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Archive for 2月, 2012

雪に強いまちづくり

09 2月

少子化の遠因
   それにしてもよく雪が降る。幹線道路では、何度も大型の除雪車やダンプが行き来している。また、幹線から一本入った道でも、ダンプを使って排雪作業が進められている。

   何かを建設するならいざ知らず、ひたすら雪を運んでいるだけである。屋根に登って雪下ろしをしているいる人の姿も見られる。

  道路脇に高く積んでおいた雪をあまり雪の降らない時に、ダンプで運んでいるのだが、交通整理をする人、積み込む人、ダンプで運ぶ人などが必要になり、除雪費は半端ではないだろう。

  何とか効率よく、排雪することはできないのだろうか。屋根で融かす、雪を流すことのできる水路の整備、除雪しなくてもよい建物づくり、雪に強い街を作るにはどうすればよいかを真剣に考えるときではなかろうか。

  まだまだ考える余地がありそうだ。特に少子高齢化が除雪作業を困難なものにしている。高齢者のみの家庭は雪には非常に苦労する。

  市内に仕事がなく、福井などへ勤めに出なければならない。しかし、冬の通勤は時間もかかり、危険である。若者の中には、冬の間だけアパートを借りる者もいる(太鼓のメンバーもそうである)。

 地元から雪の少ない場所へ移住する者も少なくない。家族が多かった時代には、家族総出で雪下ろしや排雪作業に取り組むことができたが、高齢者だけでは、除雪作業は困難である。

  雪に強いまちとはどのようなものか、真剣に考えないと、過疎化に拍車がかかり、少子高齢化が進み、悪循環に陥る。重機を使った今の排雪作業をもう少し能率良くやれる都市計画が必要ではなかろうか。

  田んぼや畑は排雪場として大いに役立っているが、市街地はこうしたスペ-スがなく、作業は思うようにいかない。公園の作り方、歩道の作り方、一時排雪した雪をストックしておくスペ-スを計画的に配置する都市計画が必要ではなかろうか。

  勝山の将来を考えると、雪に強い街とはどのようなものかを市民全体の問題として考えなければならない時期が来ていると思う。

二枚重ねた紙芝居。二枚目を少し動かすと、木の間から動物の一部が見える。

(日記 午前中、新たな動物「紙芝居」(かくれんぼシリーズ)の絵を描いた。1,2歳向けの紙芝居だ。二枚一組の紙芝居で、一枚目の紙にはジャングルや森が描いてあり、木の間が切り抜かれている。この紙の下に、動物の絵を描いた紙が置かれている。木の間からかすかに見える動物の姿から名前を当てるクイズ型の紙芝居だ。わからなければ、上になっている紙をゆっくり引き抜くのだ。この動物「紙芝居」は、かくれんぼシリ-ズの二作目だ。午後は、事務所の駐車場の除雪作業。午後7時より親子太鼓の練習。インフルエン

一枚目を引き抜くと下にはこのような絵が隠れている。幼児には、一枚目を完全に引き抜く前に、動物の身体の一部を見て名前を当ててほしい。

ザの一人を除いて全員参加した。次の日曜日が出番だが、保育園児には練習期間が短く、心配である。)

 
 

歌のアイディア

08 2月

「帰って来たよっぱらい」風に
  最近の国家間の問題を見ると、自分さえ良ければ、自国さえ良ければという風潮が限度をこしているようにみえる。従って、最後は武力しか当てにできないのだろうか。

  沖縄問題、中国問題、そして、アフリカや中東の問題、資源獲得の争い、どれをとっても、攻める国、攻められまいとする国、テロ、……、平和はいつ実現するのだろうか。そもそも他国と仲良くするという考えはないのだろうか。

  地球の全ての人間を何度でも殺戮することができるだけの核兵器が、仮想敵国をにらんで配備されている。銃でなければ自分を守れない多民族国家のアメリカ。平和は遠い。

  この小さな地球上での人間同士の睨み合い、いがみ合い。人間とはなんと愚かな生物なんだろう。先ほどBSテレビを見ていたらチベットの若者が弾圧に耐えかねて焼身自殺したという。

  もしかしたら、ブータンのような国家が最先端を行っているのではないか。核兵器を沢山所有し、自国の利益のために他国の事情を無視して、無理難題を押しつける。悲しいことではないか。

