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Archive for the ‘未分類’ Category

来月の出演に向けて

27 4月

『片瀬豊年ばやし』福井で披露
  福井の木田神社の祭りに、我が片瀬の新しい郷土芸能『片瀬豊年ばやし』が出演することになった。銭太鼓に取り組む団体は少なくないが、オリジナルの民謡で演じているグループとなると、非常に少ないだろうと思う。

『片瀬豊年ばやし』の練習。中学生も参加して盛り上がった。

 芸のレベルはともかく、オリジナルであることには胸を張れると思っている。市内ではかなりあちこちで出演しているために、知名度は上がってきている。福井での演技は今回で二度目だ。

  おじさんの中に中学生(女子)も入って一緒に演技をしている。本人の希望で練習に参加しているのだ。とても前向きなのでありがたい。練習にも欠かさずにきてくれる。次世代が育つことはうれしい。 

 私としては、『片瀬豊年ばやし』はまだ本当の郷土芸能ではないと思っている。それは、歌も男の銭太鼓も締太鼓も女踊りも村の者がやっているが、まだ、音楽は私の作ったCD(カラオケ)を使っているからだ。

 伴奏も、三味線や笛、締太鼓、鉦等を使って生で演奏できたときが、始めて本格的な郷土芸能になると思っている。もう一息だ。ギターの弾ける人間なら、三味線もある程度できるはずである。フルートのできる人間なら、篠笛も吹けるはずである。何とか、生で伴奏できるようにしたい。

 同様に村の祭りで小中学生(女子)が浦安の舞を踊っているが、これもCDの歌に合わせて踊っている。この音楽も区民が生で歌えたときが、本物になると思っている。

トマトの雨よけを作った。休み中に苗を植えるつもりだ。家庭菜園作業はとても楽しい。

(日記 午前中、紙芝居の絵を描いた。出演日を逆算すると、最低でも一日に1枚は描かなければならない。今日も、午前中で1枚を書き上げた。午後は、家庭菜園作業だ。トマトを植える場所を作った。いつも面倒なのは、トマトにビニールの雨よけを作る作業だ。また、ゴールデンウイーク中にいろんな野菜を植えるられるように、畑の畝を立てた。午後6時過ぎまで家庭菜園で過ごした。午後7時半から『片瀬豊年ばやし』の練習。結構盛り上がった。)

 
 

アップグレード

26 4月

ソフトの進化について行けない
 私は、できもしないのにいろんな分野に手を出すので、パソコンのソフトもいろいろ必要になる。的を絞りたいが、あれもしたいし、これもしたいという欲望は収まらない。

 ソフトのバーションが上がると、性能が向上するのであろうが、それを使いこなせないとかえって不便になる。私は、文章を書くために『一太郎』を使っている。ダイレクトメールにつられて、『一太郎2012承スーパープレミアム』を購入した。

 メールが読めないということなので、ワード・エクセル・パワーポイントのセットも買った。パワーポイントは、アグリーで用が足せるのだがどうせならと思って購入した。そして、昨日、Y 君にインストールしてもらった。

  今日は、私が発行する区の広報誌『かたせ瓦版』を完成させるために、新しい『一太郎』を使ったが、勝手が違う。何かするたびに以前と異なるために苦労する。時間がかかったが慣れるしかない。

新聞や雑誌のスクラップのためにも是非使いこなしたいハンディースキャナー。

  しかし便利な機能もある。今日使ってみて、気に入った。それは音声読み上げソフト『詠太2』だ。自分で書いた童話も読んでくれる。校正をするのに文字を見ている必要がないから集中して聞くことができる。これは使い方も簡単なのでありがたい。

 まだ使ってはいないが、『ハンディースキャナー』も付いているのでこれは使いこなしたいと思う。新聞などの気に入った記事を切り抜いたりしなくてもデータ化できるのでありがたい。

