籾殻燻炭作り二日目
私達が田んぼを預ける『農事組合法人かたせ』の農舎横には、籾殻がたくさんあり、私は、里芋の畝にまいて黒マルチを掛けたりして使っている。 そして、昨日の午後から燻炭作りを始めた。昨日は午後2時から始めて午後10時頃までかかってしまった。そこで今日は午前中から昨日と同様に、玄関前で燻炭作りをすることにした。
私は、今日は窓用の雪囲いを作るために、作業は家内がほとんどこなした。と言っても、作業のほとんどは、火をつけたら後は籾殻が燃えないように見守っていればよいのだ。
炭化することと、燃焼することとはよく似ているが、全く異なるのだ。籾殻は、放っておけば燃えてしまう。そこで、籾殻が燃えあがらないように、炭化していない籾殻を上へ上へ被せるのだ。 そして、全体が炭化(黒くなる)したら、広げて水を掛ければよいのだ。昨日よりも、短時間でうまくできた。後1回ぐらいは燻炭作りをやりたい。
考えてみれば、私の若い頃は、我が家でも燻炭作りを行っていたのを覚えている。苗代に使ったという記憶がある。しかし、その後何十年も我が家では燻炭作りはしていなかった。
なぜ燻炭作りをするのかということだが、一口で言えば、燻端は、作物にはよいからだ。必要以上に農薬や化学肥料をやらなくてもよいからだ。主な、効用は次のようなものだ。
・・・・・・・(インターネットから)・・・・・・・
燻炭の特徴
・保水性・・・・・自重に対して680パーセントの吸収力
・通気性・・・・・多孔質のため空気の保持力が大きく、根張りがよい。
・保温性・・・・・色が黒いため熱吸収、保水性が高い。
・土 壌・・・・・多孔質で粒状であるために、連作障害の防止、土壌有効微生物の活性化や増殖に役立つなどである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私にとっては、燻端は、安価で作物の健康に良さそうだからだ。と言うことは、それらを食する人間にとっても、健康によいことになる。無農薬、または農薬を最小限に抑えることができるからだ。
私は今年、ショウガを作ったが、ショウガの産地では、30数回の消毒を行うらしい。私は、たったの1回使っただけだ。農薬は、いろんな作物で使われているのだ。自分で栽培すれば、それらを最小限に抑えることができる。
今日作った燻炭は、来年の野菜作りに大いに使いたいと思っている。特に、片瀬の特産物であるショウガにも使いたい。
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籾殻燻炭作り
大阪ダブル選挙ー大阪維新の会圧勝
大阪を、日本を変えられるか
国民が注目の大阪ダブル選挙は、大阪維新の会が圧勝し、大阪市長に橋下徹氏、大阪府知事には松井一郎氏が当選した。
既成政党や特定の団体の支持を受けていない分、それまでの候補者よりも自由に改革を行える立場にある。大阪都構想は前進するのだろうか。少なくとも、既成政党に所属したり,支援を受けている政治家よりは進みそうだ。
昨日読み終えた古賀茂明氏の書いた『官僚の責任』にもあるように公務員制度改革の見直しも必要であろう。誰のための公務員かが今問われている。
国民のために行動するのか、それとも、省益を守り、自分を守るために行動するのか。特に官僚の場合には、古賀氏の言を待たずとも、後者であるように思われる。
十数年前にノルウェーへ行ったことがある。北欧の国民は日本では信じられないほど多額の税を納めている。なぜ、国民はそうするのか。答えは簡単である。国家を、政治家を信頼しているからである。
今、財政不足を増税で乗り切ろうとしている。増税の前にすることがたくさんあるのでは思ってしまう。府と市の二重行政の無駄をなくすことができるのか、当選したからには、橋下市長の手腕に期待したい。