  地球外生物が見たら、あきれてしまうだろう。この悲しき状況を私なりにアピールする方法はないのだろうか。私のような凡人ができることは、「歌の力」に頼るしかない。

  ・・・・・・・・・・・・・・歌のアイディア・・・・・・・・・・・・

  宇宙を飛行中の異星人が、水の惑星「地球」を見つけてその美しさに驚嘆する。そして、仲間に知らせる。「素晴らしい惑星を見つけたぞ。今から近づいて着陸してみます。」と。

 宇宙空間で輝く綺麗な「地球」。しかし、近づいてみると、遠くで見たのとは違う地球の姿を目にする。「地球」の周りをぐるぐる回る軍事衛星。

  互いに相手の攻撃に備えて配備してある核兵器。多くの軍事施設。近づけば近づくほど、地球の醜さが目につく。資源の奪い合い。少しの豊かな人と貧しき多くの人。

  さらに地球に近づくと、綺麗な山や海を破壊する無数の建物。大気を汚す煙、公害を垂れ流す工場群。他の生物の生育環境を破壊する開発。

  相手を非難するだけの人達、もうけのみに走る人達、自分の快楽のみに走る人達、高学歴ながら国家よりも自分の利益を優先する役人、平和を願いながら銃を持ち歩く人達、……。

 「こんな小さな地球の上で、なぜ助け合うことができないんだ。理解できない。80年前後しか生きられない人間がどうして、互いに相手を思いやることができないのだろう。」

  それとも、80年しか生きられないから子や孫(次世代)のことを無視して今の快楽を求めて自己中心的に生きるのだろうか。悲しいことではないか。

 近づけば近づくほど醜さがあらわになる地球。宇宙人は、「こんな所へ上陸するのは時間の無駄だ。」と地球への上陸をあきらめて去っていく。

 そして最後のセリフ。「地球は、遠くから見るだけの星だ。生命体の住む星ではない。気の毒な人間達。いずれは取り返しのつかない時を迎えるだろう。お気の毒に。」

(このような状況を歌にして、「帰って来たよっぱらい」風のテープ速回しの甲高い声で録音してCDにしたらどうなるだろうか。宇宙人の声を出すためにテープを速回しするのだ。歌にするのは夢のまた夢かもしれないが。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私のスタジオで、福井から来た長女も参加して和太鼓練習。一番奥で両手を挙げているのが長女。

(日記 午前中は、紙芝居の最終脚本作り。上演用の脚本を完成させた。本番では家内と一緒に上演し、私はギターで音楽を入れながら、時々セリフを入れるつもり。午後7時から「春駒太鼓」の練習。福井から長女が練習に参加。長女の演奏する部分だけ先に練習した後、二人で「秋吉」へ。親娘で焼き鳥なんて初めての経験ではなかろうか。)

 
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電力ビジネス

07 2月

欲望の果てに
  NHKの『クロ-ズアップ現代』で“電力ビジネス”を取り上げていた。しかし、私に言わせれば電力をビジネスにする以前に、節電ではなく、過剰な電気使用を改めるべきだと思う。

  人工衛星から見ると、夜の日本列島は他国に比べてとても明るいらしい。よほどの場所でない限り24時間、街を明るくしておく必要がないのではないか。

   例えば、深夜の0時から午前5時くらいまでは全てのコンビニを開いておく必要がないのではなかろうか。必要なら当番制にすればよい。街の明かりも、ある程度落としてもよいのではなかろうか。

   青少年の犯罪防止の面からも、省エネの観点からも、特別な場合を除いて、夜は街も人も休めばよいのではなかろうか。そのようなライフスタイルにすれば、それに対応した生活ができるのではなかろうか。

  ブ-タンではないが、モノがたくさんあるからといって、必ずしも人が幸せになるものではなかろう。同じように、電気を必要以上に使わなくても生活の質を落とすことはないのではなかろうか。

