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過疎化と過密化

07 4月

過密化
 息子の横浜の家で過ごす4日目。朝7時前に起きて、散歩に出かける。犬を連れて散歩する高齢者とたくさん出会った。この人達は日中何をしているのだろうか?

また、次から次へとやって来る電車に乗って多くの人達が動いている。この人達は何を考え職場に急ぐなのだろうか?沢山の人が集まる都会は、確かにいろんなことをする機会があり、いろんなものが溢れ、いろんな人が集まっている。
夢を求めて都会へ集まる人達は、それぞれ満足できる居場所を見つけることができるのだろうか?大きな組織の歯車になってはいないのだろうか?

電車で移動中、窓から見える横浜や東京の景色の中に、高層マンションやアパートがよく目に付いた。若いうちは、仕事にも脂がのっていて便利な都会で過ごすことに大いに意味があるだろうが、歳をとったときや、リタイヤした後はどうなるのだろうか?マンションの一室で何を考えどう過ごすのだろうか?

過疎化
 高校を卒業すると、多くの者が、進学のために、就職のために、地域を離れる。地域には働く場が少ないのだからやむを得ないことであるが、どこか悲しい。豊かな自然があり、綺麗な水と空気があり、美味しい食べ物がありながら、若者の多くはふるさとを離れていく。働く場がなければ、地域に留まることは困難であろう。

それならば、100人のうち1人でも、都会へ出て腕に力をつけてから、地元に戻って働く場を作ってほしいものだ。若者の起業を期待したい。きっと、豊かな自然の中でできる仕事があるはずだ。

吉幾三の「おら東京さ行くだ」ではないが、「おら田舎へ戻るだ」と言える人材の出現を待っている。きっとあるはずだ。田舎でもできる仕事が。

(日記:午前10時に新横浜を発つ。午後3時前に自宅へ到着。午後6時頃、歓送迎会あり。)

 

ディズニーランドで考えたこと

06 4月

横浜三日目。幼稚園児の孫娘(5歳)の春休みの思い出作りに徹することを決めて、私たち夫婦、息子の嫁と孫娘二人の5人は、電車を乗り継ぎ乗継して、ディズニーランドへ出かけた。

アトラクションもすべて、孫娘に照準を合わせて、我々夫婦は、孫の喜ぶ顔を見たさに園内をうろうろ。家内は、2歳の孫娘のリクエストに応じて、メリーゴーランドに2回も乗った。さらに上の娘のリクエストに応じて、コーヒーカップとダンボの飛行機に一回ずつ。コーヒーカップには目を回してしまったようだ。

私はと言えば、リトルワールドで舟に一回乗っただけ。後は、みんなで昼夜のパレードを3回見たが、孫娘たちはとても喜んでいた。

『手塚治虫ランド』があってもいいなあ
 その昔、ディズニーのマンガやアニメ映画は、世界の子供や大人たちに、とても人気があったのである。そして、さまざまなキャラクターが全世界で有名になっていったのである。その後、ミッキーマウスやミニーマウス、ドナルドダッグなど多彩なキャラクターを中心に、ディズニーランドが生まれたのである。そして、いろんなアトラクションが手を変え品を変えて登場している。しかし、子どもたちはミッキーやミニーが登場すればやんやの喝さいである。
一方、ユニバーサルスタジオにはなじみのキャラクターは少ない。その分、スケールの大きいアトラクションで観客を魅了している。しかし、子供受けするキャラクターという点になるとディズニーランドにはかなわないのではないか。

いま日本でもっとも人気のあるキャラクターは何であろうか?もしかしたらアンパンマンかも知れない。絵本にも漫画にもアニメにもなっている。バイキンマンやドキンチャンなど多彩なキャラクターにも事欠かない。アンパンマンのキャラターは数多くの商品に使われて、幼児には絶大な人気がある。しかし、どちらかというと幼児向けのキャラクターであるように思われる。

