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「できること」と「できないこと」

05 4月

以前に聞いたある講演から
  以前に教育会館である講演会が行われた。講師も演題も忘れたが、その講演の中の一部分だけはっきりと今も覚えている。それは次のようなものであった。

 年をとると「記憶力は悪くなる」、「視力は悪くなる」、「スタミナはなくなる」、「脚力は衰える」、「身体は硬くなる」、「内蔵も悪くなる」……と、衰えていくものが多い。講師の先生は高齢化したときのマイナス面をどんどん列挙した。

  それを聞いていて、当時は高齢化することは大変なことだとぼんやり考えていた。何もかもが衰え、意欲さえも減退するかもしれないのだ。どこかの年齢をピークに何もかも減っていくのか、衰えていくのか。

 そして、講師は続けた。「年をとると大概のものは衰える。しかし、年をとることによって伸びていくものがあります。」とここで言葉を切った。一瞬なんだろうと思った。「それは、知恵や経験です。」と続けた。

  時々、このことを思い出すと同時に、第3者に対してもこのことを話させていただくことがある。知恵や経験は衰えるのではなく、益々身についていくのだ。増えていくものだ。

 そう思うと、人生は楽しくなる。若い者には経験や知恵は少ない。まさに知恵は無限にあり年と共に増やしていけるのだ。最近作った私の造語は『知恵無限』である。知り合いの書道の先生に書いていただいた『知恵無限』の色紙は今も私の事務所に飾ってある。

 経験は、多少意識しないと積み重なるものではないかもしれない。毎日、テレビの前に居座り続けたり、ゲームにばかり熱中していては将来に生きる経験は積み重なってはいかないだろう。

 今日久しぶりに事務所で仕事をした。その合間にスタジオにあるドラムを叩いてみた。ドラムは両手両足を使うために、そのコントロールが難しい。若い頃は音楽に乗って楽しくドラムを叩き演奏会などにも出ていたが、今は思うようには手足が動かない。だからといって、練習しなければもっと悪くなる。

  運動だと思って、20分ほど叩いてみた。確実に20歳の頃とは運動神経が違う。素人のソフトボールでも私は3塁を守ることが多かった。バッターからはピッチャーと同じくらいの距離で守ることが多かった。素人レベルだが瞬間的に手が出たものだ。そうした反射神経は完全に衰えてしまった。

  王選手や長島選手でも、引退したのはそうした理由からだろう。なくす物あれば、得るものありだ。問題は、社会や家族、自分のためにそれまで得た経験や知恵を使うかどうかだ。ドラムを叩きながらこんなことを考えていた。

ドラムを叩いていた大学時代は、手足が動きにくいなんてことは考えてもみなかった。

(日記 午前中、先ず整骨院へ。ストレッチの必要性を感じた。身体は硬くなる一方だから。帰宅してから、映像編集を行った。といっても、自分が使っている映像編集ソフト『プレミアプロ』にDVDのデータを取り込んだが、思うように再生したり編集したりできないのだ。ここで行き詰まってしまった。午後は事務所で、作業を続けたが、うまくいかなかった。ハイビジョンレベルのDVDに書かれた映像の編集はできたりできなかったりする。自分で映したビデオなら編集できるのだが。ここで諦めたら、二度とできないだろう。)

 
 

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