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Archive for 1月, 2011

パソコンの危うさ

21 1月

情報格差とは
  私はパソコンをよく使っている。便利な反面、相手が機械であるだけに、思わぬ故障や操作ミスから動作不能となることが少なくない。

  新たな仕事ができなくなるばかりでなく、それまで作製したいろんな資料などが全く使用不能になってしまう。現役中は、近くにトラブルに強い担当者がいたために、仕事中は何とかなったが、退職した今は環境が変わってしまった。

  私の場合、かつては息子(今は東京勤務)が、今は息子の友達が助けてくれるのでどうにかなっているが、そうした環境にない人たちはきっと苦労するだろうなと思う。

  高齢者や初心者に対する取っつきにくさ、価格、危うさ、複雑さなどから、情報機器を使いこなす人たちと層でない人たちの間にどんどん格差が広がっている。

  情報格差とは、情報技術(IT)を使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる格差と言われるが、この差はどんどん大きくなり、二極化していくように思われる。

  世の中は、情報社会になり、いろんな情報がITを通してしか収集できなかったり、いろんな申請がパソコンによってしかできなかったりするなど、役所を始めあらゆる分野で進んでいる。

  情報機器を使いこなせない人たちは、時と場合によっては有用な情報を入手することができなくなることが多くなるだろう。

  私は、パソコンに関して、お先真っ暗になるような事態に何度も遭遇している。しかし、パソコンの恩恵にも浴していると思っている。

  このブログによって、東京、大阪、福井に住む私の子供たちは、われわれ両親の情報を得ているようだ。また、このブログによっていろんな人たちと知り合いになることもできた。

  これからは、情報技術だけではなく、あらゆる分野において、二極化していくように思われる。それは、暮らしやすい世の中になるというよりも、不安定な世の中になって聞くように思われる。

(日記:午前中、パソコンの不具合と「数学のホームページ」作りの疑問点を聞くために、Y君に来てもらっった。新たなことがわかってよかった。感謝。その後、午後も含めて数学のホームページ作り。)

 
 

雪下ろしをしながら

20 1月

連日の降雪
  この頃毎日雪が降っている。一度に降る量はたいしたことがないが、毎日毎日降り続くと放置しておく訳にはいかない。一つは、自分の足の確保、つまり、車を確実に使えるように家の周囲を除雪しておくだ。

  ブルが来てくれることによって、車の走る道路は確保される。しかしながら、家の入り口に堅い雪を置いていく。これを取り除かなければ、車は道路へは出られない。特に私の事務所は、歩道を隔てて国道に面しているので、除雪車がひっきりなしに走る。

  そして、入り口に圧雪を置いていく。この堅い雪と歩道の除雪をしなければ事務所へ車を入れることができない。雪が降る度にこの作業は欠かせない。運動だと思ってやってはいるがかなりの重労働だ。高齢化していくと除雪作業は困難になるだろう。

降る雪の中で事務所の雪下ろし。かなりな運動量だ。腰が痛くなった。

  もう一つは、屋根の雪下ろしだ。道具は、昔と比べるとかなり進化して、軽くはなったが、屋根の除雪は人力に頼るしか方法がない。一度目の除雪は、屋根から下へ下ろすだけだが、2度目以降は下ろした雪が軒先につかえてしまう。下ろした雪の方が、軒先よりも高くなることもある。

  瓦でない屋根は滑り落ちてうらやましく見えるが、滑り落ちる場所を確保できない人には無理なことだ。また、危険でもある。従って、簡単には真似をすることができない。

  新潟の山間部の人たちはもっともっと大変そうだ。降る雪の量が違う。おまけに、若い人たちは都会へ出て行ってしまって高齢者が雪下ろしをせざるを得ない状況になっているのは悲惨だ。特に、今年は除雪中に事故を起こした高齢者が全国的にたくさんでた。

  雪を克服するための、建物のあり方を真剣に考えてもよいのではないだろうか。高齢者が屋根へ登らなくてもよいような屋根に改造することができないのだろうか。屋根に融雪装置を取り付ければいいのだが、現時点では高価すぎる。エネルギーをあまり使わない方法をみんなで考えるべきではなかろうか。

  家の周辺の流雪溝も、計画的な都市作りの一環として考えるべきではなかろうか。除雪道具も、もっと効率のよいモノを考えられないのか。新潟の山間部の高齢者の人たちが安心して暮らせる克雪法をみんなで考えられないのか。

