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Archive for the ‘未分類’ Category

テレワーク

08 3月

グリーンバレー
  今から十数年前のことですが、『東京勝山会』に参加したことがありました。そこで、勝手に『勝山グリーンバレー』構想のプリントを配布しました。雪深く、仕事の少ない勝山に於いて、シリコンバレーのごとく、IT関係の起業をイメージしてのことでした。

 ITの活用が進めば、田舎にいても、都会に比べて、さほどハンディーはないだろうと考えていたからです。また、何とか勝山の活性化にもつなげられるのではないかと考えていたのです。ソフトづくり関係の若者が集まる地域になって、まちに活気を取り戻したいという気持ちもありました。

  当時の私は、若者の「起業」を期待してのことでした。自然豊かな町で、ITでの仕事と自然の中での子育てが両立すればと最高だと考えたのです。しかし、今は、この「起業」は相当の能力がなければ、ビジネスにつなげるのは困難だと考えています。

  そこで、従来のように都会などの会社に就職しながら、仕事は、自宅や田舎で行う「テレワーク」もありだと考えるようになりました。やはり、勝山の活性化という願いがあるからです。

  本心を言えば、今でも、若者達に「起業」を期待しています。一方では、よほどの能力がなければ生活もままならないだろうとも思いますが、本気に考えれば「起業」も可能ではないでしょうか。

  そこで、従来型のシステムと新しい働き方を併用した在宅で勤務ができる「テレワーク」の導入によっても、勝山での雇用確保やまちの活性化につなげることができるのではと今では思っています。

  それにしても、退職した人たちには、長年身につけた技術や技能、知恵や知識があると思っています。これらを次世代を担う子どもや若者達に生かす仕組みを作れないか、いや、作るべきだとも考えています。

 まだまだ、ITの有効な活用法があるように思います。退職者や高齢者の知恵や技術がゴミとなってしまうことは悲しいことだと思っています。これらを生かすためにもITが使えるといいなあと勝手に考えているところです。

(日記 午前10時より、鹿谷公民館で、鹿谷の60歳代のおばさん達に『銭太鼓』の指導。鹿谷町矢戸口のTさんから曲作りを依頼されて作った『矢戸口ええとこ音頭』に合わせて銭太鼓を行うのだが、音楽に対してバチの振り付けがうまく噛み合っていないのだ。約2時間みっちりと練習した。技術はすばらしい。音楽とマッチすればまだまだよくなるだろう。午後は、創作紙芝居『白山平泉寺物語』の絵を描いた。短い時間で平泉寺のすばらしさを伝えるのは本当に難しい。いよいよ明日から旅行だ。準備はまあまあできた。)

 
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進む高齢化

07 3月

「地区に対して何ができるか」
  夕方、用事があって集会所の前にある「村の案内図」の前で仲間と待ち合わせをした。「村の案内図」には、村の各家々の世帯主の名前が書かれている。

  時間があったので、その案内図を眺めて驚いた。一人暮らしの家庭があるのは知っていたが、増えている。高齢者の二人暮らしも増えている。そして、三人家族も少なくない。60過ぎの夫婦とその親の一方がいる場合には、ほとんどの場合、親は介護が必要だ。

  私の村では、かなりの高齢化が進んでいる。そんなに市街地から離れている訳ではないが、若者が都会へ出たままそこで定着してしまうことも少なくないのだ。勝山の場合、過疎化になるのは市街地かどうかはあまり関係がないようだ。

  例えば、役所界隈では子ども達は激減している。左義長の子ども囃子コンクールに参加できない地区も出てきているのだ。持続可能なまちを作るために、何をどうしなければならないのだろうか。

  私は、市全体としては働く場の確保が最重要課題だと思っている。働く場のなさが致命的ではなかろうか。勝山市の若者の多くは、福井方面へ働きに出ているようだ。

  しかし、冬場の通勤は必ずしも容易ではない。我が太鼓グループの女性も冬は福井で下宿しているぐらいだ。凍結した道路を通って通勤するのは、かなり危険だし、時間もかかる。

