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Archive for 4月, 2012

中国の若者達

20 4月

中国技能実習生にに講話
  大野市の研修センターで中国から来た技能実習生に日本の文化と習慣について講話をすることになった。これで2回目だ。来月にも同様の講習がある。

熱心に講義を聴く中国研修生の皆さん。

  彼らは、中国で約3ヶ月間、日本語や日本についての講習を受け、さらに、日本で約3週間の導入講習を受けて各職場へ派遣されるのだ。今回のメンバーは講習後、福井県内屋石川県内へ派遣されるメンバーだ。

  少し、日本語ができるがまだまだだ。通訳は派遣先である中国から研修生と一緒に日本へ来た人であった。 研修センターの中国人のスタッフは、「なるべく優しい日本語で彼らに話かけてほしい」と依頼された。

  日本人が早口で話すと、彼らは意味が分からないので話を聞こうとせず、通

家内のリードで日本の歌「ふるさと」を歌う中国研修生の皆さん。

訳の言うことしか聞かないようになるとのことであった。身振り手振りをまじえてゆっくりと話した。

  研修中の態度は見事であった。部屋へ入るなり、全員が起立して迎えてくれた。私の話すことをメモする彼らの目は輝いていた。日本で働くぞという姿勢がありありと見えていた。

   石原発言などで日中関係は微妙であるが、今私の目の前にいる中国研修生は素朴で真面目であった。私は日本文化に触れる前に、「あかおやま」について話した。よりよい社会人になるために、
 あ……挨拶
 か……感謝
 お……思いやりの心
 や……約束を守る
 ま……マナー

日本の民踊を踊る中国研修生の皆さん。

の5つを守ってほしいと伝えた。話すたびに、全員が大きな声で「はい!」とこたえてくれた。その後、日本文化や奥越前に四季についてパワーポイントを使って話した。

  また、日本の農業や奥越前の観光地などについても触れたし、越前大仏や勝山城と中国との関係についても触れた。国のトップがどうであれ、私達はお互いに仲良くしましょうとも述べた。

  座学だけでは疲れるので、歌の時間も設けた。家内に応援してもらって「ふるさと」と「四季の歌」を練習してみんなで歌った。伴奏のアコーディオンが聞き取りにくいほど大きな声で歌ってくれた。

  また、最後には、県内に伝わる民謡「越前千本搗」と氷川きよしの「ときめきのルンバ」を練習し、一緒に踊った。こうして和気藹々とした中で導入講話は終わった。

  おそらく、彼らとは二度と会わないであろう。しかし、私の心の中には、彼らの素朴な姿が印象に残った。日本の職場では苦労するであろうが、一生懸命頑張って無事勤め上げ、帰国してほしいと思う。

  彼らならできるだろうとも思った。午前9時から11時45分頃までとても楽しい時間を過ごすことができた。来月の講話も楽しみである。

(日記 午前9時より午前11時45分まで中国研修生の皆さんに日本文化などの講話を行う。とても楽しかった。午後少し休んで明日のために童話を書き始めた。久々の童話でとても楽しかった。タイトルは『弱虫惣兵衛』とした。本当の弱虫とは誰か、話の中で考えてもらえればと思う。夕方、異なる品種の里芋を少し植えた。また、家庭菜園と法人から借りた畑を見回った。)

 
 

お金と夢と生き甲斐と

19 4月

金は弥陀ほど光るか?!
   お金のありがたみを感ずることは少なくない。しかし、お金は必要条件であっても、十分条件ではない。某会社の社長のように子供の頃から何不自由なく育ち、金もたくさんあった。

  しかし、その金をうまく使えず(他から見れば)、億単位で賭博に使い、首が回らなくなってしまった。もっと少ない金でも使いようによっては、夢のあることに使えただろうに。

  それなら、金がなければ不幸か?そうでもないと思う。もちろん“お金がない”にも程度はあるが。飯も食べられないようでは困るが、車を持てなくても、ブランド品を着れなくても、ごちそうを食べられなくても、それだけでは不幸にはならない。

  発展途上国の子ども達が、素足での山を駆け巡り、川で泳いだり、粗末なものを使っておもちゃを作ったりしている姿は、決して不幸には見えない。それよりも、放課後はろくに遊ぶ時間もなく、習い事や塾へ通う子ども達が幸福であるようにも思えない。

