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Archive for the ‘未分類’ Category

紅葉の那谷寺へ

14 11月

ガイドの説明を聞きながら境内を散策
 OB会の旅行で、那谷寺へ行き、温泉で昼食を取る日帰り旅行に参加した。那谷寺については、白山や泰澄大師ゆかりの寺ということしか知らず、これまで出かけたこともなかった。

 ガイド本などによれば、次のように書かれていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・

雨の那谷寺境内をガイドの説明を聞きながら散策。

雨の那谷寺境内をガイドの説明を聞きながら散策。

 真言宗の別格本山。広い境内は奇岩遊仙境と称される。紅葉狩りの名所としても有名。奈良時代、泰澄法師によって開かれた、美しい岩山と四季の草花に囲まれた歴史ある寺。広い境内には奇岩が集まった岩窟や霊石などがあり、山水画のような美しい景色が広がる。本堂、三重塔、護摩堂ほか重要文化財が多数残る。

  白山の神を信仰し、洞窟の中に千手観音をまつっている。 洞窟は母親の胎内とみて古い時代より、「胎内くぐり」の聖地です。 新たに生まれ変わり、罪が浄められると信じられてきた。 平安時代花山法皇により岩屋寺より那谷寺と改名された。 中世には一向一揆等の戦乱で、伽藍が焼失、江戸時代、三代藩主前田利常公が荒廃を嘆き、再興された。 現在は7棟の国重要文化財と、名勝指定園があります。

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紅葉と岩山の仏像群と展望台。

紅葉と岩山の仏像群と展望台。

 確かに、広大な境内に岩山があり、紅葉がきれいであった。ここにも、泰澄伝説が生きているという感じだった。現在は、かなり観光地化された寺でもあるようだ。

(日記 午前8時半に勝山を出て、那谷寺へ。その後、山中温泉へ。総会、入浴、昼食。入浴は、露天風呂に入った。雨が降っていたので、屋根のない露天風呂“湯畑”には私しか入浴していなかった。谷川のせせらぎの音を聞きながら紅葉を眺めていると命の洗濯をしているという感じだった。午後4時に勝山へ到着。早速、公民館へ向かい、文化祭の準備。午後7時半より、「いのせ文化祭」で司会をするSさんと打ち合わせ。当日、Sさんには私の作った拙い『振り込め防止の数え歌』を歌ってもらうつもりだ。昨晩作ったカラオケで練習してもらった。)

 
 

雪への思い

08 11月

モノは考えよう

子供のころは、冬はそんなに困らなかったように思う。農繁期は家の手伝いで田植えや稲刈り、除草機回しやイナゴ捕りなど農作業にかかわる時間が子供ながらかなり多かった。夏休みは、水泳や野球などで遊ぶことも多かったが、山へ薪を運びに行くことは重労働だった。村の背後にある大師山の裏側まで行き、両親が作った薪を背中にかついで自宅まで運んだのだ。

これは、村の子供ならだれでもやっていたことなので、自分だけがいやなことをしているとは思っていなかった。しかし、冬は屋根の雪下ろしを手伝うくらいでそんなに家でする仕事はなかった。

雪が降れば、村の林などや段々畑でスキーやそりをすることに夢中になっていたように思う。そりなども、片瀬特有のハンドルの付いたそりだ。今のようにプラスティックのそりなどは皆無であったので何でも手作りだった。

一番苦手な庭木の雪囲いも終わった。いつ雪が降ってもOKだ。

一番苦手な庭木の雪囲いも終わった。いつ雪が降ってもOKだ。

自分が大人になってみると、雪が降る前には雪囲い作業。我が家には雪囲いをしなければならないように立派な植木はないが、たくさんある人は大変だ。そして、雪が降れば車を何時でも動かせるように家の周囲の除雪作業。たくさん雪が降れば屋根の雪下ろし。さらに降れば屋根の周囲の排雪作業。

しかし、モノは考えようで、「しなけれなならない」と思うと苦痛だが、「してやろう」と前向きになるとさほど苦にならない。それよりも、時間がたくさんあることがうれしい。このたくさんの時間を使って“時間をかけなければできない”ことを、やってみたいと思っている。

(日記 午前中は、雪囲い作業。今年はいつもより早くほとんど終わった。午後は、事務所で数学。参考書作りだ。いつになったら完成するのやら。それでも、楽しい。)

 
 

柿はいりませんか?