  いっそのこと、福井に近いところへ出た方が楽ではないかと考えても無理はない。地域にあまり愛着心がなければ故郷を離れることに抵抗はなかろう。

 私の持論だが、「我が家あって、ふるさとなし」の若者が増えているように思う。私は、新年度から地区の運営の一端を担うことになった。派手に行事をやるよりも村を大切にする人を増やしたい。

  私の目標は、区民が「住んでよかった」と言える片瀬にしたいということだ。鍵を握るのは、子どもや若者達だ。なぜなら、10年、20年先に地区を担うのは紛れもなく彼らだからだ。

 彼らに、若いうちから、村の一員としての自覚を持ってもらいたいと思う。難しく考えるのではなく、年齢に応じて地区と関わってほしいのだ。地区の家ベントに積極的に参加してほしいしが、その前に地区のイベントを盛り上げるために何ができるかを考えてほしい。

  小学生でも、中学生でも地区をきれいにするために、「何ができるか」、「どこをどうすべきか」を考えてみてほしい。子どもなりにできることを考えてくれればそれでいいのだ。きっと何かは見つかるはずだ。

  周囲の大人達は、子ども達がよいことをしてくれれば大いに評価してやってほしい。区民がみんなで、地区をよくするために力を合わせることができるかどうかだ。少しずつでも成果が見えれば次へのやる気に繋がるだろう。

  「一人はみんなのために、みんなは一人のために」を、スポーツだけではなく、まちづくりにも生かせないかだ。地域への愛着心を持ってもらうことができるかどうかだ。「住んでよかった」と言える地区を作るために、小さな一歩からでも始められればと思っている。

(日記 午前中、退職旅行(海外旅行)のための準備。午後は、市内の楽器店で、CD2枚と本一冊を買った。その後、家内と買いに出かける。夕食後、仲間と農業やまちづくりについて話し合う。)

 
 

「見る」と「観る」

06 3月

テレビから題材をいただいて
  私達は、昼間は目を開けているので、多くのものが見えている。しかし、それは観ているのではない。というのは、何か目当てを持っていることが少ないからである。

  意識がないと、毎日見ていても細かい部分がどうなっているのかは、分からない。身の回りにあるものでもそうだ。毎日見ていても、その形を紙に描くことは出来ない。

  また、ものによっては、いくら真剣に観ようと思っても見えないものもある。サッカー選手が、どのように戦略的に動いているのかは、素人には見えない。

  野球にしてもそうだ。プロの内野の選手が、どのような意図で動いているのか、素人にはわかりにくい。点差によって、カウントによって、アウトカウントによって、ランナーの数によって、今が何回かによって、動きが変わるはずだが、素人には理解できない。

  会社や官庁での採用試験で、これまで何度か面接官をしてきたが、自分の好みは分かっても、どの人がこの仕事に向いているかを見分けることは難しかった。

 「見る」と「観る」の違いは何となく分かる。しかし、ものによっては、観ようとしても見えないものがある。それは観ることが出来るレベルに達していない場合だ。

  職人は、普通の人間以上にいろんなものを観ることができ、感しることが出来る人間だと思う。政治家には、国民の動きが見えるのだろうか。被災地の人たちの動きが見えるのだろうか。ものによっては、心の眼を使わなければ見えないものもあるだろう。

幕府の祈願所として建立された上野の寛永寺の末寺になった平泉寺。以後、平泉寺の立場は強くなった。

(日記 午前中、創作紙芝居『白山平泉寺物語』の絵を描き、脚本を修正した。白山麓の住人と三馬場の関係を調べていると興味は尽きない。平泉寺を中心に見ても、幕府との関係、越前藩との関係、牛首・風嵐村との関係、他の馬場との関係など時代と共に変化している。これらを調べることはとても面白い。逆に作業ははかどらない。午後も作業を継続。午後5時から股関節のマッサージに大野のY整骨院へ行く。行き始めよりは、股関節の可動範囲が大きくなったように思う。)

