4月から準備を始めた今年の『2019 勝山ふるさと祭』は終わった。いつも痛感することだが、始まったら終わるということだ。
となれば、やはり本気で取り組まなければ事はうまく運ばないだろうし悔いがのこるだろう。いくつか妥協したことがあったがとにかく終わった。次回の反省としたい。
練習会に新しい参加者の顔が見えるのは嬉しいものだ。練習会を重ねる毎に新しい顔が増えて心強く思えた。
4月から準備を始めた今年の『2019 勝山ふるさと祭』は終わった。いつも痛感することだが、始まったら終わるということだ。
となれば、やはり本気で取り組まなければ事はうまく運ばないだろうし悔いがのこるだろう。いくつか妥協したことがあったがとにかく終わった。次回の反省としたい。
練習会に新しい参加者の顔が見えるのは嬉しいものだ。練習会を重ねる毎に新しい顔が増えて心強く思えた。
増える踊り隊メンバー 『勝山ふさるさと祭』の演し物の最後を飾るの「盆踊り」だが、その直前に行われる《民踊まち流し》のメンバーが増えている。それは、新たに勝山市役所と福井銀行の若手が参加してくれたからだ。
《民踊まち流し》で踊られるのは「勝山よいとこ」であるが、この踊りはある程度練習しなければならない。それは、多少見せる(魅せる)要素のある振付がなされているからだ。
そのためには一定の練習をしなければならない。しかし、若手の皆さんはそれぞれ仕事があって十分な練習ができない。そこで、少しでも自主練習ができるように、振付表を配布し、YouTubeに練習用の映像をアップさせていただいた。大いに利用していただきたいものだ。
神社の太鼓 かつては、どこの神社でも秋祭りなどには長胴太鼓が境内の片隅に置かれていた。そして、太鼓の好きな者や子供達が太鼓を叩いていた。時には地元のおじさん達も楽しそうに太鼓を楽しんでいたことを思い出す。
個人打ち(野良打ち)と団体打ち 太鼓の楽しみ方もいろいろである。かつては、地元の神社で大人達が楽しそうに叩く太鼓を見ていた子供達が、
「いつかは自分のあのように、かっこよく太鼓を叩きたいものだ」
と密かに思い、見よう見まねで太鼓を練習したものである。町の中心にある神明神社でも境内の片隅に太鼓が置かれ、太鼓好きがその周りに集まり、太鼓を見たり、自分で叩いたりして楽しんだものである。
こうした原則二人で叩く『野良打ち』は、今や各地の神社からすっかり影を潜めてしまった。左義長ばやしを別にすれば、太鼓と言えば団体打ちが主流になってしまった。そして、神社で太鼓の音を聞くことはなくなってしまった。太鼓と言えば、部活動で練習したり、大きな会場でイベントの時に楽しむ鑑賞中心の芸になってしまった。個人でも団体でも楽しむことのできる素朴な芸であってほしいと願っている。
『勝山ふるさと祭』で“野良打ち”復活を願う 各地域で○○太鼓を創設してきた私にもその責任の一端はあると思っている。そこで今回の『勝山ふるさと祭』の芸能発表では、敢えて“団体打ち”の形をとらず、“野良打ち”を中心に太鼓の楽しさを伝えたいと思っている。
幸い、和太鼓集団「倭」に所属していたプロの和太鼓奏者・大久保哲朗さんや大日太鼓の浅井さんが主旨を理解して下さり、“野良打ち”で太鼓の楽しさを伝えて下さるとのことである。
また、中学校で大久保さんに和太鼓を教わった南部中学校の生徒さんも“野良打ち”に参加してくれるとのことである。
“野良打ち”と“団体打ち”の二つのスタイルで誰もが和太鼓を楽しむ雰囲気が生まれ、地域の祭りで太鼓の音が響き渡ることを期待したい。
旅行最終日~長野へ寄って帰宅
旅行最終日。北海道の釧路から始まって、札幌、旭川(動物園)、富良野、室蘭、江差、松前、函館と見学し、津軽海峡をフェリーで渡り、大間へ上陸して東方へ移動。その後十和田湖へ寄り、盛岡から宮古へ移り、ここから東北の被災地を巡って福島まで行き、最後にスパリゾートハワイアンズへ寄り、さらに、埼玉の次女の家へ寄り、長野県へ寄り帰宅したのだ。最初は日本海フェリーで小樽へ渡って始まった10日あまりの北海道・東北旅行は終わった。