  果たしてどちらの方が生き生きしているだろうか。どちらの子どもの方が夢を持っているだろうか。どちらの子どもの方が兄弟や親と仲良くしているだろうか。

   エネルギーに限度があるように、経済発展にも限度があるように思う。かつての日本は貧しかった。日本人の作るものにろくなものがなかった。メイド・イン・ジャパンは粗悪品の代名詞だった。

  時計や精密機械は、スイス製が幅をきかせていた。日本人は貧しく、食べることで精一杯であった。アメリカやヨーロッパは物質的にも恵まれていた。しかし、一生懸命働き、立派な製品を作れるようになると、日本の立場はどんどん上がった。

  日本製品は、それだけでブランドとしての価値があった。車もカメラもテレビもビデオも世界に誇れる品物になっていった。ところが、韓国や台湾の製品はかつての日本のように、あまりよくなかった。

  韓国の車やテレビがどんどんよくなっていった頃、まだ中国の製品はよくなかった。しかし、それもどんどんよくなってきている。こうして発展途上国がどんどん力を付けている。インド、ベトナム……、と続き、そのうちにアフリカも発展していくだろう。

  ところが、今の日本はこうした国々の発展とは逆に衰退しつつある。国民の生活も二極化しつつある。戦後の日本にあった“貧困”という言葉が発展と共に消えていったが、今また、“貧困”という言葉が復活しつつある。

  経済発展にも限りがあるのだ。そろそろ豊かさの尺度を“人間らしさ”や“幸福度”に変えなければならない時代ではないのか。たとえ、物質的に恵まれていなくても、幸せは変わらないと思う。

公民館での二つの会の総会に出席。まちづくり等について協議する。(右端が私)

(日記 午前中、区長としての事務処理のために、奥越合同庁舎の県税事務所、税務署、司法書士の所へ出向いた。午後1時より市の区長会理事会に出席。その後、明日の準備のために大野市の研修センターへ行く。午後7時より、社会福祉協議会の総会、フレッシュ猪野瀬フォーラムの総会、そして区長会に出席。猪野瀬のまちづくりなどについて協議する。)

 
 

『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』

18 4月

定期検診と書籍
  今朝は午前7時に家内と一緒に家を出て済生会病院へ向かった。2ヶ月に1度の定期検診で、予約は午前11時半だが、予約なしに整形外科で腰を診てもらうために早く家を出た。

  午前8時前に病院に到着したが、整形の受付は初診のために午前8時20分からしかできないという。少し早すぎた。整形の診察は案外早く終わったが、レントゲンを撮り2度目の診察は12時を過ぎてしまった。整形だけで4時間ほど待ったことになる。

  その後、予約の検診を終えた。午後1時前にようやく診察を終えた。全部で10分余りの診察に行き帰りの時間と待ち時間を合わせる6、7時間かかったことになる。仕事を持っていたら大変なことになる。病気はするものではない。

書籍1  待っている間の私の楽しみは、「アイポッド」で音楽を聞きながら、週刊誌を読むことだ。最初に記事を読んでいて気になった本があった。

  大橋巨泉氏の紹介している『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか(C・ダグラス・ラミス著)』という長いタイトルの本の紹介だ。先ず、このタイトルが私の心を捉えた。

  この本は今から11年半前の2000年に書かれたという。大橋氏が紹介している部分で自分も感心した部分を抜き出すと以下のような部分がある。

・政治家は万能薬として自由化を持ち出す(TPPなど)。しかし、貿易の自由化は実は「投資の自由化」
であり、それは「搾取の自由化」である。

・ 経済成長というのは、一つのイデオロギーである。植民地主義、帝国主義、経済発展、グローバリゼー
ションと言葉こそ変われ、中身は同じ。

・地球の自然や環境を破壊しつつ、成長だけを追っていたら、今に地球は人類が住めない星になってしま
う。今我々の乗っている船は間違いなく氷山に近づいている。(タイタニック号は氷山に気づかなかった。)

・ゼロ成長を歓迎する。そのために“対抗発展”をすすめる。
  ※対抗発展とは、「減らす発展」だ。・個人の働く時間を減らす。 ・エネルギーを減らす。 ・値段の付いたものを減らす。等々。

