偶然それとも必然
テレビのニュースを見ていたら、『長嶋監督と松井選手が国民栄誉賞』といういニュースが流れていた。ところが、この二つを結びつけたものは、ドラフトでのくじという偶然だった。聞くところによると、松井選手は阪神へ行きたかったとも。
ドラフトで松井選手が阪神へ行っていたらどうだろうか。今日のW国民栄誉賞受賞は実現されていただろうか。二人は、同じチームになって指導者(監督)と選手という立場で精進を重ねていったのだ。やはり、二人の出会いが今日の受賞を導いたと思いたい。
もっともっとレベルは低いが、私にもいろんな出会いがある。一つの出会いは、一枚の辞令からだ。新任地・大野市から異動で勝山市へ戻ったとき、同時に校長として同じ平泉寺小中学校へ務めることになったのが、生涯の恩師となるN先生との出会いだ。
どちらも、同じ学校へ勤めるというのは、全くの偶然だったと思う。特に、私の方は希望したわけでもなく、一枚の紙切れ(辞令)での異動だったからだ。私の人間として、教員としての基礎を作ることができたのは、全くこのN先生のおかげだ。
いろんな思い出がある。そして、その一つ一つが今も色あせていない。当時の学校目標『人間信頼の感情を育てる』は今も心に残る言葉だ。「人を信頼しなさい」ではないのだ。人は信じるに足る存在だということを子どもたちに気付かせるのだ。
この先生には、公私ともお世話になった。私にとっては、自分の人生最大の出会いであり、最も尊敬できる先生だった。これが、異動という私にとって、全くの偶然がもたらしたものだ。
全くの偶然の異動から「生徒との出会い」があり、「その保護者や地域の人達との出会い」があり、出会った人たちのネットワークから、「新たな人たちとの出会い」があった。
この異動からの出会いにより今の家内とも繋がっていった。そう思うと、世の中の出会いは全て偶然であるかもしれない。しかし、偶然の中にも意図した部分があるように思う。それは、双方が音楽や歌が好きであったと言うこと。
もしそうでなかったら、目の前を行き来していても、つながりはしないだろう。人と人との出会いのほとんどは、偶然だろうが、その先は偶然ばかりではないように思う。
今、メール交換をしている上丹生(米原市)のTさんがおられるが、交流は昨年の上丹生の『チューリップ祭り』が出発点になっている。このチュウリップ祭りの視察を勧めてくれたのは、我が村の人だ。
当日、上丹生のTさんと私は、勝山市と上丹生の人たちとの記念写真におさまっている。しかし、その時点では言葉を交わすこともなかった。そして、分かれた。
しかし、どちらもまちづくりに興味を持っていたことからブログを通して知り合うことになった。その後、いろんなことでメールやブログを通して意見交換することになった。私には、勉強になることが沢山あった。
人と人との出会いは、偶然だけではなく、次の段階は両者の意志が大きく作用しているように思う。私は、前向きに生きていれば誰とでも友達になれると今も信じている。人と人が繋がるには偶然の先に何かがあるのだ。
(日記 午前中は、紙芝居の描画作業。一枚の絵に十数人の人物が登場する場面であるので、ものすごく時間がかかる。午後は、少し絵を描いた後、家庭菜園作業。私は、エンドウの支柱を立てた。家内は、ジャガイモを植えた。その後、事務所の前の木の剪定作業。内と外の作業を行った一日だった。)