「攻めること」の気楽さ
参議院議員の選挙の結果が出た。「オウンゴールで民主党が、敗北しただけで必ずしも野党が勝ったとは言えない」というマスコミの論調もよく聞かれた。
考えてみれば他人の弱点を攻めることは容易だ。政治の世界では、与党の欠点を攻めるのは比較的楽だ。元与党以外は攻められることがない。ただ、攻め続けていればそれでよいのだから気楽だ。
税の問題(財源の問題)、防衛の問題(普天間の問題)、教育・介護・福祉の問題、年金の問題、そして、疲弊する地方の問題、地方分権、景気の問題(経済の問題)、公務員制度改革、……、各政党が、特に野党がこれらに対してどのような考え方を持っていたのか、私も含めてほとんどの国民は理解しないまま、投票したのではないだろうか。
攻める側は、もっぱら相手の弱点を攻め続けていればそれでよいのだ。野党でいる間は、何をどう言おうと、自由だ。しかし、与党になったとたんに、ありとあらゆる問題の解決が迫られ、至る所で未熟さが露呈することになる。
野党時代にかなり無責任に与党を攻めていたことが、いざ与党になってみるとそう簡単に物事が進まないことに気がついて、前言取り消しとなる。自己矛盾が当たり前となる。国民から見れば、政治不信以外のなにものでもない。
「参議院」の役割とは
世の中、多様な考えがあるのは当たり前だ。一つの政党が一枚岩であろうとすると無理が通ることになる。多様な考えがあって当たり前なのだ。かつての「郵政選挙」のように、考えの違うものを追い出した上で、刺客までおくる陰湿さだ。
いろいろ議論を尽くして最も国民の幸福に繋がる政治を行ってもらいたいものだ。何でもかんでも相手の言うことを反対するのでは、外野席としての支持は受けても、いつまでたっても与党とはなり得ないのではないか。
参議院の役割は、自ずと衆議院とは異なるはずだ。薩摩だ長州だ、幕府だと行っている江戸末期に、各藩の下級武士達は藩を越えて手をつなぎ、日本の将来を憂いて国をまとめたではないか。
「出でよ!平成の龍馬!」と言いたい。意見が異なるのは、同じ政党にあっても当たり前だ。まして異なる政党では意見の異なるのは当たり前だ。しかし、政党が異なっても、日本のために手を握れる場面も多いはずだ。
参議院の役割を自覚して、日本の舵取りをしてもらいたい。勝った負けたと言っている場合じゃない。与党になるだけの支持を得て日本の政治を長期にわたって安定させる力を持つまでは、勝者ではないと思う。
(日記:午前中パソコンを」使って画像整理。午後、北部中学校の選択音楽で和太鼓指導。帰宅してからも、パソコンで画像整理。時々テレビをつけると、勝った負けた、責任問題など選挙の話題で持ちきり。日本の国をどうするか等の前向きに話題は少ない。このようなレベルの問題ばかりで、情けない。ニュースには事欠かないと思った。)