  絵を描いたり写真を加工したりするソフト『フォトショップ』も『イラストレーター』も、動画編集の『プレミア』も自分の持っているものより今や二つほどバージョンが上がっているが、バージョンをあげるどころではない。今のバージョンを使うだけでも能力オーバーだ。

 音楽ソフト『シンガーソングライター』にいたっては、新しいバーションのものを買ったが、未だに古い方を使っている始末だ。今後も、ソフトの性能はどんどん向上していくだろうが、使う方の人間は、年をとるばかりで使いこなす能力は落ちるばかりである。

 そろそろやることの的を絞らなければと思うが、もう2,3年はこのままで頑張りたい気持ちもある。今は、どうするか、岐路に立っている。家内は、いつも、「やることを決めたら」という。あまりにも忙しそうなので的を絞れということだろう。しかし、その言葉を聞くたびにさみしくなる。

(日記 午前中、区の新聞作り。その後、市役所へ行って区の諸手続をしたり、補助金の申請について説明を受ける。午後公民館と市役所から全戸配布の広報誌などがどっさりと届く。これを班長に配るのは、かなりの作業だ。私の新聞も加えて各班長に配った。役所からは、いろんな用件の電話がかかり、道路に関しては市役所の職員と現場を見て回る。ゴミの集積所の問題について臨時役員会を早急に開催したいので、通知を書いて役員に配った。慌ただしい一日だった。)

 
 

超多忙な一日

25 4月

段取りの悪さに猛省
  「あと一日あったらなあ」といつも真剣にそう思う。何をしても、ぎりぎりになってしまうのだ。しなくてもよいことをやっている場合も少なくない。手抜きしてもよいことを一生懸命やっている場合もある。もちろんせざるを得ないことも少なくないが。

  区長になったのを機会に『かたせ瓦版』を出すと決めて一枚だけ出した。大きさはA3を二つ折りにした4ページのものだ。地区の人達に、先ず知ってもらいたいことを自分流にアレンジして書いてみたいと思う。

4月1日発行の臨時『かたせ瓦版』

  明治45年に我が片瀬の有志が発刊した『片瀬誌』によれば当時は村の年中行事が63もあったのだ。それらを紹介してみたい。この冊子になる村の名所旧跡等も紹介したい。

 みんなで心がけたいこと、珍しい話、地区の歴史、地理的なことなど、探せばいくつかはあるだろう。新年度の村の役員や、次の月の行事なども知らせたい。写真も載せたい。そう思うと、かなりの作業になる。第2木曜日の明日が発刊日だ。

 午前中は、この瓦版作りを行った。まだ1ページが残っている。明日の午前中には作り上げたい。これまでぼちぼちやってきたが、あち一息だ。

 区長としての金の出し入れも、数件有り、金融機関へ行っりした。午後は、太鼓の連中の『フラダンス教材』作りを行った。You Tubeを見ながら、振り付け表を作った。これが予想以上に時間がかかった。結局今晩の練習に間に合わなかった。

  専門家に教わらず、みんなで映像等を見ながら振り付けを考えるのだ。これはこれで楽しい。私は、バンドで彼女たちとコラボするつもりでいる。ハワイでアロハシャツも買ってきたことだし、長年の夢でもある。

 こんな事をしているから時間がいくらあっても足りなくなるのだ。それでも誰かに追おわれているわけではないので、充実している毎日だ。問題は、体力や気力が持つかどうかということだ。

(日記 午前中、地区の瓦版作り。そして、雑務。午後はフラダンスの振り付け表作り。思ったよりも時間がかかった。午後7時半より、『農事組合法人かたせ』の集会。その後、事務所へ出向いてフラを練習している連中と話し合い。その後、Y君から購入したソフトをインストールしてもらった。長い一日だった。)

 
 

「見ています あなたの姿 子や孫が」

24 4月

FBCラジオに生出演
 先週、県の子供家庭課から電話がかかってきた。「来週のFBCラジオに子育てマイスターとして出演していただけませんか」というものだった。

メインアナウンサーの岩本氏と女性アナウンサーと記念写真。(FBCのスタジオで生出演)

