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Archive for the ‘未分類’ Category

MA-KUN・・・・・日本人に勇気を

05 4月

デビュー戦

三振を取るマー君。

三振を取るマー君。

マー君移籍の 初登板
見ている者まで 緊張だ

憧れ縦縞 身に着けて
今日は男の 晴れ舞台

幸先のよい 先取点
2点はうれしい プレゼント

初登板で 一番に
メジャーの洗礼 ホームラン

続く2回は 運悪く
エラーがらみで 逆転だ

その後チームは 追加点
調子は徐々に 尻上がり

大リーグ初勝利のインタビューで「ただ、うれしいです」と喜びを爆発させるマー君。

大リーグ初勝利のインタビューで「ただ、うれしいです」と喜びを爆発させるマー君。

スーパースターの ジーターも
ベンチで見守る 大舞台

7回終えて 3失点
さらにチームは 追加点

先輩イチロー 3安打
先輩黒田も いる前で

マー君メジャー 初勝利
われらに勇気 ありがとう

(日記 午前8時からマー君が登場する大リング野球『ヤンキース対ブルージェイズ』をテレビ観戦。初回先頭打者にホームランを打たれどうなることやらと緊張。その後尻上がりに調子をあげて初勝利。よかった。マー君の活躍は私のような年配者にも勇気を与えてくれる。私も、自分の出来る何かをしなくっちゃと思ってしまう。おそらく日本の若者にも刺激や勇気を与えたのではなかろうか。)

 
 

二人だけの慰労会

31 3月

区の役員最後の日
二年前、地区の区長を仰せつかった。そして、2年間、自分なりにはできることをやったつもりだ。そして、今日がその最後の日。

朝から、最後の残務整理。書類箪笥や残った書類を新区長宅に運んで一件落着。さわやかな気分になった。朝から、家内と二人で外食をしようと決めていた。

午後5時半過ぎに、焼く鳥屋へ出かけた。ビールとウーロン茶で乾杯。家内にもいろいろ助けられた部分がある。あれをやったか、これをやったかとこちらの忘れそうなことをいろいろ思い出させてくれた。

10人の役員とその奥さん方とのお別れ会も三国でやり、短い時間を過ごした。ここ数日間、いろいろ歓送迎会などがあったが、今日の家内と二人での慰労会で、飲み会はすべて終わり。

明日からは、新しい日々が待っていると思うと、うれしい。一番うれしいのは、多くの時間が自分に帰ってくるということだ。この時間を有効に使って、あれこれやりたいことに取り組みたい。

(日記 午前中は、最後の残務整理。午後は、書類等の入った箪笥と共に新区長のもとへ運んだ。種々のカギも玄関に掲げる看板等もすべて運んでさっぱりした、自宅の本箱を占拠していた様々な書類などを運び出したので、その空いた部分に自分のいろいろな書類綴りや書籍を並べた。その後、家内と二人でイチゴに黒マルチをかけた。そして、場所を移してニンニクと玉ねぎの根元に燻炭を入れた。効果があるのかないのかわからないが、自分では満足している。午後5時半から家内と二人で焼鳥屋へでかけて私の慰労会。二年間の区の役員としての役目を終えた。)

 
 

『かたせ瓦版』

26 3月

いよいよ最終版
2年前の4月の創刊号を皮切りに、毎月2回『かたせかわら版』を発刊し続けてきた。市の配布物のある第2、第4木曜日に合わせて、それぞれA4裏表(A4で2ページ)、A3裏表(A4で4ページ)を発刊してきた。
そして、この3月の第4木曜日が最終号の発刊となった。臨時号も含めて全部で50号だ。今日は、終日、編集作業に取り組んだ。もっとも時間がかかるのは、違い探しの絵を描くことだ。

第4木曜日には、子供たちのために『違い探し』のコーナーを設けてきたのだ。この違い探しの絵を描くのに、朝から始めて午後2時ころまでかかってしまった。「はがき」よりも小さい絵を一枚描くのに半日以上かかった計算だ。

午後は、「退任のあいさつに代えて」と題して自分の考えを書いた。2週間に一度のペースでのかわら版の発刊は楽しい作業であったが、忙しい時には苦しくもあった。

途中で地区の農地保全協議会の会議があったので作業を中断せざるを得なかった。午後9時ころ帰宅して、さらに作業を続け、ようやく編集作業を終えることができた。この2年間の最後のかわら版の編集作業はこうして終わった。

