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Archive for 7月, 2013

ゲートボール大会、そして参院選

21 7月

普段スポーツをしない人の出会いの場にできないか
  ここ一週間、村の公園でゲートボールの練習をしてきた。私は、一年に一週間だけ付き合いでゲートボールをしている。ほとんどの人が、マイスティックを持って練習しているが、私は、地区の備品を使っている。

試合開始直前の選手達。

試合開始直前の選手達。

  私自身は、これからゲートボールが上手になって選手として活躍したいとは思ってはいない。それよりも、ゲートボールを通して普段運動をしない人達が集い、身体を動かし、交流することを願っている。

  そのためにも、是非とも、今の公園にゲートボール場を作ってもらいたいと区の要望を市へ提出している。昔と違って、人と人とが一堂に会して過ごす機会が激減しているからだ。

  ゲートボールがそういう人たちを結びつけてくれることを期待している。実際、私もこの一週間ゲートボールの練習に出かけていろんな人と話すことができた。これが一番楽しかったと思っている。

自民圧勝で終わった参院選
  今回の選挙戦では、各政党が、自分の党に不都合なことは争点としてはいないように思う。本当にやりたいことがこれから明るみに出てくると思う。与党はおごることなく、少数野党の意見に耳を傾けて政権運営に努めてほしい。

  そうでないと、過去の歴史が示すように「終わりの始まり」になりかねないからだ。今回は、経済問題があまりにも突出していたように思う。他にもある重要な問題は影に隠れていたように思う。

  また、普通の人になった「元議員」の皆さんには、野に下ったのを機会に庶民の生き様をつぶさに見てほしい。上からの俯瞰ではなく、庶民の中に入って虫の目で市民の生活を見てほしい。

  そうすれば、日の目を見る機会が再び訪れるだろうと思う。また、全ての政治家の皆さんにお願いしたいことは、国民の信頼に足る人になってほしい。

 そうでないと、消費税増税などでは国民の理解を得ることができず、凋落の始まりになりかねないからだ。TPPも政治家が言うように事が運ぶかどうか注目したい。

我が家の玄関先で花火に興ずる孫達。

我が家の玄関先で花火に興ずる孫達。

(日記 朝一に選挙。その後、ゲートボール会場の弁天ゲートボール場へ行く。二試合し、一勝一敗。得失点差で予選敗退。昼、反省会。午後3時から、和太鼓の笛を担当してくれるTさんに事務所へ来てもらって楽譜を渡しながら練習。夕方、長女の夫が来てみんなで夕食。午後7時半より『爺ちゃん勉強』。福井の孫達は玄関先で花火。西瓜と花火。正に夏休みだ。)

 
 

パソコン環境

20 7月

旅先でパソコンを自由に使えるように
  私は、デスクトップを2台、ノートパソコンを2台持っていたが、1台は家内が使っていた。しかし、今日新しいパソコン(ウインドウズ8)を購入したので、それを家内のパソコンにすることに決めた。

家内のパソコンを設置してくれたY君。

家内のパソコンを設置してくれたY君。

  家内の使っていた私の2台目のデスクトップを事務所に置くことにした。iPhoneを通して事務所でもインターネットができる環境にした。これまでも、事務所にA社を通してインターネットができるようにしておいたが、電波の調子がよくなくて、解約したところだった。

  ようやく、事務所でも、旅先でも自由にパソコンが使える環境ができた。今回はそれなりに使えそうだ。これからは、事務所では多少スピードが遅くとも、自宅同様にパソコンを自由に使えそうだ。

  家で全てのことをしようと思うと、大変だ。例えば、ハワイアンギターを弾こうと思うと、楽器をセットし、アンプやエフェクターを出さなければならない。準備だけでも大変だし、後片付けも大変だ。

  事務所ではいつでも演奏できるように楽器を出しておける。いつでもスタンバイしておける。キーボードなども同様だ。自宅と事務所を使い分けないと、モノがあふれかえってしまう。

太鼓の練習の後、一休み。

太鼓の練習の後、一休み。

  時間ができたら、パソコンを持ってあちこちへ行き、ブログを書いたりしながら、旅をしたいと思っている。東北の皆さんの中には、きっと何かを誰かに話したいと思っておられる方がたくさんおられるのではなかろうか。

  人は、他者から何かをされたり助けてもらうばかりでは、生き甲斐を持てないのではなかろうか。やはり、人は誰でも、他者から情報を受け取るばかりでは満足できないだろうと思う。