このような人気キャラクターがたくさんいるので、横浜には子供向けの「横浜アンパンマンこどもミュージアム」ができた。一日遊んでも飽きないそうだ。

しかし、ここで私が提案したいのは、『手塚治虫ランド』、または、『手塚治虫ワールド』を作ってほしいということだ。「鉄腕アトム」は漫画にもアニメにもなっている。そして世界中の人気者になっている。手塚漫画には、ひげおやじ、ジャングル大帝の数々の動物、リボンの騎士の女剣士、・・・と、多彩なキャラクターがたくさん登場している。キャラクターには事欠かないのである。特に、アトムは、世界中の人たちが知っているキャラクターである。人間の感情を持つロボットという点でも現代にマッチしている。

なんでもかんでも、アメリカのものが世界を席巻している中で、日本代表としてぜひとも頑張ってほしい。アトラクションも、日本独自のものが考えられるであろう。縄文、弥生時代から、現代まで日本史を紐解けば、様々なアトラクションが考えられよう。そして、アトムがメインキャラクターならば、宇宙へも話を広げることが可能である。日本のロボット技術を生かし、日本独自の味付けをした『手塚治虫ランド』、または、『手塚治虫ワールド』を望んでいるのは私だけだろうか?

こんなことを考えながら、孫娘の相手をして、ディズニーランドで一日過ごしたという次第。

(日記:妻と二人で、終日二人の孫娘の相手をしてディズニーランドで過ごした。)

 
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血が騒ぐ

05 4月

今日は息子の家に宿泊。
朝、家内と二人で電車で、まず横浜中華街へ。昼食後、歩いて雨の山下公園を通り、赤レンガ倉庫へ。ショッピングと美術展見学。
続いて横浜コスモワールドで大観覧車「コスモクロック21」に乗る。雨に煙る横浜港を一望できた。続いて孫たちの土産を買うためにショッピング。

おいらはドラマー♪、やくざなドラマー♪
 続いて覗いた楽器店。店頭には電子ドラムが多数陳列されている。店員さんに頼んで叩かせていただく。
ヘッドフォンそ装着して叩いてみるとまさにドラムの音が聞こえる。低音から高音のドラム音、そして、シンバルの音。軽くロックのリズムを刻んでみる。
すでに気持は47、8年前に戻っている。軽音楽クラブでドラムをたたいていたあの頃に戻っている。

ドラムを志したきっかけは、石原裕次郎の映画『嵐を呼ぶ男』のかっこよさに憧れてのものだ。
10数年前に、小樽の石原裕次郎館で『嵐を呼ぶ男』のダイジェスト版を見たときには、胸に熱いものが込み上げてきたものだった。

あれからずいぶん遠く?へ来たものだ。思えば遠くに来たもんだ。
でも、まだ血が騒ぐ。この電子ドラムを本気で買おうかと迷っている自分がいる。今日は旅先だ。カタログだけで我慢することにした。

ハワイアンバンドの夢もいまだ消えず
続いて覗いた店はハワイゆかりの数々の品が並んでいる店。ハワイアン専門店。
アロハシャツやカラフルなレイを見るとまだやり残したことを思い出して血が騒ぐ。

それはフラダンスチーム付きのハワイアンバンドだ。実は学生時代に、ハワイアンギター(スティールギター)もかじったのだ。
これは、「和田弘とマヒナスターズ」に憧れてのものだ。リーダーの和田弘のあのスティールギターの甘い響きは田舎者の私を虜にしたものだ。
大学時代に、海開きで弾いたこともあるものだ。数年前には、マラソンの応援演奏で家内のウクレレをバックに沿道で弾いたこともあるので、いまでも数曲は弾けると思っている。

また、市民大学講座では、講師を見つけてフラダンス講座を開講してもらった。いずれは夢の実現にと思い、家内にもこの教室へ通ってもらったものだ。
自宅には、アロハシャツも買ってある。ズボンも白っぽい靴も買ってある。100均でレイまで買ってある。後はメンバーを少し集めるだけだ。

まさか横浜で、こんなに血が騒ぐなんて・・・。
もう少し充電してみよう。そして、優先順位を決めて取り掛かりたい。

孫に聞かせる童話の本を作りたい
そういえば、昨晩は寝床の中で孫に即興の童話(作り話)を聞かせたのだ。S先生の市民大学講座『楽しい童話教室』は、開講以来ずっと受講している。今年ももちろん受講するつもりだ。
講師の先生のおかげで何作かの童話も書くことができた。孫のために、童話集でも作ってみるか。これも思案中だ。