「ダブルナビ」としたのは本当のカーナビと助手席に座る妻の案内(ナビ)のダブルナビで無事全行程を終えたからだ。無事帰宅できてよかったと思う。車での10日かあまりの旅行はこれで二回目だ。一回目は家族5人での北海道旅行、そして今回は、6人の孫がいての二回目の旅行だ。いずれも出発は北海道の小樽であった。
頭の体操を兼ねて「トーク・アンド・ミュージック」
ギターのOさん、かっちゃまの「五木ひろし」と言われるYさん、そしてウインドシンセサイザーの私。慰問活動の場合には、リズムセクションは、自作のカラオケ。リズムセクションとは、♪ブンチャ、ブンチャ♪とベース、ピアノ、ドラムでリズムを刻むパートのことだ。
大きな舞台では、全て生バンドでやりたいが、小さなホールや部屋では当分この編成で行きたいと思っている。一度、この編成でやってみたが、まあまあだったので、この調子でいきたいと思っている。
4月の第3日曜日には「ゆったり勝山」でやることになっている。バンドには種々の楽器が使われている。しかし、どのような楽器が使われていても、ギターとウインドシンセサイザーで演奏するのだ。編曲は大変だが、演奏も大変だ。
観客の皆さんと短くいろんな話を楽しみながら、演奏したいと思っている。Y さんのいろんな演歌に私の作ったオリジナル演歌、そして、楽器演奏を交えてやってみたいと思って、今、週に一回ペースで練習している。
ジャズも練習だけはしているが、まだまだだ。でもやっているだけでも楽しい。夏になったら、オール生でハワイアンバンドをやり、フラダンスとともに活動したいと思っている。何よりも、指を使うので、頭の体操にもなるのではないかとひそかに期待している。
若者に活躍の場を 2006.1.5
自分のことしか考えられなかった人間がある地位を得て、急に活躍することはよくあることである。
教員の世界で言えば、教頭や校長などの管理職になると、大丈夫かなと心配するような人でもそれなりに以前と比べて視野が広がり、他に指導できる人間になるから不思議である。
また、昨日まで学生だった者が教員になったとたんにそれらしく振る舞うから不思議である。周りから「せんせい、先生」とおだてられ、すっかりその気になって自分の力を過信するのは困ったことではあるが。
PTAの役員でもそうである。学校や子供のことをあまり考えなかった者が、委員長や会長になると立派な挨拶をし、教育に関心を持つから不思議である。
もっとも、私も、子供のおかげで親にしてもらったようなものである。妻のおかげで夫に、そして男にしてもらったようなものである。
こう考えてくると、人はどのようにも育つように思われる。置かれた環境、立場によって、考え方まで変わり、それが行動にも影響を及ぼすのである。
しかし、こうした立場や役職の中には、失われるものもある。いつまでも、会長でもあるわけではないし、いつまでも社長であったり、先生であるわけでもない。
しかし、いつまでも昔の名前で人前にしゃしゃり出て周囲のひんしゅくを買う人がいるが、そうはなりたくない。「○○退職校長会」などはその最たるものであろう。辞めてもなお“校長”の名を離せないらしい。地位を離れたら、その立場で肩の力を抜いて人生を送ればよいではないか。
全ての地位を退いてなお渋く光る人間がいるが、それこそ本物であろう。間違っても“教師の職業病(No.13参照)”にはかかりたくないものである。
今私たちが為すべきこと、それは、『若者にこそ、彼らに相応しいポジションを与える』べきではなかろうか。『彼らに相応しい活躍の場を与える』ことではなかろうか。
私たちは真剣にこのことを考えるときではないか。青少年に活躍の場を与えること……。次代を担うのは間違いなく彼ら若者なのだから。