  中身は私が話したいことでいいということになった、そこで担当者のTさんに想いを述べた。その想いはTさんからFBCラジオのUさんに伝わった。そして、Uさんから大体の流れを書いたぺーパーが送られてきた。

 それを私が見てFBCのUさんに送り返した。そして、今日が本番である。2時半ごろ、FBCの本社へ向かった。受付で用件を述べ、喫茶ルームでテレビを見ながら原稿を見直していた。

 3時15分にスタジオ横の調整室へ入る。コマーシャルの間にスタジオへ入り本番。メインアナウンサーの岩本氏と女性のアナウンサーの質問に答える形でメモを見ながら、自分の考えを述べた。

  なるべく棒読みにならないよう苦労した。棒読みでは言いたいことが半分も伝わらないと思っているからだ。終盤は原稿なしに、リラックスして話すことができた。10分弱だったが、よい経験をしたと思っている。

 終わった後、番組は続いていたが記念写真を撮ることができた。帰り際に、番組を収録したCDをいただいた。楽しい経験ができたと思っている。
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 今日のテーマは「背中での教育」とした。私が語った一部分だけ紹介すると、

山 「最近の子ども達の放課後生活を見ていますと、児童館で過ごしたり、クラブ活動をしたり、習い事をしたり、スポーツ少年団で過ごしたりと、大人達と過ごすことが ほとんどですね。」

山 「大人の指示に従って行動したり、大人が仕切っている場合がとても多いと思っています。一見、子ども達のためにやっているようですが、大人達は結果を急いだり、自分の満足感の為にやっている場合も少なくないんです。
  これでは、子ども達が  自分の頭で考えたり、自分で何かを作り出すことは非常に難しいですね。大人の皆さんには 子ども達との関わり方に気を配ってほしいと思います。」

山 「常に大人が前に出るということは、“子ども達が自ら考える機会を大人が奪っている”ことになるんです。一歩引いて後から見守るような接し方が必要です。」

山 「時間がかかっても、最初は子ども達自身に 考えさせることが大切だと思います。失敗も次への大きなステップになるからです。時には逆境や挫折も大きなバネになるんです。苦労しながら自ら獲得したものは、社会へ出ても大いに役立つと私は信じています。」

山 「物事を教える方法は二通りあると考えています。
         ・一つ目は、学校の勉強のように、言葉などで直接教えることができるもの
         ・二つ目は、生き方や夢を持つことなど、背中で間接的に教えた方が効果があるもの
です。

 山 「親や周りの人達が、夢や興味を持って前向きに生きていれば、それを見ている子ども達もそのように生きようとす    るものです。子ども達に「ああしろ」「こうしろ」と言うよりも、自分がそうした方が遙かに効果は大きいと思います。

 子ども達が周囲の人達の背中を見て自ら動き始めたら、本物になると思いますよ。直接指導されなくても、野茂選手やイチロー選手の背中に励まされた人は少なくないと思います。周りの人達の情熱は子ども達に 伝わるものなんです。そこで、今日の私からのメッセージ。
      『見ています あなたの姿 子や孫が』
    私も自分の夢を追いかけてがんばっていきます。
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家庭菜園横の円形花壇の花々。バックに見えるのは私の事務所。

(日記 午前中、エンドウの支柱を立てた。昨年暮れに種をまいたが、まだ15cmほどの大きさしかない。エンドウは私の大好物だ。その後、原稿をチェックして昼食。午後1時頃、福井へ向かってFBCラジオに生出演。帰宅後も家庭菜園作業。午後7時から『区長の行政事務について』の説明会。最初に事務的な説明があり、その後質疑応答と懇談。私も少子高齢化に対する問題提起を行った。かなりの時間この話題で話が進んだ。)