  そんな人の想いを聞き取り情報発信できたらと思う。日本の多くの人たちの中では、東日本大震災は終わってしまっているかも知れない。しかし、東北の人の多くはまだまだ震災のまっただ中におられるのではなかろうか。

  政治家のみなさんも本当に、東北の皆さんの声なき声を聞き取ろうとしているのだろうか。いささか疑問である。多くの地区で、復興予算がおよそ復興とは関係のないところでどんどん使っているのをみると悲しくなる。

  今あるパソコン環境を使って大震災はまだまだ終わっていないということを現地へ出向き、取材し、情報発信できたらと思う。

横浜の孫からもらった種で育てたひまわり。

横浜の孫からもらった種で育てたひまわり。

(日記 午前中は、和太鼓の楽譜書き。直したいところがどんどん出てくる。午後1時から和太鼓のママさんメンバーの特訓。若いメンバーが応援してくれた。午後はY君が注文しておいた新しいパソコンを持ってきて設定してくれた。その後、1時間ほどまちづくりについて話し込んだ。楽しかった。午後7時半過ぎに明日のゲートボール大会の練習。今日、福井の長女家族がやって来た。横浜の孫からもらったひまわりがずいぶん大きくなった。)

 
 

雑草

19 7月

作物と雑草
  梅雨の時期になると雑草が一斉に成長する。畑の栄養を吸収してどんどん成長する。一方、作物は種から苗を育て、苗を畑に移植して育てる。あれこれ肥料を考え、雑草を取り、水をやったり追肥してようやく成長するのだ。

  作物によっては、途中で芽かきをしたり、支柱を立てたりしなければならない。また、作物に受粉をしなければならないこともある。また、作物は病気には弱いし、虫にも犯されることが多い。

雑草のようにコンクリートと基礎の石の隙間から芽を出し、生長しているトマト。今後どうなることやら。

  雑草は、場所を選ばず、過酷な条件でも成長する。田んぼや畑はもちろんのこと、道路でも土手でもどこでもたくましく成長する。アスファルトやコンクリートのわずかな隙間でもたくましく成長する。

  人間もよく似たところがある。過保護な環境で育った人間と、過酷な環境で育った人間には大きな差ができる。たくましさは、やはり厳しい環境で育った者の方が身に付きやすいように思う。

  かつて、弱かった近鉄で三百勝以上の勝ち星をあげた鈴木啓示投手は、座右の銘を“草魂(彼の造語らしい)”としている。雑草のような強い魂(気持ち)で勝負に臨むということだろうか。

  かつて、中学校のPTAの文化委員をしていたときに、私は同中学校のPTAだよりに『草魂』という名前を付けさせてもらった。たくましい中学生に育ってほしいという願いでそうしたのだ。

  話は変わるが、我が家の玄関先のコンクリートを基礎の間の隙間にトマトが生え、成長している。痩せてはいるが、雑草のようにたくましく育っている。そのうちに何とか支柱を立てねばと思うが、下はコンクリートなので困っている。

 いずれにしても、私たちは、雑草から学ぶことが多々あると思っている。温室育ちでは厳しいこれからの時代を生き抜けないような気がするからである。雑草を取りながらこんなことを考えた次第。

(日記 午前中は、和太鼓の曲の手直し。午後は、ショウガの畝とニンニクや玉ネゴを取った畝の草取り。少し時間が経つと、雑草はすぐ伸びる。日曜百姓でも、雑草には悩まされる。午後7時より9時までゲートボールの練習。年に一度だけ、猪野瀬地区の大会に出るために練習している。簡単なようで難しい。)

 
 

再現不能

18 7月

一瞬呆然
  今日も和太鼓の曲作り。正に限界に挑戦だ。10パート中、2パートをやり直さなければならない。午前中いっぱいかかって、新たに1パートを作り上げた。昨日までのものよりはよいだろうと自己満足していた。

  そして、午後は、少し手直しするだけの1パートを仕上げた。2時頃、全ての作業が終わったと思い、いよいよ見やすいようにパート毎に楽譜を書く単純作業を始めようとしたときのことだ。

  作ったはずのデータがない。他の曲で上書きしてしまったのだ。若い頃ならともかく、再現は不可能だ。何度ファイルを見ても違う曲で上書きされている。ぞっとした。やる気まで失せてしまいそうだ。