(日記:息子宅に泊まって横浜港界隈を散策。妙に血が騒ぐ一日だった。)

 
 

知恵無限

04 4月

最近世の中は非常に厳しい。

特に、民間企業で働く人には厳しい時代である。仕事を失う人、ボーナスをカットされる人、給料大幅減額の人、廃業を余儀なくされる人、様々である。

高校生や大学生の中には、就職できない人がたくさんいる。これはなにも都会だけの話ではない。

知恵は泉のごとく湧く

これに比べて、公務員はどうだろうか?多少のボーナスカットや給料の減額があっても、路頭に迷うことはない。

そんな不安は一切必要ないのだから、今こそ、国民、県民、市民のために何ができるかを考えてほしいものだ。

財政は厳しくとも、知恵は無限にある。知恵は出し続ければ次から次へと湧いてくるものだ。ちょうど井戸水のように、汲み出せば汲みだすほど地下に水道(みずみち)ができて、枯れることはない。

挨拶の機会があるたびに『知恵無限』をアピールしてきたつもりでいる。何か事を為すときには、一人でも多くのものが知恵を出せば、きっとよりよいものができると信じている。

アイディアを出すなら100以上

何か事を為す場合に、アイディアを出すとしたら、一つや二つではだめだと思っている。ぱっと思いつくアイディアには時には素晴らしいものもあるだろうが、多くの場合ありふれた誰もが思いつくようなものが多い。アイディアを出すとしたら、100個は出したいものだ。ある時、小布施ミニマラソンを始めたセーラ・マリ・カミングスさんの書いた「小布施でマラソン大会を始める理由」を書いた100の理由を読んだことがある。それ以来、私は、「アイディアを出すなら100個は出してほしい」と、これまた周囲の人たちに話しているし、自分もそうしようと努めてきたつもりでいる。また、同調してくれる者もいる。

『知恵無限』をこれからも、自ら実践しながら周囲に呼びかけていきたい。きっと生き甲斐につながると信じている。

(日記:朝10時に芦原温泉を出発して息子の家族と一緒に車で息子の住む横浜へ。道中二人の孫とごろごろ。1000円の影響か渋滞がひどくて午後8時に到着。)

 
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丸投げ全盛時代……これでいいのか?

03 4月

成熟社会では、手厚い行政の支援がある。農業、福祉、経済、……等の分野で様々な政策が次々と打ち出され、補助金を伴ってやってくる。一部の人間が考えた、全国一律的な様々な施策とそれに対する財政的援助、……。

国民は自分で考えることを放棄したのだろうか?
与えられることのみ望んでいるのだろうか。
自分で行動することをあきらめたのだろうか。
何でもかんでも行政頼みの人がどんどん増えている。

人の一生これでいいのか
最近の人の一生を考えてみればそれがよく分かる。
子どもが生まれたら幼児施設に、学齢期は学校や児童センターへ預けっぱなし。
これで子育ての楽しみを味わうことができるだろうか?
冠婚葬祭も全て業者任せ。
高齢者になれば施設へ預けっぱなし……。
いずれは自分に返ってくることになるだろう。

やむを得ない場合は仕方がないが、あまりにも“丸投げ”ではなかろうか?
物理的には他者任せでも、精神面まで他者任せでは、人間がモノ扱いになりかねない。

他人のせいにする前に、今こそ私達は自分の行くべき道を自分の頭で考えなければならないのではないか。

しかし、幼い頃から予め設けられた既定の路線に乗って育てられた子ども達は、大人になっても自分の頭で考えることは困難であろう。

プロの農家
 私の知っている限り、プロの農家は自分のビジョンをしっかり持っている。
他をあてにせず自らの企業努力によって経営しているために、農業政策に振り回されない強さがある。
制度に振り回されるのではなく、自分からそれらをうまく利用している。
突然補助金を打ち切られて路頭に迷うようなことがないよう、常に考えて経営している。
他に甘えているうちは、何事も成功しないことをプロの農家は知っているのである。