  事務所の屋根の雪下ろしをしながら、考えていた。豊かな自然の中で安心して暮らせる地域を作るために、知恵を出し合わなければならない。そうでなければ、過疎化はますます進み、国土は荒れてしまうだろう(少し大げさかな)。

(日記:午前9時過ぎより事務所の雪下ろし。午後は、自宅の大屋根の雪下ろし。その後、下屋の雪を下ろしたら、下ろした雪が軒先につかえてしまった。このままでは、雪が沈んだときに、屋根が折れてしまう。それで、軒先を雪の中から掘り出した。これは重労働だ。3時過ぎから再び事務所へ行き「数学のホームページ」づくり。腰が痛くなった。)

 
 

継続は進歩、中断は振り出しに

19 1月

いくつになっても
  屋根の雪下ろしの初日のことだった。しばらくすると腕が疲れて力が出ず、作業の能率は著しく落ちてしまった。年齢から来るものだろうと思っていたが必ずしもそうではないようだ。

  今日も車庫の雪下ろしをしたが、これまでほど腕が疲れなかった。午前10時から午後2時まで途中で「2連梯子」を買いに行く以外はずっと屋根の上にいた。

  昼食も、屋根の上であんパンをかじって作業を続けた。疲れるには疲れたが、この前ほどではなかった。そこで屋根の上で考えた。

  これはどんなことでもそうだ。次のように考えた。

 ・継続すればどんなことでもわずかながら進歩すると思っている。
  (ただし体力面では衰えのスピードを遅くすることができる。)

 ・中断は、振り出しに戻る。
  (そこで停滞するのではなく、一気に振り出しに戻ってしまうのだ。)

 自分が今取り組んでいるいろんなことでも、少し中断すると本当に振り出しに戻ってしまいかねない。振り出しに戻らないようにするためには、色々工夫がほしい。

車庫兼小屋の雪下ろし。高いところ(2階建て)は怖い。でもいい運動になる。

  技術的なことは、練習しかないが、パソコンの活用に関しては忘れないようにメモをすることだと思って実行している。若い頃と比べると確実に記憶力葉衰えている。

  素直に受け止めて、「継続」を頭に置き、楽しみながら何事も頑張りたいものだ。

(日記:午前10時頃から午後2時まで車庫の雪下ろし。午後3時から、歩いて事務所へ出かけ、数学のホームページ作り。これは継続しているために、わずかながらも進んでいると思っている。夜、NHKの朝ドラマ『てっぱん』を三回分見る。まだ、10月上旬の分だ。家族のあり方について考えさせられる部分が多い。)

 
 

パソコンの故障に思う

18 1月

もしも停電になったら
  昨日パソコンが故障した。マウスポインターが2,3㎝前後左右に振動してソフトを立ち上げられないのだ。夜、10時頃いつものY君が福井からの帰りにマウスを持ってきてくれた。そして、メーカーへの対処法を教えてくれた。

  パソコンが故障した場合先ず思うことは、これまで自分で作ったモノが失われはしないかということだ。これまで作った、数学のホームページなどは、失われたら二度と作れないだろうと思う。

  他にも、自分で作った歌などの生データが失われたら二度と作れないだおる。いつも思う。今のうちにバックアップをとっておかなければと。こうしたことも、危機管理の一つだと思う。

  パソコンの故障も私にとってはショックだが、もしも何かの都合で停電になったらどうなるだろうか。オール電化では何にもできず冬なら凍えてしまうだろう。

  せめてもと「電気を使わないストーブ」と「ガスコンロ」だけは準備してある。これで、しばらくは寒さをしのぎ、最低限の調理はできるだろうと思う。文明が進み過ぎると弱点も多くなるように思う。

  学校や役所勤務の時代は、危機管理は「いの一番に対処しなければならないこと」だった。「危機の予兆を見つけられるのは複数の目だ」と繰り返し言ってきたが、家庭人としても、危機管理は大切なことだと思う。

  ただ、一口に危機管理と言っても、防災だけの問題ではない。ソフト面や人間関係なども含めてあらゆる分野に渡っている。火災報知器は5個、常備灯も数個つけてはいた、雪に対しては不覚であった。これも授業料か。

