夢中に生きたあの頃
今日は一日、自宅にある諸々の収集物の整理をした。自分の高校時代の写真、大学時代の写真、社会人になった4つの学校の写真などが、次々出てきた。
夢中になって生きていたあの頃の自分が愛おしい。
考えてみれば、「人生とは、後戻りの出来ない時間の道を進んでいる」ようなものだ。ただひたすらに前へ進むだけである。そしてとうとうこの年になってしまった。
あちこちで出会う高齢者の方々も、それぞれに青春時代があり、壮年時代があったのだ。ある意味では、時間の道は残酷なものである。後戻りが出来ないのだから。
しかし、時間の進み具合は、全ての人にとって全く同じである。全ての人にとって平等であるとも言える。
この後戻りの出来ない時間の道を歩まなければならないのなら、それぞれの場所でゆっくり周囲を見ながら進みたいものである。
写真を見ると鮮やかに蘇るあの頃
いろんな収集物を整理していたら、高校時代に描いた漫画が出てきた。私は本当に漫画家になりたかったのだ。漫画を描くためにlかなり学校を休んでしまった。
高校時代には、大黒柱の父親がなくなり、現金収入が途絶えて、家庭は、超貧乏だったのだ。そのために、賞金を稼ぎたくて漫画を描いていたのだ。しかし、世の中そんなに甘いものではない。結局一円も稼ぐことはできなかった。
奨学資金でやっと高校へ通うことができたぐらいの貧しさであった。そんな高校時代の写真などが、たくさん出てきた。そんな中で、当時描いた漫画もいくつか出てきた。
もうあの頃へ戻ることはできない。ひたすら時間の道を前へ進むだけである。しかし、まだ私にはいくらかの時間が残っていると思っている。これからも、創造的に生きて生きたいものである。
当時の写真などを見ながらの整理であるために、遅々として進まないが、これはこれでいいと思っている。
生きるということは
後戻りのできない 時間の道を
時には 遠くの山々を
時には 道端の草や花々を 見つめながら
友と語らい 季節を感じながら 歩みたい
生きるということは 自分の言葉で語ること
いつか届くはず 私のメッセージ
いつか届くはず 君の胸に
生きるということは 行動すること
たとえ嵐が来ても 耐えられるはず
生きてる証(あかし) 得られるはず
情熱はいつか 周りの人に伝わるはず (以下略)
(日記:一日、物置の整理。夜、横浜に住む息子の家族とウェブカムを楽しむ。家内は、孫とあやとりを見せ合っている。)