 
 

自分の頭で考える

05 3月

自分の言葉で語る
  先日、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀“夢の旅客機 パイロット”早川秀昭』を放映していた。世界の注目を集める新型旅客機ボーイング787の世界初就航に向けたプロジェクトの最前線で頑張るパイロット・早川秀昭に密着した番組であった。

 早川氏が担う任務の一つが、就航までに機体に不具合がないかをチェックすることだ。新型機の就航まであと3週間と迫る中で行われた、実際の機体を使った70回以上にわたるフライトで、機体の不具合を徹底的にあぶりだすということだ。

  早川氏は、は「99.999パーセント機体が完成していても、膨大な部品の数から言ったらどこかが壊れているはずと思う自分がいる。機械だから信頼はするが、絶対とは思っていない」と強く語っておられた。

  新型機導入にあたって、より安全性を追求するための、パイロットを訓練する考え方についてとても頼もしく思った。早川氏が行った訓練は、実際に就航している路線を想定し、複数のトラブルが予測できない形で発生するという設定の厳しい訓練だ。

  そして、私が同感だと思ったことは、早川氏の発言だ。「より実践的な訓練でパイロットたちに単なる知識ではない、“考える力”を身につけさせるのがねらいだ。」と言っておられることだ。

  今の教育に最もかけているのは、“考える力”だと思う。今回の原発事故に対して、官邸以下、東電の担当者、専門家と言われる学者も含めて、一体全体何人が自分の頭で考えて行動できただろうか。自分の言葉で発言できたのだろうか。

(このブログを書いている最中に、テレビで南相馬市長の桜井市長が東電に対して「東電に対して最初から99%信じていない。特に経営者を全く信じていない」と言っておられた。マニュアル的な対応すら出来なかっただろう。)   

  危機に際して、マニュアル人間は役に立つだろうか。私の答えは「ノー」である。それは、事故がマニュアルが想定しているように発生するとは限らないからである。

  「考える力」がなければ、危機に際して正しく行動できないからである。早川氏の新型旅客ボーイング787に対するパイロット訓練では、787のシュミレーターで想定できないような複数の機体トラブルを発生させて、それに自分で考えながら冷静に対処させようとしているのだ。

  「考える力」、これは21世紀を生きる人間に最も必要な力だ。マニュアルは、考えなくてもよいように一定の想定の元に考えられている。これからの時代、想定通りに事が運ばない方が多いと思う。

  教育の世界でも、「考えることの出来る人間を育てる」ことが急務だ。しかし現実には、考えるよりも、結果を覚える教育が蔓延しているように思えてならない。早川氏の番組を途中ながら録画したのは言うまでもない。

農薬に頼らない野菜作りの知恵が詰まった本だと思う。

(日記 午前中、済生会病院へ。その後、家内とショッピング。本屋で『農薬に頼らない-病害虫駆除ハンドブック』をかった。農薬をなるべく使わない農法について書かれた本だ。ニラとの混植で病気を防いだりする農家の知恵が詰まっている本だと思う。帰宅してから創作紙芝居『白山平泉寺物語』の追加の絵を描いた。午後7時半から久々のオカリナ教室。楽しい時間を持てた。)

 
 

『映像記録3.11ーあの日を忘れないー』

04 3月

想定を遙かに超える東日本大震災
  テレビを見ていたら、東日本大震災の『映像記録3.11』が、NHKで放映されていた。思わず引き込まれてしまった。天災の恐ろしさに恐怖を感じた。それと同時に、人は経験則によって生きている(行動する生き物だ)いうことをつくずく思い知らされた。

  迫り来る津波の状況を、屋上などの高所から必死に伝える人がいても、それが見えない人はまさか今回のような大津波が来るとは信じられなかったようである。川を遡上する津波が来ても、岸辺でそれをのんびり見ている多くの人がいる。まさか堤防は越えないだろうという思いであろう。