  エネルギ-を湯水のように使い、モノを必要以上に買い込み、自分自身を必要以上に飾り立てる。欲望の果てに、幸せはやって来るだろうか。

  多くの国民は、テレビなどマスコミやそのコマ-シャルに踊らされ、作られた流行に乗せられ、政治家や官僚に踊らされて、戸惑っているのではなかろうか。

  そして、原発は安全だと言う「原子力ムラ」の人達の言を信じ、原発事故が起きれば「電力が不足する」と言われ、「値上げをするぞ」と予告され、慌てふためいている。

  そろそろ、私たちは、自分の頭で考え、自分の考えを深め、政治に関心を持ち、モノではなく、知恵を使って豊かに生きたいものだ。

  欲望は、次の欲望を生み、際限がない。知恵は金もかからず、その気になればいくらでも湧いてくる。そして、豊かさにつなげようとすればできないことではない。 

(日記 午前中、本番用の紙芝居脚本づくり。図書館で借りた『紙芝居―子ども・文化・保育(心を育てる理論と実演・実作の指導)』を読んで、紙芝居の作り方について考えを新たにした。午後は、追加分の絵を描いた。また、このノ-トパソコンの不具合をY君に直して貰った。おかげで、再び、こたつの中でブログを書くことができるようになった。)

 
 

一人暮らしを考える

06 2月

安全と健康
  家内が長男の嫁の出産のために横浜へ出かけて2週間。この間、一人暮らしをしている。一人暮らしには厳しい季節だ。それは、たくさんの雪が降るシーズンだからだ。テレビや市の防災無線で盛んに「雪下ろしは二人以上で」と繰り返し放送している。

  一人暮らしで一番気をつけなければならないことは、安全だろう。こたつやストーブを使う季節だから、火の元には十分気をつけなければならない。調理はIHだから炎は出ないが、やはり気をつけなければならない。

  次は食事の面だ。栄養面に気をつけなければならないと思う。野菜の摂取は必須だが、毎日三食とも確実に野菜尾を食べることも出来ない。そんなときのために、パック入りの野菜ジュースを準備している。ただ、間食のコントロールが出来ないときがある。

  除雪については、やはり屋根の雪下ろしが一番の重労働だ。これは、こまめにやるしかかない。地面にある雪は、除雪機があるので苦にならない。と言うよりも、むしろ、楽しいときもある。

  寝る前には、余計な電気が付いてないかをチェックしなければならない。これも安全と節電のためだ。車の鍵、免許証、懐中電灯は決めた場所に置いてから寝ることにしている。

  洗濯は、三日ほどまとめてしている。洗濯物の乾燥は居間の暖房とかねて利用している。加湿にもなるだろう。洗濯機は全自動なので、勝手にやってくれるからありがたい。

  食事の準備と後始末はかなり面倒だ。ご飯は二日に一度、2合を炊けば十分だ。初日は電気釜のごはんを、二日目は、冷凍しておいて解凍しながら食べている。問題は、後始末だ。食器などは、洗剤で洗ってしまっている。冬が一番食中毒が多いらしい。

   起床は午前7時。目覚ましで起きるようにしている。ぼんやりしているとあっという間に、時間が過ぎてしまうからだ。新聞を読んでから、朝食準備。先のことを見通し、今日は何をするかを決めたら、明日以降のことは考えないようにしていいる。追われるからだ。

  テレビは、もっぱらニュースや政治的な番組、特集番組などを生や録画で見ている。ビデオだと、自分の時間に番組を合わせることが出来るし、スピードを速くして見ることも出来る。

  しかし、一人暮らしも飽きてきた。あと一週間で家内は帰ってくるだろう。それまで、何とか家を守り、充実した生活を送りたい。やはり、一番の楽しみは創作活動をしているときだ。今日は何をするかを考えることも楽しい。

新作紙芝居の最終場面。

(日記 午前中、台所や洗濯物の整理と清掃。その後、北部中学校の選択音楽「和太鼓」の指導に出かける。「集中して欲しい。自分を変えて欲しい。」などと話した。そうしなければ、学ぶ意味がないからだ。帰宅してから、昼寝。雪下ろしの疲れが残っているようだ。この頃、紙芝居の本を読んでいる。自分が思っているよりも、奥が深い。脚本の書き方も重要だと分かった。来週は、家内と二人で新作紙芝居を発表する機会があるので楽しみだ。)

 

 

 
 

御法事

05 2月

終日「村の道場」で過ごす
   今日は、村の「御法事」。午前9時半から午後五時まで昼食を挟んで村の道場(寺)で過ごした。午前中、読経があり、その後、市内の法勝寺の住職による説教。午後は戦没者の法要が行われ、その後、再び説教。親鸞聖人の教えを説きながら、様々な話が繰り広げられた。 

