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生育状況を見る楽しみ

22 4月

家庭菜園の楽しみ
   昨日は晴天だった。そして、天気予報によれば、今日も3時までは雨が降らないという。そして、明日から、しばらくは天気がよくないという。今日は、家庭菜園を耕すチャンスだ。

  雨の翌日に晴れても、土が軟らかすぎて耕すことは困難だ。今日は、早速、トマトやナスを植える畝にマルチをかけた。

  4区画のうちの2区画は、すでに何かが植えてあるのだ。残りの2区画は耕した後、石灰をまいてしばらく待っていたところだ。今日は、 この部分に肥料を入れて、耕し、畝を立てた。

  雨が来るというので、急がなければならない。そこで、畑でおにぎりを食べながら作業を急いだ。雲行きが怪しく、雨が降りそうだったからだ。天気予報どおり、2時過ぎにポツリポツリと雨が降り出した。

事務所と家庭菜園とミニ花壇(パンジーとチュウリップ)。

  何とか、大降りにならないうちに、今日の作業が終わった。

  家庭菜園の一番の楽しみは、野菜の成長を見ることだ。今、家庭菜園には、にんにく、エンドウが少しずつ成長している。

  いずれも昨年暮れに植えたものだ。今年、種をまいた小松菜、ほうれん草、春菊は芽を出している。ジャガイモは、すでに植えてあるが、まだ芽が出ていない。芽の出るのが楽しみだ。

水田の管理(水と草刈り)についての「農事法人かたせ」の話し合い(於:片瀬集会所)。

  ニラは、毎年植え替えているが、すでに何度か食べている。

  ゴールデンウイークまでには、種々のトマトとなす、それから、きゅうり、ピーマン、ししとう、ねぎ、サツマイモなどは苗を買い、順次植えるつもりだ。

  また、オクラ、とうもろこし、黒瓜、、甘瓜、かぼちゃ、種々の豆類などは種をまいて苗を作ったり、直に種を畑にまいて育てるつもりだ。

  事務所でパソコンをやり、目が疲れたら、隣の菜園へ出て、野菜の育ち具合を見ている。これが、とても楽しい。トマトなどは、畑でかぶりついて食べるのも美味い。

  退職した非農業者が、家庭菜園にはまるのも無理がない。私の知っている退職者も家庭菜園に夢中になっている。私は、農家(小規模)育ちだが、野菜を育てることは最高に楽しい。

  どの野菜も、すぐに育って収穫できるものではない。収穫までには2、3ヶ月から半年ほどかかるものも少なくない。その間、病気になったり、虫に食べられたり、さまざまなことが起こる。

  それらを乗り越えて、収穫できるまで育てることは大変だが、それだけにやりがいもある。食卓に、菜園の野菜がずらりと並ぶことも珍しくない。野菜作りは、一石二鳥の楽しみがある。

(日記:朝から2時過ぎまで、家庭菜園で苗を植えるために準備をした。雨が降るまでに、今日の予定の作業を終えることができた。午後は、オカリナ教室のための編曲作業。晴れの間は、農作業、雨が降って音楽。充実した一日だった。晩御飯がおいしい。午後7時半より法人の話し合いがあった。今日集まったのは、田んぼの維持管理、特に、水管理と畦の草刈りについて話し合いをするためだ。管理費について、議論がかなり出た。私は、自分の田んぼの草刈りだけ担当することにした。水管理は、今後勉強してからどうするかを決めたい。)

 
 

片瀬特産の里芋の植え付け

21 4月

「農事法人かたせ」の共同作業
  一昨日、「農事法人かたせ」の理事長より、「里芋の植え付け作業に出て下さい」と連絡があった。 「農事法人かたせ」は自分では米作りのできない区民が田んぼを提供し、集団で米作りなどを行うために立ち上げた会社だ。

  この会社では、転作のために里芋などを作っているのだ。今日はこの法人の里芋植え付け作業だ。男性7名、女性は10名が作業に集まった。

  かつては、いも(里芋)とショウガは我が片瀬の特産物だった。しかし、近年他地区に押されて生産者が減っていたのだ。特に、里芋は、植え付けと収穫が重労働だ。

  しかし、何とか片瀬の特産物として残したいという思いは区民の多くが抱いている。そこで、今日は一斉に共同作業を行うことになった。昔の「い(結い)」のような感じであった。

