音楽に夢中になったあの頃
大学時代、私は入学するとまもなくバンドができないかを考え、寮の仲間とバンドを作る話ばかりしていた。そして、1学年上の先輩達と軽音楽同好会を創設した。
卒業後、元のメンバーと近所の者やいとことバンドを組み、三国、福井、鯖江などのショッピングセンターへ出かけて演奏をしたこともあった。
その当時は、高校の数学教師であったが、バンド活動にも夢中になっていた。さらに、高校生達ともバンドを組んだ時期もあった。それぞれが仕事に忙しくなったために、バンドは解散し、家族でバンドを組んだ時期もあった。
その後は、コンピュータミュージックに夢中になった。そして、演歌や民謡をCDにして楽しんでいた。でも、いつかは再びバンドを組みたいというかすかな夢は持ち続けていた。
何十年間かブランクがあったが、後輩達に勧められて、大学の軽音楽同好会のOB会が静岡で開かれるのを機会に、バンド活動を再開することになった。
今日も、その練習があった。私の事務所のスタジオへ集まってきたのは、福井、春江、大野からのメンバーであった。知っているのは、ただ一人だけだったが、みんな旧知の間柄のごとく親しくなった。
全部で5曲演奏することにした。1曲は、ハワイアンで「南国の夜」。1曲はラテンスタイルで「コーヒールンバ」。2曲はモダンジャズの「危険な関係」と「モーニン」だ。残りの1曲はハワイアンで未定。
私の担当は、ハワイアンギター、クラシックギター、キーボードの予定。大学時代は軽音楽同好会の初代ドラマーだった。しかし、ドラムをする者が沢山いるので、後輩達に譲りたい。
みんなで、合奏していると、本当に楽しい。青春時代がよみがえる感じだ。OB会が済んでもバンドは続けたいと今のメンバーは思っているようだ。私も、そのつもりでいる。
そんなに上手ではない「おじさんバンド」だが、楽しむことにつけては誰にも負けないだろう。チームワークもよさそうだ。知り合った縁を大切にして音楽を楽しみたい。
(日記:午前中、抜糸のために福井のY整形外科へ行く。リハビリはとても痛いが、指のためには我慢しなければならない。指が動いての楽器だからだ。午後は、春江町中庄地区の「中庄小三郎音頭」の振り付け図を描いた。その後、ジャガイモ掘りを傍観する。手伝いたくても何もできない。午後7時より「おじさんバンド」の練習。練習したりだべったりで楽しかった。)