  ビルの裏側まで大津波が迫っていても、ビルの表側にいる人は、全く慌てる様子がない。所によっては津波の先端は小さな波だ。それが迫っていても、まさか自分の背丈を遙かに超えるような津波が来るはずがないと思っているのだろう、急ぐ人もいる一方、のんびり歩いている人もいる。

  過去の経験から、自分の想定がその程度に見積もられているのだろうか。これまで、何度も地震が来て津波警報が出されても、小さな波ぐらいしか経験していないのだろう。過去の経験によって、人は行動するものあ。しかし、一部の人は、必死で逃げることを選択している。

  過去の経験を遙かに超える事態が発生する可能性があるということを、今回の大震災で私は痛感した。過去に経験しない事態は全国至る所で発生しているのだ。それは、災害が起きた直後の、被災者の発言がそのことをよく表している。

 「生まれて初めてこんなに雨が降りました」、「生まれて初めて……しました」と言う声を聞くからである。「生まれて初めて」とは、過去に経験しなかったということだ。各地で起こるゲリラ豪雨も、火山の噴火も、豪雪も、地震も、いろんな場所で起こるのだ。逆に言えば、自分の住んでいる場所でも、何が起こるか分からないのだ。今回の大震災で学ぶことは多い。

 古くて新しい言葉、「災害は忘れた頃にやってくる」を噛みしめなければならない。また、「過去に起こらないことが起こるのも災害だ」と言うことも、合わせて気に留めておかなければならない。映像を見ていると、なくなられた方の無念さが胸を痛める。東日本の一日も早い復興を願いたい。政治や東電ののんびりさに腹立たし苦なる。

徳川家康の次男の結城秀康が平泉寺に二百石の寄進を申し出る場面。

(日記 午前中、創作紙芝居『平泉寺物語』の追加の絵を描いた。午後も、作業を継続。)

 
 

現政権の提唱する『総合こども園』

03 3月

待機児童解消につながるか
  政府は、消費税増税による財源を活用し、幼稚園と保育所の機能を一体化した「総合こども園」を創設することを発表している。

 自民党政権下では、幼保一元化と称し『認定こども園』を作ることを進めてきたが、民主党政権下では、幼保一元化と称し、保育園や幼稚園を『総合こども園』に移行することを決めている。

 もともと、厚生労働省の管轄下に保育園があり、文部科学省の管轄下に幼稚園があるのは、縦割り行政の最たるもので、不合理だと言うことで幼保一体化が言われてきた。

 全国的に、保育園は定員オーバーのところが多く、幼稚園は園児が減少している。福井県も同様の傾向にある保育園や幼稚園が多かったが、自民党が示した『認定こども園』に移行した地区はごく少数であった。

 政府は、消費税率が10%に引き上げられることを前提にここ数年後に新システムの本格実施を想定しているようだ。また、民間の参入も認めているようだ。
 
 このような問題の前提には、都市部を中心に保育所に入所できないでいる待機児童が増え続けていることがある。しかし、待機児童解消がいわれてすでに15年以上が経過しているがこの問題は解決していない。

 というのは、幼保一元化として2006年度からスタートした『認定子ども園』は当時目標にしていた数のわずかに20%だけしか作られず、待機児童の減少につながっていないのだ。

 このような結果から見ても、現政権の進める幼保一体化策による『総合こども園』にしても同様の結果になるのではと私は心配している。それどころか、企業による参入によってはたして 待機児童問題が解決し、良質な保育が確保できるかどうかと言うことについては疑問符が付く。
 
 現在の児童福祉法では、働いている等の理由で役所に希望の保育所への入所申請を行えば、市町村の責任で認可保育所に入所させなければならないが、新制度ではこのような法的規定がなくなるようだ。

 幼保一体化は、結局、幼児教育を規制緩和して、企業の参入を容易にするという面があり、これらのよって待機児童の解消を目指しているのだ。また、現実にも行われているが、土曜や日曜、延長保育などのオプション保育により保育料が上乗せになり、保護者の負担が増加したり、十分なお金がなければ必要な保育が受けられなくなる恐れもあるのだ。

