当たり前の「よさ」を忘れる
若い頃は、多少の無理をしても、次の日は影響は少なかった。40歳代までは毎晩午前様でも、翌日はちゃんと仕事に行くことができた。健康であるのが当たり前だった。
特別に何かをしているという意識はなく、欲望にまかせていても、それなりに健康だった。しかし、60歳後半から70歳にかけてはそうはいかなくなったように思う。
一度風邪を引くと、若い頃と違ってなかなか直らないのだ。考えてみれば70歳で健康という貯金を使い果たしたのかも知れない。これから、貯金(貯筋、あるいは健康維持のための体操やバランスある食事、そして休養)をしながら使っていかなくてはならない。
祖婦言えば、若い頃マラソンをしたり山登りなど過激な運動をすると、次の日に筋肉痛になって、その次の日あたりから少しずつ回復に向かったのだ。
しかし、今は、違う。次の日には痛くならないので、「あれ、強くなったのかなあ」と錯覚してしまう。ところが、次の日ではなく、その次の日に痛くなるのだ。痛くなるのも遅ければ、回復するのも遅くなるのだ。
今の私の優先順位の一番は、「健康維持」だ。健康が維持されなければ意欲も湧かず、ただ悶々と過ごすばかりだ。今は夏風邪の真っ最中。ここ数日、私は健康の有り難みを感じている。
(日記 朝から、紙芝居の仕上げ作業。といっても、見て下さる方が高齢者で多いので、画面の大きくなるプロジェクターを使うことにした。ようやく完成したのだ。夜、太鼓ギャルの反省会。来月は、彼女たちにフラダンスを応援してもらいたいと申し出た。快諾。次週はフラダンスの練習。)
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