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「すき焼き」の思い出

12 2月

漫画『三丁目の夕日』から
二ヶ月に一度の定期検診のついでに眼科へ寄った。診察室の真ん前にある書棚にはたくさんの漫画の本が置いてある。そこに、たくさんの『三丁目の夕日』があった。

単行本は、読み切りの集まりになっている。その中に一つに10ページ前後の「すきやき」と題したまん画があった。少しリッチな友達の家で“すき焼き”をご馳走になった主人公が、家へ帰って家族に「我が家でも“すき焼き”をしてほしい」と毎日おねだりする漫画だ。

しかし、あまり豊かでない生活を送っている主人公の家ではなかなか“すき焼き”をする余裕がない。両親は子どもの望み通りに“すき焼き”をしてやりたいのだが、家計が許さない。

そして、ずいぶん月日が経過したある日、“すき焼き”が実現するのだ。しかし、その“すき焼き”は、肉が少なく野菜の多いものだった。肉は、友達の家でご馳走になったような牛肉ではなく、豚肉だ。それでも、家族はうまいうまいと言いながら食べるというところで終わっている。

さて,子どもの頃の我が家だが、“すき焼き”を食べる日はまるで祝日のように決まっていたものだ。臼擦りが終わった日(米作りの最終日)と大晦日の2回だ。肉は上等なものではなかった。大晦日に“すき焼き”を食べる習慣は今でも続けている。今はいつでも食べられないことはないが、カロリーの面から普段は敬遠している。時代は変わったものだ。

(日記 自宅を9時半に出発。二ヶ月に一度の定期検診。ついでに眼科でも診てもらうことにした。ドライアイで涙が出るので困っている。その後、芦原温泉へ。ここしばらくの種々の行事の打ち上げのつもりで出かけた。温泉につかり、家内とカラオケを存分に楽しんだ。)

 
 

昨日(経済、経済と言うけれど)の続き

11 2月

自作の歌『昭和の子ども達』より
ずいぶん、昔のことだが、「父さんの子供時代」という詩らしきものを書いたことがある。しかし、子ども達が大きくなって孫が5人になって、「爺ちゃんの子供時代」という感じになってきている。

その中に昭和でなく、今を題材にした「物、物、物」といタイトルのものが出てきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
『 物、物、物 』
物があるから  考えぬ
物あり過ぎて  考えぬ
あるからなくて  なけりゃある

 

昭和時代の託児所の幼児達。(写真提供:朝日印刷)

昭和時代の託児所の幼児達。(写真提供:朝日印刷)

考える暇  与えずに
物を作って  儲けてる
考える暇  ないほどに
物を作って  売りまくる

物に溺れて  物を買う
物に流され  物を買う
物を買うため  働いて
働いてまた  物を買う

気がつきゃ「時」が  流れてる
買えない「時」が  減っていく
貴重な「時」が  過ぎていく
気がつきゃ子育て 終わってる
後でどんなに 悔やんでも
月日はただただ 進むだけ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

完全防寒スタイルで田んぼ道をウオーキング。

完全防寒スタイルで田んぼ道をウオーキング。

「物を買うため 働いて 働いてまた 物を買う」という部分が、昔も今もじ実感としてそう思っている。「買えない“時”が 過ぎていく」というのも同感だと思う。一日一日を自分の合点がいくように生きていきたいと思う。

経済、経済という今の世の中、人に急かされて、人が皆生きていると言えなくもない。豊かさを感じるのは自分の物指しだ。自分らしく生きていきたいと思う。

(日記 午前中、いつものように数学。午後は、家内とウオーキング。田んぼ道を歩き、途中から住宅地をあるいてかえってきた。約1時間半のウオーキングだった。汗が出るくらいの距離だった。)

 
 

経済、経済と言うけれど

10 2月

昭和と今の違い

至る所で経済、経済という言葉があふれている。確かに食べるためにはやむを得ないであろう。しかし、今は必ずしも食べるためにのみ働いているのでもなかろう。日々の贅沢な生活を維持するために働かざるを得ないのではなかろうか。