・経済以外のものを発展させる。経済以外の価値、経済以外の人間の活動、市場以外のあらゆる楽しみ、行動、文化などを発展させる。

 そして、著者は3.11の10年以上前に原発についてもはっきり書いているそうだ。

足羽山のしだれ桜。満開だった。

・原発があれば、いつかまた放射能が漏れる、事故は必ず起きる。反原発運動は、ユートピア主義とか、理想主義とか、何かのイデオロギーに基づいた運動ではなく、現実に基づいた運動である。

書籍2 書評を読んでいたら、次の本も気になった。『メルトダウン(大鹿靖明著)』という本だ。評論家の佐高信氏が書評を書いている。

 原発事故が起きても、保身と権益のために、暴走する官僚と民僚の姿をドキュメントとあり、今や日本の頭の部分がメルトダウンしているとしている。

 二つの本はいずれも、読んでみたい本だった。 

手の届くところで満開になっている桜。とてもきれいだった。

(日記 午前7時に家を出て、午後1時頃二つの診察が終わった。かなり待つことになったが、検査の結果、数値が少し改善していたのが、せめてもの救いか。その後、昼食をとり、家内と二人でミニショッピング。そして、足羽山へ花見に出かけた。青空の見えるよい天気で桜は満開。まさに桜花爛漫であった。帰りに、本屋へ寄った。『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』は本屋になかったので注文した。『メルトダウン』はあったので購入した。それにしても、日本の中枢は、メルトダウンしている。統治能力を欠いているように思えてならない。既存政党に国民の厳しい審判の下る日がそう遠くないかもしれない。そして、官僚にも。)

 
 

石原都知事発言

17 4月

波紋を広げる石原都知事の発言
   ニュースを見ていたら、突然石原都知事の「尖閣諸島購入」のニュースが入ってきた。モーニングバードをはじめとするニュース系の番組ではこの問題を取り上げていた。

  漁船の衝突問題など尖閣諸島を巡っては以前から問題が起こり続けていた。この近辺は漁業資源だけではなく天然ガスや油田など多くのエネルギー資源が埋蔵されている豊かな海だ。

  中国の漁船衝突問題でも、政府は打つ手をなくし、責任回避をしていたように思えた。しかし、突然衝突の瞬間のビデオが暴露されて、衝突時の実態が明らかになった。暴露されなかったら、国民は全く状況が分からなかっただろう。当時の政府のこの問題に対する立場は無責任であるように思えた。

 そんな問題の多い尖閣諸島であったが、今日、アメリカで石原都知事が「尖閣諸島を東京都が購入する」と宣言したのだ。おそらく、政府は対応に困るだろう。問題を先送りにしてきただけに、日中関係がこじれはしないかと心配しているに違いない。

  インターネットを見ると、早速この件に関するニュースが並んでいる。当然のことだが、賛否両論がある。「関係閣僚は困惑している」とのことだが、この問題の処理ができる閣僚は現政権ではいないのではないかと思われる。

 【尖閣諸島】
  ・石原知事「都が購入」…民間所有者と合意
  ・石原知事発言…都民「税金なぜ使う」 
  ・都庁、情報収集に追われる…石原知事発言 
  ・関係閣僚は困惑…石原知事発言  
  ・石垣市長、好意的受け止め…石原知事発言 

  ・識者「中国を利する発言」  
  ・沖縄は期待と困惑
  ・台湾が苦言
  ・中国反発は必至
  ・橋下市長称賛「石原知事でしかできない行動」
  ・中国「いかなる措置も違法」 
  ・日中関係改善にまた難題 

  しかし、このようなときに、キャスターやコメンテーターも含めて、「都の税金をなぜ使うのか」とか、「購入によって都民の利益があるようにしてほしい」などの意見があったが、そんなレベルの問題だろうか。当然国家が関わる大きな問題であると思う。

 またしても、政治家には大きな試練が待ち受けている。果たして乗り切れるのだろうか。大いに心配である。国の内も外も大きな問題が山積している。原発処理と再稼働問題、震災復興、沖縄の基地問題、税と福祉の一体改革、デフレ、円高、……。

 そして、今回の尖閣問題。処理能力以上の問題が山積している。今こそ、与党だ野党だと言っていないで、「オールジャパン」でこれらの問題に対処してほしい。

(日記 午前中、区長関係の事務処理。途中で、見守り隊の活動。その後、大野の整骨院へ行く。夜は、各種団体の「教化育成費」を配りに区内を一周する。その都度、いろいろ話すことができた。普段話さない区民と話せるのはうれしいことだ。)