また、国政にも変化をもたらしそうである。出方によっては、大阪維新の会は国政に進出しそうである。危機を感じた国会議員がどう動くか。政界再編は必至であるように思われる。
閉塞感の漂う昨今の状況に大阪の若者達が動いたのだろうか。今後の大阪の動向に注目したい。当選したからには、国政にも良い影響を与えることを期待したい。
(日記 午前中、窓用の雪囲いを新設するためにホームセンターで材料を買いそろえた。その後、北部中学校での和太鼓の授業に出かけた。いろんなことを話しながらの和太鼓指導。もっと思い切ってやってくれたらと思う。午後、窓用の雪囲い枠の制作を始める。この作業と併行して米ぬかで燻炭作りを行った。米ぬか燻端は土壌改良にはよいらしい。なかなか思うように進まない。暗くなっても作業を続けた。)
勝山ならではの結婚式は
地域の力を活かす
昨日に続いて今日も結婚式。九頭竜川沿いの新しい結婚式場だ。何もかもが新しく、会場も広くとても気持ちの良い場所で,結婚式も和やかに終わった。心温まる結婚式だった。
待ち時間があったので、知り合いと雑談をしていた。結婚式にも、いろんなタイプがあるのではないかと思う。
(1)地元で結婚式を挙げる人(施設は十分ではないかもしれない)
(2)福井市などで結婚式を挙げる人
(3)海外で結婚式を挙げる人
(4)入籍するだけで結婚式を挙げない人
(5)会員制などであまり費用をかけずに結婚式を挙げる人
(6)その他
いろんな選択肢のあることは今の時代、望ましいことだ。この中で、地元も選択肢の中へ入れたいと思う。 そのためには、地元の特質を活かさなければならない。そんなことを数人と話していた。
私がこの話を話題にした理由は今朝の出来事があったからだ。家内がパーマ屋でセットと着付けとを依頼したときに出た話らしいが、「この頃は地元で結婚式を挙げないのでお客さんがてとも減っている」とのことだった。これは他の業者も同様だろう。
結婚式は、多くの人達や商売屋さんが関わりを持つ一大イベントだ。会場を提供し接待する人、呉服店、貸衣装屋さん、履き物屋さん、美容院、花屋さん、印刷屋さん、料理屋さん、酒屋さん、果物屋さん、菓子屋さん、贈答品屋さん、写真屋さん、ビデオを作る人、クリーニング屋さん、バスやタクシー会社、そして電車などの交通機関などであろううか。まだまだあるのではなかろうか。
結婚式を挙げた場合、これだけ多くの店が関わることになるのだ。本気になって、地元も結婚する若者達の選択肢の一つになるよう努力する必要がありそうだ。
また、私のように退職して時間を融通することができる人間は地元の活性化のために一肌脱ぐことができるのではなかろうか。もてなしの応援をするのだ。
待ち時間にこんな話をしていた。勝山ならではの、自然を活かした、心温まる結婚式を企画することができるのではなかろうか。また、勝山ならではの場所で結婚式を実施することはできないのだろうか。
恐竜博物館、ゆめおーれ、平泉寺、スキージャム、ホテル、古民家、・・・・・、考えれば色々あるだろう。公民館などの公共施設もその一つになり得る。
その前に、出会いの場を作るイベントも考える必要がありそうだ。結婚したくても出会いの場がない人もいるからだ。それにしても、今日の結婚式は心温まるものだった。
(日記 午前中、本を借りるために図書館へ行った。今日は村の親戚の結婚式。美容院へ行った家内を迎えに行き、午前10半過ぎにマイクロバスで福井へ行く。午後0時半に教会での結婚式、午後1時半からの結婚式に出席。午後6時頃に帰宅。)
結婚ラッシュ
市内での結婚式はゼロ
最近、私の村では結婚式が続いている。おめでたいところだ。しかしながら、勝山市内で結婚する人は皆無と言っていい。これでは、市内の経済は潤わないだろうなと思う。