自分の頭で考え、自分の足で歩く
 国家の独立と同時に、私達個人も、国民としてもう少し自立しなければならないのではないか。何でもかんでも行政任せでは本当の充実感は得られないであろう。

丸投げ全盛時代!私達は何を自分自身でやろうとしているのだろうか?
自分でできることを自分でやらなければ生き甲斐は生まれないであろう。

「世界一豊かで、心の貧しい国?」と言われた日本は今、その豊かさも怪しくなっている。この頃は二極化が進み、何割かの人達が働く場を失い、文字通り貧困層が増えている。

今こそ、自分の頭で考え、自分の足で歩みたいものだ。

(日記:午前中雪囲いの片づけ。夕方、長女(福井)・長男(横浜)の夫婦とそれぞれの孫が二人ずつ、そして社会人2年目の二女(大阪)、私たち夫婦(勝山)の総勢11名が芦原温泉に集まって、私の退職慰労会開催)

 
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孫との再会

02 4月

孫達の帰省

昨年10月から、息子の仕事の関係で我が家の孫達は、横浜へ引っ越してしまった。いつも一緒に風呂に入っていたのに、今はそれもできず、会いたくても簡単には会えない。

しかし今は便利なものがある。WEBカメラによる対話だ。パソコンにつけたカメラによって自由に会話を交わすことができるのだ。おかげで、顔だけではなく、部屋の中も見渡すことができる。

横浜と東京で一緒に歌うこともできるのだ。マイクに向かわなくても、何人もが自然に会話ができるのだ。姉妹が揃って布団の上でデングリガエリする姿も、手を取りあってダンスする姿もよく見える。

普通の黒電話さえなかった時代から比べれば隔世の感がする。

帰省した際、家内が孫に教えたあやとりを、孫達はカメラの前で見せてくれるのだ。

「こんにちわ」と言って、今日、その孫達が帰ってきた。WEBカメラで話しているので離れていても違和感はない。早速孫達二人を抱き上げる。明日の私の退職記念のために、帰ってきたのだ。

明日、横浜、大阪、福井の子ども達が孫を連れて芦原へ集まるのだ。

最後の挨拶

4時半頃、教育研究会の終わりに時間を設けていただいて、教職員の皆さんに、最後の感謝の挨拶をする機会をいただいた。

45年の教育関係の仕事の全てを終えたのだという実感が湧いてきた。

しかし、何時までも感傷に浸っているわけにはいかない。退職前から考えておいたプランを実行するときが来たのだ。

(本日:残務整理のため福井へ。帰省した息子と児童館の事務室の整理。古いパソコンなどを廃棄する。)

 
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『残日録』を始めるに当たって

01 4月

“残日録”ということばは、藤沢周平先生の小説『三屋清左衛門残日録』に出てくる「日は残りて昏るるに未だ遠し」に由来してる。

おそれおおくも、この『残日録』を使わせていただいて、『いなかもん残日録』としましたのは、小説に登場する三屋清左衛門の生き方に憧れたからでもある。

三屋清左衛門は、隠居後、現役時代にはできなかった様々な問題を解決したり、新たな経験を積み上げていく。充実した第二の人生の生き方に感銘を受けた。

私も人生これからだという気持ちで、力まず、焦らず、「地域のため」、「家族のため」、「自分のため」にこれからの時間を有効に使いたいと思っている。

サンデー毎日の日々

いよいよ今日から、組織に所属することがなくなった。

時間は全て自分で使うことができます。土日や夜間さえ自由にならなかった時間の全てが、自分の思いのままに使うことができる。(あれほど過密だったスケジュールは、いくつかの送別会を残すのみとなった。)

しかし、これはこれで大変なところもある。

とりあえず今日は、自分の活動する場の整理を始めた。まだまだ時間がかかるが、活動の基地を整えて、前記の三つの部分で少しずつ活動を始めたいと思ってる。

無理せず、かっこつけずに、自分の想いを自由に気楽に書き続けたいと思っている。

さあ、新しい人生の始まりだ。

(本日:児童館の整理)

 
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