 
 

「追われること」のありがたさ

23 4月

せざるを得ない状況に自分を追い込む
  私は、退職してからもやりたいことはたくさんある。しかし、現役時代と比べると時間がたくさんあるのでなかなか進まない。やりかけたことがいつも中途半端になっている。

 そんなとき、誰かが背中を押してくれるとありがたい。せざるを得ないからだ。こうして今までかなりいろんな事をやってきたように思う。

 村の民謡『片瀬豊年ばやし』を作るときもそうだった。歌は、全くできていないのに、練習日を決めてしまった。その日までに何が何でも曲だけは持って行かないと集まった連中に申し訳ない。

 そこで、曲だけをCDに焼いて持って行った。しかし、作詞は全く進んでいない。次回の練習日までに作らなければならない。毎日曲を鳴らし続けて歌詞を作った。

  今春も野向保育園から出演を依頼された。その日に合わせて必死に紙芝居を作った。頼まれなければ今もできていないだろうと思う。私の場合、時間があればできるというものではない。

  今年の3月20日に図書館から平泉寺の紙芝居をしてほしいと頼まれた。一応作ってはあったが、予てから場面を追加したいと考えていた。そして、必死になって脚本を作り絵を描いた。

 今回もまた、野向保育園から出演を依頼された。作りたいと思いながら中途半端にしておいた『ナマズのテツ』は脚本はできていたが、2枚しか絵が完成してなかった。

何とか完成させたい子ども向けの紙芝居。タイトルは『ナマズのテツ』。1日最低1枚がノルマ。

 出番は、来月(5月)16日。今日からノルマを決めて絵を描き始めた。1日最低1枚は絵を描くと決めた。そして、今日は2枚の絵を完成させた。野向保育園から出演を依頼されなかったら当分の間は完成しないだろう。

  時には、できてもいないのに、いろんな事を約束することがある。私はこれをアドバルーンと呼んでいる。第三者に意思表示をするのだ。アドバルーンを上げてしまうのだ。

  こうして、これまでいろんなことをやってきたように思う。しかし、この方法ではいつも同じ感想を持つことになる。「あと一日あったらなあ」と思うことだ。

  今もいくつかアドバルーンを上げている。童話や下手な小説、歌、紙芝居、……。家内などは間に合うかどうかとはらはらして見ていられないそうだ。

 追われるのもまたよし。私のように意志の弱い人間は。今の私にはアドバルーンがペースメーカーになっているようだ。お陰で結構毎日が忙しいが、それでも充実はしている。

(日記 午前中、紙芝居の絵を描いた。午後も作業を続けた。途中から、夜のオカリナ教室に使う曲の編曲作業。午後7時半より、オカリナ教室。楽しく演奏することができた。私には脳の体操になっているように思う。)

 
 

思い出の平泉寺中学校

22 4月

あれから45年
  私の第二の赴任地は、平泉寺小中学校だった。当時私は、24歳。今年還暦を迎えるのは当時の中学校3年生で15歳だった。担任したクラスではなかったが、恩師が高齢化しているとのことで私が招かれた。

今年度還暦を迎える平泉寺中学校卒業の皆さん。

  年の違いは9歳だったが、そんなに年が離れているとは思わなかった。勉強だけではなく、彼らといろんなことをした思い出があった。学校の授業の他に、部活動、音楽会、白山登山、宿直室での語らい、家庭訪問、詩づくり、……、今なら考えられないような思い出がいっぱいあった。

  卒業生の中には当時の卒業文集を持ってきた者もあった。その中には、私が彼らに贈った文章もあった。文章に添えて自作の歌が楽譜入りで書いてあった。『明日になれば』という歌だった。  

テーブルごとの記念写真。

              明日になれば

1.心に風の 吹く日あれば
      涙の雨の 降る日もあるさ
      今日が どんなに つらくっても
      今日が どんなに 悲しくっても
      明日になれば 明日になれば
      涙の今日は 昨日になるんだよ
   
