十数年前の獅子舞を復活
今から十数年前、私の次女が小学生の頃、私は獅子頭を作り、子ども達に演じてもらったことがある。手製の粗末な獅子舞ではあったが、子ども達は楽しそうに演じてくれた。
立派な神輿があるが、重すぎて子ども達はそれを担ぐことができない。そこで、車に乗せて村内をまわることにしている。そんなにの道路は狭いので、一軒一軒の玄関先までは神輿を引き回すことができない。
毎年、小学生達は、神輿を引きながら、神社にお供えしてあったお菓子を各家庭に配るのだ。各家庭にしてみれば小学生達がお菓子を持ってきてくれるだけだ。そこで、獅子舞を導入することによって、各家庭の玄関先まで出かけて神社のお下がりを届けることができるのだ。
獅子舞は、笛二人、締太鼓一人の三人の女子児童が伴奏を務め、男児二人が獅子舞を演じて各家庭を訪問するのだ。手製の粗末な獅子舞ではあったが、子ども達は結構楽しんでくれたようだった。
そこで、今年は、北谷町から舞台を譲り受けたのを機会に、先ずは舞台で獅子舞を復活することを考えた。幸い中学生二人が名乗り出てくれたので、何とか見られる獅子舞にしたいと思っている。
さて、この獅子舞だが、地方によってずいぶん演じられ方が異なっている。近県の石川県や富山県では、獅子舞の中に、3、4人が入り、烏帽子をかぶった跳ね人が獅子とユーモラスなかけ合いをやる場合が多い。
沖縄の場合は、かなりリアルな動きの獅子舞で、軽業的な要素も含んでいる。中国の影響を受けているようだ。さて、我が片瀬の獅子舞はどうか、それぞれの良さを生かしながら、楽しいものにできたらと思う。
(日記 午前中、『かたせ瓦版』の仕上げ。午後は、獅子舞の動きの研究と獅子舞の補修。夕方、集会所で中学生と獅子舞の打ち合わせ。今度の日曜日に迫った太鼓の出演のため、福井から長女も練習にやって来た。私は、午後8時過ぎに練習に顔を出した。今日も福井から娘が練習に参加した。前日のリハーサルや本番の出発時間、ユニフォームなどを点検した。今日も、忙しい一日だった。)