最近の結婚式は、福井で行われることが多い。また、会場は式場併設の教会で行われる場合が多い。ただし、今日は神社併設の式場だった。福井市の I 神社だった。この神社も、結婚式は教会方式に改めているようだった。
朝、9時半に村の出席者は集会所前に集まりマイクロバスで福井へ向かった。我が家では、今日は近所のOさん、明日は親戚のYさんの結婚式が行われ、二日間とも夫婦で出席することになっている。
最近の教会などでの結婚式もかなりパターン化してきたようだ。市内の式場あるいは料理屋もアイディアで巻き返してほしいものだ。かくいう我が家も、息子達は福井の教会での結婚式を望んだ。
これは、子ども達の希望であり、拒否することは出来ない。しかし、二つだけ条件をつけることにした。一つは、自宅で結婚式(三三九度の杯)をあげること、一つは、仲人を立てることだった。後は、福井で自由にやればいいというものだった。
自宅での結婚式は、いろんな人にその方法を聞いたが、皆少しずつ異なっていた。そこで、最後には、自己流も加えて行った。また、2階の窓から派手に饅頭撒きを行ったのも懐かしい思い出だ。
若者が個性的になっている時代だ。その個性を生かした結婚式を市内の式場やホテルでできないものだろうか。知恵を出せば若者が魅力を持つことの出来る結婚式を考え出すことが出来るのではなかろうか。
と言うのも、教会型の結婚式が、かなりパターン化してきているからだ。そんなことを考えながら、式の進行を見ていた。それにしても、結婚式は新郎・新婦が主役だ。どちらもかっこよかった。私も、二人の子どもの結婚を済ませたが、思い出すと懐かしい。
(日記 午前9時半に自宅を出てお隣のO三の長男の結婚式に家内と二人で出席した。そして午後3時過ぎに帰宅した。その後しばらく休憩して、午後5時から親子太鼓の指導に出かけた。子ども達は確実に上達している。また、子ども達との関係が深まるとどの子も愛おしい。どの子も、少しずつ、自分の孫のように思えてくる。1年後、2年後が楽しみだ。)
用事を兼ねて福井ぶらつき
やっぱり本屋で「数学の参考書」
長女が学校で和太鼓を使うというので、先週貸し与えたが、今日の2限目に使い終わるというので、家内と二人で昼過ぎに福井のA小学校までとりに行った。子ども達(小2)はうまく太鼓をたたけたのだろうか。
太鼓をとりに行くついでに、壊れたギターを楽器屋へ修繕に持って行った。孫が壊したものだ。孫達は我が家へ来る度に、ジャランジャランとかなり乱暴に扱うので弦を巻く金具が壊れてしまったのだ。
古いギターなのでやりたいようにやらせておいたからだ。孫達は、音の出るものには興味があるらしく、ピアノ、ギター、太鼓などはおもちゃのように扱っている。
福井で昼食をとり、ショッピングセンターへ。平日なのであまり混んでいない。先ず衣類を買い、家内と別れて楽器屋へ行く。演歌の本を買う。前奏・間奏・後奏、メロディーの他におかず(歌のバックに入っているメロディー)もあり、編曲の勉強には最高だ。
そして、次は本屋へ行く。今日も本屋で高校の「数学の参考書」を購入した。自分が“高校の数学で大切だ”と思うことと著者の考えがどう異なるのかを調べるのも興味のあることだ。
誰とであれ、教育や数学について語るとき、私はわくわくするのだ。このときばかりは、頭の中は現役時代に戻っている。まだまだ、生徒達と数学について語りたいと思う。
他に、古賀茂明氏の『官僚の責任』を購入した。古賀氏の本はこれで2冊目だ。内容紹介にはこう書かれている。
『「霞ヶ関は人材の墓場」・・・著者はそう切り捨てる。最高学府の卒業生、志を抱いて入省したはずの優秀な人間達が集う日本最高の頭脳集団。しかし彼らの行動規範は「国のため」ではなく「省のため」。利権拡大と身分保障にうつつをぬかし、天下りもサボタージュも恥と思わない・・・・・。(以下略)……。」