 そして、各地の実態を見ると、結局は全てが実質保育園化することになるのだ。親の都合により、子ども達を保育園に任せっぱなしになる可能性がある。核家族の増加と相まってますます祖父母の保育の機会も失われるだろう。

 待機児童の多い都会で保育園を作ればすむ話を、経済的な問題に転化し、新制度を導入しようとしているのだ。それも、消費税増税を前提に。

 このような大きな問題を、国民や地方に意見を聞くことなしに、一方的に進めようとしていることが一番大きな問題だ。野田総理も、最近声を大にして進めようとしているのだ。
 
 教育や保育の観点からも問題は少なくない。短絡的に言えば、消費税増税によって待機児童解消を狙っているように考えられなくもない。全ての国民が時間をかけて考えるべき問題だと私は思う。

(日記 午前中、創作紙芝居『白山平泉寺物語』の追加の絵を描いた。午前11時より、股関節の可動域を広げ腰痛を改善させるマッサージを受けるために大野へ行く。午後4時より、園児と小学1年生とその保護者のための和太鼓教室。今日から新曲の練習を始める。)

 
 

「川」から連想するもの

02 3月

「この川にどんな魚がいるのか?」
  私達の子供の頃、川の近くを通った場合には、「この川にどんな魚がいるのか」、「あの水草の中に魚がいそうだ」、「どうして捕まえようか」などと必ず考えたものだ。この気持ちは今も変わらない。

  米を研ぐ「そうけ(竹で編んだかご)を持ち出して、川岸に沈め、足をばたばたさせながら魚を追い込んだりした。私達は、この魚の捕まえ方を「足バッタ」と称していた。足をばたばたさせたからだろう。

  また、村の貯水池や小川では魚を釣ることもあった。釣り針は、昆虫採集に使う針だ。釣り針状に曲げて使うのだ。ミミズやイナゴの尻尾などを付けて釣ったものだ。鯉や鮒やアブラハヤなどがよく釣れた。

  こうした道具が何もない場合には、魚のいそうな石垣に手を入れて捕まえる「手づかみ」だ。魚の姿は見えないが、指先に魚が触れた場合にはワクワクしたものだ。逃げないように強くつかんだために、魚はかなり弱ってしまったが。

  九頭竜川では、手作りの「鉄砲ヤス」などで魚を捕まえたりもした。「手づかみ」や石で囲って作った池(状の囲い)に魚を追い込むことなどでも魚を捕まえたりした。川は、その大小によっていろんな遊び方があったのだ。

  今、周囲の田んぼの間を流れる川は、ほとんどがコンクリートブロックで作られている。三面張りの場合が多いが、所によっては、トンネル状になっている。こうした川の近くを通った子ども達が魚の有無に関心を持つことはなかろう。機能性を重視するあまりに潤いをなくしているように思われる。

  これでは、子ども時代の「創造性」や「想像性」を育むことは困難であろう。生き物の「命」について学ぶ機会も少なくなるであろう。時代が進み、モノが豊かになり、科学が発達し、生活は便利になっても、幸せには直接つながらないのだ。

夢中になって魚とり。(提供:宇野 博氏)

  我が村にも少しだけ(200mほど)、魚の住みそうな河川改修が行われているが、ままごとのようなものだ。効率ばかりを追い詰めた反省から生まれたアイディアだろうが、こんな事では何も変わらないだろう。

  連日、報道される詐欺事件、殺人等の犯罪、孤独死。時代が進むにつれてますます多くなるように思われる。先進国のそのような状態を知った先代のブータン国王が「国民の幸せ」とは何かを考え、「国民総生産」ではなく「国民総幸福度」を重視するようになったと言われている。よい選択ではないか。

