もしも遅刻したら
最近、週に一時間、学校へ出かけているので時々現役時代のことを思い出す。その一つに遅刻の問題がある。
高校生にもいろんな生徒がいて十分夜睡眠時間をとっていない生徒や生活が乱れている生徒も少なくない。そうした生徒の中には遅刻するものも少なくない。
一定回数以上遅刻した生徒には、何か指導をしなければならない。そこで学年主任(当時、学年主任は担任をしていた)だった私は「勤労奉仕隊」編成を提案した。
まず、遅刻がなぜていたないのかを生徒達に説明した後、
「今後一定回数(5回だったと思う)以上遅刻した者は、勤労奉仕隊として、学校のために奉仕活動をしてもらいます。もちろん私もみなさんと一緒に活動を行います。」
こうして遅刻した者による奉仕活動が始まった。学校の水路の清掃、グラウンドの草取り、除雪作業など様々な学校美化活動などの奉仕活動を行った。
作業の先頭に私が立っているので、生徒達は多少不服でも、どうにか定められた奉仕活動を全うしてくれた。
協働の効果
遅刻して教室に入る場合には、授業が中断したりして、教科担任や仲間達に迷惑をかけたのだから、その分、学校に対して、他の生徒達に対して罰則というよりも、奉仕活動で償ってもらおうという発想だ。
この場合、私の役割は、生徒達と共に作業をするということだ。夏の暑い日のグラウンドの草取りは決して楽ではない。しかし、いっしょに働く間に、自分のクラスではない生徒達からも生の声を聞くことができる。
「うちの父ちゃんは子どもに全然関心がないんや。学校のことは母ちゃんに任せっきりや」
こんな父親に限って、将来進路を決める時期になると、
「好きなようにすればよい」
と、一見物わかりのよい父親を演じることになる。
しかし、いざ自分で進路を決めようとすると、一番先に文句を言うのもこういう父親だ。高校生といえどもまだまだ子どもだ。
毎日毎日、夫婦げんかをする家族もある。父と祖父母の喧嘩をする家庭もある。のんびりと家で過ごすことができない。朝食を作ってくれない家庭もある。弁当を作ってくれない家庭もある。ついつい、寝過ごしてしまう子どももいる。
何らかの理由で生徒達は、遅刻するのだ。頭ごなしに叱るよりも、いっしょに真剣に奉仕活動をするのだ。「上から目線」で生徒を見下すよりも、暑くても寒くてもいっしょに働くことで不思議な連帯感が生まれるものだ。
こうして「勤労奉仕隊」の子ども達と働きながら、生の声を聞いていると、指導の参考になることが多い。懐かしい思い出だ。
(日記:午前中、日曜日が雨だったので今日に延期になった村の道路沿いの土手に芝桜を植える作業があった。午後、豆の支柱を作り、その後、事務所の部屋の整理。久しぶりに、演歌作りを行った。)