  パソコンの恐ろしいところだ。全てが消されてしまっている。再現不能。長胴太鼓、締太鼓、笛のメロディーがきっちり書き込んであったファイルだ。落ち込んでしまったが、0からやり直す以外に方法はない。

  丸々4時間ほどの作業が無駄になってしまった。気を取り直してやるしかない。二度と戻らない。また新たな曲を作るつもりで作業再開。今日はのんびりできるつもりであった。しかし、なおさら忙しくなってしまった。

  これからは気を付けよう。高度な仕事を引き受けてくれるパソコンだが、融通は全く利かない。一端消してしまったら、特別な業者にでも頼まない限りファイルの再現は不可能だ。

  自分の仕事だからよいものの他人に頼まれた仕事だったら大変だ。考えてみればデータのバックアップはとても重要だ。私は、沢山の絵をパソコンで描いてきたし、音楽データもたくさんハードディスクに入っている。

  しかし、このハードディスクも消耗品だという。いつ何時不具合になるかも知れない。データは複数箇所に保存しておかないと、危ないと思いながら、管理はずさんだ。過去にも何度か重要なデータを消してしまっている。

 ものによっては、お金に換えられないデータがたくさんある。データの保存について今一度考えなければならないと思った次第である。今日は本当に無駄な時間を費やしてしまった。失われた曲は二度と戻ってこない。

(日記 和太鼓の曲作り。午前中いっぱいかかって作ったデータを消去してしまった。午後はやり直したが、同じモノはできない。結局半日ちょっとで終わるところを丸一日かかってしまった。データの保存には十分気をつけなければならないと思った。)

 
 

推敲

17 7月

時間との闘い
   今日は、終日、和太鼓の曲を作っていた。全部で10のパーツがあるが、その中にはデキが十分ではないパーツもある。しかし、今日は全体練習なので、そのまま、楽譜にして練習に臨んだ。

和太鼓の練習。今日は8人のメンバーが集まって練習した。

 練習の後、 メンバーから、曲に対する要望が出た。ありがたいことだ。自分が気にしていた部分を指摘されたからだ。これで思い切ってやり直しができる。メンバーが気に入らないような曲では本番では上手くいかないだろうから。

  6分という限られた時間の中で、自分たちのチームのよさを出すことは容易ではない。思い切って捨てるところを捨てなければ人に訴える曲は作れない。しかし、このことは簡単ではない。

  それと全メンバーに、活躍の場面を作りたいと思う。全メンバーに短くても、ソロ演奏ができる場面を作りたいと思う。そう思うと、曲がどんどん長くなってしまう。ここが思案のしどころだ。

  今日、メンバーに指摘されて、一つのパーツを完全にやり直す決断ができた。10中、2つのパーツを考え直さなければならないと思っている。自分でも気にしていた部分だった。20歳代のメンバーが指摘してくれることがありがたい。

  本番まで後3週間と少し。最後の詰めを頑張りたい。サークル活動なので、楽しみながら、緊張感を持って練習に取り組みたいと思う。その前に、曲作りでもう一頑張りしなければならない。

竹筒に咲いた我が家の花。毎日気持ちよく迎えてくれる。

(日記 朝市に、友人から電話あり。かつての仲間だが、退職した今も頑張っている。なつかしかった。午前中は、和太鼓の曲作りと楽譜書き。午後は、家内と庭の草取り。夏は草が伸びる。放っておくと、草ぼうぼうになる。汗だくだくになった。午後7時から和太鼓の練習。大会前なので、一日練習も含めて頑張りたいと思う。)

 

 
 

何を学び、何を学ばないのか

16 7月

海外の知恵
  日本はいろんな面で海外から多くのことを学んでいる。古くは中国や韓国から、その後、ヨーロッパの各国、そしてアメリカなどからいろんな技術や仕組みを学んできた。

  ところが、その中には学ばなくてもよいようなことを学び、学ばなくてはならないことを学んでいないように思う。アメリカの政治の仕組みは、各州がそれぞれの独自のやり方で地区を治め、国家として必要な防衛等は国が行っている。

  そのために、例えば、州によって車の免許が取得できる年齢や飲酒年齢も異なっている。学校の仕組みも州により日本とはかなり異なっているように思う。

  最近、日本政府も言い出したことは、大学受験を複数回受けられるように仕組みを変えようとしている。センター試験を複数回受けられるようにするというものだが、こんなことは、アメリカではとうの昔に実行している。