「毎回楽しみにしています」という一部の人の声に支えられてこの2年間作業を続けることができた。90歳を超えた方から、記事の内容についてアドバイスをいただくこともあった。

おそらく、見向きもしない人もあっただろう。しかし、2枚の「違い探し」の絵の中の7つの違いを見つけて我が家へやってくる小学生に、ささやかなお菓子や学用品をプレゼントするのは私の小さな楽しみだった。

これからも、何らかの形でこのような『かわら版』を発刊できたらと思う。地区にこだわらず、テーマを見つけて取材し、別の形で瓦版を発刊できたらと思っている。締め切りを気にすることなく、出したいときに、気楽にできたらと思う。

(日記 午前中は、もっぱら『かたせかわら版』の編集作業。その後、総会後の区の会計処理作業。午後1時半過ぎから、新区長のTさんと区長の引き継ぎ作業。区を運営するための課題などを話し合った。午後4時半から高校生の数学指導。これはこれで楽しい。午後7時から農地保全協議会の会議。私も役員の端くれだからだ。帰宅後、再び、瓦版の編集作業。午後11時過ぎにようやく終わった。最終号だったのでほっとした。)

 
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裸の大将

21 3月

録画して時々楽しむ
ある時、テレビのチャンネルをあちこち動かしていたら、山下清画伯の『裸の大将』をやっていた。以外の面白いので、録画して家内と二人で見ることにした。

再放送なので一回に2話ずつ放映されるのだ。ストーリーはかなりパターン化しているが、それでも、山下清画伯役の芦屋雁之助と出演者のやり取りが面白い。

特に、人情味の薄い現代にはない暖かなドラマだ。もうひとつ面白いのは、各回に登場する俳優だが、懐かしい名前が並ぶ。有名は俳優の若かりし姿が見られる。

懐かしいと同時に、時間は過ぎていることがよくわかる。それと同時に、自分も年取っていくことがよくわかる。

このドラマの毎回のエンディングは毎回パターン化している。最後には、「清」とみんなに呼ばれていた主人公が「山下清画伯」であることがばれるのだ。

水戸黄門は自らを黄門と名乗って悪人を懲らすが、このドラマでは「山下清画伯」であることがばれた瞬間に「清」はその場を逃げ出して旅に出るという設定だ。

とぢどき、涙が出る場面に出会うことがある。そんなわけで私はこのドラマを毎回録画して家内と二人で笑いながら見ているというわけである。

(日記 終日、区の総会の資料整理。もうすぐ総会だからだ。)

 
 

数学を楽しむ

19 3月

錆びた頭をリフレッシュ
突然、隣の高校生から「数学を教えてほしい」との申し出があった。錆びつきかけた頭をリフレッシュするのには最高だ。おまけに、私は、数学の参考書を作れないかを考えている時期だ。

現役の高校生と数学について話ができれば、参考書作りには大いに役立つだろう。何よりも、うれしいのは、今でも数学にかかわれることだ。

思えば、いろんなことについてチャレンジしてきた。間口を狭くしなければと思っていた矢先だ。どんなに間口を狭くしても、私には数学は残っている。

長年、高校生に数学を教えてきたので、やはり数学をしているときが一番楽しい。授業をしなくなってから15年が過ぎた。でも、数学の問題を見ていると、昨日のことのようによみがえる。

数学を教える時が、やはり一番楽しいと思う。子供たちが少しでも数学が好きになるように、少しでも数学がわかるようにするのは私の最大の楽しみだ。元高校数学教員の性だろうか。

(日記 午前中はもっぱら、地区の決算総会の資料づくり。午後も作業を継続。夜になってようやく総会で使う資料の印刷原稿ができ上がった。)

 
 

二つの体操

18 3月

たかが銭太鼓、されど銭太鼓
冬期間休んでいた銭太鼓の指導が再開。2年ほど前から『鹿谷町すいせん会(女性6名)』の皆さんに銭太鼓を指導することになった。

だいたい月1、2回のペースで鹿田に公民館へ出かけて指導を続けてきた。メンバーの年齢は50歳代、60歳代、そして70歳代だ。

やめる人もあれば、始める人もある。初心者はなかなか銭太鼓のバチの振りを覚えられないので昨年暮れにビデオカメラで撮影し、編集してDVDに焼いてあげた。

今日は、その成果がわかる日。楽しみにして出かけた。新人の二人も予想以上に腕を上げておられた。自作の練習用DVDが少しは役立ったようだ。

銭太鼓を演ずる鹿谷すいせん会の皆さん

銭太鼓を演ずる鹿谷すいせん会の皆さん

練習の合間に、いつも短時間、話をすることにしている。私は、自分自身に言い聞かせることを皆さんにも話すことにしている。ある程度の年齢になったら二つの体操が必要だと思っている。

