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大相撲問題から見えてくること

07 2月

構造上の問題
  ニュースなどを見ていると、大相撲の問題が連日放送されている。「八百長はだめだ」という意見が多い。全く同感である。しかしながら、それだけでは永久に八百長はなくならないであろう。素人ながらそう思う。

  大相撲の世界が八百長を生む構造になっているからだ。この構造事態にメスを入れない限り、八百長はなくならないと思う。「八百長はだめだ」と言っているだけでは根本的な解決にならない。

 たとえばの話だが、苦労してようやく「十両」に昇進した力士がいたとしよう。ようやく、月給がもらえ、関取と言われる身分になったのである。身の回りの世話をする「付け人」も持つことができる。

  羽織、袴を着用することができ、曲げも、大銀杏に変わる。世間からも、ふるさとからも、ようやく一人前の力士として認められたのである。しかし、もう若くはない。

  結婚して家族を持つようになる。ここで「幕下」へ戻ったのでは、生活が成り立たなくなる。月給がなくなるからだ。なんとしても、「十両」の地位を守らなければならない。せめて8番は勝たねばならないということになる。

  すでに勝ち越している相手から、せめて1勝を貸してほしいとなる。そこに、助け合いが生まれる。「八百長」という形での助け合いだ。貸す方もいつかは自分も借りなければならない日が来るだろうと、誘惑に負けて助け合いが始まる。

  素人の私が見ていても、普段とは違うこの「1勝」という大切な勝ち星があるように思う。この1勝さえあれば事態が変わるという大切な1勝だ。

  「あと1勝で優勝」、「あと1勝で勝ち越し」、「あと1勝で大関に昇進」、「あと1勝で横綱に昇進」、「あと1勝で幕内在位20場所(親方の資格が得られる)」、「あと1勝で十両以上在位三〇場所(親方の資格が得られる)」……という大事な1勝があるように思われる。

  この1勝さえあれば陥落しないという1勝もある。あと1勝さえあれば関取から陥落しないという天国と地獄の境目にある1勝もある。十両の下位にある者には地獄の手前のような地位だ。今の家庭を守る1勝だ。

  そこに、人情が入り込む余地がある。情が入り込む余地がある。不正が入り込む余地がある。このような相撲界の構造を変えずして「八百長、八百長」と騒ぎ立ててもどうしようもない。八百長問題は、人の弱さに起因する悲しい出来事だ。

  相撲界は認めたがらないようだが、これまでも八百長はあったように思う。この問題をどのように解決するのかわからないが、共通する問題は、勝負の世界以外にもあるように思われる。

  八百長問題は、決して相撲界だけの問題ではない。あらゆる世界にあるように思われる。教員の採用試験にまつわる不正問題が数年前にあった。多くの県で問題になったのだ。これも八百長のような事件だった。

  どのように、相撲界が解決するのかわからないが、構造的な部分にまでメスを入れなければならないであろう。無責任に他人を非難するだけではなく、自分の問題として、見守りたい。

(日記:午前中、オカリナの楽譜作成。午後、北部中学校で和太鼓の指導。その後も、楽譜書き。夜、村岡公民館で、オカリナ教室。3月15日の幼児施設も訪問の練習をした。)

 
 

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