「農事法人かたせ」の共通の田んぼでの共同作業。男性は器具を使って穴を開け(左)、女性はその穴に種芋を植え付けた(右)。

  男性は、器具を使って里芋を植え付けるための穴をあけた。ほぼ午前中いっぱいこの作業を続けた。女性は、開けられた穴に防虫剤を入れ、種芋を植え付けた。

  約30メートルの畝を80数本植え付けた。腰の痛む作業であった。しかし、多くの人たちの勢いで作業を終えることができたが、自分一人だったらとてもできなかっただろう。

  先日、私はこの畝の1本に里芋を植え付けた。それでも少し腰が痛かった。だんだん里芋を植える人が減っていくのもわかる気がする。

  共同作業のおかげで、作業中色々話すことができた。退職してから、区民の皆さんと話す機会がかなり増えた。そういう意味では、決して楽な作業ではないが、楽しく作業ができる。

  自分の借りた畝や法人の畝で、里芋がどのように育つかを考えるとわくわくする。ウオーキングコースの途中にあるので、時々覗いてみたいと思っている。

(日記:午前8時より、正午まで、法人の里芋の植え付け共同作業。疲れたが楽しく作業ができた。午後は、事務所で「数学のホームぺージ」作り。充実した一日だった。ビールが美味かった。)

 
 

久々の切り絵

20 4月

猪野瀬地区の発刊物ロゴマーク
  昨日、知人のAさんから「猪野瀬地区の方言集を発刊するので、ロゴマークを作ってほしい」と書いたメッセージと資料が郵便受けに入っていた。明日(20日)までに作ってほしいとのことだった。

   「今後も、いろんな冊子を発刊したいのでロゴマークがあった方がよいと思う。」とのことだった。第1集目の方言集の校正をさせてもたっらが、文字化すると笑える部分が多かった。普段は何気なく話しているが、かなり方言が混ざっているなあと思った。

  さて、ロゴマークだが、猪野瀬地区だから「猪(イノシシ)」がいいのではと彼は言う。それもそうだ。かつて、中年会のバレーボールチームを作ったときには「猪野瀬ボア-ズ(イノシシ)」というチーム名を使ったことがあった。

  さて、このロゴマークをどうして作るのか、パソコンソフトの「イラストレーター」を使ってやろうかと迷ったが、かなり忘れているだろうなと思った。分厚いマニュアルを見て、やる気が萎えてしまった。

今後発刊されるであろう「猪野瀬地区の冊子」につけられるロゴマーク。久々に切り絵で作成。印刷時は直径2cmぐらいになる予定。

  そこで、方針を変えて、切り絵でロゴマークを作ることにした。デジタル時代に、アナログでいくのだ。イラストレーターをマスターしていないからだ。

  しかし、切り絵用のカッターナイフや黒い紙、トレーシングペーパー、コンパスなどがあるだろうか。あちこち探して、昨日のうちに準備しておいた。いざというときのために、いろんなものを保存しておくのも悪くないと思った。

  先ず、下絵を描き、トレーシングペーパーで写し取り、黒い紙とトレーシングペーパーをホッチキスでとめ、カッターナイフで切り抜いていくのだ。それをパソコン(フォトショップ)で読み込み、修正し、「INOSE-BOOKS」と文字を入れた。

  できたので、早速Aさんに電話をした。これで1つやることが終わった。久々の切り絵も悪くなかった。楽しかった。  

  しかし、最近は、藤城清治さんの個展を見てから、「影絵」に関心がある。一度、チャレンジしたいと思う。大変な作業だと思うが、先ず小品から始めてみたい。

(日記:午前中はロゴマーク作り。午後は、「数学のホームページ」づくり。そろそろ誰か高校生に頼んでモニターをつとめてもらいたいと思っている。このホームページのどこがよくて、どこが分かり難いかを知らせてもらいたいと思う。)

 
 

久々の雨

19 4月

断捨離第x段
  今日は久々の雨。家庭菜園作業は休止。車庫兼倉庫の片付け作業。これまで何度か整理したが、それでも捨てられなかったものがまだまだある。しかし、心を鬼にして、整理をしながら、捨てるものを軽トラックに積み込んだ。

  いつか何かの役に立つだろうと思いながら、3年、5年、10年と使わなかったものは今後も使わない可能性の方が大きい。使わない理由は、使えないのではなく、使っている時間がないという場合が多い。使うだけの心の余裕がないこともある。

  午前中いっぱいを使って軽トラックに積み込んだものを、ゴミ処分場へ運んだ。まだ、救われるのは再利用してもらえるものもあるからだ。段ボールなどの紙類やアルミなどの金属だ。