   私は、若い頃からかなり道場に足を運んでいる方だと思う。今日、道場に集まったのは、50歳代が数名、あとはほとんどが60歳代、70歳代、80歳代だった。 

村の道場で法勝寺の住職さんの説教を聴く区民の皆さん。

   寺へ来たときには、説教でいろんな話を聞くことができる。私にとっては、自分を見直す機会になるし、普段はあまり話すことのない村の人たちと世間話をすることができて楽しい。 

 私たちの子供の頃は、何かと道場へ出かけたものだ。道場は村の文化会館であり、集会所でもあったのだ。 弁士の付いた無声の巡回映画が上演されたり、講演会や演芸会なども行われたのだ。 

  夏休みなどには、子供達のたまり場でもあったのだ。しかし、今の子供達はどうだろうか。集会所は別にあり、家にテレビやゲームなどもあり、道場へ集まる機会などほとんどない。まして、宗教的な行事となるとなおさらそうである。 

  今の子供達が大人になった頃には、道場での宗教的な行事は、廃れてはいないだろうか。何事によらず、子供の頃からいろんな機会を与えないと、大人になったとき、子供達に何も伝わらなくなる可能性がある。 

  新年度は、地区の人たちに、村の歴史やいわれなどを紹介したいと思う。それと同時に、一見他人のように思える村内の人たちともつながっているのだということを知らせたい。 

  例えば、日中、村で災害が発生したときに、それらに対処できるの都会に出た息子や娘ではなく、福井に勤めている子ども達でもなく、村の中に常時いるいる人たちだ。普段はつながっていないようでも、実はお互いに支え合っているのだ。 

  そのためにも、区民はお互いに日頃から、顔見知りである方がよい。大人も子供もだ。ケネディではないが「村が自分に何をしてくれるかを期待するのではなく、自分は村に対して何ができるかを考えてほしい」ものだ。道場での交流もそういう意味では大切だ。 

担ぎ桶胴太鼓による千手観音の演技。

(日記 午前9時半より午後5時まで村の道場で「御法事」。その後、少し、事務所の駐車場の除雪作業。午後7時より「春駒太鼓」の和太鼓練習。来週の「鹿谷雪祭り」のための練習。それにしても、三度の食事づくりは買い物も含めて大変だ。) 

98円のでかい赤カブ。

スライスした赤カブに漬け物酢を注いで作った「赤カブの酢漬け」。おいしかった。一個の赤カブで一週間は楽しめるだろう。

 
 

減点主義

04 2月

ぼろを出さなければ
   先日テレビでリーダーについて話していた。その中で、失敗を表彰する会社が紹介されていた。この会社は社長の考えによりこうしているのだ。社員は、前向きの挑戦をし、ミスをしても責められることは少ない。

  しかし、一般に、議会のある公務員の世界では、「ぼろを出すことは致命的」という風潮がある。そうした社会では、前向きの意見を出すよりも、ミスをしないことに重点が置かれているようだ。従って、リーダーの言うとおりに事を進めるだけで、自ら新しいことにチャレンジすることは少ない。

  従って、組織としては発展は望めない。また、ぼろさえ出さなければ、それなりに出世もするのだ。無理をしてまで、前向きに新しいことを考える必要はないのだ。しかし、これでは、市民、県民、国民に奉仕するという本務をおろそかにし、自己中心的に世渡りしているだけではないのだろうか。

  それにしても、最近の閣僚は、野党があらを探さなくても、自らどんどんぼろを出すのだから情けない。減点主義以前の問題だ。「ネバー、ネバー、ネバー、ネバー、ギブアップ」と、力説していた野田総理であるが、閣僚の任命責任はどうなっているのだろうか。

  いろんなグループに気を遣って閣僚を任命し、結局、自らの進路を危うくしているように思える。そこで、野党からは、待ってましたとばかりに攻められるのだ。そのうちにギブアップとならなければよいが。

  世の中、特に、若い人を育てようと思ったら、減点主義だけでは育てられないだろう。長所を伸ばす「加点主義」でいかなければならないのではないか。前向きの姿勢、チャレンジ精神、豊かな発想に対しては、積極的に評価するようにしたいものだ。

  私自身の経験からも、失敗を責めるよりも、私のよいところを積極的に評価してくれた上司がいる。私は、自分の恩師をあげるならば、先ず第一にこの人をあげたい。今日の自分があるのもこの上司のお陰だと思っている。

  勝手に行動していた私ではあるが、褒められてどんどん前向きになったように思う。自分では一番苦しい時期だったが、この上司のお陰で充実した教員生活を送ることが出来たと今も感謝している。

