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「三無主義」という言葉が流行った頃

08 8月

今から四十数年前の流行語
  私が現役の教員だった今から四十数年前には、当時の高校生の特徴を表すものとして“三無主義”という言葉が流行っていた。

 三無主義とは、当時の若者気質を表した「 無気力」、「無関心」、「無責任」の三つだ。これに「無感動」を加えて“四無主義”とも言うらしい。その後これらは解消されただろうか。

  現代の若者は昔と比べてどうだろうか。私は特に「無関心」という言葉が気になっている。無関心にも色々あると思う。ゲームや携帯や漫画などにしか興味・関心持てないという若者もいるがどうかと思う。

  受け身的なものにしか興味を持てないのは悲しい。年齢に応じて身の周りのことや社会の出来事に興味を持ってほしいものである。さらに年齢が上がるにつれて政治にも関心を持ってもらいたい。

  一定の年齢に達したら、新聞を読んでもらいたいと思う。しかし、新聞はテレビ欄にしか興味のない若者も少なくないようだ。また、自分の地域の出来事や歴史にも関心を持ってもらいたいと思う。

  「愛するの反対は無関心である」とは、マザー・テレサの言葉だが、正にその通りだと思う。これは、地域を愛すること、人を愛すること……等全てに当てはまると思う。

  しかし、若者達に対して“三無主義”とか“四無主義”と決めつけるのは酷である。“三無主義”とか“四無主義”で表される若者を育てたのは、紛れもなくその親世代である。

 若者に対して“三無主義”とか“四無主義”と決めつける前に、大人の私たちはどうかを自らに問わなければならないだろう。そして、それらを改める鍵は、子どもたちが握っているだろう。

  今の世の中を汚しているのは紛れもなく、私たち大人なのだと思う。子どもたちの自主性を奪いかねない種々のゲームやおもちゃ、雑誌、形態など。全てが悪いとは言わないが、子どもに多大な影響を与えていることだけは間違いなさそうだ。

  今の私の課題は、地域の人たちに、いかに自分の住む町に関心を持ってもらうかだ。テレビやゲームやビデオ(映画も含む)や漫画や雑誌に惹きつけられている人たちに、他にも魅力的なことがあることを是非とも知ってもらいたい。

(日記 午前5時半より、瓦版の編集開始。午前10時より、鹿谷の「すいせん会」のおばさん達に銭太鼓の指導。私の年齢の前後の人たちだ。午後も、瓦版の編集継続。午後3時頃ようやくできあがった。その後、市の配布物と一緒に班長宅へ配ってようやく一段落。夕食後、事務所で和太鼓の伴奏のために三味線練習。午後8時より三室太鼓の指導。前半は子ども達の指導。その後は大人の指導。10月の三室祭りまでには新曲をマスターしてもらいたいと思う。)

 
 

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