      
2.親しい友との 別れもあれば
      愛した人との 別れもあるさ
      今日がどんなに 泣きたくても 
      今日がどんなに  苦しくっても
      明日になれば 明日になれば
      せつない今日は 昨日になるんだよ

 今回の還暦同窓会で校歌と共にこの歌を歌いたいという。幹事のO君から頼まれていたので、校歌とこの歌のカラオケを作ってあげた。

 最初の挨拶の後、この歌を歌うことになった。45年前の若かりし頃が思い出された。この頃の私は、学校生活が楽しくて学校へは遊びに行くように嬉しかった。

 授業と部活動と音楽(バンド)活動が全てのような生活であった。あれから45年が経ち、9歳の年の差はそんなに感じられないようになった。参加者の近況を聞くと、それぞれがそれぞれの人生を歩んでいたことがよく分かった。

 必ずしも順風満帆ではなかったかもしれないが、それぞれがそれぞれの人生を精一杯生きていたようである。そして、さらに仕事を続けようとする者、新たな人生を踏み出そうとする者、いろいろだ。

 私も彼らを見ていると、自分の人生を自分なりに充実させてこれからを生きていきたいものだと改めて感じた。同窓会の途中に、私の太鼓グループも祝太鼓を披露した。

今日集まった親父バンドの皆さん。大学の軽音楽部のOBで皆音楽好きだ。私は最年長。

(日記 午前0時半頃家内が突然苦しみ出した。下腹部に激痛が走り、我慢の限界を超えていた。そこで、医科大へ行くことにした。到着後もかなり待ってようやく診察をしてもらえた。全てを終わったのは午前4時過ぎだった。その後帰宅して少し寝た。遅めに起きて、先ず太鼓のための篠笛の練習をして、ホテルへ太鼓を運んだ。正午から始まる昭和42年度平泉寺中学校卒業の皆さんの同窓会に担任ではなかったが招かれた。ここで、私の太鼓グループも祝太鼓を披露した。その後、私のスタジオで今年初めての「おやじバンドの練習があった。今日集まったのは5人だ。今年も頭の体操としておやじバンドにも取り組みたいと思う。充実した一日だった。)

 
 

桜と団子とY君と

21 4月

久しぶりの再会
  今日は勝山の桜も満開だ。夕方、家内と二人で桜を見るために弁天河原へ向かった。駐車場へ車を止めて堤防の桜のトンネルを歩き始めた。

桜と一緒に記念写真。

  明日は雨が降るという。今年の見納めかもしれない。家内と二人で堤防を歩いていると、時々知り合いと出会う。立川のテントでソバを食べようとテントの中へ入ると知り合いのSさんと出会い、ビールをごちそうになった。

  次のテントで団子を買おうとすると、今度は昔の仕事仲間のSさんとばったり。いずれも懐かしかった。さらに次のテントでは知り合いのSさんのお父さんと出会ったのであいさつすると、テント(茶屋)の中へ案内された。

  そこでなんと3年ぶりにY君と再会した。他に、彼の弟さんとおばあさんもおられた。また、模擬店にはお母さんもおられ、唐揚げなどをいただいた。

妻も桜と記念写真。

  Y君は、私の娘と同級生で、単身アメリカへ渡り、数年前にカリフォルニア州のサンディエゴで中古車や新車などを販売する「CAR BANK」を設立したのだ。従業員は20名あまりいるという。これだけでもすごいことだと思う。

 Y君のサンディエゴの会社( http://www.carbankinc.com/ )

  私は、彼の高校時代に背中を押したような所があるので彼の動向にはいつも注目していた。彼が日本へ帰ると、話をするのが楽しみだった。

 今回も、しばらくは日本にいるという。久しぶりの再開で積もる話しをした。彼と話をしているうちに、私はパワーをもらったような感じがした。今後の彼のアクションにも注目したい。