 アメリカでは、大学に入るには、志願者は入学を希望する大学に願書を出すが、そこには、高校時代の学業成績、高校からの推薦状、学力適正テスト(SAT Ⅰ又はACT。大学がテストを指定している場合や、どちらを受験しても良い場合がある。)の得点等を記入し、小論文の提出が求められ、この他に面接が課される場合もある。

  各大学では、これらの情報をAO(アドミッション・オフィス)と呼ばれる入学担当事務局の専門職員が総合的に判断し入学者を決定するとのことだ。

 日本の共通一次試験のモデルとなったのは、 SAT(Scholastic Assessment Test)や ACT(American College Test)である。民間テスト期間が実施しているもので、いずれもマークシートである。

  前者は、言語領域と数理領域の2領域(それぞれ800点満点、合計1600点満点)のテストを行い、後者は、英語(45分)、数学(60分)、読解(35分)、科学的推論(35分)の4領域でテストを行い、年に6回から7回実施される。

  今になって日本はこれを学ぼうとしている。また、ハーバード大学の場合、願書には、学校の成績、ACTの得点、受賞歴、課外活動歴あんどを記載しなければならない。合否の決め手に大きく影響するのはエッセイとのことである。

 また、面接も合否に大きく影響するのである。この面接はその大学の卒業生が行っているとのことだ。日本の高校生がハーバードを受験する場合、日本に在住する、外国人または日本人のハーバード卒業生が面接官となる。

公園でのゲートボールの練習。ゲームもさることながら、みんなと話し合えることが楽しい。

  こうしたアメリカの制度を真似て、色々な方法で入試を行ってきたが、形だけでなかなか実効が伴わないように思う。それは、一般論だが、「入り難く、出やすい」日本の大学と、「入りやすく出にくい」アメリカの大学の違いが大きく影響しているように思う。

  今、世界に最先端を走っている経営者などは、高校時代から目指した道を歩み始めている。日本の場合、その時期は点数を取るための学問に明け暮れている。多感な時期、頭の柔軟な時期に何をするのが最もよいのか、考えなければならない。

  形ばかりを外国から真似ても、その精神を学ばなければ成果は上がらないと思う。これは大学入試ばかりではない。学区制度全般についても、精神や哲学を含めて外国から学ぶ必要があるように思う。社会の仕組みもそうだ。

 私が最も望むことは、多感な時期にいわゆるペーパーテストの得点をあげることに重点を置いた狭義の学力向上に熱を上げさせることを止めてもらいたい。参院選挙後に、政府はまたまた教育をいじくり回そうとしていることに危惧を抱いている。

(日記 終日、和太鼓の楽譜書き。和太鼓曲に、篠笛や三味線のメロディーも付けた。ようやく、1曲できあがった。名付けて『和太鼓組曲・九頭竜』だ。午後7時半から村の公園でゲートボールの練習。地区大会があるから。1年に一週間だけの付き合いゲートボール。ゲームをしながら仲間との雑談が楽しい。) 

 
 

M先生の「瑞宝小綬章」の受章記念祝賀会に参加して 

15 7月

さながら同窓会
 教員時代の先輩であり、教委時代には地域は違ったが一緒に仕事をさせていただいた春江のM先生の「瑞宝小綬章」の受章記念祝賀会に参加した。会場には、先輩や元同僚達が200人ほど参加しておられた。

  30歳代から50歳代まで一緒に仕事をさせていただいた人、60歳代に一緒に仕事をさせていただいた人たちが数多く参加しておられたので、会場はさながら同窓会場だった。

受章祝賀会で挨拶されるM先生と奥様。

  受章されたM先生のりんとした姿勢と、人間味あふれる態度にはこちらも見習うことがたくさんあると思った。それは、参加者の数でも分かるようだった。いろんな方々が参加しておられたからだ。

  どの方もとてもなつかしかったが、中でも仕事以外でも親しくしていたWさんやMさんなどとは、特に親しく話をすることができた。それは、昔話をする間柄だけではなく、「今を生きている」方々だったので話が弾むからだ。

  他にも、70歳を過ぎた今も、何かに燃え、前を向いて進んでおられる方々も沢山おられた。大いによい刺激を受けることができた。参加してよかったと思った。

 そんな中で、Wさんとは「協力して何かをしましょう」と約束することができ、新たな目標ができた。お互いに持っているものを合わせて新しいものを作ったり、新しいことを始めようと約束したのだ。

