明治の終わり頃と今の生活
月に二回、『かたせ瓦版』を発行しているが、時々、昔の地区の若者が百年前に発刊した『片瀬誌』を参考にしている。今日発行した瓦版では、この冊子を利用して『肥料』について少し書いた。
昔の肥料は、人糞尿、それも自宅のものだけではなく、町の人から購入したのだ。その他、家畜の糞尿、山草、柴、稲わら、木灰、石灰などを用いたようだ。
山の草は、早朝、馬を連れて山へ入り、草を刈り、それを馬に積み、自分も背中に担いで運んだのだ。夏の間は、連日、晴雨に関係なくこの作業を続けてという。あまり金はかからないが、労力は想像を絶する。
今の農業は、化成肥料と農薬のオンパレードだ。化成肥料といっても、米の肥料、野菜の肥料、里芋の肥料……と様々なものがあり、農薬も、除草剤から、虫や病気に効果のあるものまで様々だ。
こうした肥料を使うことによって昔と比べて農作業は格段に軽減された。この他、農作業も、牛や馬の力を借りることもあるが、ほとんどは人力だ。今のようにトラクターも、田植機も、コンバインもなく、人力で行っていたのだ。
そして、ものを運搬するにも、家庭には車などはなく、せいぜいあっても荷車ぐらいしかなかったようだ。坂の多い我が地区では何をするにも困難を極めたようだ。
何もかもが、便利になった。しかし、現代人に余裕はあるだろうか。地区の人たちのつながりはあるだろうか。地区の種々の行事を行っているだろうか。
考えてみると、地区の様々な行事はほとんどが廃れてしまった。祭りなど一部の行事は辛うじて残ってはいるが、形骸化している。発展するとはどういうことだろうか。物質的に恵まれるだろうか。
車を持ち、テレビを持ち、エアコンを持ち、電気で風呂を沸かそうとすると、かなりのお金がかかる。そのために、早朝から遠くまで車で通勤しなければならない。帰宅も遅くなる。常に時間に追われることになる。
『ワーク・アンド・ライフバランス(仕事と生活のバランス)』という言葉ができたように、仕事に追われて生活が軽視されることを避けることはできないのだろうか。昔の生活を調べていると、色々考えることが多い。
(日記 午前中は、今日発行の『かたせ瓦版』の編集作業。午後コピーして市の配布物などと共に班長へ配って一連の作業は終わり。毎月ホッとする第二木曜日の午後のひとときだ。)