桜と鯉のぼりは今や4月の勝山の風物詩。

  彼は日本にいても、ネットを使いながら仕事をしているという。車を輸入したり輸出したり、部品を仕入れたり、販売したりしているという。またドライビングスクールもやっているという。時差の関係で仕事は深夜になることが多いらしいが。

 まだまだ話をしたかったが、「今度は一緒に飯でも食べよう」と約束して別れた。帰り際に彼のお母さんからお土産までいただいた。

 桜を見て、団子やソバを食べビールを飲み、思いがけないY君との再会。とても楽しかった。家内曰く。「桜って人と人と出会わせるんにゃね」と。

Y君と模擬店で記念写真。楽しい時間を持つことができた。

(日記 午前8時より法人から頼まれて農作業。今日の作業は里芋の植え付けだ。その後、帰宅して童話を書いた。昼食後も午後2時15分まで童話を書き続けた。実は、私は童話サークル「かっちゃま児童文学会」の代表で、今日の午後3時からその例会があるのだ。おまけに、作品を書いておかなければならなかったのだ。宿題のしてない子どものようなものだった。午後3時から会員同士で作品を読み合い、感想を述べ合った。次回は、この会の顧問で児童文学者・藤井則行先生をお招きして会員の作品を批評していただくのだ。私の童話のタイトルは『弱虫惣兵衛』だった。例会の後、妻と桜を見るために弁天河原へ出かけた。そこで、久しぶりにアメリカで会社を経営しているY君と再会し、楽しい時間を持つことができた。充実した一日だった。)

 
 

中国の若者達

20 4月

中国技能実習生にに講話
  大野市の研修センターで中国から来た技能実習生に日本の文化と習慣について講話をすることになった。これで2回目だ。来月にも同様の講習がある。

熱心に講義を聴く中国研修生の皆さん。

  彼らは、中国で約3ヶ月間、日本語や日本についての講習を受け、さらに、日本で約3週間の導入講習を受けて各職場へ派遣されるのだ。今回のメンバーは講習後、福井県内屋石川県内へ派遣されるメンバーだ。

  少し、日本語ができるがまだまだだ。通訳は派遣先である中国から研修生と一緒に日本へ来た人であった。 研修センターの中国人のスタッフは、「なるべく優しい日本語で彼らに話かけてほしい」と依頼された。

  日本人が早口で話すと、彼らは意味が分からないので話を聞こうとせず、通

家内のリードで日本の歌「ふるさと」を歌う中国研修生の皆さん。

訳の言うことしか聞かないようになるとのことであった。身振り手振りをまじえてゆっくりと話した。

  研修中の態度は見事であった。部屋へ入るなり、全員が起立して迎えてくれた。私の話すことをメモする彼らの目は輝いていた。日本で働くぞという姿勢がありありと見えていた。

   石原発言などで日中関係は微妙であるが、今私の目の前にいる中国研修生は素朴で真面目であった。私は日本文化に触れる前に、「あかおやま」について話した。よりよい社会人になるために、
 あ……挨拶
 か……感謝
 お……思いやりの心
 や……約束を守る
 ま……マナー

日本の民踊を踊る中国研修生の皆さん。

の5つを守ってほしいと伝えた。話すたびに、全員が大きな声で「はい!」とこたえてくれた。その後、日本文化や奥越前に四季についてパワーポイントを使って話した。

  また、日本の農業や奥越前の観光地などについても触れたし、越前大仏や勝山城と中国との関係についても触れた。国のトップがどうであれ、私達はお互いに仲良くしましょうとも述べた。

  座学だけでは疲れるので、歌の時間も設けた。家内に応援してもらって「ふるさと」と「四季の歌」を練習してみんなで歌った。伴奏のアコーディオンが聞き取りにくいほど大きな声で歌ってくれた。