  何もなかったらさぞかし気分はよかろうにと思うが、一気にはそうはできない。「もの」には、それぞれ愛着があるからだ。今日も、ラジオで絵本作家が話していた。

  それは、子供時代に、絵を学んだが、汚いものばかりを描かされてきたと語っていた。きれいな花を描いたりするのが普通だと考えていたが、実際には古ぼけたものや汚れたものばかりを描いていたのだと。

  使い古した汚いズックを例に語っていた。「もの」には、それを使っていた時代の思い出があり、歴史があり、愛着があるのだと。こうしたことが絵本を描く上で大いに生きているということだった。

  確かにその通りだと思う。他人から見れば、単なるゴミに見えても、本人には「お宝」である場合もあるのだ。いっしょに片付けている家内が、時々、「これ、どうするの?」と聞いてくる。品物の善し悪しよりも、愛着があれば、「残しておいて」と答えることになる。

  でも、こうしたことを繰り返しているうちに、少しずつではあるが、ものは減っているようである。モノのない部屋って本当に気持ちがいいだろうなあと思いながら、決断できずにいる貧乏性な私がいる。

(午後は、事務所で「数学のホームページ」づくり。数学は、記号が多いので、全て画像処理をしている。そのために、普通の文集を打つ10倍は時間がかかると思っている。逆に言えば、それだけ、値打ちがあるとも言えるのだが………。問題は、その中身だ。多少自信がぐらついているが、せめて、今月中には、一区切りをつけたいものだ。終着点はなく、果てしなく続くホームページだが、どこかで、区切りをつけないと他のことに集中できない。)

 
 

和太鼓授業始まる

18 4月

先ずは自己紹介から
  昨年に続いて今年も、北部中学校3年の選択音楽で「和太鼓」を指導することになった。今日はその最初の授業なので背広にネクタイで行くことにした。

  朝、鏡を見て、「全く似合わないなあ」と思った。最近の畑仕事で顔は黒く、頭髪は年々白くなり、何となく、高齢者になってきたなあと行く感じになってきた。

今年最初の和太鼓授業。生徒達に自己紹介をしてもらっているところ。(於:北部中学校音楽室)

  生徒の第一印象はどうだろうか。こちらも、どんな生徒が授業を受けるのかと、興味津々である。男子7人、女子7人が音楽室へ集まってきた。昨年は、女子ばかりだったが、今年歯男子もいるので頼もしい。

  例によって、名前、クラス、住居のある地区、部活動、趣味の5つを言ってもらった。その後、こちらも初日に話したいことを述べながら、自己紹介をした。

  私も、和太鼓を教える場合に必ず生徒達に話すことを今日も話した。それは「あかおやま」で表される次の5つだ。

  挨拶
  感謝
  思いやり
  約束を守る
 ま マナー

  そして、太鼓体操を行い、基本の3種類の「地(ベースとなるリズム)」を教え、地に合わせて簡単なリズムを教えた。

  秋の文化祭までには、2~3曲教えて、文化祭で和太鼓の演奏をしてもらいたいと思っている。あくまでも、和太鼓のみを教えるのではなく、和太鼓で教える部分もあると思っている。

  和太鼓の楽しさ、チームで打つことの楽しさを教えることができれば満足だ。今は、お互いによそよそしいが1ヶ月後には生徒達とどんな関係になっているか、考えると楽しい。

事務所での新入会員の特別オカリナ教室。ギターで伴奏をしながら指導した。

(日記:午前中、家の見取り図を書いた。今年から、4時間目に変更された北部中学校の選択音楽、「和太鼓」の指導に出かけた。今日は最初の授業だ。これから1年、生徒達といっしょに和太鼓を楽しみたいと思っている。午後7時半より初心者のオカリナ教室。今日で二回目の練習だ。一日も早くみんなと合流できることを望む。)

 
 

畑と恐竜博物館と弁天桜

17 4月

いなかもんの性(さが)
  「今日は家庭菜園作業をやめてパソコンに集中」と、昨日、決めた。それは、先週一週間は外での畑仕事に集中したからだ。だから、今日は自分の好きなことをやると決めたのだ。 

  しかし、朝起きてみると太陽が出ている。「こんな日はやはり何か作業をしなければ落ち着かない」と、思ってしまう自分がいる。いなかもんの「性(さが)」というやつだろう。 

  子供時代から、一日遊んでいたのでは、晩ご飯が美味しくない。働かざる者食うべからずといった習慣が身についてしまっているのだ。私の家内も同じようなところがあるようだ。  