(日記 朝一番に車庫の雪下ろし。鉄骨で作ってあるのでつぶれる心配はないが、やはり下ろしておこうと屋根に登った。非常に重い雪であった。その後、事務所の駐車場に融雪のパイプを設置した。水中ポンプで川から水を上げ、穴のたくさん開いたパイプ(昨日、事務所隣の配管屋さんに作ってもらったパイプに自分でたくさんの穴を開けたもの)につないだ。駐車場の雪がかなり溶けた。午後4時より親子太鼓。いよいよ来週の日曜日が本番だ。特に、保護者の方が気合いが入ってきたようだ。もう一ヶ月あればと思うが、そうもいかない。来週は余分に練習時間をとった。)

 
 

恵方巻

03 2月

季節を感じる恵方巻
  我が家では、縁起のよいことを日々の生活の中に積極的に取り入れている。「恵方巻」とは、節分に食べると縁起がよいとされる太巻きのことである。家内が、今横浜の長男の家にいるので、私はそのことをすっかり忘れていた。

  横浜では、太巻きを作ったという。そして、恵方と言われる縁起のよい方向を向いて、無言で太巻きを食べるのである。子ども達が家にいた頃には、みんな同じ方角を向いて黙々と太巻きを食べたものである。

  その太巻きだが、当然、手製のものである。私は、終日雪下ろしをしていたのでそのことはすっかり忘れていた。作業が終わって家内に電話すると、今日は恵方巻を食べる日だと教えてくれた。確か鰯も食べるのではなかったか。

  午後6時を回っていたし、どうしようもないので、近くのコンビニへ行くと、「恵方巻」と書かれた太巻きが置いてあった。早速、買い求めた。自宅へ帰って、風呂に入った後、一人「北北西」に向かって無言で太巻きを食べた。その間、家族の幸せを祈りながら。

  迷信だと笑う人もいるかもしれないが、私はこうした行事を大切にしたいと思う。家族が、一緒に太巻きを作るなんて素晴らしいことではなかろうか。みんなが、幸せになるように、祈りながら、同じ方向(恵方)を向いて食べるのだ。微笑ましくもある。

  「ああ節分が来たのか」と季節を感じることもできる。「天神講」で子ども達が賢くなることを祈りながらカレイを食べたり、「半夏生」に焼き鯖を食べたり、「冬至」にカボチャを食べたり、「鏡開き」にぜんざいを食べたり、……と、季節、季節のこうした行事を大切にしている。

  それぞれの行事には意味があるのだ。少し性格は異なるが、「家族の誕生日」を祝ったり、「父の日」「母の日」を祝ったりと、年がら年中、何かの家族行事があり、そうした行事を機会に家族の親睦を深めるのに大いに役立っていると思っている。

(日記 午前10時より、午後6時までもっぱら除雪作業。時々車を置かせてもらっている事務所のお隣さんの駐車場も除雪機で雪を飛ばした。その後、事務所の駐車場の除雪作業。昼食を食べる時間ももったいないので、コンビニで肉まんなどを買って済ませた。午後から、事務所の屋根の雪下ろし。雪が締まっていて大変だった。かなり時間がかかった。その後、農作業小屋、そしてキウイ棚の雪下ろし。昨日と今日の連続作業なのでとても疲れた。作業後、一人で「恵方巻」を食べた。後は、自宅の駐車場の屋根の雪下ろしをすれば、全て終わることになる。後一日頑張ろう。)

 
 

手伝いと役割分担

02 2月

終日雪下ろし
  午前9時から大屋根に上がって雪下ろし開始。前回は大屋根は先端の方の半分しか雪を下ろさなかったが、今日は全面下ろすことに開いた。北側全面と南側の半分で昼になってしまった。

  夕食後、30分だけ休憩して再び大屋根に上がり南側の残りを下ろした。その後、下屋の雪下ろしを行った。上から落ちている雪もあって下屋の雪は固くて疲れた。

  その後、小屋(車庫兼倉庫)の雪下ろし。一度も雪下ろしをしていなかったので雪の量は多く、握力もなくなってとても疲れた。この時点で、.午後4時半。その後、道路に落ちた雪を除雪機で片付けた。作業が終わったのは午後5時半だった。疲れたが、満足であった。

  もしもこれが手伝いだったらどうだろうか。半日でいやになってしまっただろう。我が家では今は雪下ろしは私の仕事だ。しかも、誰にも手伝ってもらえない。従って、朝起きたときから、大雪警報も出ているので、雪下ろしだと決めていた。

