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子どもの伸びる力を止めるのは誰?

27 2月

小規模中学校時代の思い出~子ども達の自主性を奪うのは誰?~
「我々は生徒達に手をかけすぎているのではないのか?」「生徒の自主性を奪っているんじゃないか?」
そんな話が、平泉寺小中学校の教員の間から出て、「校内運動会をなるべく、子ども達の手でやってもらおう」と決めた。教員は完全に脇役に回ると決めたのだ。

 運動会前日、私たち教員はグラウンドの端にある高台にのんびり座って、生徒達の準備状況を見守ることにした。誰もが、どちらかと言えば生徒達に何かアドバイスしたくて、うずうずしている。

 それでも、お互いに「言ったらあかん」、「行ったらあかん」と牽制し合って高台から生徒達の準備状況を見つめていた。といっても、生徒が聞きに来た場合だけは答えるという約束の元にだ。

 生徒達は、黙々と準備を続けてくれた。トラックの白線も引き、翌日に各競技で使うリレーのバトンや、綱引きの綱など様々な準備物も所定の位置に並べてくれた。何もかも自分たちの手で行ったのだ。

 運動会当日の朝、少し雨が降ったらしく、コースに水たまりができていた。 ところが、誰も指示しなくても、一輪車で砂を運び、ぬかるんだコースに砂を撒いてコース整備をしているではないか。

 もしも、教員が主導して運動会を行っていたのなら、「誰々、一輪車で砂場から砂を持ってこい!」と大きな声で指示を出していたことだろう。同じ作業をするにしても、子ども達の気づきや気分はずいぶん違ったものになっていたであろう。まかせればできるのだ。

上級生になれば何でもできるのだ。準備も、大会運営も。

子どもの考える時間を奪うのは誰?
 教員はせっかちであることが多い。子ども達に質問を投げかけてはいるが、十分に考える時間を与えなかったり、誰か一人でも答えると一見落着とばかりに、改めて懇切丁寧に説明を行うのだ。そんな授業を参観しことがある。

 最初はなぜだろうと、参観している大人も一緒に考えようとしたが、授業をしている教員が次々と丁寧に答えを言ってしまうのだ。こんなことを何度も繰り返すので、早くこの授業が終わらないかなと退屈をしたことを思い出す。

 子どもの、考える時間や機会を奪っていることになる。できる子が勝手に答えを言ってしまうのも、仲間の考える機会を奪うことになる。

子どもの能力を決めつけるのは誰?
 小さな子どもに「ぼく、いくつ?」と質問したとしよう。子どもがもじもじしていたり、小さな声で答えると、そばにいた大人がすかさず「三歳でしょ!三歳!」と余計なことを言う。今から答えようとしていてもお構いなしだ。

「お父さん何しているの?」と聞いたとき、子どもが少しでもモジモジしていたら、すかさず親が横から「会社でしょ?かいしゃ!」と、子どもに代わって答えてしまう。子どもの考える機会も時間も親が奪っているのだ。

 挙げ句の果てに「ウチの子どもは引っ込み思案で困ります」とか、「ウチの子どもは運動はからきしダメで」とか、「ウチの子どもは算数は全くダメなんです!」と自分のことを棚に上げて親が決めつけてしまう。

 子どもは将来どう伸びていくのか誰にも予想できない。子どものうちから、あれができない、これができないと決めつけるのは止めたいものだ。子育てマイスターとして、幼児の保護者にいつも言ってることの一つだ。「決めつけたり、けなしたりするのではなく、褒めてあげて下さい」と。

 

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