(日記:午前中、久々に部屋の整理整頓。除雪作業。永平寺町往復。今日はあまり雪が降らなくてよかった。夜、久々にNHK朝ドラマ『てっぱん』をみる。私は、NHK大河ドラマとこの朝ドラは必ず夫婦で見ることにしている。今日の『てっぱん』は10月1日から3日の三回分を見た。『龍馬伝』は最終回だけがまだ見ていない。もちろん『江』はまだ一回も見ていない。)

 
 

除雪機は必要か

17 1月

駐車場の除雪は重労働
  夜、オカリナ教室があるので事務所の駐車スペースを確保するために除雪を始めた。新雪がたくさんあってなかなか大変だった。平地の雪を動かすのは重労働だ。

  自分の車のスペースだけなら、どうと言うことはないが、数台分となるとなかなか大変だ。おまけに雪を捨てる川がない。平地を移動して雪を高く積み上げるのは、特に重労働だ。

1時間ほど除雪しても、この程度。これでは、1台も駐車できない。その後も悪戦苦闘だった。(山児童館)

  年齢を考えても、そろそろ除雪機を購入する時期か。1年の内、ほんの数回しか使わないかもしれないが、それでもあった方がいいだろう。我が家の両隣も自家用の除雪機を持っている。

  どれぐらいの大きさが我が家に適当か。冬はどこに置き、夏はどこにしまっておくのか、色々考えることがある。和太鼓指導の帰りに、農機具販売店に行き、除雪機について話を聞く。

 「今買おうとしても、今月中には手に入らないだろう」とのことだった。あれこれ必要なモノが出てくる。これでは、断捨離どころかモノがどんどん増えてしまう。

(日記:午前中、除雪作業。オカリナに使う曲の編曲。午後は、北部中学校で和太鼓の指導。夜は、オカリナ教室。また一人受講者が増えた。ボチボチ出番もありそうだ。パソコンの不具合で、ここ数日かけて編曲していた曲がオカリナ教室で使えなかった。)

 
 

終日雪と格闘

16 1月

気の持ちよう
  さて、「今日は、何をするか」を昨日から決めていた。午前中は明日の教室のためにオカリナの編曲。そして、午後は、事務所で『数学のホームページ』づくりと。

  朝食前に、外へ出て、「雪のために車の出入り口がどうなっているか」を調べようとして愕然。二回の屋根の垂木が折れているではないか。不覚。予定変更。今日は終日雪下ろしだ。

  早速、雪下ろしを開始。先ず、下屋の屋根の雪を下ろしを開始。腕の力のなさを痛感。ある時期までは、腕の力はあると自負していた。

  高校教員時代は、ハンドボール投げでは、野球部の一部の生徒を除いて誰にも負けなかった。ベンチプレスはほとんどの高校生に負けなかった。

  地区の相撲大会でも、右手でまわしを取れば簡単には負けなかった。しかし、今は全く腕の力がない。すぐ疲れてしまうのだ。筋肉のスタミナがないのだろうか。

雪下ろしを終えた我が家。雪が今にも屋根に届きそう。もう一度下ろしたら、屋根より下ろした雪の方が高くなるだろう。

  雪下ろしに使う昔のスノッパーは今のモノに比べるとはるかに大きく、鉄製で重かった。それを屋根で振り回すだけの腕の力はあったが今は見る影もない。

  下屋の屋根の後、大屋根に登り屋根を端の雪を落とす。これまでなら、簡単に一周できたのに、途中で休まなければならなかった。

  そして、再び上から落ちた雪を除くために下屋の雪下ろし。朝、9時頃から始めて、午後5時までたっぷり時間がかかった。

  それでも、これだけの時間や屋根の雪下ろしができたのだから、よしとしなければならないだろう。人間、気の持ちようだ。今日の雪は本当に堅かった。

  雨が降ったり雪が降ったり、猛烈に冷え込んだりして雪がかちんかちんに凍っていて、作業は困難を極めた。それでも、作業を続けられたのだから、悲観ばかりもしてはいられない。

 午前中、村の同級生だった大工のOさんに電話で屋根を補強してもらうよう頼んだ。午後、材料を持ってやってきて補給してくれた。春には本格的に修繕しなければならないだろう。

  家にいながら全く不覚であった。これからは、気をつけたい。まだまだ大丈夫と思っていた自分が甘かった。疲れた一日だった。

(日記:朝から晩まで雪下ろし。夕食後、オカリナの編曲。楽しい作業だが時間はかかる。今日は雪を見ていたせいかいつもより目が疲れる。)
 