  ラジオで音楽などを聴きながらの作業だった。疲れ切ったが、予定の作業を終えた満足感と、心地よい疲労感。これは私の仕事だから、淡々とやるだけ。我が家の屋根の上から村の屋根を見ると、雪下ろしをしているのは、私とアパートの屋根の雪下ろしをしている業者だけだった。

雪下ろしを終えた我が家(左)と車庫(左奥)。大仏殿の屋根も見える。

  「手伝い」と「役割分担」は全く異なる。これは大人の話ではない。子どもから大人まで、家庭で自分の役割を持つことは大切だと思う。自分の仕事となると、いかに要領よく終えるかだ。幼稚園児でも、例えば玄関の「靴を並べる仕事」を分担することが出来る。

  家庭で年齢に応じた自分の役割があって、初めて家庭の一員としての自覚が生まれるのではなかろうか。家庭で居場所が出来るのではなかろうか。これは私の持論である。私の子ども時代には、家庭で役割を持つことは当たり前であった。風呂を湧かしたり、馬のえさを作ること、夏休みには大師山の裏から薪を担いで来ることなどたくさんの役割があった。そして、農繁期の手伝い。

 「手伝い」と「役割」の違いをどれだけの人が理解してくれるだろうか。

(日記 終日雪下ろし。そして、 夕食は、一人で焼き肉。ビールを飲んだ。充実した一日だった。出来る間は苦にせず、自分の仕事としてやりたい。腰が痛くなるのではという心配はあるが。)

 
 

国会中継より

01 2月

八ッダム建設再開の顛末
 作業をしながら国会中継を聞いていた。聞いているうちにどんどん腹が立ってきた。もしこの国会中継を多くの国民が聞いたら、どうなっただろうか。幸か不幸か、中継は平日の午前午後のために、多くの国民は仕事で聞くことができない。
 
  一例をあげると、八ッ場ダム問題だ。民主党はかねてから八ッ場ダムの建設中止方針を国民に訴えていた。しかし、昨年暮れに野田内閣は「建設再開」を決めたのだ。
 
  今日の質問ではその点を突かれていた。またしてもと言うべきか、予想通りに民主党の方針を強引に変更した影には国土交通省の官僚がいたというのだ。
 
 八ッ場ダムの本体工事は鳩山内閣時代に民主党のマニフェスト通りに凍結された。その後、当時の前原国交相が省内に有識者会議を設置して国の直轄ダム事業全体の見直しを指示したのだ。
 
  そして、予想通りと言うか、建設を担当する同省関東地方整備局が昨年まとめた「八ッ場ダム建設事業の検証に係る検討報告書」の中で、環境得への影響や治水、利水の面から考えて八ッ場ダム案を建設することが妥当であるとされたのである。
  この結果、建設続行画が打ち出されたのだ。今日、野党の議員が問題にしていたのは、事業再開の調査を行なった7社すべてに、国交省OBが天下っていたということである。
  これでは、どのような結論が出るかは明らかである。設計などダム関連事業を受注して仕事をしたい国土交通省のOBが、「民主党の言うとおり建設中止は妥当である」などという結論を出すはずがない。
  事業を継続したい国交省が、天下りのOBがいる企業と「ダム村」を作っていたと言われても仕方がないであろう。しかし、答弁たるや学芸会の劇のように淡々と「調査は正当に行われていた」と答えるばかりである。誰が信じるだろうか。

  「出でよ!真のリーダー!」時代は真のリーダーを求めている。今のままでは政治不信は続くばかり。増税なんてとんでもない。国会中継を聞いていると、人材難だなあと思ってしまう。

Kさんに左義長の笛を習う「春駒太鼓」のメンバー。(於:私の事務所)

(日記 午前中は、幼児用の紙芝居の絵を描いた。午後は、事務所の駐車場の除雪作業。除雪機でやると楽しい。除雪作業を終えて、再び絵を描いた。1、2歳児を意識してのものだ。そう言えば、今日の福井新聞に、紙芝居のよさが見直されているというような記事があった。同感だと思う。午後7時半より和太鼓の練習。際世に左義長太鼓を練習する。今日は、親子太鼓の保護者であるKさんがメンバーに笛を教えに来てくれた。どうにか、伴奏入りで左義長ばやしが出来るようになった。 )