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ハワイ旅行記 二日目 真珠湾見学

17 3月

アリゾナ記念館見学
  午前6時半にホテル前でツアーバスを待つ。今日は『真珠湾まるごとヒストリカルツアー』の日だ。バスはホテルを回りながら、真珠湾に向かう。ハワイに来たら、是非とも見ておきたい施設だ。

戦艦ミズーリ-の艦内を見学。

  午前6時半にホテルを出て、午前7時半頃には真珠湾に着いたのに、アリゾナ記念館へ入れるのは午前11時過ぎだ。その間、旧日本軍の人間魚雷回天などを展示するボウフィンパークや真珠湾に係留中の戦艦ミズーリーを見学した。

     大日本帝国の降伏文書調印式は、1945年9月2日に東京湾に停泊する戦艦ミズーリの甲板上で行われ、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、オランダ、中華民国、カナダ、ソビエト、オーストラリア、ニュージーランドが調印して日本の降伏を受け入れた。

 この戦艦ミズーリーの甲板上には、調印式の写真や降伏文書の写し、調印した場所を示すプレートなどが置かれていた。また、この戦艦は、近代装備で衣替えし、湾岸戦争にも参戦しているのだ。

日本の降伏文書に署名する連合軍最高司令官マッカーサー(上左)、重光葵外相(上右)、梅津美治郎参謀総長(下左)と降伏文書調印式の会場を示す甲板上のプレート。

  今は、誰もが見学できる場所になっているが、かつては様々な戦争に参加したアメリカの

アリゾナ記念館(アリゾナメモリアル)
 あちこち見学しているうちに、午前11時になった。いよいよアリゾナ記念館の見学だ。アリゾナ記念館は海上にあるため、見学者は、まずビジターセンターを訪れ、そこから専用ボートで記念館へ渡るのだ。

 ボートに乗る前にセンター内の劇場で必ずドキュメンタリー映画を観なければならない。スクリーンには日本軍の攻撃が映し出されている。館内にはアメリカ人もたくさんいるが、中国人もたくさん来ている。さすがに日本人としては、申し訳ない気持ちになった。

  映画が終わって、前方のドアが開き、そこからボートに乗って、真珠湾に浮かぶ記念館に向かった。記念館は沈んでいる戦艦アリゾナの真上に建設されているのだ。ボートが接岸し見学者は順番に館内に入った。

海底に沈む戦艦アリゾナの真上に建設されたアリゾナ記念館。

 館内は遠くから見ているよりはかなり大きく、両側の窓や館内の床に開けられた大きな窓から沈んでいる戦艦アリゾナを見ることができる。海上には突き出ている赤く錆びた主砲台の周囲から今も油が流出していて何とも痛い痛しい。
 
  そして、日本軍の攻撃により戦死した1177名の遺体が、今も戦艦アリゾナと共に水の下に沈んでいるのだ。戦争の悲惨さや歴史の現実、そして二度と戦争を起こしてはいけないということを思い起こさせる施設となっているのだろう。

 日本人の私は、複雑な気持ちで海底に沈没している戦艦を眺めていた。1177名の名前の書かれた大理石の前で妻と共に合掌した。幸運にも生還した兵士が、その後亡くなった場合には、本人が希望していれば潜水夫が遺骨を沈没した館内に納めるのことだった。

アリゾナ記念館の模型。海底の内部がよく分かる。

 かつての戦友と共に眠るというのだろうか。私は、ハワイでの見学の第一番目にこの地を選んだ。今の若い人達は、常夏の楽園ハワイとこの悲劇の場所・真珠湾が結びつくだろうか。思わずそんなことを考えた。

 それと同時に、このアリゾナの悲劇を「日本人の奇襲」として済まされるのか。ここに至るアメリカの行動、それ以前の日本のアジアへの侵攻、……。何もかもがこの悲劇を招いたと私は思う。

 ガイドの日本人も、私達が単純に考えないように解説しているように思えた。日本語のガイドがついているツアーに一人のアメリカ人(日本語が分かる)も同行していた。同じ解説を聞いて彼はどう感じただろうか。

今も油が流れ出ている戦艦アリゾナの船体。

 いずれにしても、多くの犠牲者を出す戦争は避けねばならない。国を動かすリーダーの責任は重い。それらを選ぶ国民の責任もまた重い。午後1時過ぎ、複雑な気持ちで真珠湾を後にした。

ハワイ最大のショッピングセンター
  遅い昼食をとり、ハワイ最大のショッピングセンター「アラモアナセンター」へ出かけた。ここではトロリーバスの降車地点と乗車地点が異なっているのだ。バス乗り場を探すのにとても苦労した。

(日記 午前中は総会資料作り。午後1時半から世界遺産講演会に出かけた。午後4時より『親子和太鼓教室』。かなり忙しい一日だった。)