 自分のやりたいことでもあるので、うれしい。受章したM先生のおかげで出会うことができたのだ。やはり、人は顔を合わせて語ることによって新たなものを産み出すことができるのだと思った。楽しい受章記念祝賀会だった。

(日記 午前8時過ぎに福井のフェニックススタジアムへ向かった。長女の夫の監督するS中学校の野球を応援するためだ。今日は、9時半から準決勝が始まるというので家内と長女とその子ども(孫)も一緒に球場で応援した。私は、受章祝賀会に出るため、途中で会場の「ユアーズホテル」へ向かった。途中で、試合の結果を聞くことができた。延長の9回までは0:0。延長十回は特別ルールでノーアウト満塁から試合を始めるのだ。ここでS中学校は敗れたとのことだった。受章祝賀会の後、福井駅で待つ家内を迎えに行って帰宅した。充実した一日だった。)

 
 

雨もまたよし

14 7月

田舎者の性(さが)
  田舎育ちの人間(年配者)は、晴れると何か農作業をしなければと思ってしまうようだ。雨が降るか、何か行事に参加している場合は別だが、それ以外の場合には、落ち着かないのだ。

  また、晴れた日に農作業をしなかった場合には、夜のご飯も美味しくないのだ。そんなわけで、雨の日はそんなことを考えずに、創作活動に打ち込めるのだ。私のように現役を退いた今でも、このような気持ちは変わらないのだ。

  農作業などをして汗をかいた後の夕食は、安易を食べても美味しい。気分が充実しているからだろう。今日は、雨が降ったり止んだりの一日だった。和太鼓の譜面を書いた。福井の孫達が時々机の脇へ来る。

  終日、テレビを聴きながら、和太鼓の楽譜を書き続けた。「シンプル・イズ・ベスト」ということわざもある。簡単なリズムも大切だ。簡単なリズムを大きな動作でしっかりと打ち込む込むことも大切だ。

  和太鼓の譜面を書く作業は簡単だったが、これでいいのだろうかと自問自答しながらの一日だった。頭で考えていたことを、メンバーが譜面委以上に演奏してくれることを期待したい。

約30年前の和太鼓チーム創設の頃。この当時は、こんなに長く和太鼓に関わるとは思ってもみなかった。

  作業をしながら、各党代表の討論会(NHK)を聞いていると、多少いらいらしてくる。選挙前には選挙に不都合なことは表に出さない。そして、もっぱら経済問題をクローズアップしている。

  選挙が済んだら、それぞれが本性むき出しで国民を置き去りにして動き出すのだろうか。政治が国家全体の舵を取らなければならないのに、党利党略に走るのだろうか。政治不信は解消するどころかますます増幅するように思えてならない。

  「ねじれ解消」という言葉があるが、参議院本来のあり方から言うと、いろんな意見を持つ者がいること、いわゆるねじれている方が正常ではなかろうか。衆議院とは別の観点で、国のあり方を論議するためにあるのだ。

  問題は、野党にもあるように思う。野党と言えば、これまで何でも反対するのだ。こうなると、やはり与党としては、過半数をほしいことになる。ねじれ解消を目指したくなる。政治家も、もっと国民のために尽くしてほしい。タックスイーターなのだから。

(日記 終日、和太鼓の楽譜作り。といっても、「おもちゃインストラクター講座」で習った牛乳パックのおもちゃを孫達のために作ってみた。紐を引くと瞬間的に絵が変わるおもちゃだ。また、途中で、図書館へ行き、新たに本を借りてきた。ゆったりとした一日だった。)

 
 

捨てることの難しさ

13 7月

モノに限らず
 我が家には、「いつかは何かの役に立つだろう」と思って持ち続けている物がたくさんある。そのため、整理に関する本を何冊も買ったが、なかなか捨てきれない。かといって、使うのでもない。

  これは「モノ」の話だが、具体的なモノ以外にも捨てられないモノがたくさんある。例えば、下手の横好きで「童話」などを書くことがある。そのようなときには、言いたいことが沢山あるので文章が長くなる。

  そこで、文章を短くするために書いた文章を捨てなければならない。これは簡単なことではない。全て、書きたいと思って書いたモノだからだ。しかし、文字数に制限がある場合には涙を飲んで捨てなければならない。

  人前で話す機会が時々あるが、時間制限があるので、言いたいことを捨てなければならない。これもなかなか苦痛だ。しかし、制約があるから、無駄がなくなって相手に伝えやすいのだが。

