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友来る。それって当たり前?

22 2月

 午後1時半に友と会うことになった。といっても、彼は30代。私との年の差はかなりのものだ。それでも、いろんなことが話せるから嬉しいし、楽しい。

 政治のこと、保守、革新、まちづくり、起業、ビジネス、これまでのこと、これからのこと、そして、勉強(広義の勉強)の大切さ、学校問題、……。話題は尽きない。いつもとは全く異なる頭の使い方だ。時間の経つのがとても早い。

 この年になってこんなに話し込むことができる相手がいるなんて、とても嬉しい。時間があったら、まだまだ話していたかもしれない。これは当たり前ではない。とてもありがたいことだ。

 両方が、聞く耳を持ち、話すことがあったからではなかろうか。お互いに前を向いていたからだろうか。この関係を大切にしたい。午後7時頃まで話した。(5時間半だ)


 話の途中で時々、横浜の長男宅にいる家内からLINEが入る。孫とイチゴ大福を作っている写真や、犬と戯れている楽しそうな写真が送られてくる。動画もある。私も行けばよかったかなと思ったりもする。

 私の若い頃は、スマホなどはなかった。新幹線もなかった。途中で家内から送られてくる富士山の写真、長男宅での楽しい動画や写真を受け取ることなどは想像もできなかった。メッセージのやりとりも、かつてはできなかった。

 今の子ども達には、こうした環境は当たり前だろう。そうでなかった時代に生まれた私にとっては、これは目を見張る変化だ。決して当たり前ではない。電話でもしようものなら、チャリン、チャリン、……と落ち着かないだろう。

 便利さの行き届いた時代は、ともすれば人間の出番を少なくする可能性がある。人間を受け身的にする。人間をもっぱら消費者にする。1ヶ月の家庭の通信費を考えたら、驚くだろう。

冬の晴れ間は、雪国に住む私たちに取ったはありがたいが、表日本に住む者にとっては当たり前かもしれない。
10cmぐらいの雪は私たちには当たり前だが、都会人にとっては、大騒ぎだろう。

新幹線から(家内撮影)

 

 

 

 

 
 

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