30 10月

柿が大豊作
 いつもの年なら、実った柿を長い期間にわたって食べるのだが、今年はそうはいかない。なぜなら今年は、餌を求めて熊が人里へ出てくるからだ。

たくさん採れた柿。まだまだ食べきれないほどある。

たくさん採れた柿。まだまだ食べきれないほどある。

 そこで、連日、市の広報車が市内を巡回して「熊に気をつけて下さい」と触れ回っている。実のなる柿などは早く処分しなければ熊をおびき寄せたりすることになるからだ。

 そこで、今日は、たわわに実った柿の枝を切り落とした。かなりの重労働だった。おまけに、美味しそうな柿が食べきれないほど採れた。

 道行く知らない人、村のお年寄り、家へやって来た電気屋さん、……、いろんな人にお願いしてもらっていただいた。美味しいからと二度あげた人もいた。

 太鼓のメンバーのSさんに電話をすると、仕事帰りに家へ寄って柿を持って行ってくれた。喜ばれる人に家で採れたものを差し上げることは楽しいことだ。

3年ほど前に新たに植えたキウイの木にも実がなり始めた。今日はリンゴと一緒に第一回目の追熟。

3年ほど前に新たに植えたキウイの木にも実がなり始めた。今日はリンゴと一緒に第一回目の追熟。

(日記 午前中は、今を掃除して、冬バージョンにした。と言っても、ソファーの一部を片付けてこたつを設置しただけだが。午後は、柿の木の枝きり。たくさんの実も収穫することができた。柿の枝は、軽トラに積んで、大野のゴミ処分場へ運んだ。夜は、「銭太鼓保存会」の練習会。一日があっという間に過ぎてしまった。)

 

今度こそ

16 10月

定期検診に思う
 毎回、定期検診になるたびに、「今度は悪くなっているのでは」と思ってしまう。それは、きちんと健康に気をつけた一ヶ月を送ったという自信がないからだ。

 血圧は自分で測るのだが、これも、気になるモノのひとつだ。しかし、これは、130未満で安心した。他の数字も、横ばいで悪くなってはいなかった。しかし、満足すべきものでもない。

 何とか、軽い運動を毎日したいと思うのだが……。ここ一ヶ月あまりはアニメ作りでそれどころではなかった。しかし、これからは、せめてウオーキングぐらいきっちりやりたいものだ。

 毎回思うことだが、「今度こそ、数値をよくするぞ」と思う。しかし、あっという間に一ヶ月が経ってしまい、さほど数値を改善できずにいる。

 特別な病気は別として、「生活習慣病」は自分で作る病気だと思う。自分の弱さに負けて、不摂生を続け、どんどん悪くしていくのだ。いつまでも、若くはないんだと思って気をつけなければならない。外見だけではなく、内蔵も老化しているのだろうから。しかし、精神だけは、いつまでも若くありたいと思う。

(日記 午前8時半に自宅を出て、済生会病院へ定期検診に行く。数値は横ばい。まあまあか。帰宅して、楽譜や資料の整理。捨てるモノが少なくてガッカリ。断捨離にはほど遠い。)

 
 

猪野瀬の活性化について5時間話し合い

14 10月

地方再生は簡単ではない
 今日、午前9時半から「猪野瀬地区活性化委員会」を開催。最初の議題は、「町民運動会」で、「文化祭のデモンストレーション」として、模擬店を開催することだ。

 模擬店で使用する小型テント、フライドチキンなどを作る「フライヤー」などは、市から与えられた「地域力向上資金」で購入したものだ。

 運動会を盛り上げると共に、来月行われる文化祭の宣伝を兼ねてのものだ。保健所の指導を受けルとともに、当然、食中毒などには気をつけなければならない。会員の中には、この道に詳しい者がいるので少し安心だ。

