ち、冷暖房機を完備し、あれこれローンを組んだりすれば、さらに月に1週間以上はそのためにだけ働かなければならないことになる。働くではなく、働かざるを得ない状況ではゆとりは生まれない。

 のんびり冠婚葬祭に時間をかけている余裕などないのではないか。心の余裕を失っているように思えてならない。「もの」を買ったり維持するために働き、働いてまた「もの」を買う。

 今の若い人たちは、退職して悠々自適となったり、第二の人生を楽しむ余裕は70歳を超えなければ生まれないのでは。それどころか、少子高齢化により、年金では暮らせなくなるために、いつまでも働かなければならない。

 余裕は簡単に生まれない生活サイクルの中で、どこで、ゆとりを取り戻すことができるのだろうか。今の若人たちを気の毒に思う。

 私自身は、今の若い人たちよりは、余裕のある時代に仕事を終えたと思っている。昭和の人間らしく、ゆとりを持って地域のために、できることはがんばっていきたいと思っている。

昭和時代の風景。通学路の除雪は村の大人の仕事だった。
 
 

デジタル時代到来

06 1月

デジタル化を進める国家
 デジタル化を進める進めないにかかわらず、スマホを持った時点で、私たちはかなりの個人情報を提供していることを頭に置かなければならない。

 マイナンバーカードを国民全体に行き渡るように、あの手この手で勧めているが、なかなか進んでいないようだ。このカードに、免許証や保険証等を紐付けし、さらにいろんな情報がつながっていくだろう。

何が紐付けされるか
 最終的には、どうなるであろうか?もっともっといろんな情報が紐付けされ、あるいは探られる時代が来るのではなかろうか。病歴・犯罪歴、学歴から政治的傾向……等が紐付けされ、さらに進めば、財産情報から遺伝子情報までもが紐付けされる時代が来るかもしれない。これらは一部の人間の結婚情報に使われるかもしれない。

 すでに明らかであるが、行動履歴は現在でもスマホを持ち歩けば簡単につかめそうだ。犯罪でも犯せば、ラインやメールなどの通信記録や言動までもが明らかにされてしまうであろう。

 私のような凡人はどうでもよいが、これからの若者たちには監視カメラや車載カメラ以外にも、その行動や考え方までもが見透かされてしまう監視社会が待っているようだ。別の意味での窮屈さが訪れるであろう。

紛失したスマホのある場所が横浜に住む息子から地図入りで
 3年ほど前の話である。福井で買い物をし、帰宅した。帰宅して気がついたのだが、スマホがない。私の個人情報がかなり入っている。慌てて、福井のショッピングセンターなどに電話して探してもらったが、見つからない。

 スマホを買った店舗に聞いてみると、パソコンで調べられるという。パソコンを開いたが、簡単ではない。最後は、横浜の息子に聞いてみた。すると、なくした場所の地図が送られてきた。旧宅の前庭にあるという。

 急いで、旧宅へ出かけて探してみると、なんと、完成した真っ黒な籾殻燻炭を詰めた大きなビニール袋の中にあったではないか。ビニール袋は紐で縛ってあり、外からは見えない。ただ探していたのではぜったいに見つからない場所だった。勝山でなくしたものを横浜の息子に聞くとは、ありがたかったが怖い時代になったものだ。

早朝5時点火。約5時間後に籾殻燻炭完成。スマホは胸から落ちて燻炭を入れたビニール袋の中にあった。
 
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