  また、最後には、県内に伝わる民謡「越前千本搗」と氷川きよしの「ときめきのルンバ」を練習し、一緒に踊った。こうして和気藹々とした中で導入講話は終わった。

  おそらく、彼らとは二度と会わないであろう。しかし、私の心の中には、彼らの素朴な姿が印象に残った。日本の職場では苦労するであろうが、一生懸命頑張って無事勤め上げ、帰国してほしいと思う。

  彼らならできるだろうとも思った。午前9時から11時45分頃までとても楽しい時間を過ごすことができた。来月の講話も楽しみである。

(日記 午前9時より午前11時45分まで中国研修生の皆さんに日本文化などの講話を行う。とても楽しかった。午後少し休んで明日のために童話を書き始めた。久々の童話でとても楽しかった。タイトルは『弱虫惣兵衛』とした。本当の弱虫とは誰か、話の中で考えてもらえればと思う。夕方、異なる品種の里芋を少し植えた。また、家庭菜園と法人から借りた畑を見回った。)

 
 

お金と夢と生き甲斐と

19 4月

金は弥陀ほど光るか?!
   お金のありがたみを感ずることは少なくない。しかし、お金は必要条件であっても、十分条件ではない。某会社の社長のように子供の頃から何不自由なく育ち、金もたくさんあった。

  しかし、その金をうまく使えず(他から見れば)、億単位で賭博に使い、首が回らなくなってしまった。もっと少ない金でも使いようによっては、夢のあることに使えただろうに。

  それなら、金がなければ不幸か?そうでもないと思う。もちろん“お金がない”にも程度はあるが。飯も食べられないようでは困るが、車を持てなくても、ブランド品を着れなくても、ごちそうを食べられなくても、それだけでは不幸にはならない。

  発展途上国の子ども達が、素足での山を駆け巡り、川で泳いだり、粗末なものを使っておもちゃを作ったりしている姿は、決して不幸には見えない。それよりも、放課後はろくに遊ぶ時間もなく、習い事や塾へ通う子ども達が幸福であるようにも思えない。

  果たしてどちらの方が生き生きしているだろうか。どちらの子どもの方が夢を持っているだろうか。どちらの子どもの方が兄弟や親と仲良くしているだろうか。

   エネルギーに限度があるように、経済発展にも限度があるように思う。かつての日本は貧しかった。日本人の作るものにろくなものがなかった。メイド・イン・ジャパンは粗悪品の代名詞だった。

  時計や精密機械は、スイス製が幅をきかせていた。日本人は貧しく、食べることで精一杯であった。アメリカやヨーロッパは物質的にも恵まれていた。しかし、一生懸命働き、立派な製品を作れるようになると、日本の立場はどんどん上がった。

  日本製品は、それだけでブランドとしての価値があった。車もカメラもテレビもビデオも世界に誇れる品物になっていった。ところが、韓国や台湾の製品はかつての日本のように、あまりよくなかった。

  韓国の車やテレビがどんどんよくなっていった頃、まだ中国の製品はよくなかった。しかし、それもどんどんよくなってきている。こうして発展途上国がどんどん力を付けている。インド、ベトナム……、と続き、そのうちにアフリカも発展していくだろう。

  ところが、今の日本はこうした国々の発展とは逆に衰退しつつある。国民の生活も二極化しつつある。戦後の日本にあった“貧困”という言葉が発展と共に消えていったが、今また、“貧困”という言葉が復活しつつある。

  経済発展にも限りがあるのだ。そろそろ豊かさの尺度を“人間らしさ”や“幸福度”に変えなければならない時代ではないのか。たとえ、物質的に恵まれていなくても、幸せは変わらないと思う。

公民館での二つの会の総会に出席。まちづくり等について協議する。(右端が私)

(日記 午前中、区長としての事務処理のために、奥越合同庁舎の県税事務所、税務署、司法書士の所へ出向いた。午後1時より市の区長会理事会に出席。その後、明日の準備のために大野市の研修センターへ行く。午後7時より、社会福祉協議会の総会、フレッシュ猪野瀬フォーラムの総会、そして区長会に出席。猪野瀬のまちづくりなどについて協議する。)