今から4年後に福井国体がある。6年後に東京オリンピックがある。国や県では上位入賞を願って選手強化などに力を入れることになるだろう。

しかし私たちはそうしたことには無縁だ。しかし、健康な体を維持することは非常に大切だ。国体と聞いたら、自分の健康維持のために何をすべきかを考え、それを実行したいと思う。

私個人は、ウオーキングを継続したいと思う。市内、県内、あちこちを歩きたいと思う。自宅から、事務所から、車で出かけてそこから歩き回りたいと思う。

一つは体の健康だが、もう一つは脳の健康だ。歌を歌ったり、楽器を演奏したり、音楽に合わせて何かをすることは、頭に適度の刺激や負荷をかけると思っている。

特に、銭太鼓を始めたばかりの新人の人には、曲に合わせて銭の入ったバチを振ることは脳の体操に役立つと思っている。次はどうバチを振ればよいのかを脳が判断しなければならないからだ。

音楽に遅れくことなく、早くなることなく間違わずに演技をすることは脳としては負荷のかかる仕事だと思う。脳には適度な体操になると思っている。

私は、銭太鼓をすることは、遊びであると同時に、手足を動かし、脳を働かせる立派な体操だと思っている。今の鹿谷の皆さんにはいつも励ましていることだ。そして、それは自分自身にも言い聞かせていることだ。

歌を歌ってくれた横浜の孫(次女)

歌を歌ってくれた横浜の孫(次女)

(日記 午前中は、家内を乗せて福井の病院まで昨日の手術の診察と消毒のために出かけた。午後1時半から鹿谷公民館で銭太鼓グループの指導に出かけた。しばし、楽しい時間を持つことができた。夕食の準備は、家内の指示に従って両手を使う部分だけ私が行った。午後7時から、横浜の孫たちとスカイプ。孫たちと過ごす時間は、いつも楽しい。いつものように歌を歌ってくれた。夜、隣の高校生が数学のことで家へやってきた。また、数学仲間ができたかと思うとうれしい。)

 
 

区の会計監査

13 3月

一年の総括
今日は、区の会計監査がある。この一年の区の各種会計の監査がある。余り、得意な分野ではない。先ずは、間違いなく会計処理が為されていることだ。

そのためにも、私は通帳で金の出入りをチェックすることにしている。何のためにいくら使ったかをなるべく項目ごとに入・出金している。後でわからなくないようにするためだ。

思い返せば、あっという間の一年、あっという間に任期の二年が過ぎようとしている。この間、春も夏も秋も冬もあった。何もかもがあっという間に過ぎてしまった。

この調子でこれからも、時間が過ぎ去っていくのだろうか。会計の一つ一つを見ているとそれぞれがいろんな行事に関連している。

もっとこうすればよかったというようなことも思い出される。しかし、自分の任期で何もかもができるのではない。次の担当者にバトンタッチするしかない。ラストスパート、頑張ろう。

(日記 朝から区の各種会計監査のための資料作り。午後6時から一般会計を皮切りに会計監査監査開始。その後、食事をとりながら区の運営などについて歓談。九時頃監査が終わった。一段落。)

 
 

