流される日々
今日まで、かなり忙しかった。自分が追い求めて忙しいことと、役目上、せざるを得ないことがあって忙しいのとでは全く違う。今日まで、後者の方でかなり忙しかった。今日の瓦版発行でようやく一段落した。
思えば、つい先日新年が始まったと思ったら、あっという間に年度末。区の総会のための資料作りにかなりの時間を取られた。そして、新年度が始まった。この間、総会などが続き、年度初めの雑用が押し寄せてきた。
これらもようやく一段落し、明日から再スタートができる。明日から、退職者理想の“晴耕雨パソ”で暮らしたいものだ。しかし、やりたいことを定めておかないと、日々の雑用に忙殺されてしまう。
ここ二週間、紙芝居の絵を描く時間が全くなかった。ここ一年ほど新曲を全く作っていない。あれこれ作りたいテーマはあるが忙しくてできなかった。また、自分の一番の基軸である“数学”にいたっては、ここ二年間全く手を付けていない。
何かやっても、何にもしなくても、目標を持って頑張っても、何かに追われていても、時間は刻々と一定の速さで過ぎていく。ゆとりを持てるかどうかは、心の持ち方でかなり変わる。
時間の流れる速さも、心の持ち様でずいぶん変わる。“しなければならない”と“やらせてもらえる”と考えるのでは、ずいぶん変わる。今の私の状況は、退職者にしては忙しすぎる。まだまだやることを絞らなければならない。一日は24時間しかないのだから。
(日記 午前中、YOUTUBEで銭太鼓について調べてみた。そして、午前12時に鹿谷公民館で、おばさん達の銭太鼓練習に付き合った。今、彼女たちは、『鹿谷ほがらか音頭』の練習に取り組んでいる。地元の民謡だ。いろんな振り付けを練習してみて、歌に最もふさわしい振り付けを考えた。彼女たちは足が痛いのに、熱心に銭太鼓の練習に取り組んでいる。こちらもその気持ちを大切にしたい。帰宅してから、編集した『かたせ瓦版』をコピーし、他の配布物といっしょに班長に配った。やっと自由になれた気分だ。夕食後、気分転換に家内とウオーキング。二カ所の家庭菜園を回って野菜の生育ぶりを見て回った。)