  一方我が国では、犯罪以外にも心配なことが広がっている。今や人と人との関係を自ら持とうとしない人が増えているそうだ。そんな人たちを相手に商魂たくましい人たちが「お一人様ビジネス」を展開している。

  一人カラオケ、一人焼き肉、一人喫茶店、一人居酒屋、……など、最初から「お一人様」を相手にしたビジネスが盛んになっているのだ。この先にあるものはなんだろうか。この先に何が来るのだろうか。大震災にあった人たちは、以後「絆」を求めているというのに。

  先日の党首討論を見ていると、政治家の皆さんは、一見、政策を考えているようだが、実は、自分の生き残りばかり(政局)を考えているように思えてならない。いつも「貧乏くじ」を引くのは国民だ。しかし、そろそろ国民の「怒」が限界に達しているのではないかと思われる。

九頭竜川右岸での水泳風景。向こうに勝山橋が見える。(提供:宇野 博氏)

  「能率」、「機能」、「利益」、「勝ち負け」ばかりを優先せず、何が人の幸せに繋がるのかを考え、多少無駄に見える「あそび」を入れなければ人は幸せにならないのではなかろうか。原発村を生み出したのは誰か。考えると悲しい。

(日記 風邪気味だ。朝、医者へ行き薬をもらう。帰宅してから、午後もずっとこたつの中で「平泉寺」に関する本を読んでいた。その中から見えてくるのは、宗教という「人の心を扱う」もののなかに、権力者や政治の力が大きく作用し、人の欲得が見え隠れし、攻めたり攻められたりしている。今も昔も、人の業は変わらないのだろうか。)

 
 

親鸞聖人

01 3月

紙芝居化したいが
  我が家は浄土真宗の信者である。幼い頃から親鸞聖人の名前を聞いて育った。村の道場では、親鸞の教えを聞いたり、親鸞聖人の一代記を聞いたりしたが、なかなか全体像が理解できない。これまで、何とか自分が理解できるように紙芝居化したいと思っていた。

  そこで、去年の正月から福井新聞で連載されていた『親鸞』を12月の最終回まで全て切り抜いて保存した。紙芝居化するには。4月から1年かけて毎月最低2枚の絵を描き続けなければならない。果たしてやる気を持ち続けられるかが大きな問題だ。

  今日、見守り隊で会ったMさんが素晴らしい資料(本)を持っていることが分かった。一冊注文してもらうことにした。絵を描く場合、苦労するのは時代考証だ。どのような髪型で、どのような衣装を着て、どのような住宅に住んでいたのか、それらが分からなければ絵は描けない。

 

ちょっと描いてみた修行中の親鸞聖人。

 自作の童話と違って、脚本を書くにも、いろんな資料を見なければならない。先ず話しの筋書きを書き、脚本を書くのだ。生き生きとした親鸞を描くには、説明文ではなく、会話を多くしなければならないと思う。

  紙芝居『親鸞』は、中途半端な気持ちでは完成しないだろう。しかし、一度はチャレンジしたいと思って暖めてきた素材だ。人と人とのつながりが薄れ、若者達の宗教離れが進む中、寺院の果たす役割は小さくない。そんなとき、紙芝居『親鸞』も何かの役に立つはずだと思う。

  まずは3月いっぱい、どうするかを考えて具体的な計画を立ててみたい。やり甲斐のある素材だが、簡単ではないことだけははっきりしている。まずは、親鸞聖人について学ぶところから始めよう。そして、誰もが理解できる自分流の紙芝居『親鸞』の完成を目指して今日から一歩ずつ前へ向かって進みたい。

(日記 午前9時半から教育会館で行われた『マイタウンかっちゃま子ども見守り隊-見守り活動講習会』に出席。昔の仲間がかなりいた。日中の午前中に集まれる者と言えばほとんどが退職した高齢者であった。その中で、教育委員のMさんが話しをしたいと言うことで、午後1時から事務所で会うことにした。学校教育のこと、幼児教育のこと、親鸞聖人のことなどいろんなことを話した。)

 
 