アリゾナ記念館へ渡る船(上左)、記念館内部(上右)、今も1177名が眠る海底の戦艦アリゾナ(下左)、犠牲者の名前の掘られた大理石の壁(下右)。

 

ショッピングセンターのセンターステージで行われている高校生のアトラクション。

 

センターでのバンド演奏。

 

定額で乗り放題のワイキキトロリーバス。窓ガラスも入り口のドアーもない。ガイドは運転手。ハワイの風を感じることが出来た。

 
 

ハワイ旅行記 初日-小松からホノルルへ

16 3月

ANAハローツアー
 「退職記念」兼「結婚三十五周年記念」としてハワイ旅行を決めた。いささかミーハー的な旅行であるかもしれないが、一度は行ってみたい所であった。

小松から成田へ向かう飛行機はバスのように小さかった。

旅行の申し込みはネットですることにした。先ず、行き先は決まったが、日程とホテルとその場所が問題だった。そこで、旅行ガイドを購入して少し下調べをした。日程は、村の総会が18日に行われるためにその前後の一週間にすることにした。

結局、キャンセル待ちの日程を指定して申し込んだ。というのは、同じ日程で同じホテルに泊まっても、価格は全く違うのだ。数日後、申し込んだ日程が取れるとANAからメールで連絡があった。

そして、ANAから旅行日程表(電子航空券控えが記載)が送られてきた。また、ANAによるとハワイの場合、90日以内の旅行ならば往復の航空券があればビザは免除されるが、ESTA(電子渡航認証システム)の認証が必要であるとのことだった。

ネットでESTAの認証を受けようとするとパスポートが必要であるということだった。福井へ出かけ海外旅行のためのパスポートの申請に出かけた。こうして、ESTAの認証を受けることが出来た。

出発24時間以内から、電子チェックインが出来るのだ。そして、パソコンで搭乗券を印刷することができるのだ。座席も、空席情報画面を見て指定できるのだ。こうして、全てをパソコンで申し込んで、当日を迎えた。

小松空港へは自家用車で出かけ、荷物を預けた。ここで預ければホノルルまで運んでくれるのだ。ANA3118便で3時10分に成田へ向かった。ESTAのコピーを忘れて慌てた。

その後、ANA1052便でホノルルへ。ツアーとは言え、ここまではANAの関係者とは全く会うことがなかった。このツアーは、ホテルや飛行機の手配がしてあると言うだけのことだろうか。

機内は、とても寒かった。また、往路は夜が5時間短いのだ。現地時間午前10時頃ホノルル空港へ着いた。到着後、入国検査(両手10本の指紋と顔写真を撮られた)、税関通過後空港の外へ出た。

ANAのツアーデスクでオプショナルツアーを申し込んでいる家内。

旅行日程表を見ると団体旅客専用出口へ行くべき所を間違えて一般の出口から外へ出たのだ。拙い英語で現地の人に聞いていると、向こうから現地スタッフがやって来て荷物を持ってくれ、市街地へ送ってくれた。

その後、荷物はスタッフが運んでくれるという。我々二人は、隣のホテルにあるANAの「ツアーデスク」で10分ほど帰りの日程と各種オプショナルツアーの説明を受けた。ツアーは前日の3時までに申し込めばよいとのことであった。

とにかく、明日のツアーだけは申し込んでおこうということで、再びANAのツアーデスクへ出かけ、翌日の『真珠湾まるごとヒストリカルツアー』と最終日のホテルでのショー&ディナー『クリエイション ポリネシアン・ジャーニー』を申し込み、滞在中3種類のトロリーバス乗り放題のチケットを購入した。

シャラトン・P・Kホテルの前で。

この後、、ホテルでチェックイン。部屋の中には荷物が届けられていた。今日は、ホテルの付近を散策することにした。予想よりも寒かった。街中、海辺、ホテルの周辺を散策した。海はホテルから100mちょっとの所にあるのだ。

日本との景色は全く異なり、ハワイへ来たなあという感を強くした。「今日からここで5泊か」と思うと、嬉しくなった。完全な寝不足のまま一日が過ぎようとしていた。明日のツアーは午前6時半集合だ。また、寝不足になりそうだ。

(日記 終日、総会で配布する資料作り。途中で、水菜の雪を取り除いた。夜、Y君が故障したノートパソコンを修理して届けてくれた。)

