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知ることの楽しさ

02 4月

義務的な学び
  学校での勉強の多くは、義務的に学ぶことが多い。そのため、受験のための学習になりかねない。学びたい気持ちよりも学ばなければならないという義務感が先に立ち、興味の湧かない場合も少なくない。本当は思わぬところで役立っているのだとは思うが。

   しかし、いざ社会に出てみると、知らないことばかりである。それらを一つずつ明らかに知ることはとても楽しいことだ。自ら学ぶために、次々と分からないことが出てきて、それらを順次調べ上げることは、興味のあるところだ。

 社会へ出ると、学校の教科では学べないことが沢山出てくる。まちづくりなどは学校では学ばないが、社会へ出ると、とても大切なことだ。自分たちの地域を住みやすくしたり、経済的にも豊かにするためには、学校とは異なる学び方があるはずだ。

  学校では、間口は広いがいずれも学びの内容は浅い。興味の出たところで、深く学ぶことは意義のあることであり、楽しいことだ。おまけに、今は、ネットや図書館や書店が充実していてありがたい。

散歩の途中の菩提林で見つけた大きな木。何の木だろうか。

  また、テレビなどマスコミでは「専門家によると……」という言葉をよく聞く。いわゆる評論家といわれる人だが、かならずしもその道に精通しているとは限らない。怪しい場合も少なくない。

  時と場合によっては、ちまたの実践家や職人の方が優れている場合も少なくない。政治家の皆さんは、国民や市民を代表するほどの知識や経験がない場合が多い。大いに学んで国民のために頑張ってほしい。

  私も、中学校以来いろんな通信教育を受けてきた。半分は挫折したり、途中で放棄したりしたが、残り半分は最後まではやり通した。役に立ったところもあるが、そうでなかったところも少なくない。

  学ぶ気持ちがあれば、テレビ番組、新聞の小さな記事、講演会、雑誌などいろんな所から、情報を得ることができる。また、前向きの人間と話していると、自分の考えが整理されたり、新たなものを得ることができる。今後も、学び続けたい。

(日記 午前中は、紙芝居の描画作業。途中でまちづくり推進協議会のAさんがやって来た。二人で、片瀬を含む猪野瀬地区のまちづくりについて話し合った。午後2時から、家内と二人でウオーキング。パソコンから離れないと、目が悪くなってしまう。自宅から平泉寺まで歩き、歴史探遊館『まほろば』で平泉寺のDVDを見た。帰りはハーモニカを鳴らしながら、帰ってきた。)

 
 

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