『白山平泉寺物語』

29 2月

平泉寺の大きさ
  平泉寺の隣村の片瀬で暮らして、まもなく70年。しかし、私が、平泉寺に興味を持ったのは恥ずかしながら60歳を過ぎてからだ。それまでは、苔が有名であること、33年に1度の『御開帳』があること、発掘が進められていることぐらいだった。

  我が片瀬の背後にある山は「大師山」と言うが、大師とは誰のことかも長い間気に留めなかった。しかし、そういえば、登山口に当たる村の入り口には、子供の頃から「泰澄大師旧跡地登り口」と書かれた標柱が建っていたことを思い出す。

  また、大師山の中腹にあるのは神社か寺かということも曖昧だった。ある時までは神社扱いである時から寺扱いになったように思う。しかし、よく考えてみると神仏習合で寺であり神社であると考えてもよいのだ。

  小浜に神宮寺という寺がある。毎年3月2日に「お水送り」を行う寺だ。以前にこの寺を参拝(見学)したときに、「寺でありながら神も祀られている」とガイドの方がおっしゃった。私は、「寺の名前からして神と寺(仏)が同居していますね。」と申し上げると感心しておられた。この寺は、泰澄大師の弟子沙門滑元が創建したと言われている。

  教育委員会勤務になってから、少し平泉寺について知ろうということで、平泉寺について調べ始めた。調べれば調べるほど興味あることが次々と現れるのだ。そこで、これらの映像を作って「図書館祭り」に紹介したのが、平泉寺についての資料作りの始まりだ。

  しかし、この頃は、まだ「平泉寺時代」というのは、一向一揆による焼き討ちにあって、それらが顕海僧正によって再興される頃までだと考えていた。その後、いろんな書物を読んでいると、平泉寺時代は少なくとも「神仏分離令」の出された明治時代まで続いたと考えるようになった。

  北陸の山奥にあった平泉寺が常に中央と関わりを持っていたことが分かり、ますます興味が湧いてきた。また歴史上の有名な人物とも関係が深いのだ。そんじょそこらの寺とは訳が違うのだ。

図書館野方に作っていただいた紙芝居『白山平泉寺物語』のポスター。  徳川家康と平泉寺を結び付けるものは何か。それは、家康の次男の結城秀康だ。秀康の「秀」は秀吉の「秀(豊臣家へ養子(人質)に出され、後に結城家へ)」で、「康」は父である家康の「康」だ。2代将軍徳川秀忠の兄でありながら将軍になれなかった越前藩初代の藩主だ。

  この秀康が福井へ着任すると同時に、平泉寺へ毎年200石の寄進を申し出ている。今なら三千数百万円の価値があるとも言われている。いかなる経緯でこうなったのかは定かではないが、焼き討ちにあって弱体化したとはいえ、平泉寺の存在を無視できなかったからではなかろうか。

 豊臣秀吉と平泉寺、徳川幕府と平泉寺、歴代将軍と平泉寺、……、一見つながりがないようでも平泉寺は常に中央の政権、権力者と深いつながりがあったことが調べるにつれて分かってきた。まだまだ平泉寺ついては分からないことだらけだが、調べるに値する価値はあると思っている。

  難しい平泉寺の歴史を語るのは、専門家に任せるとして、私は素人なりに平泉寺について情報を発信したいと思っている。3月20日、大人向けに創作紙芝居『白山平泉寺物語』を演ずる機会を図書館からいただいた。光栄に思う。市民の皆さんに平泉寺に興味を持っていただけたらと思う。

(日記 午前中、「農事組合法人かたせ」のNさん宅で組合について話しをする。片瀬の農業についての話しだが、雑談も半分あった。楽しかった。私のノートパソコンが最近不具合になった。午後、私のパソコンの私設顧問(失礼)みたいな息子の友人Y君が来てくれた。修理を依頼した。)  

 
 