 次の議題が、「以下にして文化祭を盛り上げるために支援をするか」だ。文化祭は、当委員会の主管するものではないが、支援・協力する立場にある。いろんな意見や具体策が出た。特に、子どもたちが楽しみなモノにしなければという点では意見が一致した。私も、子どものための「駄菓子屋」開店を提案した。

 最後は、「市長と語る会」のテーマについてだ。地域の活性化とは何かなどを話した。昼食を挟んで約5時間かかった。自らすすんで委員になっているので、話は盛り上がった。近年にない文化祭にするために、前向きで取り組みたいと思う。

(日記 午前9時から、猪野瀬公民館で「猪野瀬地区活性化委員会」開催。昼食をとり、午後2時半までかかった。何とか、地区の行事を盛り上げたいという熱意をみんな持っているので、会議は楽しい。)

 
 

『ふしぎな岬の物語』をみて考えさせられる

13 10月

生き方を考える
ようやく超多忙から解放された。娘を福井駅を送った帰りに、家内と映画を見ることにした。『不思議な岬の物語』だ。私自身はよい映画だったと思う。

『爺ちゃん勉強』の後の、横浜の孫たちとの楽しい語らい。

『爺ちゃん勉強』の後の、横浜の孫たちとの楽しい語らい。

自分の生き方を振り返る機会を得たように思う。人は、支えあって生きていくものだということをつくづく考えさせられた映画であった。

年をとるにつれて、頑固になりがちだが、そうではなくて、だれとでも親しくできる丸さが必要だと思った。タイトルにはあるように、確かに“不思議な物語”であった。

昔の映画評論家ではないが、「映画って本当に素晴らしい」と思った。映画はフィクションであっても、その中にはいくつかの真実が含まれているように思う。

そして、それが人に感動を与えるのだと思う。最後に、登場人物やスタッフが移されていたが、一本の映画に数百人の人間がかかわっていたようだ。いつか、短編映画でも、作ってみたいと思いながら、帰宅した。

(日記 午前11時に自宅を出て、娘を福井へ送っていった。その帰りに、ショッピングをした。本屋では増田寛也氏の書いた『日本消滅』、と藤巻健史氏の書いた『迫りくる日本経済の崩壊』を買った。その後、映画『ふしぎな岬の物語』を見た。夕食後、横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。のんびり過ごした一日だった。)

 
 

ついに完成 バンザーイ!

10 10月
『平泉寺物語』の一場面

『平泉寺物語』の一場面

簡易アニメーション『平泉寺物語』
 明日の、『日本エコミュージアム研究会~全国大会 in 勝山』で使用する簡易アニメーションが完成した。

 ここ一ヶ月半、連日十数時間以上の作業の結果、完成した。完成までには、三つの難関があった。簡易とは言え、たくさんの絵を描かなければならないこと、セリフや音楽とナレーションと合わせること、そして、最後にDVDに書き出すこと。

 データが重いのか、パソコンは10分に一回はフリーズし、作業は停止。できかけのものを保存していなければそこまでの作業は水の泡。

 最後には、一分ごとに保存しての作業となった。そして、何とか、DVDに焼くことができた。しかし、いざ完成してみれば、作品の未熟さにガッカリもした。

 何よりも目が限界に達していた。音声データの波形はとても見にくく、目が異常に疲れた。この二週間は、ブログを書くどころではなかった。それでも、何とか、前日までに完成した。よしとしなければならないだろう。とにかく疲れた。でも、少しの満足感は残っている。

(日記 午前中は、映像編集作業。午後1時に昨日できたテスト版を持って本番の会場である「歴史探遊館まほろば」で上映してみる。帰宅して、再び、編集作業継続。最後に完成したのは午後11時過ぎであった。)

 
 

