余興は余興
私の村には、明治時代か大正時代に伝わった「銭太鼓やどじょうすくい」がある。そして、大正時代の頃には、それらが近隣の村に伝わってその村で今も伝えられている。
私の村では、祝い事や地域のイベントには長い間この「どじょうすくい」が銭太鼓と共に、披露されてきた。村の郷土芸能と言えなくもない。
しかし、この「銭太鼓やどじょうすくい」は廃れていった。しかし、今から、30数年前に、村の若者達が復活させたのである。2年前には、小学生が公民館祭に「どじょうすくい」と共に「銭太鼓」を演し物として披露している。
私も、久しぶりに子ども達に「どじょうすくい」を指導したのである。自分自身も「どじょうすくい」を踊った経験があるし、我が子や家内、そして、ずいぶん多くの人達にこの「どじょうすくい」の面白さを伝え、舞台に立ってもらったのである。
しかし、この「銭太鼓やどじょうすくい」は、余興にはなっても、郷土芸能にはなりえない弱点があるのである。それは、この芸能は、出雲のコピー芸だからである。
音楽に、「安木節」をつかい、「出雲名物~♪♪♪」と歌っているのだから、郷土芸能のコピーであって余興にしかならないのである。
余興から郷土芸能へ
せっかく100年近くも我が集落に伝わりながら、余興にしかならない、この芸能をなんとか「我が村の郷土芸能」にしようという動きがある。
一昨日、区長と村の有志が集まって話し合いをもった。この銭太鼓をベースに、「安来節」ではない新しい民謡を作り、これまで伝わってきた銭太鼓の振りをアレンジして新しい郷土芸能を作ろうというのである。「どじょうすくい」ではない、何か新しい「ユーモア芸」も付け加えられたらと思っている。そして、音楽は私が作ることになっている。
各地に伝わる郷土芸能を自分の地域にうまく取り込み、新たなものを生み出すということは日本各地で行われている。
あの有名な「郡上踊り」も、ルーツは「伊勢音頭」にあるらしいし、「ハイヤ節」も、北前船によって全国各地に伝わり、それぞれ各地の民謡として現在も歌い継がれているのである。
たとえ新しい芸能でも、地域に伝われば郷土芸能になりうるし、他地区のものを取り入れても、全く同じでなければ郷土芸能となりうるのである。
先日の三国祭りで各山車が勢揃いし、冒頭に子ども達が一斉に演奏したお囃子の音楽「しっちょうめ」は、勝山の「左義長囃子」にも使われているといった具合である。
そんなわけで、今私の地区では、伝統的な“余興”を“伝統芸能”にすべく、歩み始めようとしている。
(日記:鹿谷町矢戸口区のTさんから詩を持ち込まれ曲作りを依頼された“矢戸口エエトコ音頭”がようやく完成した。半年がかりでできたのだ。午後、退職公務員の定期総会に出席。)