一部の部分であるが、平成の今と昭和の20、30年代を比べてみるとその違いはよくわかろう。

●平成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昭和・・・・・・・・・・・・・・

(大人の人数にほぼ一台強)・・・・・・・自転車(一家に1台)
テレビ(部屋の数以上=数台)・・・・・・・ラジオ(家庭に1台)
風呂(電気またはガス)・・・・・・・・・・・・・風呂(薪)
電気調理器(炊飯器など数台)・・・・・・・羽釜(薪でご飯を炊き、囲炉裏で煮炊き)
洗濯機・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なし(川でせんたく)
上下水道(あり)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なし(手動式ポンプ・汲み取り式便所)
●冷蔵庫(1台以上)・・・・・・・・・・・・・・・なし
電話(家庭の電話+携帯複数台)・・・・・・・・・・・なし
エアコン(部屋に1台=数台)・・・・・・・・・・・なし(暖房は炭)
パソコン(家に複数台)・・・・・・・・・・・・なし
●・・・・・・(以下略)

昭和の祭りスナップ。偶然左上写真の左側に私が写っている。右下は神明神社での盆踊り風景。 

昭和の祭りスナップ。偶然左上写真の左側に私が写っている。右下は神明神社での盆踊り風景。

平成の今、これだけのものを維持しようと思ったら,その費用は半端ではなかろう。習い事などは、「ソロバン学校」があったくらいで学習塾や通信教育はほとんどなかった。

普段は現金を持たなくても、十分生活ができたのだ。昭和時代は物質的には豊かではなかったかも知れないが、貧しくはなかったと思う。市内を走るバスや電車には車掌がついていた。バス路線ももっと多かった。

村の祭りも、若い衆祭り、弓矢(前夜祭)、本祭り、後祭りと数日間行われたし、結婚式等も数回にわたって宴会が行われた。その他、季節ごとの行事が数多くあった。そのため、人の出会いも多かった。今は、経済、経済と追い立てられて、多くの者が気忙しく毎日を過ごしているように思えてならない。大切なのは、ほどほどの経済的な豊かさと精神的な豊かさのバランスではなかろうか。

大相撲の横綱の土俵入り(上左:千代の山。上右:吉葉山)。下は神明神社の素人相撲。

大相撲の横綱の土俵入り(上左:千代の山。上右:吉葉山)。下は神明神社の素人相撲。

(日記 午前中は数学。午後2時から4時まで市営プール。サウナ、プール、ジャグジー風呂、風呂と繰り返して帰宅。その後、少し数学。夜はビデオを見る。)

【写真提供:朝日印刷】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上左:繊維会社の野球チーム。下左:会社の慰安会でフォークダンスを楽しむ。右:夏祭りの仮装行列。

上左:繊維会社の野球チーム。下左:会社の慰安会でフォークダンスを楽しむ。右:夏祭りの仮装行列。

 

 

 
 

ウインドシンセに再チャレンジ

09 2月

やる気の有無が
今から3年半ほど前(2011年)に、私はウインドシンセを買った。ウインドシンセとは、簡単に言えば普通のシンセサイザーと原理は同じだが、鍵盤の代わりにクラリネットやフルートのように口で息を吹き込み、指で音を変える楽器だ。

シンセサイザーのように楽器が大きくないのは、音色を変えたり、ボリュームを変えたり、エコーの響き具合などを変えたりするのは全てパソコンが制御するのだ。そして、パソコンからスピーカーを通じて音を出すのだ。

ジャズメンになったつもりでウインドシンセを吹く。いつになったら、人前で演奏できるやら。「まぁ、夢でもいいっか!」。

ジャズメンになったつもりでウインドシンセを吹く。いつになったら、人前で演奏できるやら。「まぁ、夢でもいいっか!」。

私は、サックスなどを吹いてみたいと思ったが、今更楽器を購入して0から始めるよりも、いろんな楽器の音が出せる方が楽しいし、楽だろうと思ってのことだった。デスクトップパソコンでは音を出すことができるようになった。

そこで、あちこちで演奏するためにと思って翌年(2012年)に専用の小型のパソコンを買い、音を出すための音源も購入したのだが、うまく音を出すための設定ができなくて、挫折してしまっていたのだ。