「膝」の調子

01 10月

手術した膝のその後
 若い頃、先輩が「膝が悪い」と聞いたとき、「なんで膝なんか悪くなるのだろう」と思って聞いていたが、人ごとではない。

 しかし、そう思っていた自分が膝の手術をする羽目になってしまった。今日は、術後、初めての検診。「しばらく注射をしなければならないので地元の医者に紹介状を書きましょう」ということになった。

 これから、いろんなことで制限を受けるだろう。全力疾走は無理だろう。50歳代の県体選手(100m)に選ばれたことも今は昔だ。正座もできない。しかし、歩くことはできる。

 寒くなったら痛みが出るのではという心配はある。以前にスキーで骨折したときには、数年間は寒くなると痛みが出たからだ。

 逆に言えば、できるときに、何でもやっておかなければと思う。できなくなってから悔やまなくてもよいように。まだまだ、できることもあるので、それらを楽しみたいと思う。

(日記 午前中、済生会で膝の検診。午後は、アニメ作り。)

 
 

創作紙芝居『平泉寺物語』の短縮作業

30 8月

短くすることの難しさ

巻物に年表を書いて話を短縮することができるか、悩みながら作業を続けた。

巻物に年表を書いて話を短縮することができるか、悩みながら作業を続けた。

 私は、童話を書いたり、紙芝居を作ったりするが、つくったものを短くすることは大変難しい作業だ。それもこれも、思い入れがあって削除することができないからだ。

 自分の作った紙芝居を使いたいという申し出があった。しかし、私の紙芝居は40分ぐらいかかるのだ。それを15分に短縮しなければならない。

 短縮したために、平泉寺の歴史がはっきりしないのでは本末転倒になる。どうしたら、紙芝居の絵をカットできるかだ。短くするのはいいが、歴史がぼやけてしまっては何にもならない。

 時間を短縮するが、内容を短くしないために、“巻物”を使えないかを検討している。項目は書くが、文章は書かないで時間を短縮できないかを考えながら一日作業を続けた。

 果たして、平泉寺の歴史の流れを、筋書きを残しながら15分で演じることができるかどうか、大きな課題だ。捨てることの難しさ。これも“断捨離”のように本当に難しい。 

『平泉寺物語』の一場面。修行をする泰澄大師とその弟子達。

『平泉寺物語』の一場面。修行をする泰澄大師とその弟子達。

(日記 午前中は、創作紙芝居『平泉寺物語』の短縮作業。午後も作業を継続。午後7時半より、銭太鼓の練習。)

 
 

読書感想文

16 8月

子供の考えを生かしながら
横浜の小学4年の孫の宿題もいよいよ終盤戦になってきた。昨晩は家内が一緒に本を読んでいた。今日は、私が読書感想文の相手をする番だ。早速、私は起きるなり、その本を読んでみた。

宿題の感想文は、400字詰めの原稿用紙2枚で書くのだ。私は文章を書くのが大好きだが、私が書くのではないので指導は難しい。幸いその本の終わりには、改めてあらすじが3ページにわたって書いてあったので、孫にもう一度それを読ませて、その「あらすじを短くまとめてみなさい」と指示を出した。その間、私は自分の数学の参考書作り作業。

短くまとめたあらすじを見て、「どこが面白かったか」、「どこが心に残ったか」などを聞き、自分で書いてみなさいと指示を出して再び、自分の作業。そして、「なぜそこが面白かったのか」、「その理由」や、「自分なら

現行の量は予定の倍ほどになった。相談しながら短くさせた。なるべく子供の視点で思い、子供の考えを重視しながら、ゆったりと事を進めた。そして、最後に、提出用の原稿用紙に清書させた。

たった2枚の原稿を仕上げるのに、午前午後と合わせて5時間もかかってしまった。しかし、仕上がった時にはやり終えたということで、お互いに満足できたと思う。机を並べて作業をしたので、私も自分の仕事がかなりはかどった。思い出に残る夏休みの宿題になった。

(日記 今日は、孫の『読書感想文』を書く日。担当は私。孫の考えを生かしながら、相手を務めた。午前午後、合わせて5時間ほどかかった。その間、私は隣で数学の参考書作り。おかげで仕事がはかどった。楽しい作業だった。)