  そこで、今日の予定を変更して、午前中は、畑仕事に集中した。昨年、畑の周囲をコンクリートで囲ったときに、畑に高低差ができてしまった。そこで、高いところの土を低い部分に一輪車で運んだ。かなりハードな仕事だった。  

 

動く恐竜模型に興味を示す孫達。でも、長男の方は腰が引き気味。

孫に引かれて恐竜博物館と弁天へ
午後、福井の長女が男児(孫)二人を連れてやってきた。長女の夫は中学生の野球の試合に出かけているのだ。
   そこで、今日は孫達を連れて恐竜博物館に行くことにした。そして、公園で遊ばせるのだ。

  博物館では、次男は、興味深そうに動く恐竜を見ていたが、長男は怖がって近づかない。孫達のおかげで恐竜博物館へ行くことができた。 

  その後、ティラノサウルス広場の遊具でしばらく遊んだ。途中で、「恐竜のまち応援隊」の理事長のUさんと会った。 

  行財政改革で課が統廃合される中で、二人で新たに「自然体験学習課」を作った頃が懐かしい。そして、今、それが当初の目標通りに「恐竜のまち応援隊」となって、公園の維持管理に努めながら、「恐竜化石の発掘体験」など種々の体験学習を行っている。

満開の弁天桜の下を散策する家内と長女と孫達。

  「事を為すのは人である」を地でいくようなUさんの行動力があった。彼のアイディアと行動力が今後も発揮されるだろうと思う。まさに、「恐竜博物館命」という感じのUさんだ。 

 

  その後、弁天桜を見に出かけた。桜はいつものように、きれいに咲いていた。ただ、東日本大オ震災のために「桜まつり」などのイベントは行われていなかったために静かであった。  

(日記:午前中は、家庭菜園作業。畑の高低を補正した。午後は、長女と二人の息子(孫)達といっしょに恐竜博物館と恐竜公園、そして、弁天桜を見に出かけた。その後、浄土寺川の桜を写真に納めて帰宅した。夜、孫の散髪をする。我が子が小さかった頃は、娘と息子の散髪は全て私がしたことを思い出した。孫は動き回るので実力を発揮できなかったかな。)

桜と橋と鯉のぼり。とてもきれいでした。

髪の毛が目にかかっていたので、孫の散髪をすることにした。じっとしていないので苦労した。久々の散髪でもあった。

 
 

原発事故の責任は

16 4月

全ての者に責任がある
  未曾有の大災害が起こった。その上、原発事故という予想もしない大災害が加わった。原発事故も自然災害で発生したのだから仕方がないとばかりは言っていられないように思う。

  最近、原発事故について責任問題が出ている。「誰が悪いのか」と責任者を探し出そうとしている。先般の福井新聞でY氏が話していたように、全ての国民にあるのではないか。

  欲望のままに電気による生活を謳歌している国民、大量の電気を使い続ける企業、原発政策をすすめた政治家、受け入れた地域、安全性を言い過ぎた学者、電力会社、それらの全てに責任があるのではないか。

  先ずは、原発事故の終息を全世界の英知を集めて成し遂げなければならない。他人に責任を転嫁している場合ではないと私は思う。

  今や、私たち一人一人がエネルギーや資源は無限にあるものではないということを肝に銘じて生活すべきではなかろうか。

  物質的な欲望や、深夜まで真昼のごとく明るさを保つ生活を少しはセーブしなければならないのではなかろうか。物質的な生活を多少セーブしても、生活の豊かさや質は落ちないのではなかろうか。

  その分、人と人との交わりが深くなるのではなかろうか。物質的に豊かになればなるほど人と人との関係が希薄になるように思われる。

  物質的に恵まれなかった時代には、「無縁社会」などという言葉はなかった。「孤独死」や「限界集落」などという言葉もなかった。

  今回の大震災や原発事故を契機に、私は自分自身の生活を振り返りたいと思う。 それにしても、被災地に、普通の生活が一日も早く戻ることを祈りたい。

まだ苗も植えていないのに、トマトの雨よけなど畑の準備はできた。屋根のない部分にもトマトを植える予定。

(日記:昨日まで、かなり家庭菜園や里芋植えなど屋外の仕事が続いた。今日は天候もよくなさそうなので、事務所で「数学のホームページ」作り。午後も、作業を継続。時々、目休めに事務所横の菜園を見ると、エンドウ、ニンニク、そして、最近植えた小松菜などの芽を見ていると、気分がほっとする。畑の小石拾いもした。午後7時少し前まで、ホームページを続けた。しばらく、離れていた演歌作りの気分が満ちてきたような気がする。)