その後(2013年に)、ネットで新たなマニュアルを購入したが、そのまま放置してあった。今日は、「何が何でも演奏できるように設定するぞ」と思い、気合いを入れて、マニュアルを読み返した。そして、なんとか、小型のノートパソコンを使っても音を出せるようになった。バンザーイ!あとは、練習するのみだ。どこかで、ジャズでも演奏できたらと密かに思っている。はたしてどうなることやら……。

(日記 少し雪が積もった。運動がてらに除雪機で家の周囲を除雪。その後は、もっぱら数学。午後は、ウインドシンセ「EWIUSB」を設定するために、マニュアルとネットの情報をもとに格闘。ようやく設定できた。もしかしたら、OB会で吹けるかも。)

 
 

バランス

08 2月

バランスを失っていないか
最近、いろんなことが起こる。国内では、次々に起こる生命を軽視したさまざまな事件。そして、種々の詐欺事件。国外では相変わらず戦闘事件が頻発しかけがえのない命が失われている。

自然災害もまた同様に頻発している。全くの自然災害もあれば、自然や生命を軽視した開発等に起因するものも少なくない。「経済優先」を叫ぶ場合、一方ではそこから発生する副次的な作用についても事前にも配慮しなければならないと思う。

大野市の研修センターでミャンマーとインドネシア、そして中国の研修生に日本の文化や生活について講義(1、2限目)。最後にみんなで楽しくダンス(下段)。彼らの日本における生活が意義深いものになることを祈るばかりである。私にとって充実した時間になっている。

大野市の研修センターでミャンマーとインドネシア、そして中国の研修生に日本の文化や生活について講義(1、2限目)。最後にみんなで楽しくダンス(下段)。彼らの日本における生活が意義深いものになることを祈るばかりである。私にとって充実した時間になっている。

また、自由な経済活動は、どうしても勝者と敗者を生む可能性がある。経済活動が活発になれば、職種によっては人材不足が起こることになる。移民を受け入れなければならなくなる。自国と他国の労働者の間に差別を生まないようにするためには十分な配慮が望まれる。経済的な格差だけではなく、権利等における格差もなくするようにしなければならない。

経済的な豊かさと精神的な豊かさのバランスが何よりも大切である。開発においても経済効率と安全や自然保護とのバランス、都市と地方のバランス、男性と女性の働き方のバランス、権利と義務のバランス、文科系と理科系のバランス、……、これらが崩れたとき、予期せぬ不幸が私達を襲うのではなかろうか。

円高によって、儲かる企業とそうでない企業がある。これらの不平等バランスを取るのは政治の責任ではなかろうか。また、国を守ることと相手を理解し信頼することのバランスを取らなければ永久に平和は訪れないである。今は自己中心的な人が増えているのではなかろうか。この世の中、「良いとこ取り」はないと思う。

(日記 午前中は、自宅で数学。午前11時頃から午後4時頃まで、大学軽音学部OBのバンド練習に付き合う。夜は、ビデオを見る。)

 
 

ソフトのバージョンアップ

07 2月

毎年買い続けるワープロソフト
私は、ワープロソフトとして『一太郎』を使っている。絵を描いたり、写真を加工するときには、「フォトショップ」を使い、歌作りには「シンガーソングライター」を使っている。使えないソフトは数えられないぐらいある。

そのうち、ワープロソフトの『一太郎』だけは、毎年バージョンアップしている。ダイレクトメールが毎年送られてきて、その中のバージョンアップした部分に魅力を感じてしまうからだ。

購入したが、使い切れないだろうと思う。それでも有効に活用したいという願いはある。

購入したが、使い切れないだろうと思う。それでも有効に活用したいという願いはある。

今回は、昨年のものと比べて、「はかどる!数式メーカー」がついていたり、「音声読み上げソフト詠太5」や「電子書籍フォーマット」等の機能がアップしていることなどからついつい購入してしまった。

今日は、それらのソフトを入力して、毎日行っている数学のファイルを開こうとしたところ、「対応していないファイル形式です」との表示。一瞬、真っ青。ネットであれこれ調べたり、マニュアルを調べたが、どうにもならない。サポートで無償サポートを受けようにも、土曜日で休み。