 
 

迷走する原発再稼働

16 4月

読みにくい枝野発言
 野田首相と関係3閣僚は13日、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を「妥当」と判断したが、判断の根拠としたのは、「安全性」と電力需給面の「必要性」の二つ。しかし、子の二つを信じがたい人が多いのではないか。

  野田政権には「原発ゼロ」への焦りがあるように思う。というのは、もしも国内にある原発54基の全てが止まっても夏の電力需要を乗り切ることができれば「原発ゼロ」でもいけるということになってしまうからだ。

  そうなると、経済産業省幹部の中には「再稼働のハードルはさらに高くなる」との危機感があるからだ。従って、何が何でも再稼働させたいのだろう。そうした焦りが見え隠れする。

  しかし、思うように事が運ばない。近隣の知事や大阪市長の言動も今後の選挙を考えると無視できない。枝野氏も関西電力大飯原発3、4号機の再稼働に理解を求めつつ、「恒久的に原発依存度をゼロにする」と発言してる。

  枝野氏のぶれた発言に、周囲の不信感は高まるばかりである。これでは、今年の夏の電力需給の厳しさだけを理由にして再稼働への同意を得ることは難しい。政府は将来にわたる原発の位置づけを明確に地元に示す必要があるがそれができていない。

  電力は本当に不足するのだろうか。専門家の中にも「猛暑になっても乗り切れる」との意見がある。そんな中で、電力会社や政府は「不足するから再稼働」との論理で進めようとしているが、「不足するなら節約と新しいエネルギーへの転換を図る」ことで乗り切れないのかと私は思う。

  今国民に一番必要なのは、多少の我慢ではなかろうか。電力不足と行っても、真夏の日中の十数時間のことだ。この程度のことも我慢できないようなわがままではこれから先思いやられる。東日本の人達のことを思うとこんなものではなかろう。

  今や、電力会社の言うことは誰も信用していない。政府の言うこともぶれていて国民の信頼を得てはいない。そんな中で「原発がなければ再稼働」とか「火力発電で穴埋めすれば燃料費が高騰する」ということで「値上げ」を言い出している。

  電力の需給試算もころころとかわる。原子力ムラの発信する情報は「原発がなければ電力不足に陥る」の一辺倒だ。政府は、産業界と大阪維新の会などの「安全性に問題あり」や「電力は足りる」という意見の間で足腰が定まらず、確たる方針を出せずにいる。

 利害関係の対立する中で、「あちらを立てればこちらが立たず」の中で、ぶれた発言を繰り返す枝野氏を見ていると気の毒ですらある。脱原発を目指すならその方向性と手順を明確にした方が、国民も理解しやすいのではなかろうか。

里芋の植え付け作業。足を使って専用の穴開け機で穴を開けて種芋を入れ、土をかぶせておいた。

(日記 午前中、区長としての事務的な仕事を行う。役所へ行き、担当者と話しをしたり、貯金通帳で金の出し入れをするためにJAへ行ったりする。午後は、法人で借りた畝に里芋の植え付けと生姜の植え付けを行った。特にショウガの植え付けには苦労した。「六呂師から購入した牛糞堆肥」と「油かす」とほんの少し「化成肥料」を元肥として入れ、その上に種ショウガを置いて土で覆い、さらにその上に押し切りで細かく切った藁を乗せ、最後に黒ビニールマルチで覆った。1ヶ月後には芽が出るだろう。里芋もショウガも昔からの片瀬の特産物だ。午後は、自分にとってはかなりの肉体労働だった。特に鍬を扱うのに筋力を要した。でも充実した農作業だった。)

 
 

区民の安全を守るために

15 4月

身の周りにある危険
  4月から区長を仰せつかったために、いろんな所からいろんな情報がもたらされる。また、そうした情報以外に、自らもいろんな人達の意見を積極的に聴きたいと思う。

林道をふさいでいる枯れた倒木。ここから先は車が進めない。

  林道に障害物があると、役員のYさんが朝知らせてくれた。早速昼食後、家内と現場へ行ってみると、枯れた栗の木が倒れて林道をふさいでいる。ここから先は車で通ることができない。

