語ることの楽しさ
退職以来、現役時代以上に忙しくしているが、自分勝手にそうしているので、時間を作ろうと思えば、いくらでも作れる。現役を退いても、いろんな会合があり、酒を飲むことは少なくない。
そんな席でも色々ある。堅苦しくかしこまっていなければならない場所は苦手だ。そうでない場合は、色々語ることができて楽しい。
しかし、せっかくの楽しい場所も進行次第ではありきたりの飲み会になってしまう。一般的な飲み会というと、挨拶が終わり乾杯が済むとしばし会食。
すると、先ずは上司に酒を注がねばと右往左往する。一通り上司に酒を注ぐと、後は自分の席の周りの者や親しい者とお開きの時間まで歓談するというのが一般的なパターンではなかろうか。
しかし、これでは、例えば30人で酒を飲んでいるのに話したのは数人ということになる。私がある程度主導権を持てたり発言できる飲み会では、このパターンはあまり使わない。
乾杯の後は幹事以外は席を立たず一定の時間は料理を楽しむ。その後、「近況」なり、「最近はまっていること」など身近なテーマで簡単なスピーチをしてもらう。全参加者の考えの一部を聞くことができる。
話す時間は、参加者の数によっても異なるが、30分程度で終わるのが好ましい。その後は、いつもの飲み会に移る。その結果、先ほどのスピーチが効いて話題に事欠かない。
「さっきの……だが、実は……」と、話が弾む。それに、全参加者の考えていることの一端を知ることができる。昨日の飲み会でもこういう時間を持つことができたらと残念に思った。特に久々に会った人がほとんどだったからなおさらだ。
30人で飲んでいても、五人で飲んでいても同じというのではモッタイナイ。私のように、いろんな人のいろんな話を聞きたい人間にとっては酒を飲むこと以上にいろんな話を聞かせてもらうことが楽しい。
まさに“ノミニュケーション”だ。互いの考えを知ることは、自分にとっても、励みになったり、興味や関心を持つことに繋がる。限られた時間の中で、一人でも多くの人の考えを知ることは酒を頂くことと同様に満足感がある。
(日記 午前中は、部屋の片付け。和太鼓の編曲作業。一度完成させた曲だが、もっとよくならないかと推敲。一部分を手直しした。午後、村のNさんが自宅へやって来た。しばし話し合い。午後6時から『農事組合法人』のバーベキュー。酒を飲みながら普段話せない人たちと本音で話すことができた。ただし一部の人間とのノミニュケーションだった。区民だけに、法人の作業中に時々話すことができるが人がほとんどだが。)