潜在能力

28 2月

「持てる力」を引き出す
  人は誰でも、いろんな力を持っている。しかし、一生の間にそれらを出すことなく、人生を終えてしまうかもしれない。本人も周りの人もその「隠れた能力」に気付かず過ぎてしまうのだ。

   ある意味では、恐ろしいことかもしれない。子ども達は学校へ入ると「教科」という枠の中で力を出すよう求められる。そして、知識を詰め込むよう求められる。

  知識の量は、「ペ-パ-テスト」などで測られる。ところが、この「教科」という“物差し”で、子ども達の持つ能力を測ることができるのだろうか。

  人の能力は、「教科」という“物差し”で測るほど狭くはない。人の能力はもっともっと多様なものだ。特に、ものを考え出す想像力や創造力は、狭義の「学力」とは別のものだろう。

   学校というシステムには馴染めなかったエジソンが数々のもの発明したのは、彼自身の能力とそれらを発揮する環境があったからではなかろうか。

   少なくとも、同年齢が同程度のことを学ぶ「学校」といいシステムではエジソンは自分の持つ能力を発揮できなかったであろう。

  自分の能力を発揮するには学校では十分でないからといって学校というシステムを否定するものではない。学校関係者は、「教科」以外の“物差し”があるということだけは認識していなければならない。
 
  25歳にしてフォーブスの長者番付、27歳でタイムの表紙を飾ったマックの創始者の一人であるスティ-ブ・ジョブズもある意味では学校というシステムには合わなかった一人かもしれない。

  大学時代の彼はヒッピー思想・禅・サイケデリックドラッグに心酔し、裸足で校内を歩き、一時は風呂に入らない時期もあったという。またかなりの音楽ファンで、ビートルズなどを聴きまくっていたという。これらの全てがジョブズにとっての「教科」であったのだろうか。

  ジョブズは大学に半年間通ったが、興味のない必修科目を履修することを嫌い、「両親が一生をかけて貯めた学費を意味のない教育に使うのに罪悪感を感じた」という理由で中退してしまうのだ。

 彼は、シリア人の父とアメリカ人の母(大学院生)の間に生まれたが、結婚を許さない母方の親の意見でジョブズ夫妻のもとに養子に出されてしまう。養子先の両親は大学卒業でなかったために母親は養子をしぶったという。

 彼の偉業は今更私ごときが述べるまでもない。オバマ大統領の言葉を引用しよう。
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   スティーブ・ジョブズは米国のイノベーターの中で最も偉大な一人でした。違う考えを持つことに勇敢で、世界を変えられるという信念に大胆で、そしてそれを成し遂げることに十分優秀でした。この星で最も成功した会社の1つをガレージから作り上げることで、彼は米国の独創性の精神を実証した。スティーブは毎日が最後の日であるかのように生き、私たちの生活を変え、全産業を再定義し、私たち一人一人が世界を見る方法を変えました。
           —バラク・オバマ、 The White House Blog, 2011年10月5日
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  1つの分野の能力が劣っているからと言って、嘆く必要がない。人は、誰でも「潜在能力」を持っているのだ。本人はもとより、周りの人達はそれらを引き出す努力をしたり、環境を整えることに力を入れたいものだ。

  また、この「潜在能力」というのは、肉体的な面でもあるのだと思う。人生のどこかの時期で自分の潜在能力を信じ、これを引き出す努力をしたら、人生はもっと楽しいものになるのではなかろうか。

(日記 米国に入国する、ビザ免除プログラム対象国(日本を含む)の渡航者は、米国行きの航空機の搭乗手続きを行なう前に、電子渡航認証システム (ESTA:Electronic  System
  for  Travel  Authorization)のホームページで、オンライン申請を行ない、渡航認証を取得することが必須となっているのだ。午前中、少し時間がかかったが、この手続きを済ませた。その後、創作紙芝居の2枚目の絵を描いた。午後3時過ぎに、股関節の治療(ズレを直す)のために大野のY整骨院へ行く。12日間の泊まり込みで滋賀県の実業団(野球)の投手が治療を受けていた。)