かなりの部分で当たっていると思っている。しかし、私達にはどうしようもない。そんなやるせない気持ちを何とか表明したいと思って作ったのが自作の演歌『幕末青春記-龍馬』である。
歌謡浪曲『幕末青春記-龍馬』
http://song.inakamon.net/s_ryouma_kayouroukyoku.html
田舎者の私にとっては福井へ出たときには、楽器屋と本屋だけは欠かさず立ち寄ることにしている。買い出しという気分だ。ちょうど山奥の人が長い冬(冬籠もり)に備えていろんなものを買いそろえておくようなものだ。
(日記 午前10時頃所用のため福井へ向かい、最初に楽器屋へ。そして、貸した太鼓をとりに娘の勤めるA小学校へ。その後、ショッピングセンターへ出かけ、買い物をし、楽器屋と本屋へ寄る。午後5時過ぎに帰宅。夕食後、教育会館で、勝山町婦人会のみなさんに民謡指導。みんなで民謡を踊る。月に1回の練習だが、盆踊り復活には欠かせない活動だ。)
雨もまたよし
こたつで動画編集の勉強
市教委勤務時代は、動画編集もよくやった。と言っても、最初と最後は若い衆任せで、動画を編集する部分だけを一生懸命やったのだ。しかし、退職すると何もかも自分でしなければならない。特に、最初と最後(DVDに焼く)が難しい。
動画を自由自在に編集できたら、結構使い道があるように思う。まずは、自作の演歌を “You Tube”にアップできる。また、地元の観光地を世間にアピールしたり、いろいろと情報発信が出来る。静止画では表現できないようなことがいろいろ出来そうだ。
そこで、今日はアドビ社の“Premiere Pro”のマニュアルを読むことから始めた。しかし、難しい用語がたくさん出てきて挫折しそうになる。「挫折するかどうか」は、「使えるようにする」という意志にかかっているように思う。
それから、「自作民謡の振り付け」や「村の銭太鼓なの振り付け」等も、DVDに焼いて希望者に渡した方がうまく出来そうだ。子ども達の和太鼓も、レパートリーごとにDVDにしておけば、練習の成果が上がるかもしれない。
それに、自分の本職だった数学の講座にも使えそうだ。動画編集の最初からDVDに焼くところまでの基本的なソフトの使い方をなんとかマスターしたい。それと同時に今はビデオカメラはハイビジョンになっているのでこれも自由に扱えたらいいなあと思う。
今や、テレビで3D画像も見られる時代になった。ビデオでも撮影できるようになった。市内の観光地も3Dビデオで撮影したら面白いだろうなあと思う。
あれこれ考えると、動画編集は出来た方がよい。時間はあっても、やる気と難しくなったときのそれを乗り越えるだけの気力がなければならない。正月には、何らかの作品をYouTubeにアップしたい。
かつて、勝山高校で我がクラスにいて九州へ嫁いだ画家のSさんが、作詞・作曲した歌をYou Tubeにアップしている。自分で描いた素晴らしい絵をバックにきれいな歌が流れている。私も、早くアップしたいという気持ちになる。励まされている感じだ。
(日記 予想通り、朝から雨。一日の始動はゆっくりしている。午前中は、こたつに入りながら、画像編集の勉強。マニュアルは分厚く気が遠くなる。しかし、これをマスターしなければ自分の夢の一つは実現しない。何とか頑張りたい。午後は、待望の楽器を注文したり、メールの返事を書いたりして過ごした。この頃、メル友が増えた。いろいろ思い出しながら返事を書くのは楽しい。“雨もまたよし”の一日だった。)
※ 勝山市出身の画家Sさんの作詞・作曲した『金色の鳥』(絵画入り)。見てあげて下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=MYQqotXgfjw
家庭菜園の後始末