老人会総会に初参加

11 3月

何ができるか 昨年、老人会に入会した。そして、今日が初めての総会だ。参加者は60歳代後半から90歳代までだ。警察官から、安全運転や振り込め詐欺に関する講話を聞いた。 今は大丈夫だろうが、判断力が鈍るとどうなるかは自信が持てない。振り込め詐欺がなくならないのは、「自分は大丈夫だ」と思いながら、判断力が鈍ったからではなかろうか。 講話の後、総会。二、三意見を述べた。その後、懇親会。隣には、70歳後半と八十歳過ぎの方がおられた。幸い両者とも、前を向いていられるので、話が弾んだ。 それぞれに、自分の生き甲斐や楽しみを見つけておられるのだ。高齢者になっても生き甲斐や楽しみを持っておられることは素晴らしいと思う。 両名をみて感じることは、若いことからいろんな事に興味を持ち、仕事の他にもいろいろ取り組むことが今につながっているということだ。 前を向いて暮らしている人からは、昔の話も聞くことができると思う。きっと若いころの話もいろいろ面白いことがあったのではなかろうか。 両者についての共通点は、歌が好きだと言うことだ。歌があるから、農作業ができる、歌があるから毎日を楽しく生きることができる……、そんな感じだった。 いつか、時間のをみて、昔の話を聞かせていただきたいと思う。また、昔の盆踊り唄なども聴かせていただきたいと思う。鼻歌でその一節を歌って下さったが、是非とも、採譜して曲を作りたいと思う。 「前を向いていれば誰とでも友達になれる」は、私の信念だが、今日もさらにそのことを実感した。予想よりも楽しい懇親会となった。 (午前九時より、村の老人会の定期総会。午後は、区の総会の資料作り。会計処理がかなり面倒だ。家内にも応援してもらって午後ずっと事務所で作業。家へ帰らず、夜も外食。でも、途中で家内とのウオーキングは欠かさなかった。かなり習慣化してきたようだ。)

 

福井国体、そして東京オリンピック

09 3月

自分には関係ないのか
4年後に『福井国体』、6年後に『東京オリンピック』が開催される。しかし、自分にはどのように関われるのだろうか。

昭和43年に開催された前回の『福井国体』では、我が家は山岳競技の役員の宿(民宿)となった。水や防災の検査があり、当日は県内の関係者が泊まってくださった。

このようなボランティア的な関わりはできるかもしれないが、運動はどうだろうか。私としては、すべての市民が県民がスポーツ選手にはなれなくても、健康のために何か一つスポーツに親しむことを県民の、市民の目標にすることを提案したいと思う。

国体やオリンピックが来ると、行政の側の人間や体協の関係者はいかによい成績を収めるかを目標にするだろう。しかし私たち凡人はせっかくの機会だから、この際“一人一スポーツ”を提案したい。

健康は何にもまして大切なものだから。特に年を取るにつれて、健康でなければあらゆる活動は大幅に制限されるだろう。高齢者になったら、働くのも大切だが健康維持はもっと大切だと思う。自分にとっ手も、周囲の者にとっても。

(日記 午前中は、村の神社の春祭り。神主さんを迎えて神事。その後の直らいでは酒を酌み交わし、しばし歓談。午後は事務所へ行く。雪がちらつくような天気だったが、家内とウオーキング。国体まで元気にいられるためにはまずは週3、4回はウオーキングをしたいと思う。その後、何か簡単なスポーツを一つ選んで取組めたらと思う。午後5時から猪野瀬地区体育協会の総会。その後、懇親会。酒を飲みながら歓談。いろんなことが話せてとても充実した時間を持つことができた。何か一つスポーツをということも話題の中に取り入れた。)

 
 

時代の流れ

01 3月


時代は確実に変化している。私たちの子供時代と今の子供の生活は大きく異なる。一番大きいのは、物質的な変化だ。それが、子供の生活に大きな変化をもたらしている。

一口で言えば、今は子供たちをビジネスの対象にしていることではなかろうか。子供をもうけの対象にしているのだ。それだけなら、まだ我慢もできるが、子供たちの貴重な時間を奪っているように思えてならない。

ゲームに時間を取られている子供はどれだけいるだろうか。携帯もまた同様である。携帯自身がゲーム機と化しているように思う。

時間を持て余す退職者ならまだしも、成長期にある子供たちには実体験でいろいろ身に着けてもらいたいものがあるというのに、こうした機器に時間を取られている。

そのうちに、現実社会と非現実的な社会が混同しないかと心配である。ゲームの多くは、戦う場面が多いのも気になる。ゲームの世界で相手を殺傷するところが成長期の子供に悪影響を与えないかも心配である。

これからは、人と機器との結びつきが強くなり、人と人との結びつきがどんどん弱くなっていくのではなかろうか。これが時代の変化というものだろうか。

(日記 朝一に法人から頼まれて、ぬかるんだ道路の砂利撒き。トラックで運んできた砂利を道路のへこんだ部分に5人で敷き詰めた。午後は、区の定例役員会の資料作り。午後7時から区の『3月定例役員会』。新年度に向けての予算編成方針決定や課題の整理、最後の事業決定などを行った。)