  歩いて少し先の様子を見に出かけた。別の場所にも、枯れた太い木が倒れて林道をふさいでいた。林道の周囲を見渡すと、あちことに枯れた大木が立っている。この頃、山には枯れた木が目立つ。最初は松が多かったが、その後、ブナの木や栗の木まで枯れ始めている。

  温暖化の影響か、南極の氷が溶け始めているそうだ。異常気象も今や当たり前になりつつある。豪雪、豪雨はこの頃当たり前になりつつある。春の強風も台風並になっている。台風というと怖いイメージがあるが低気圧というと少し穏やかになる。春の嵐にも何か新しい名前を付けて注意を喚起しなければならない。

林道で見つけたカタクリの花。

  道路周辺には枯れて倒れたた木がたくさんあったし、立ってはいるものの今にも倒れそうな木がたくさんあった。安全を確保するために、倒れる前に処理しなければならないだろう。

 早速森林組合に努めているTさんに処理してもらうようお願いに行った。枯れ木の落下の危険は至る所にある。区民みんなで、先ずは自分の屋敷の木、そして、林道や登山道の木などを注意深く見守らなければならない。

(日記 午前中、区の昨年度の様々な資料に目を通す。年度初めにしなければならないこと、準備をして臨まなければならないこと、納税など金銭の出し入れをん伴うものなど当面しておかなければことをチェックした。午後は、法人に借りた畝(生姜を植える場所)に自作の籾殻燻炭を入れてミニ耕耘機で耕した。今年も、片瀬特産の「ショウガ」作りにチャレンジしたい。昨年もやってみて、どうして保存するのがよいかもだいたい決めた。法人に借りた場所へ行くといろんな人と出会い、話すことができる。それが楽しい。この頃、いろんな人と話す機会が格段に増えた。その後、GW前後に野菜を植える自分の家庭菜園を耕し

2畝借りた法人の畑。ショウガを植える場所を耕した。

たり、畝を立てたりした。夜、隣村の若い教員夫婦Hさんが赤ちゃんを連れて我が家へやって来た。少し話したが一緒にやることがありそうだ。)

玄関脇の所定の場所に収まった竹製のプランター。

 
 

美しい片瀬をつくる

14 4月

先ずは自分から
  今日午後7時半から集会所で、「各種団体合同会議」を開催。主な議題は、来る6月3日に行われる区民運動会だが、初回ということで、区長としての想いを語った。

  その中の一つに、「美しい片瀬をつくる」という目標を掲げた。花のある地区にしたいと思う。しかし、その手法は、それぞれが、子ども達のために、区民のためにまちをきれいにしたいと思うならば、自分の身の周りから花を飾ってみてほしいとお願いした。

片瀬を美しくするための「竹のプランター」作り。

  決して、各主団体の長に、「自分の団体に帰って花を植えるよう勧めて下さい」とお願いするものではない。もしそう言えば、各種団体長は重荷になるだろう。

  そうではなくて、「自分の為に、区民のために、通行者のために、きれいにしてみたいと思うなら、たとえ一本でも花を植えてほしい」とお願いしたのだ。

  そして、二人が三人、三人が四人と一人でも花を植えてみようと思う人が増えればそれでいいのだ。その手始めに、私は、知り合いに竹を一本もらってプランターを作り、それに家内に花を植えてもらった。

  家の道路に面した部分にこのプランターを飾っておきたいと思う。今日の会議にこのプランターを持ち込んだ。「村をきれいにしようと思うならば、みなさんも自分流にたとえ一本でも、花を飾ってみて下さい。」と伝えた。

私の作った竹製プランターに家内が花を植えてくれた。

  誰かが花の苗を購入し、人を集めて「ここへ植えて下さい。」というやり方では、村はきれいにならないだろうと思う。心を込めて、通学する子ども達のために家の周囲に花を飾ろう、通行する人のためにきれいにしようと思う心が湧かないうちは村はきれいにならないと思う。

  果たして、今日の「各種団体合同会議」で話したことが参加者に伝わったかどうかは分からない。でお私は、これまでと同様に花を飾り続けたい。自分の楽しみとして、周囲の人に楽しんでもらうために。