土に親しんだ1年
退職してからの私の生活軸の一つであったのは、家庭菜園や法人から借りた畝での農作業だった。考えてみれば、現役時代は、何の疑いもなく職場へ出かけて行き、そこで自分の職責を全うすればよかったのだ。
しかし、退職してからは一番の生活軸に大きな変化があった。退職後は、生活の軸が学校や役所勤めから「農作業」と「数学」に変わったのだ。それほど、私にとっては家庭菜園作業は大きなものになっていた。
そして、今日、冬や来春に向けて家庭菜園の後始末を行った。キュウリやトマトや種々の豆類に使った支柱などを片付けた。今、家庭菜園には、イチゴ、勝山水菜、エンドウ、そら豆、タマネギなどが春を待っている。雪の下で冬を過ごすのだ。
また、今日も、美味しい実を食べさせてくれたイチジクの雪吊りをした。それから、1年間自宅の大きな植木鉢で育ててきたイチジクを家庭菜園の隅に定植し、単管で雪折れしないよう固定した。
家内は、家庭菜園の道路沿いの花をパンジーに植え替え、中央にチューリップの球根を埋め込んだ。このチューリップが咲く頃には、冬も終わって春になっているのだ。今年はどんな冬になるだろうか。新たに購入した除雪機が活躍しているだろうか。
来年使う菜園の資材となる「ぬか」、「わら」なども保管した。物置の中も整理した。六呂師の牧場から軽トラックいっぱい購入した堆肥も1年間でほぼ使い切った。そこで、雪に備えて堆肥枠を分解し、車庫や作業小屋に納めた。
あれもしなければ、これもしなければと思っているうちに時間ばかりがどんどん経過して、気がつけば、昼食を食べた時間以外は、休憩することもお茶を飲むこともなく、動き続けた。午前9時頃から暗くなる午後6時まで、疲れはしたが充実した時間だった。
昨日は、自宅の雪囲い作業、今日は家庭菜園の後始末とイチジクや柿などの雪吊り。晴れているうちに作業しなければということで動き続けた。明日は、雨ならばパソコン三昧だろう。楽器も触りたい。創作もしたい。“雨もまたよし”だから。
(日記 終日、家庭菜園の後始末と雪吊り。昨日といい、今日といい、疲れた一日だった。ただ、終日、ラジオを聴きながらの作業だったので、いっそう充実していたように思う。その中で、“兼業農家の良さ(音楽家と農業)”を話す人がいて、土に接することの良さを改めて実感した。)
冬近し、されど……
冬への想い“今昔”
北陸地区に住む人間にとって冬は格別の季節だ。まずは、冬を迎えるために、かつては、いろんな備えをしなければならなかった。まずは、雪囲い。家を雪から守るために、家の周り、特に窓のある場所を囲っておかなければならない。
これは、上から降る雪に備えるというよりも、雪下ろしで屋根の上から落とした大きな雪の塊が窓を直撃するからだ。昔は、アルミサッシなどがなかったために、すきま風が吹き込み、雪囲いは防寒のためにも有効であった。しかし、今は、隙間風が入り込むことはない。
それから、樹木が雪の重みで折れるのを防ぐためにも、樹木にも雪囲いをしなければならない。我が家でそんな雪囲いをしなければならないような立派な庭木がないので、樹木の雪囲いで苦労することは少ない。
昔は、冬に備えて、野菜などを藁で作った天然の冷蔵庫である“つぐら”に保存しておいたものだ。そして、必要に応じて雪の中にある“つぐら”の中から取り出して冬の間の野菜として使ったのだ。今は、スーパーなどもあり、昔ほどたくさん野菜を保存しておく必要はない。
また、昔は、米を米俵に入れて農協へ供出したのだ。そのため、農家の者は、冬は俵を編んだり、生活に使うわら細工をするなど藁仕事をしなければならなかったのだ。冬も、かなり仕事があったのだ。それに、米俵には60kg強の米が入っているため輸送にはかなりの力が必要だった。
