海外の知恵
日本はいろんな面で海外から多くのことを学んでいる。古くは中国や韓国から、その後、ヨーロッパの各国、そしてアメリカなどからいろんな技術や仕組みを学んできた。
ところが、その中には学ばなくてもよいようなことを学び、学ばなくてはならないことを学んでいないように思う。アメリカの政治の仕組みは、各州がそれぞれの独自のやり方で地区を治め、国家として必要な防衛等は国が行っている。
そのために、例えば、州によって車の免許が取得できる年齢や飲酒年齢も異なっている。学校の仕組みも州により日本とはかなり異なっているように思う。
最近、日本政府も言い出したことは、大学受験を複数回受けられるように仕組みを変えようとしている。センター試験を複数回受けられるようにするというものだが、こんなことは、アメリカではとうの昔に実行している。
アメリカでは、大学に入るには、志願者は入学を希望する大学に願書を出すが、そこには、高校時代の学業成績、高校からの推薦状、学力適正テスト(SAT Ⅰ又はACT。大学がテストを指定している場合や、どちらを受験しても良い場合がある。)の得点等を記入し、小論文の提出が求められ、この他に面接が課される場合もある。
各大学では、これらの情報をAO(アドミッション・オフィス)と呼ばれる入学担当事務局の専門職員が総合的に判断し入学者を決定するとのことだ。
日本の共通一次試験のモデルとなったのは、 SAT(Scholastic Assessment Test)や ACT(American College Test)である。民間テスト期間が実施しているもので、いずれもマークシートである。
前者は、言語領域と数理領域の2領域(それぞれ800点満点、合計1600点満点)のテストを行い、後者は、英語(45分)、数学(60分)、読解(35分)、科学的推論(35分)の4領域でテストを行い、年に6回から7回実施される。
今になって日本はこれを学ぼうとしている。また、ハーバード大学の場合、願書には、学校の成績、ACTの得点、受賞歴、課外活動歴あんどを記載しなければならない。合否の決め手に大きく影響するのはエッセイとのことである。
また、面接も合否に大きく影響するのである。この面接はその大学の卒業生が行っているとのことだ。日本の高校生がハーバードを受験する場合、日本に在住する、外国人または日本人のハーバード卒業生が面接官となる。
こうしたアメリカの制度を真似て、色々な方法で入試を行ってきたが、形だけでなかなか実効が伴わないように思う。それは、一般論だが、「入り難く、出やすい」日本の大学と、「入りやすく出にくい」アメリカの大学の違いが大きく影響しているように思う。
今、世界に最先端を走っている経営者などは、高校時代から目指した道を歩み始めている。日本の場合、その時期は点数を取るための学問に明け暮れている。多感な時期、頭の柔軟な時期に何をするのが最もよいのか、考えなければならない。
形ばかりを外国から真似ても、その精神を学ばなければ成果は上がらないと思う。これは大学入試ばかりではない。学区制度全般についても、精神や哲学を含めて外国から学ぶ必要があるように思う。社会の仕組みもそうだ。
私が最も望むことは、多感な時期にいわゆるペーパーテストの得点をあげることに重点を置いた狭義の学力向上に熱を上げさせることを止めてもらいたい。参院選挙後に、政府はまたまた教育をいじくり回そうとしていることに危惧を抱いている。
(日記 終日、和太鼓の楽譜書き。和太鼓曲に、篠笛や三味線のメロディーも付けた。ようやく、1曲できあがった。名付けて『和太鼓組曲・九頭竜』だ。午後7時半から村の公園でゲートボールの練習。地区大会があるから。1年に一週間だけの付き合いゲートボール。ゲームをしながら仲間との雑談が楽しい。)