 今日は朝から和太鼓の曲作り。選手権では時間制限がある。6分以内だ。オーバーしたら減点。各メンバーに見せ場を作りたいと思う。それに、気に入ったリズムを入れたい。変化に富んだリズムを入れたい。

  そんなことを考えながら、曲作りをすると、軽く6分はオーバーしてしまう。短くしなければならない。せっかく作ったフレーズを捨てなければならない。この作業配が一番苦しい。

 しかし、他人から見ればどうでもよいような部分がたくさんあるのだと思う。童話サークルで童話を書き、児童文学者のF先生の添削を受けるときがあるが、ある部分をばっさり切られてしまうときがある。自分では大切な部分だと思っても、他人から見れば不要部分なのだろう。

 そんなわけで、午後は、和太鼓の曲を短くするために捨てることに集中した。他のことにたとえれば、客をもてなすために料理を作っているようなものかもしれない。

  あれも食べさせてあげたい、これも食べさせてあげたいと、いろんなものをテーブルいっぱいに並べたら、もてなされる方は、おそらく見ただけで食欲をなくしてしまうかも知れない。何でも適量というものがあるだろう。

  捨てることは本当に難しい。しかし、捨てられなければ、何をやっても、焦点が定まらず、相手に訴える力は弱いだろう。分かっているが、なんであれ「捨てる」ことは本当に難しい。

勉強の後のサヨナラ。でもまた、明後日会える。

(日記 午前7時より老人会の奉仕作業。墓地周辺の草刈りだ。道路沿いは草刈り機で刈り取った。急な雨に打たれてずぶ濡れになった。帰宅してシャワー。午後も作業を継続。午後2時半に神社の電柱を立てる現場に立ち会う。帰宅して再び捨てる作業。夕方、福井の長女が子ども二人を連れて遊びに来た。午後7時より横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。終わり際に歌。今日は「翼をください」を歌ってくれた。)

 
 

12 7月

自分の進む道
  車で走るには、車が通れるだけの幅と車が走れるだけの整備がなされていなければならない。そこで、私たちは、地図などを見てどの道を通れば自分の目的地へ行けばよいのかを考える。

  地図で道路を確認しても、実際に走ってみると間違うこともある。家族5人で11日間の車での北海道旅行をしたときには、家内が助手席で人間ナビをつとめてくれた。

  地図を見ながら、「次の道を右へ回る」などと教えてくれたおかげで、何とか目的地を回ることができた。今なら、目的地さえはっきりしていれば、ナビでどこへでも思いのままに行くことができる。

  ただし、ナビにどこへ行ったらよいでしょうかと聞くことはできない。当たり前のことだ。目的さえはっきりしていれば、今の時代、どこへでも行けるのだ。

  ところが人生の進路となるとどうなるだろうか。目的もはっきりしないし、道もあるのかどうかはっきりしない。そんな中で、学生達は学校を卒業した後の道(進路)を決めなければならない。

  道(進路)のはっきりしない者は、何十社も就職試験を受けることになる。どこへ行くかはっきりしないまま、目の前の道を進むようなものだ。道があるから歩くので、どこへ行くのかは歩きながら考えることになる。

  目的がはっきりしていても、道を捜すのは容易ではない。政治家になるという場合、どんな道を選んだらよいのだろうか。既存の国会議員の多くは、親の歩いた道を歩くことが多い。それは、旅の道具である、地盤、看板、鞄の三つが揃っているからだ。

  全く、政治に無縁の者が政治家を目指すには、どこかの組織を捜し、その縁で政治家を目指すことになるだろう。小説家になるとすると、こうすればよいという確たる道はないように思う。

  全くの原野のような所を這い回って自分で歩ける道を作るしかないのだろうか。直木賞でも、20代の者が取ることもあれば60歳過ぎの者が取ることもある。それまでの人生、いろんな道を歩いてきたのだろう。

  退職してからの、道を捜すのは楽しい。子どもたちは、それなりに自立しているので、自分や夫婦のことを考えながら道を捜せばよいからだ。今、私は行きたいところが多くて、観光旅行前のような状況だ。

(日記 午前中は、和太鼓の曲作り。あと一息だ。午後は、『おじさんバンド』の練習。私の事務所へ、福井、春江、三国、石川県などからメンバーが集まってきてバンド練習。みんな音楽と集まりが好きなようだ。)