 
 

童話や絵本の力

15 4月

絵本作家の活躍
  最近、家庭菜園などでの作業が多いが、その際、片方の耳にイヤホンをつけながら作業をしている。最近、絵本作家の話がよく放送されている。

  そして、東北の被災地に「絵本をおくる運動」を実践している童話作家の話なども紹介されていた。テレビに慣らされた子ども達には、絵本の読み聞かせや絵本を読むことは、私が想像しているよりもずっと魅力的であるようだ。

  そして、童話を送った作家と送られた地区の町長さんが電話で話している様子も放送された。被災地には、様々なボランティア活動があるようだ。

  今日も、ラジオではいくつかの童話が読まれ、それにまつわる話などが放送されていた。確かに、童話を聞いていると、短い文章ながら子供にも大人にも感動を与えているようだ。

  私は、何にでも興味を人間であると思っているが、的が絞られず虻蜂取らずになっている面がある。これから先、数学と共に童話を書いたり、絵本でも作れたらと思う。

  今の、「数学のホームページ」作りが一段落したら、今度は、童話を書き、絵本や紙芝居を作り、子ども達の前に立ちたいと思う。そう思うと、時間がいくらあっても足りないように思う。

  そういえば、福井大豪雨を題材にして童話を書いたことがある。今回の大震災からいくつかの童話のテーマを思いついたが、現在の被災地の様子を見ていると、簡単に書き始めることもできない。

  また、いつか自分に合ったボランティアをするために東北地方へ行きたいと思う。そのためにも、足手まといにならないように、健康には気をつけておきたいものだ。

猛暑であった昨年作った我が家の野菜達。今年ははたしてどうなるか?

(日記:午前中は、先ず、米の保冷庫の電源を入れる作業をする。これから暑くなると保存の米が美味しくなくなるからだ。その後、家庭菜園で、トマトの支柱(手)を作り、トマトの雨よけビニールハウスを作った。これで、いつでもトマトの苗を植えることができる。今日もよい天気で、午後1時頃まで作業を継続した。午後は、例によって「数学のホームページ」作り。早く一段落させたいものだ。「これが誰かの役に立つのだろうか」と思うことがあるが、一方では、「きっと誰かの役に立つはずだ」という自分がいて、今も作業を継続している。今日までとても天気がよかったので、だいぶ顔は陽に焼けて「いなかもん」らしくなってきた。今日も晩飯はうまいだろう。)

 
 

法人の畑で初仕事

14 4月

里芋植え付けは初体験
  今日は、生まれて初めての里芋を植え付ける日だ。私たちの借りた法人の田んぼの南側には勝山城博物館があり、北側には越前大仏が見える場所にある。また、法人の農舎の近くでもある。

  午前8時に農事法人の理事長のNさんに、里芋を植え付ける穴を掘る器具を借り受け、里芋の植え付けの方法も教えてもらった。

快晴の中で里芋の植え付け。穴開け器具に足をかけて力を入れるとほどよい穴が開く。この中に種芋を入れて土をかければ植え付けは終わる。

  午前9時頃から、家内と二人で、先ず器具で黒マルチの上から穴を開け、種芋を穴の中に入れ土で覆った。里芋は、30mの長さがある一畝に植えるつもりで作業を始めた。

  家内の実家の平泉寺からいただいた種芋が少し余ったので、もう一畝にも里芋を植えた。腰の痛い作業でもあった。しかし、誰からも急かせられることがないので、休憩しながら作業を続けた。

畑の南側には勝山城博物館が見え(左)、北側には法人の農舎があり、越前大仏が見える(右)。

  里芋の植え付けの後、ショウガを植える場所を作った。油かす、燻炭(焼いた籾殻)などを入れ、耕した。注文したショウガの種は5月にならなければ入手できないが、準備だけは今のうちにと思って耕した。

  里芋以外の一畝の半分はショウガで残りの一部は里芋、そして、さらに残った部分にヤーコンを植えた。種は、家内が友人に「ヤーコンの種芋ある?」とメールしたところ、「あるから今すぐ取りに来て」とのことで、急に植えることにしたものだ。

  借り受けた法人の田んぼに植えた作物は、植え付けると収穫まで時々面倒を見るだけで作業量はそんなに多くないと思っている。

  作業中、この集団農地にいろんな人がやってきて作業を行っている。そうした人たちと話す機会があることはうれしいものだ。知らないことを聞くと、誰もが丁寧に教えてくれる。