今は、米は袋に入れるようになり、米を入れる俵を編んだり、縄をなう必要はない。米袋には、昔の半分の30kgの米を入れるが、それでも60歳を過ぎるとかなり重く感じる。とにかく、生活様式も変わり、藁仕事は激減した。
昔は、道路の除雪にも苦労した。子ども達の通学路を確保するために、村の大人達が、当番で、新雪をかきわけ、踏み固めて学校までの道路を歩きやすくしたのだ。私達の子ども時代は、自家用車などはなく、せいぜい一家に一台の自転車があるだけだったので、大人も子どもも冬はひたすら歩くだけだった。
子ども達は、村の大人達への感謝の気持ちを持つことができた。また、冬は、自作のソリを作ったり、こたつで友達と遊んだりするなど冬ならではの遊びも多かった。
冬は大人にも子どもにも時間はゆったりと流れていたように思う。そして、雪が溶け始めると、人も動植物も活動を始めたのだ。冬が、長ければ、冬が寒ければ、冬が厳しければ、それだけ、春を待つ気持ちが強くなったように思う。
今も、私は冬も悪くないと思っている。雪害は困るが、静かで長い夜は、創作活動にはもってこいなのだ。なんでもできそうな気がする。そんな楽しみのある時期だ。
また、冬の途中で新年が始まるのもよい。寒さの中で新年が始まると、気分が引き締まる。今年は何をしようか考える機会が与えられる。そんな冬がまもなくやってくる。今年も、創作活動に時間をたくさん使いたい。
(日記 久々の晴れで、朝から晩まで雪囲い作業。家の周囲の雪囲いは完了した。あと少し庭木野雪囲いと、家庭菜園の後始末をしたら、冬への備えはかなり出来たことになる。)
中学生に「今日の一言」
太鼓で学んでほしい
週に一度、北部中学校で和太鼓を教えているが、毎回授業の冒頭に短いスピーチを行っている。いずれ習った和太鼓は忘れてしまうだろう。しかし、和太鼓の授業に先立って短時間で話したことが、誰か一人でも、いつかどこかで思い出してくれればそれでいい、そんな想いで話している。
今日は、“DREAM & ACTION”だ。誰でも夢を持つことが出来るが、そのままではいずれは幻となってしまうだろう。従って、夢を持ったら、その夢に向かって行動してほしいということだ。
以前に、「夢を持ち、それに向かって行動してほしい」ということを、英語で何と言うかとALT(外国語指導助手)に尋ねたことがある。そして、彼らは次のように教えてくれた。
“HAVE A DFREAM,AND ACT TOWARD(S) IT”
と言うらしい。(Sは米語と英語で異なるらしい。)
さらに、この、“DREAM & ACTION”とセットになっているのが、『毎日パワー』だ。どんなことでも、こつこつと毎日続ければ、いつかは大きな成果が得られるという意味だ。私は、造語が好きだ。文章で言ったことを短くまとめた言葉は覚えやすいからだ。
『知恵無限』もその一つだ。どんなものでもも限りがあるが、知恵だけはどんどん泉のように湧いてくるものだ。普段から知恵を出す習慣を持っていれば知恵はどんどん湧いてくるものだと思う。
これらは、生徒達に言っているが、一方では、自分に言っているのだ。周囲を見渡しても、出来ない理由を述べる人は少なくない。出来ない理由は、考えなくても、「時間がない。金(予算)がない。仲間がいない。……」と、いくつでも簡単に上げることが出来る。
そんなことよりも、「どうしたら出来るか」を考えてほしいのだ。これからも、授業の始まる2~3分間で、何かを伝えていきたいと思う。それと、和太鼓を学びながら、集中、創意工夫、自己コントロール、調和、協調などいろんなものを学んでもらいたいと思う。それが、『和太鼓で学ぶ』ことなのだから。