 
 

『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』

18 4月

定期検診と書籍
  今朝は午前7時に家内と一緒に家を出て済生会病院へ向かった。2ヶ月に1度の定期検診で、予約は午前11時半だが、予約なしに整形外科で腰を診てもらうために早く家を出た。

  午前8時前に病院に到着したが、整形の受付は初診のために午前8時20分からしかできないという。少し早すぎた。整形の診察は案外早く終わったが、レントゲンを撮り2度目の診察は12時を過ぎてしまった。整形だけで4時間ほど待ったことになる。

  その後、予約の検診を終えた。午後1時前にようやく診察を終えた。全部で10分余りの診察に行き帰りの時間と待ち時間を合わせる6、7時間かかったことになる。仕事を持っていたら大変なことになる。病気はするものではない。

書籍1  待っている間の私の楽しみは、「アイポッド」で音楽を聞きながら、週刊誌を読むことだ。最初に記事を読んでいて気になった本があった。

  大橋巨泉氏の紹介している『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか(C・ダグラス・ラミス著)』という長いタイトルの本の紹介だ。先ず、このタイトルが私の心を捉えた。

  この本は今から11年半前の2000年に書かれたという。大橋氏が紹介している部分で自分も感心した部分を抜き出すと以下のような部分がある。

・政治家は万能薬として自由化を持ち出す(TPPなど)。しかし、貿易の自由化は実は「投資の自由化」
であり、それは「搾取の自由化」である。

・ 経済成長というのは、一つのイデオロギーである。植民地主義、帝国主義、経済発展、グローバリゼー
ションと言葉こそ変われ、中身は同じ。

・地球の自然や環境を破壊しつつ、成長だけを追っていたら、今に地球は人類が住めない星になってしま
う。今我々の乗っている船は間違いなく氷山に近づいている。(タイタニック号は氷山に気づかなかった。)

・ゼロ成長を歓迎する。そのために“対抗発展”をすすめる。
  ※対抗発展とは、「減らす発展」だ。・個人の働く時間を減らす。 ・エネルギーを減らす。 ・値段の付いたものを減らす。等々。

・経済以外のものを発展させる。経済以外の価値、経済以外の人間の活動、市場以外のあらゆる楽しみ、行動、文化などを発展させる。

 そして、著者は3.11の10年以上前に原発についてもはっきり書いているそうだ。

足羽山のしだれ桜。満開だった。

・原発があれば、いつかまた放射能が漏れる、事故は必ず起きる。反原発運動は、ユートピア主義とか、理想主義とか、何かのイデオロギーに基づいた運動ではなく、現実に基づいた運動である。

書籍2 書評を読んでいたら、次の本も気になった。『メルトダウン(大鹿靖明著)』という本だ。評論家の佐高信氏が書評を書いている。

 原発事故が起きても、保身と権益のために、暴走する官僚と民僚の姿をドキュメントとあり、今や日本の頭の部分がメルトダウンしているとしている。

 二つの本はいずれも、読んでみたい本だった。 

手の届くところで満開になっている桜。とてもきれいだった。

(日記 午前7時に家を出て、午後1時頃二つの診察が終わった。かなり待つことになったが、検査の結果、数値が少し改善していたのが、せめてもの救いか。その後、昼食をとり、家内と二人でミニショッピング。そして、足羽山へ花見に出かけた。青空の見えるよい天気で桜は満開。まさに桜花爛漫であった。帰りに、本屋へ寄った。『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』は本屋になかったので注文した。『メルトダウン』はあったので購入した。それにしても、日本の中枢は、メルトダウンしている。統治能力を欠いているように思えてならない。既存政党に国民の厳しい審判の下る日がそう遠くないかもしれない。そして、官僚にも。)