 

時間の感覚

15 1月

現役時代との違い
  この頃、土・日の来るのが早く感じる。仕事を持っていた時代は、あっという間に月曜日が来るという感じだった。なぜだろうか。

  今は、義務的な仕事が土・日に集中しているからだろうか。今は、平日が自由で、自分中心に時間を過ごすことができるが、様々な行事は土・日に多い。

  そこで、何となく、月曜日になるとほっとする。平日は、時間の割に義務的な仕事は少ないので、時間は自分の思う通りに使えるからだ。

  自由時間の少なかった現役時代(本当は今も現役のつもりでいるが)は、自由時間と言えば、夕食後と仕事のない土・日の一部だった。

  今は、休日と平日が逆転しているから、土・日が早く来ると感じるのだろうか。しかし、今は時間がたくさんあるので、時間の無駄も多いようにも思う。

  “一年の計は元旦にあり”と言われるように、今年は何をするかをおぼろげながらも、考えておかなければならないと思っている。突然いろんなことを頼まれて、自分の時間の時間を見失いそうになるからだ。

  私が退職に当たって“為すべきだ”と思っていたことは、
 ・地域(社会)のため
 ・家族のため
 ・自分のため
の三つであり、このバランスはこれからもとりたいと思う。

(日記:午前中、遅く始動して数学のホームぺージづくり。昼食は2時頃。午後も作業を継続。途中で運動を兼ねて、自宅と事務所の除雪作業。)

 
 

和太鼓指導再開

14 1月

勝山の子供なら
  いよいよ来月は、勝山の左義長祭りが行われる。今、和太鼓を教えている北部中学校の生徒達は、左義長のある町内ではない。左義長は旧勝山町の一部の町内で行われる祭りだ。

私の地のリズムに合わせて左義長の基本練習。

  しかし、近年は、左義長には関係のなかった村部の子供達も櫓へ上がるようになった。私の末娘もそうだ。高校時代に現保存会長のKさんの指導を受けた関係でずっと櫓へ上がらせていただいている。

  今日は授業時間割の変更で、急に和太鼓の授業があった。勝山の子供で、和太鼓を練習する者なら、一度ぐらいは左義長太鼓を体験してもらいたいと思い、簡単な譜面を持って北部中学校へ出かけた。

  これまでの太鼓と違い、左義長太鼓は個人プレイだ。他人と合わせる必要がない。とにかく、音楽に合わせて、乗って叩くことが大切なのだ。浮かれて叩くことがとても重要だ。

みんな並んで、左義長の基本のリズム練習。

  浮かれるために一番邪魔になるものは「羞恥心」であろう。恥ずかしさを乗り越えたときには、始めてよい演技ができるものだ。中学生達は、時間が進むにつれてリズムに乗り始めた。

  次回も、左義長ばやしを練習するつもりだ。一度ぐらい、ユニフォームである襦袢を着せてあげたいとも思う。3,4回の練習でどの程度できるようになるかはわからないが、楽しんで体験してもらえたらと思う。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。午後、北部中学校へ和太鼓の指導にいく。よる。オカリナ曲の編曲。)

 
 

シャドウ・キャビネット(影の内閣)

13 1月

内閣改造
 この一年、新政権は何をしようとしていたのだろうか。毎日毎日繰り返される政局、同じような問題で行きつ戻りつしている。政策論争はほとんど聞かれない。

  私は、シャドウキャビネット(影の内閣)に興味を持っている。ご存じのように、シャドウキャビネットとは、野党が設置する政策立案機関のことで、イギリスなどでは制度化されている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・(インターネットより)・・・・・・・・・・・・・
  イギリスでは野党第1党の党首が、陰の首相に就任し、党所属国会議員から影の閣僚を任命して影の内閣を組織する。影の内閣は、政府・与党の内閣と対する組織として存在し、議場では与党と野党が相互に向き合う形になっている。

  健全な議会政治において、政権交代と野党の政策立案能力が必須であるという考えに基づき、影の内閣は公職とされ、その運営には予算が計上され、議会内に影の内閣専用の執務室が提供される。