二人でワイキキの浜辺を下見。

キングズビレッジの衛兵の銃のパフォーマンスを見た後、記念撮影。

枝が垂れないように根が伸びて支えているガジュマルの樹。

南国のフルーツが並ぶファーマーズマーケット。ここでパパイアやトマトやパンを買った。

 
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3月15日

15 3月

ハワイ旅行7日目
  午前5時45分起床。午前6時45分に担当者が荷物を取りに来る。午前7時45分にバスが来てホノルル空港に向かう。午前10時55分、ANA機でホノルルを発つ。午後2時30分(日本時間)、成田空港到着。午後5時55分成田発のANAで小松空港へ向かう。午後7時15分小松空港到着。自家用車で自宅へ向かう。自宅到着は午後8時50分。無事帰宅することが出来た。

  写真を整理し、明日からハワイでの行動を書き留めたいと思う。今回のハワイ旅行で、認識を新たにしたことがある。

 ・ハワイがどういう経緯でアメリカの50番目の州になったのか。(ハワイの歴史)
 ・真珠湾攻撃に対する日米の考え方
 ・日本人(移民)とハワイ

ワイキキの浜辺で童心に返ってはしゃぐ妻春美。遠くにダイヤモンドヘッドが見える。

 今回の旅でこの三つについて、自分なりに少し情報を得ることが出来たと思っている。「常夏の国ハワイ」、「フラダンスの国ハワイ」、「世界有数の観光地ハワイ」……、これらはある一面を捉えているが、やはり上記の三つを理解した上でないとハワイの姿を知ることは困難ではないのだろうか。

 明日から、ぼちぼち遡って3月9日からのブログを書き直して(更新して)いきたいと思う。

 
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3月14日

14 3月

ハワイ旅行6日目
  午前10時55分ホノルル発のANAで成田空港へ向かう。

 
 

3月13日

13 3月

ハワイ旅行5日目
  終日自由行動

 
 

3月12日

12 3月

ハワイ旅行4日目
  終日自由行動

 

 
 

3月11日

11 3月

ハワイ旅行3日目
 終日自由行動

 
 

3月10日

10 3月

ハワイ旅行2日目
  現地時間9時30分ホノルル着。正午ホテル着。

 
 

3月9日

09 3月

ハワイ旅行初日
(日記 午後1時自宅を出発し、小松空港へ向かう。午後3時10分小松発のANAで成田空港へ向かう。午後9時30分成田発のANAでハワイ・ホノルルへ向かう。)

 
 

テレワーク

08 3月

グリーンバレー
  今から十数年前のことですが、『東京勝山会』に参加したことがありました。そこで、勝手に『勝山グリーンバレー』構想のプリントを配布しました。雪深く、仕事の少ない勝山に於いて、シリコンバレーのごとく、IT関係の起業をイメージしてのことでした。

 ITの活用が進めば、田舎にいても、都会に比べて、さほどハンディーはないだろうと考えていたからです。また、何とか勝山の活性化にもつなげられるのではないかと考えていたのです。ソフトづくり関係の若者が集まる地域になって、まちに活気を取り戻したいという気持ちもありました。

  当時の私は、若者の「起業」を期待してのことでした。自然豊かな町で、ITでの仕事と自然の中での子育てが両立すればと最高だと考えたのです。しかし、今は、この「起業」は相当の能力がなければ、ビジネスにつなげるのは困難だと考えています。

  そこで、従来のように都会などの会社に就職しながら、仕事は、自宅や田舎で行う「テレワーク」もありだと考えるようになりました。やはり、勝山の活性化という願いがあるからです。

  本心を言えば、今でも、若者達に「起業」を期待しています。一方では、よほどの能力がなければ生活もままならないだろうとも思いますが、本気に考えれば「起業」も可能ではないでしょうか。

  そこで、従来型のシステムと新しい働き方を併用した在宅で勤務ができる「テレワーク」の導入によっても、勝山での雇用確保やまちの活性化につなげることができるのではと今では思っています。

  それにしても、退職した人たちには、長年身につけた技術や技能、知恵や知識があると思っています。これらを次世代を担う子どもや若者達に生かす仕組みを作れないか、いや、作るべきだとも考えています。

 まだまだ、ITの有効な活用法があるように思います。退職者や高齢者の知恵や技術がゴミとなってしまうことは悲しいことだと思っています。これらを生かすためにもITが使えるといいなあと勝手に考えているところです。

(日記 午前10時より、鹿谷公民館で、鹿谷の60歳代のおばさん達に『銭太鼓』の指導。鹿谷町矢戸口のTさんから曲作りを依頼されて作った『矢戸口ええとこ音頭』に合わせて銭太鼓を行うのだが、音楽に対してバチの振り付けがうまく噛み合っていないのだ。約2時間みっちりと練習した。技術はすばらしい。音楽とマッチすればまだまだよくなるだろう。午後は、創作紙芝居『白山平泉寺物語』の絵を描いた。短い時間で平泉寺のすばらしさを伝えるのは本当に難しい。いよいよ明日から旅行だ。準備はまあまあできた。)

 
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