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政治の影響力

29 3月

政治ができること、できないこと
  数日前から、ぼちぼち、紙芝居『親鸞聖人物語』の描画作業を再開した。親鸞聖人の始めた浄土真宗がなぜ東西に分かれたのかという疑問があったが、これは政治の影響を受けてのことだった。

団子切り作業。今日は子供の登校日のため子供の姿が見えなかった。

 これは、本願寺の内部抗争と言うよりも、当時国を治めていた信長、秀吉、家康の勢力争いに巻き込まれて東西に分かれてといった方が当たっているだろう。現在も東西に分かれている本願寺も、当時の権力者によって大きく影響を受けたことになる。

 最近、選挙区の区割りと共に、議員定数の削減が問題になっているが、これはそれぞれの議員生命がかかっているので、簡単にはできない。0増5減だけですませるのだろうか。

  地方は過疎化が進み、都会へ人口が流出する。それに伴って政治家の割合も都会の方が大きくなる。地方のこれはますます中央に届かないこにはとになる。政治家がどうあがいても、地域の衰退は進んでいく。

  これを政治家は是正できるだろうか。簡単ではないと思う。しかし、選挙のたびに、地方の活性化などもっともらしい公約を並べるが、それが上手くいかなくても誰も文句を言わない。公約は膏薬と同じぐらい軽いのだろうか。

団子を詰める袋の準備作業。

  原発の推進は政治の力が大きく影響をしている。それはそれでよいのだろうが、真実をゆがめ、安全性を無視して政治の力で進めるところに大いに問題がある。利害関係の一致する者が、一つのグループ(ムラ)を作り始める。

  ムラは金という磁石に吸い付けられて動いているように見える。外野席から見ていると、どうも、政治家も国民も、金には弱いように思えてならない。安全性よりも、経済性(金)が優先しているように思えてならない。

  何百人という政治家が、オールジャパンで今の世の中を持続可能なものにしてほしいと思うが、今のところ、自分の議席が持続可能であることを一番に考えているような人ばかりに見える。裁判所の怒りも分からないではない。

(日記 午前中は、『涅槃団子まき』に使う団子を切った。帯状の団子を包丁で切るとその断面にはきれいな模様が出てくる。今年は、当日、団子まきにでられない家庭にも、団子を配るために、昨日、そのいわれを書いた紙を作った。カットを入れたりしていたので、午前2時までかかった。今日の団子切りと袋詰めは午前10時過ぎに終わった。午後は、紙芝居の絵描き。久々の作業だった。)

 
 

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