  今年は、自分の家庭菜園と借り受けた里芋やショウガの畑があるので、土に親しむ機会が増えた。自然を相手に楽しみながら、野菜作りを行いたいと思っている。

(日記:午前中、里芋の植え付けを行い、ショウガを植えるための畑を耕した。また、ヤーコンを植えた。午後は、事務所で「数学のホームページ」作り。今日も完全な晴耕雨パソだ。宮城県塩竃市野友人から決意のはがきが来た。災害1ヶ月後の4月11日付のはがきには、身内に犠牲者がいることなどが書かれており、最後には、「……。東北はきっと立ち直ります。1ヶ月を機に、復興に全力を尽くすことを誓い、お礼の言葉と致します。」と、書かれていた。私も、何かできることをしたいという気持ちが強くなった。)

 
 

里芋の栽培実験

13 4月

「片瀬の里芋」栽培にチャレンジ
  我が家の田んぼは、「農事法人かたせ」に預けてある。そこで、わずかな家庭菜園だけでこれまで野菜作りを続けてきた。連作や土地の広さなどの関係で、「里芋」はこれまで作ってこなかった。

  今年は、法人が設定した「里芋生産用地(すでに耕して肥料も入れて黒マルチがかけてある。)」を二畝借りて、一列は、「里芋」、もう一列は「しょうが」などを作る予定だ。

  法人が用意した野菜畑で、沢山の区民が、3畝、5畝、10畝……と、借りて作物を作るのだ。そして、連作を避けるために、毎年場所が移り変わるのだ。1畝は30mの長さだ。

  みんなが同じ場所で作るので、色々栽培法を習うことができる。区民の交流にはとてもよい環境だ。しかし、同じ場所で作っていると、誰の作物がよく育っているか、一目瞭然だろう。

  片瀬の特産物は、昔から「イモ(里芋)とショウガ」と相場が決まっていた。しかし、近年、「里芋」は「上庄」にお株を奪われてしまった。

えんどうの支柱(手)を作った。今年は、沢山エンドウが食べられるだろう。後方は、昨年暮れに植えたニンニク。順調に育っている。

  今日、テレビを見ていたら、JAが数億円をかけて里芋選別機を導入したというニュースが流れていた。商品作物として栽培するために、手間のかかる部分では機械化が進むのだ。

  種芋は、今日、家内が実家からいただいてきた。初心者だから種芋を持ち合わせていないので、家内の実家にお世話になったというわけだ。

  里芋の栽培法を数人の知人に聞くと、みな少しずつ言うことが異なる。誰の意見を聞けばよいのだろうか。結局、いろんな人の意見を聞いて、自分流でやるしかない。

  恐ろしいのは、病気や虫害だろう。天候もあるが、これだけはどうしようもない。はたして、うまく収穫できるだろうか。少し気になるところである。

  収穫物は、自家用の他は、子供や知人に配るつもりだから気は楽だが、せっかく作るなら、豊作といかないまでも、ほどほどにできてほしいと思う。

  トマトやなすやキュウリなどは、事務所横の家庭菜園で勝手気ままに作っているが、法人の畑を借りて、片瀬の特産物にチャレンジするのは楽しみだ。

  今年も、「晴耕雨パソ」で頑張りたいと思う。現役時代よりも、時間があるので、その分、野菜作りにかける時間が多くなった。それと同時に、区民との交流も多くなった。楽しみな一年が始まる。

春期消防訓練と避難訓練。越前大仏には、市内の消防団や避難訓練中の地区民が集まった。写真手前は、AEDの使い方の説明。後方は、巡察中の山岸勝山市長。

(日記:午前5時半に起きて、朝食を取った。今日は、我が片瀬区民と片瀬町民も参加して、「春期消防訓練および災害時要援護者避難・誘導訓練」が、行われた。我々夫婦は、越前大仏駐車場へ避難し、そこで、人工呼吸やAEDの使い方を勉強した。また、自衛消防隊の放水訓練も行われた。訓練の後、エンドウの支柱(手)をつくった。昼食後、法人から借りる里芋とショウガを栽培するための場所(二畝)を確定してもらった。最初の作業として、明日、ショウガを栽培する場所を耕すのでマルチを外しておいた。その後、自分の家庭菜園で作業を継続した。午後、3時半頃、作業を終えて、夕食まで「数学のホームページ」作りをおこなった。今日も、畑中心の一日だった。晩ご飯が美味しい。)

 
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