(日記 午前中、区の「各種団体合同会議」の資料作り。午後歯竹のプランター作り。午後4時より「親子太鼓」の指導。午後7時半より第1回目の「各種団体合同会議」。最初に区の運営方針等を話し、区民運動会等について話し合った。)

 
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有機栽培

13 4月

今年も六呂師で堆肥購入
   同じ場所で毎年野菜作りをしているので、土は衰える一方だと思う。そこへ化学肥料を入れても、土は良くならない。そこで、鶏糞などの有機肥料をこれまで使ってきたが、昨年から、六呂師の牛糞堆肥をたくさん使うようになった。

  軽トラックで堆肥を取りに行くと、係の人が機械で軽トラックへ入れてくれるのでありがたい。軽トラックいっぱいの堆肥の値段は一昨年まで1,000円、昨年は1,500円、そして今年は3,000円だった。

軽トラに積んだ牛糞堆肥と堆肥枠。

  軽トラックいっぱいと言っても、量はかなり異なる。今年は、軽トラックの荷台の三方にコンパネを立てたので、昨年の1.5倍ほど積むことができたのではなかろうか。

   これを家庭菜園の横に据えた丸形の堆肥枠の中に入れた。全部は入らなかったので、軽トラックから直接畑にまいた。土がよければ野菜は健康に育つと思っている。

   ちょうど人間で言うと、環境のようなものだ。環境がよければ人間は健やかに育つ。植物は根から栄養を吸収するために、根が丈夫に育つ環境がなければならない。

  だからといって、土がよければそれでよいかという必ずしもそうではないらしい。というのは、根が伸びようとする環境をつくることだそうだ。

堆肥でいっぱいになった堆肥枠。1年間十分使うことができる量だ。

  人間にたとえるならば、何に不自由なく育った子どもが大人になっていざというとき力を発揮できるかというと疑問だ。逆境に育った子どもの方がいざというときには強いのだ。

  植物が水をほしがっているからといって水を与え続けると根は生長をやめるそうだ。水が十分与えられないとなると、植物は必死に水を求めて根を張るそうだ。立派な根が育つと、栄養を吸収する力も大きくなり、植物全体も強くなるというわけだ。

(日記 午前中、堆肥枠を組み立てて据え付け。そして、六呂師へ牛糞堆肥を取りに行く。家内は今日も孫の子守で福井。やむなく、昼食はコンビニのおにぎりと肉まんで済ませ、堆肥枠に収まらない分は、畑に撒いた。3時に作業終了。その後、Yさんに青竹を一本もらう約束をして、神社の上の竹

竹製のプランターを作るために出向いた竹林。猪がタケノコを掘り取った穴がいっぱいあった。

藪へ行く。竹藪にはいっぱい穴が開いている。猪がタケノコを掘り取った穴だという。ここにも獣害があるのだ。竹は明日までにプランターにするつもりだ。)

 
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欲望のままに

12 4月

少しぐらいは我慢してもいいのでは
  大飯原発の再稼働をめぐり、政府の信頼が失われつつある。政府の「原発を再稼働したい」との思いが見え見えだからだ。福島原発の結果がまだ十分見えていない中での、再稼働は安全性より経済性を優先しているように思えてならない。

  福島原発の事故処理や事後の対応で信頼を失った政府が、「安全だ」とどんなに声高に叫んでも国民は納得しないだろう。日頃から「信頼」を得るための政治を行っているのだかどうかが、問われているのだ。

  これは、何も原再稼働問題ばかりではない。増税の問題もそうだ。日本の数倍の税金を払っている北欧などは、それなりに政府に対する信頼が国民にあるからだろう。

   現時点では、北海道電力の泊原子力発電所がただ1機稼働中だが、これも5月5日に定期検査に入るのだ。そうなると、全原発が停止することになるのだ。政府も全ての電力会社もそうした状況だけは避けたいようだ。

  今は、原発が1機しか稼働していないが、全国的に計画停電や過度な節電を行っているわけではない。夏場の全力需要期に電力不足が起こるということだろう。

 こういうときこそ、国民は計画停電に合わせて工場を稼働したり、節電に努めたりするなど少しは我慢しなければならないのではなかろうか。電力の難しいところは、ピーク時に合わせて発電しなければならないことだ。

  午後は電力不足になるが、夜は電力が足りるとなれば、これらを平準化することを考えて乗り切ればいいのではないのか。節電とこうしたアイディアで数年乗り切りながら、新エネルギーを開発すればいいのではないかと思う。