1時間以上、あれこれ苦労をし、ネットで失敗した人の体験談を読み、あれこれやっているうちに、ようやく開くことができた。一度、電子書籍を作ってみたいと思うが、あれこれ忙しくて手が回らない。私にとっては、「ソフトのアップグレードは、夢を買っている」ようなものなのだ。

(日記 午前中は、数学の参考書作り。午後、購入したワープロソフト『一太郎』をインストール。その後、事務所の横の家庭菜園の除雪作業。水菜の畝の雪を取り除いた。近々、ビニールをかけたいと思う。春一番の野菜だからだ。プロの人はすでにビニールがけを終わっているが、我が家では毎年雪が積もらなくなってから始めることにしている。夜は、録画したビデオを見る。)

 
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幼児と共に

06 2月

のってくれた幼児達

子育て支援センターでのパフォーマンス。幼児達の参加のおかげで楽しい時間を過ごすことができた。

子育て支援センターでのパフォーマンス。幼児達の参加のおかげで楽しい時間を過ごすことができた。

今日は、「子育て支援センター」で“子育てマイスター”として活動する日だ。朝、少し練習して、近くの「子育て支援センター」へ向かった。

母親や祖母といっしょうに幼児達が集まっていた。準備していると、一人の幼児が近づいて来た。両手を出すとさらに近づいてきた。だっこをさせてくれた。懐かしい感触だった。と言っても、思い出すのは我が子のだっこの思い出ではなく、孫達の感触だが。

10時半から、家内がリードして手遊び3曲。いずれも親子でする遊びだ。その後、創作紙芝居『元気な声で はーい』を演じた。紙芝居の絵をゆっくりと引くと動物が現れるのだ。動物の身体の一部を見た瞬間に「うさぎー!」とか、「ぞうさん!」とか、「くまさーん!」とかの声がかかってくる。

前の絵を完全に引いたあとに、動物の全身が現れるのだ。ここでみんなと一緒に声を合わせて「いぬさーん!」などと呼びかけると、次の瞬間、返事をしている犬の絵が現れるというわけだ。このようにして、次から次へと動物の名前を当て、呼びかけるというわけだ。

紙芝居の後、参加している児童の名前をみんなで声を合わせて呼ぶと、大きな声で元気よく「はーい!」と応えてくれた。この後、再び、手遊び歌を2曲歌い、最後に、私の作った子育て支援センターの歌「カン、カン、カンガルー」を歌い、みんなで踊って出番を終えた。幼児の参加のおかげで楽しい時間を過ごすことができた。

(日記 午前中、自宅で歌の練習をして、10時半より家内と一緒に「子育て支援センター」で“子育てマイスター”としての活動。幼児達と楽しい時間を持つことができた。午後は、久々に数学。)

 
 

市内を散策して

05 2月

目立つ空き家
最近、ウオーキングには住宅地を歩くことにしている。昨日は中心市街地。今日は、途中まで車で出かけて郊外の住宅地をあちこち散策した。新しい住宅もあれば、空き家で売り地になっている住宅、朽ち果てている住宅などいろいろ目に付く。

昨日歩いた商店街でも、駐車場が目立つようになった。空き家になった後、取り壊して駐車場にしたからだ。かつては、専門店が軒を連ねていたが、今は、ショッピングセンター、ホームセンター、スーパー、コンビニなどができて、それらの店のほとんどが姿を消してしまった。

郊外を歩くと、車では気がつかなかった建物をじっくり見ることができる。

郊外を歩くと、車では気がつかなかった建物をじっくり見ることができる。

人口が減り、職場が広域化すると、小さなまちでは品数の多い専門店の営業が成り立たなくなってしまった。おまけに、ネットにおける商品販売が盛んになっている。

今は、ネットでも、翌日か、次の日に必要なものが届く。私も、時々利用する。不安がないわけではないので支払いは、代引きか銀行などの送金を利用している。品物も、大事なものはメーカーを確認して注文している。

今、地域の活性化が課題になっている。衆参の予算委員会でも、大いに話題になっている。今後、各地でも地域の活性化が問題になろうが、私の考えは、「地域でいかに豊かに暮らすか」と、「いかに,地方にいながら中央に繋がるか」ではないかと思っている。

