三室祭りを見て
今日は遅羽町の三室祭り。今年の関わりは、社会教育指導員のOさんに頼まれ
て三室太鼓の為に新曲を書いた。その練習のために、ここ二ヵ月間毎週木曜日に遅羽へ通った。
そして、今日がその発表日。朝練習のために、午前8時半に遅羽児童館へ出向いた。その後、直前練習のために、午後1時半に再び、遅羽児童館へ。
そして、遅羽の太鼓が始まった。子ども太鼓から、大人子どもの混成チームと演奏が進んで、いよいよ今日初めて人前で演奏する新曲『三室』。
二ヵ月間の練習にしては、まあまあのデキではなかっただろうか。遅羽での太鼓指導はもう十数年は経つだろう。私の作った太鼓の曲が十数年間この地で生き続けている。
今日は、十年ぶりぐらいの新曲だろうか。一度も指導することのなかった中学生も二人参加していた。ここ二ヵ月間ですっかり知り合いになった。和太鼓を通じて、若者と知り合いになれるなんてうれしいことだ。
もう一つは、三室祭りの最後を飾って『盆踊り』が行われたことだ。みんなで踊った5曲のうち、2曲は私の作詞・作曲、1曲は作曲のみ、1曲は県内の民謡を私がCD化したもの、最後の一曲は演歌であった。
その中の一つ、『遅羽ほがらか音頭』は地元の若い衆が歌い、最初と最後に踊られた。私も盆踊り復活をライフワークの一つとしているのでとてもうれしかった。
特に、小学校高学年の児童が浴衣姿で参加しているのが可愛らしくうれしかった。学区の子どもたちが踊ってくれることがうれしい。子どもたちが、踊り伝えてくれるのではないかと思うと頼もしくなる。
平泉寺でも、同じように『盆踊り』が復活しつつある。今月20日に行われる町民運動会では、地域全体で盆踊りを踊ることになっている。私は、平泉寺小学校の児童に対して踊りの指導を頼まれている。
和太鼓と盆踊り、私の関わった二つのことが、遅羽では見事に生き続けている。ありがたいことだ。地域に学校のあるよさでもあろう。我が猪野瀬のみ、地域に学校がないのだ。このハンディーを何で補うか、少し考えてみたいものだ。
(日記 午前8時半より、遅羽の太鼓の朝練習に付き合う。午後1時半、同じく直前練習に付き合う。その後、遅羽の三室祭りを見る。抽選会、最後の餅まきまで楽しんで帰宅。その後、家内と二人でショウガの収穫。夕食後、ウオーキング。楽しい一日だった。)