総選挙で野党が勝利し政権を奪取した場合には、影の内閣のメンバーの大部分はそのまま新内閣の大臣に就任することが一般的である。
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  イギリスがうまくいっているかどうかはわからないが、日本流にシャドウ・キャビネット(影の内閣)をきちんと制度化して、野党として相手を非難するだけではなく、責任を持った政策を立案し、論争を展開してほしい。

  2大政党制を日本に根付かせるならば、シャドウキャビネットを制度化して、すべての分野において野党はどんな考えを持っているかを国民の前に明らかにしてほしいと思う。

  今のままでは、打撃練習しかしない野球チームのようなものである。いざ守備についたら、ルールも知らなきゃ技術もないではすまされない。「海兵隊の役割を知らなかった」と言う総理。自衛隊を「暴力装置」と言う官房長官、「二つの言葉さえ知っていれば大臣は務まる」と支持者の前で堂々と発言する大臣など、国民はあきれてしまっている。

  いつでも、自分ならどうするかというビジョンを持っていただき、この大変な時期を乗り切るためにも、本当の意味でのシャドウキャビネットの制度を日本にも根付かせてほしい。政治不信を払拭するためにも切に願う。

(日記:早朝から異常な腹痛に襲われた。尿管結石や腎臓結石の時の痛みと同じだった。口では表せない痛みだ。午前中は、自宅でオカリナ教室の準備で、編曲作業をする。午後は、事務所で数学のホームページ作り。夕食後、再び、オカリナの編曲作業。カラオケをつくり、二部合奏にするのだ。予定の6割ほどしかできなかった。)

 
 

マニュアルの難しさ

12 1月

複雑化するソフト
  いろんな製品にマニュアルがついている。複雑な機械や器具になればなるほど、マニュアルは厚く難しくなる。携帯のマニュアル一つとってみても、かなり厚いものが付いている。 

  しかし、携帯の場合は、マニュアルのすべては読めもしないし、読みたくもない。最低限の使い方ができればそれでいいと思っている。相手と話すことができて、メールが打てて、目覚ましが使えればそれでいいからだ。 

  しかし、私が使っている音楽ソフトとなると、今度は、いろいろな機能を使いたいのに、マニュアルが理解できないのだ。先ず、中に出てくる言葉の意味が、理解できないからだ。 

  こんな状態なのに、昨年の4月に音楽ソフトのバージョンを上げた。購入して10ケ月になろうとしているのに、まだ新しいバージョンのソフトを全く使っていない。 

  今まで使ってきたバージョンもまだ十分理解できていないというのに、新しいものを手にして、これから一年で、最低限、必要な部分だけでも理解したいと思っている。せめて携帯のように。 

  話は変わって、私はこれまで、音楽ソフトを使って、演歌、民謡、ビデオのBGMなどを作ってきた。特に、歌の場合には、完成したカラオケ(伴奏)に合わせて歌を吹き込まなければならない。 

  今のところ、吹き込みは、主に二人の方にお願いしている。歌の上手な若い人もスカウトしたいと思っているが簡単ではない。それは、若い人向きの歌を作れなければならないからだ。しかし、若い歌作りにはチャレンジしたい。 

  ところが、コンピューターの世界では、人口音声ができている。まだ人間には比べると「ぎこちなさ」があるが、それがかえって受けている。そんなソフトの一つが「初音ミク」だ。若い女性の音声ソフトだ。 

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合成音声ソフト『初音ミク』

 

  ※初音 ミク(はつねミク)とは、音声合成ソフトの製品名、およびキャラクターとしての名称である。ヤマハの開発した音声合成システムを採用したボーカル音源の1つで、メロディーと歌詞を入力することで合成音声によるボーカルパートやバックコーラスを作成することができる。
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   このソフトを買って、「ぎこちなさ」を逆に生かした曲を作れないかと思っている。アイディアはあるが、はたして、このソフトを使いこなせるかが問題だ。かなり本気で考えてはいるが、マニュアルを使うこなせるかだ。 

  私は、パソコンは「創作」のツールだと思っている。しかし、創作のためのソフトを使おうとすると、マニュアルの壁を乗り越えなければならないが、いつも苦労している。 

  もう少し若かったらと悔やむこともあるが、若いときに比べて、時間だけはあるので、あきらめないでチャレンジしてみたいと思う今日この頃である。 

(日記:午前中、歯医者へ行く。午後、友人が来て3時間ほど話し込む、彼も退職者だが、ヒップホップダンスなどに夢中だ。その後、少しだけ、数学のホームページづくり。)