親鸞聖人を理解知るために
一週間後には、創作紙芝居『親鸞聖人物語』を演じることになっている。絵は完成しているが、脚本が少ししかできていない。それは、親鸞聖人に対する私の理解が定まっていないからだ。図書館から、何冊もの親鸞聖人関係の本を借りて読んでいる。
読んでも読んでも、私の親鸞聖人に対する理解は深まらず、迷いが生ずるばかりである。親鸞聖人も、迷いに迷っておられたようだが、その迷いを理解するのは簡単ではない。
今日は体調不良で「寝正月」ならぬ「寝盆」となってしまった。しかし、寝てばかりはいられないので、親鸞関係の本を読み続けた。何とか自分流に、決着をつけて脚本を完成させた。
作った本人が自信がないようでは、見ている人には何も伝わらないだろう。でも、苦しみが多ければ多いほど、完成したときの喜びも大きいだろうということを期待してもうしばらく頑張ってみたい。(日記 体調不良のために、終日、寝床の中で親鸞関係の本を読む。読めば読むほど難しい。再議には、自分流の解釈で完成させるしかない。演じながら、何度も修正してそれなりの作品にできればと思っている。孫達は、相変わらず元気で水遊びに熱中していた。)