  エネルギーとして大いに可能性のある資源が日本にはあると言われている。それらを国家あげて利用可能な状態にすればいいのだ。困るとしたら既得権益を持つ原子力ムラとこれらに関わる人間ではなかろうか。

  今は、非常時なのだ。非常時には国民も企業も少しは我慢しなければならないと思う。欲望のままに育った人間がまっとうに成長した試しがないように、国家もまた同じではないのか。

  立ち位置のグラグラした政治家の言動を見ていると、いらいらする。それと同時に、生き残るために、与野党問わずに政界再編が行われるだろう。

   解散を叫ぶ者あれば今のままでは「大阪維新の会」の餌食になると動くに動けない者もいて、浮き足立っている。この国の政治は迷走するばかりである。

   「いま原発を再稼働させると何も変わらない。昔の安全神話が復活してすべての原発が動き、福島の教訓は生かされなくなる」との例の古賀氏のことばに説得力がある。

  欲望のままに生きるのではなく、たまには我慢するのもよいのではないか。新たな生き方、新たな良さが見えてくるのではなかろうか。

銭太鼓の練習に励む鹿谷町のおばさん達(於:鹿谷公民館)。

(日記 早朝、家内は福井の孫をみるために出かけて行った。午前10時、鹿谷のおばさん達の銭太鼓指導。メンバーの半数は足が痛いそうだが、座ってできるということで、銭太鼓を練習している。かなり上手だ。曲とリズムの関係を修正してあげたのでかなりよくなった。午後、3時40分、整骨院へ行く。)

鹿谷の帰りに見た霊峰“白山”。

 
 

その気になれば何でもできる時代

11 4月

私は「You Tube」のファン
  今の時代はその気になれば何でも学べる時代だと思う。インターネットを有効に使えば、学ぶ機会はたくさんあると思っている。「You Tube」には、いろんな情報が詰まっている。というよりも、情報の洪水状態だ。

  そうした情報を取捨選択して、自分が学ぼうとするものを取得すればいろんなことを知ることができるのだ。例えば、私が今練習している

  ハワイアンギターなども、映像入りでたくさんアップされているのだ。参考になる映像も多い。例えば、ドラムを勉強したければ、You Tubeにはいろんな映像が出ている。これらを参考にすれば、いくらでも勉強することができるのだ。

 自分としては、気をつけなければならないのは、漫然と映像を見ているだけでは何も進歩がなく、時間だけが過ぎてしまうことだ。どこかに的を絞って一つのことを頑張ればいろんなことを勉強できる時代になっていることは間違いない。

 問題は、学びたいと思うかどうかだ。学ぶ意欲が持てるかどうかだ。これは学ぶ教材を探すよりもうんと難しい。80歳を超えても絵を描き続けたり、小説を書き続けたり、短歌や俳句を作ったりする人がいるが、尊敬に値する。

振り付け用紙を見ながらのフラダンスの練習。今日は全体の振り付けを覚えるのに専念した。動きは、徐々に身につければよいだろう。

 物事に対する意欲の根源は、心身の健康であるかもしれない。健康に自信がなくなると、このような自信はぐらつくのではないかと思われる。

  今、太鼓のメンバーと一緒にハワイ何をやりたいと思っている。私はバンドの方だが、彼女(メンバー)達には、フラダンスを踊ってもらいたいと思っている。バンドの方は何とかなるが、問題はフラダンスを誰に習うかだ。

  今回は、誰にも習わないことにした。先生は「You Tube」の映像だ。映像を見ながら、私は振り付け用紙を作った。この振り付け用紙さえあれば自習もできるようにした。果たしてどうなるか分からないが、「You Tube」を先生にしばらく頑張ってみるつもりだ。

(日記 朝から雨。午前中は区長としての事務的な仕事を行った。午後は、「You Tube」のフラダスの映像を見ながら、振り付け用紙を作った。午後7時半から和太鼓の練習。太鼓の練習に先立ち、作ったばかりの振り付け用紙をみながらフラダンスの練習を行った。その後、和太鼓の練習。この頃は、メンバー同士で「どうしたらもっとよくなるか」を考えることができるようになった。私としては、ありがたいことだ。毎週土曜日に行う「子ども太鼓」はそうはいかないが。)