(日記 朝から雨なので、午前中は、自宅の自分の部屋の整理。その後、北部中学校で和太鼓の指導。帰宅途中、事務所裏のイチジクを取って帰る。夏以来、美味しい、イチジクを実らせてくれる。今日も、6個収穫した。明日以降も、まだまだ収穫できそうだ。午後は、デジカメの写真整理。毎日写真を撮っているが、即座に出せるかが問題。午後7時半より、オカリナ教室。来月の出番のためにクリスマスソング「きよしこの夜」、「ジングルベル」、「赤鼻のトナカイ」、「第9」などを練習した。)
今年最後の出番
猪野瀬公民館祭で『片瀬豊年ばやし』
夏頃から、我々村の銭太鼓『片瀬豊年ばやし』グループは、あちこちへの出演を重ねてきた。そして、.今日はこれまで予定に入っていた最後の出番だ。それが、地元の『猪野瀬公民館祭』だ。
11時半過ぎに、猪野瀬公民館へ向かった。「ぜんざい」と「うどん」を食べ出演準備。衣装を着け舞台袖へ。いつも心配なのは、放送設備との相性だ。音が小さかったり、雑音が入ったりでさんざんな目に遭っているからだ。
これまで何度も、トラブルに遭っているからだ。特に、出演者にしっかりと音楽が聞こえること。歌声がはっきりと入ること。これらを満足させる機器は少ない。
いよいよ本番。最初、音が小さかった。しばらくして普通の音になった。ところが中盤にさしかかって伴奏がほとんど聞こえない状態になった。まさか止まりはしないだろうなと思っているうちに、普通の大きさになった。今日もおかしかった。
私も今日は、小道具の杖を忘れてしまった。慌ててバチで代用したが、今後気をつけなければならない。今回嬉しかったことは、女子中学生のMさんが銭太鼓を演じてくれたことだ。それも、おじさん達に交じって堂々とバチを振っていたことだ。
このようにして、まあまあの状態で今年最後の出番が終わった。今日は、この後、家内達の出番が控えているのだ。これまで、8回ほど演習したが、練習の成果が今日出るかどうかが一番の問題。
最後に「さわらび会(食生活改善推進員)」の皆さんが私の作った『勝山よいとこ』と『勝ち山ほがらか音頭』を踊って下さることになっているのだが、今回は新しい試みに挑戦するのだ。新しい試みとは、背の高い女性3人を男役にして衣装も黒の法被にしたからだ。
服装は、越中八尾の『おわら踊り』を意識した衣装だ。これまでは女性ばかりの団体だったので、女踊りしか出来なかったが、今回は、男役の出来て男踊りを加えるので、見る人には楽しんでもらえるかもしれない。
そして、最後の演目である「さわらび会」の『勝山よいとこ』が始まった。女踊り、男踊り、そして、男女の踊りがそれぞれ踊られた。少なくとも見た目には、まあまあではなかったかと思う。
次に、『勝ち山ほがらか音頭』だが、女踊りの皆さんが赤いおこしを少し見せながら手拭いを使った踊りを披露し、続いて、男装した踊り手が鍋歌を使った踊り、そして最後に男女で本来の『勝ち山ほがらか音頭』を踊った。少なくとも、練習の成果は出たのではないかと思う。
私の考えでは、他県の民謡を踊るのではなく、勝山の民謡(なければ作って)に他県の踊りの要素を取り入れて振り付けを創作したいと思う。そうすれば、いつでも故郷の郷土芸能と言えるのではなかろうか。今後も、この路線を進めていきたい。
午後6時から近くの居酒屋で反省会。今年も、『片瀬豊年ばやし』のお陰であちこちへ出かけて演ずることが出来た。少しは、片瀬の知名度が上がったのではなかろうか。これらを、片瀬の特産「芋(里芋)とショウガと旨い米」の普及に努めていきたいと思う。
(日記 午前中、パソコンのファイル整理。長女の夫であるH 君が和太鼓を借りに来た。長女が自分のクラスの子ども達に和太鼓を教えるらしい。その後、公民館祭に出演するために猪野瀬公民館へ向かう。そして、『片瀬豊年ばやし』を演ずる。今年最後の出番だ。その後、家内も出演する「さわらび会」の民謡を見る。まあまあのできだった。最後に抽選会で、景品をもらった。)
猪野瀬公民館祭 「さわらび会」の踊り