(日記 午前中は、紙芝居の追加の絵を描いた。途中でパソコンがフリーズし、描いた絵が消えてしまって1時間あまりが無駄になった。常に参院の予算委員会を聴きながらの作業だった。午後は、1時半から家内とウオーキング。今日は、途中で車を止めて郊外の住宅地を散策しながらのウオーキングだった。帰宅して紙芝居の仕上げ作業。)

 

 

農業の明日

04 2月

『農事組合法人かたせ』の監査
私は、村の『農事組合法人かたせ』の監査委員になっている。今日は、集会場でTさんといっしょに監査を行った。農業従事者が高齢化し、後継者もいない地区の田畑を守るために、組織を作って米作りを続けているが、中心になって活動している者も高齢化している。

そんな中で、今年の米の収穫量も少なかった上に、JAへの売り渡し価格も下落し、経営的にはなかった。補助金がなかったら、赤字になっていただろうと思う。私達は、収穫した米をそれなりの価格で購入している。「縁故米」として親戚等にはさらにその価格より少し高めに販売している。いずれにJAへの売り渡し価格よりは、かなり高めである。

そして、利益のいくらかは今後のために蓄え、さらに組合員に配当金として配っている。少しでも、法人の利益を上げるためには、一般の人たちへの販売量を増やさなければならない。

当番として、組合の稲刈りの助手を務めた。(2014.9.28)

当番として、組合の稲刈りの助手を務めた。(2014.9.28)

このあたりのことを監査の後、話し合った。HPで知らせる程度では簡単に販売量を増やすことはできない。なぜならば、私達の米を買って下さる可能性ある人達は、おそらくネットを見ない人が多いのではないかと思う。

こうしたとき、私達のような小規模な組合ではものを販売するには、大手の流通に乗せることは不可能であろうし、また,乗せた場合には安価でしか引き取ってもらえないであろう。収穫量から言っても、私達個々の人間関係、ネットワークによって販売するのが有効ではないかと思うのだが、どうなんだろうか。ただし、購入者には、価格面、または何らかの農産物などによる付加価値が必要ではないかと思う。

(日記 午前中、紙芝居の絵の印刷作業。厚紙にA3ノビで印刷した。衆院の予算委員会を聴きながらの作業だった。午後は、天気もよかったので、ウオーキング。事務所に車を置いて市街地をウオーキング。市街地の商店街も、少しずつ住宅地が抜けて駐車場になっていくようだ。午後6時より集会場で『農事組合法人かたせ』の監査。)

 
 

果たして幼児に通じるか?

03 2月

“子育てマイスター”として
今週の金曜日に、子育て支援センターで“子育てマイスター”としての出番があるのだ。対象は0歳から3歳までの幼児とその保護者で、合間に『子育て講座』を行うのだ。私は、知人の勧めでめで“子育てマイスター”に登録されたのだが、まったく専門外の活動だ。

幼児向け紙芝居の表紙。

幼児向け紙芝居の表紙。

しかし、活動のほとんどは家内と一緒に行動している。私達は、二人で一人前というわけだ。主に、手遊びや歌、そして、簡単な紙芝居を上演している。その間、短く『子育て講話(子育てのヒントなど)』を挿入している。

参加しておられるのは保護者とその幼児なので、話しばかりでは間が持たない。手遊び歌では、私が、ハーモニカとギターなどで伴奏し、家内が歌い、手遊びを実演するのだ。

ここ数日、数学を休んで、幼児向けの紙芝居を作っている。しかし、1,2歳中心の幼児を相手に紙芝居をするのは簡単ではない。先ず紙芝居に注目してもらうだけでも苦労する。

幼児との勝負だ。幼児にそっぽを向かれたら私の負け。シンプル内容で幼児も参加できるようにするにはどうしたらよいか、いろいろ考えて簡単な絵を描いた。幸い、息子には3歳の幼児がいるので、参考になることが多い。金曜日の出番が楽しみだ。

(日記 朝から、紙芝居の印刷。A3ノビの厚紙を使って時間をかけて印刷した。調整しながらの印刷だったので、ほぼ一日かかった。)