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水泳「今昔」

30 7月

川とプールの違い
 孫達が帰省してから、プールへ行くことが多くなった。孫達はプールへ行けば、3時間ぐらいはノンストップでプールの中で遊んでいる。ビート板を使ったり、大きな筏のゆおな板を使ったり、ジョウロや輪投げの輪のようなものを使ったりして、飽きずに遊んでいる。

 私は、それらの相棒をしたり、家内に孫達を任せて大人用のプールで水中ウオーキングをしたり、少し泳いだり、ジャグジー風呂に入ったりして時間を費やしている。

 孫達は,全く飽きずに遊んでいる。私も、ほどほどには楽しいが、川での泳ぎが中心だった自分の子供時代と比べると、違いは歴然としている。しかし、子どもたちには、川での泳ぎを止められている。探せば、泳げる川もないではないが、それらは自宅からは遠いし、水も冷たい。

昔の子どもたちが泳いだ九頭竜川。ここは「まち」の子どもたちの水泳場だった。私たちはもっと上流だった。

昔の子どもたちが泳いだ九頭竜川。ここは「まち」の子どもたちの水泳場だった。私たちはもっと上流だった。

 昔なら、自宅から自転車で九頭竜川まで出かけて泳いだものだ。常に、一定の緊張感はある。それは、流れていることと、深みがあるからだ。しかし、川には、魚が泳いでいて、水の冷たさも所々で変わり、いろんな遊びができる。

 特に、大雨の次の日の水泳は命がけだった。川幅は普段の倍はあり、流れは早く、波もあり、水は濁っている。こんな川を泳いで横断しようとしたら川幅の3倍は泳ぐ覚悟がいる。途中では絶対に泊まることができないのだ。こんな濁流に飛び込んで波乗りもしたものだ。当時、私たちは「ながれかんじ」と呼んでいた。立ち泳ぎをしていれば、上流から長い距離を移動できるのだ。寒くなったら浅いところで魚を捕る楽しみもあった。プールでは経験できないいろんなことができた。時代は確実に変わってしまった。プールの中で時々昔を思い出すことがある。

(日記 午前中は、数学をしながら、孫の勉強の相手。午後は、近くのプールで水泳。かなりの時間プールで遊んでいた。泳ぎというよりも、孫との触れあいや運動という雰囲気であった。それでも、健康に早くだったであろう。孫達も喜んでいるようなので、これはこれで楽しい。)

 
 

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