さつきの見える部屋で
勝山城博物館の館長である深谷館長のお宅で、花中会の研修会があり、そこで紙芝居『白山平泉寺物語』を初めて演じた。読み手と絵の入れ替えは妻春美が、私はギターでBGMを入れることと、一部の男の会話部分を担当した。
平泉寺850年あまりの繁栄の歴史とその後の平泉寺を紙芝居にしたが、皆さんに理解していただくにはかなり苦労した。紙芝居だけに上演時間は30分が限度と考えて場面を構成した。
自宅で二度練習し、六時から本番だった。終わった跡、いろいろ感想を聞かせていただいた。皆さん好意的に捉えて下さったようで安心した。
紙芝居を制作しながら考えたことは、平泉寺の存在感の大きさだった。信長や秀吉、徳川幕府等も、平泉寺にはそれなりの扱いをしていたようである。もちろん福井藩や勝山藩も同様であった。
平泉寺が一向一揆に破れたあとでも、江戸時代の間は、それなりの扱いを受けていたようだ。それまでの平泉寺の存在を無視できなかったのではないかと思われる。
紙芝居を見ていただいた後の参加者の皆さんの感想は、「平泉寺というとこけが素晴らしい」、「菩提林が素晴らしい」等しか思いつかなかった人でも、「平泉寺の知らなかった部分が少し分かってきた」と言って下さった。
また、上演時間は三〇分ちょっとだったが、「夢中で見ていたのでとても短く感じた」と感じたと言っておられた。もう少し改善して、これからも夫婦で紙芝居『白山平泉寺物語』を上演していきたいと思う。世界遺産を目指す平泉寺なのだから。
(日記:午前中、妻・春美と紙芝居の練習。午後も一度練習して、午後3時過ぎに会場となる深谷邸へ準備に行く。午後6時から元町周辺の女性の会・花中会で紙芝居『白山平泉寺物語』を初上演。その後、会員の皆さんと会食。途中で、皆さんと歌を歌った。私はアコーデオンで伴奏をした。楽しい時間を持つことができた。途中でみなさんの“最近はまっていること”を聞かせていただいた。興味深かった。充実した一日だった。家内もそう思っただろう。デジカメを持って行ったが、写すことができなかった。どなたかが写しておられたので、データをいただけたらと思う。)