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ダブルナビで北海道・東北3000km ⑥

03 1月

震災被害地を行く 十和田湖から東北自動車道で盛岡へ行き、そこから宮古へ向かう。海を見ると穏やかであるが、陸地を見ると景色が一変する。電柱や道路は目立つが住宅はほとんど見当たらないところが多い。復興はまだまだであるという感じがする。実際に車で通り、被災地を歩いてみるとテレビや写真で見ていたものとはずいぶん異なる。震災の被害の大きさが改めて知らされる。自然の猛威にはただただ驚くばかりである。これは何も被災地だけの問題ではない。いつどこで何が起こるかわからない。まさに、天災は忘れた頃にやってくるから、天災は明日起きても不思議ではないと思わなければならない時代になっているようだ。被災地の皆さんのご苦労を思うとき私達一人一人に何ができるのかと考え込んでしまう。

海はどこまでも穏やかである。宮古市

海はどこまでも穏やかである。宮古市

 

一方、内陸方面を見ると景色は一変する。工事現場が広がる。

一方、内陸方面を見ると景色は一変する。工事現場が広がる。

 

かつての市街地は、今更地が広がる。地元の皆さん方の無念さが伝わる。

かつての市街地は、今更地が広がる。地元の皆さん方の無念さが伝わる。

 

復興に向けて様々な工事が行われている。(大槌町)

復興に向けて様々な工事が行われている。(大槌町)

 

 

道路の至るとことに見られた「津波浸水区間」を表す立て看板。「こんなところまで津波が来たのか」と津波被害の大きさを示している。

道路の至るとことに見られた「津波浸水区間」を表す立て看板。「こんなところまで津波が来たのか」と津波被害の大きさを示している。

 

かつての名勝「高田 松原」は津波で跡形もなくなり、たった一本だけ残った「奇跡の一本松(モニュメント)」。

かつての名勝「高田 松原」は津波で跡形もなくなり、たった一本だけ残った「奇跡の一本松(モニュメント)」。

 

奇跡の一本松の立て看板

奇跡の一本松の立て看板

 

「震災前の白砂青松の高田松原」(現地立て看板より)

「震災前の白砂青松の高田松原」(現地立て看板より)

 

巨大な護岸工事が今も続く。

巨大な護岸工事が今も続く。

 

 

 

 

 

 

 
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ダブルナビで北海道・東北3000キロ ⑤

29 12月

函館から大間へ 早朝函館へ向かいコインランドリーで洗濯をして、昨日iPhoneで予約しておいた「津軽海峡フェリー」で大間港へ向かう。

 

左:コインランドリー前で 右:車の中より乗車中の車を写す(フロントに置いた切符が写り込んでいる)

左:コインランドリー前で 右:車の中より乗車中の車を写す(フロントに置いた切符が写り込んでいる)

 

フェりー大函丸船上にて

フェりー大函丸船上にて

 

本州最北端の地、大間岬で記念撮影。大間のマグロも有名。

本州最北端の地、大間岬で記念撮影。大間のマグロも有名。

 

大間岬を出てまもなく、下北半島の風間浦村で「下風呂温泉郷海鮮まつり」をやっていた。ここで少し腹ごしらえ。

大間岬を出てまもなく、下北半島の風間浦村で「下風呂温泉郷海鮮まつり」をやっていた。ここで少し腹ごしらえ。

 

十和田湖畔にある高村光太郎作の「乙女の像」を見る。湖畔の景色や夕焼けがきれいだった。温泉も気持ちよかった。

十和田湖畔にある高村光太郎作の「乙女の像」を見る。湖畔の景色や夕焼けがきれいだった。温泉も気持ちよかった。

最近、再びブログを書こうと決めた。先ずは中途半端に終わっている「北海道・東北の旅」を締めくくってからだと思う。
いよいよ次回から、被災地慰問の旅が始まる。

 
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ダブルナビで北海道・東北3000km(④)

06 9月

江差・松前・福島へ
横綱記念館に感動(7月29日) 富良野を出て道央自動車道で先ず札幌JCTへ向かい、そこから苫小牧室蘭の経て、落部ICで一般道へ出て、江差へ向かう。このあたりの一般道は家内が運転。

途中のサービスエリアにはウオーキングコースがあった。二人でしばし散歩。

途中のサービスエリアにはウオーキングコースがあった。二人でしばし散歩。

江差と言えばなんとなく、「江差追分」が思い浮かぶ。また、ニシン漁なども同時に浮かんでくる。前回の旅行ではこのあたりは通らなかったので、なんとか今回は松前半島を回りたいと思った。

幕府の艦船「開陽丸」

幕府の軍艦「開陽丸」

1866年(慶応2年)に徳川幕府の命運をかけ建造された軍艦開陽丸。オランダで建造された開陽丸は幕末、鳥羽伏見の戦い、江戸城開城、徳川幕府崩壊を見届け、1868年10月(慶応4年)に江戸を出帆、12月に蝦夷地に到着。 箱舘戦争最中の1868年12月(明治元年11月15日)に松前を落とし、江差に向かう土方歳三らの陸軍支援のため、海路江差へ向かうが暴風雪に遭いあえなく座礁、沈没したという。

開陽丸の内部を見学する。かなり大きな船であった。

開陽丸の内部を見学する。かなり大きな船であった。

その後100年有余年を経た昭和50年から始まった海中発掘調査では32,905点の遺物が引き揚げられたという。これらの歴史を含め多岐にわたる諸技術の変遷がわかる貴重な資料画展示してあった。

江差の後、松前城へ寄り,北海道最南端の白神岬へ。

松前城の前にて。

松前城の前にて。

北海道最南端の白神岬にて。

北海道最南端の白神岬にて。

白神岬を回り、次はどうしても行ってみたかった「横綱千代の山・千代の富士記念館」のある福島町だ。小さな町から二人の横綱が生まれているのだ。しかも、横綱千代の山は勝山市ゆかりの横綱だ。千代の山の奥様のお父さんが遅羽町出身ということだ。私の子供の頃には、横綱千代の山は何度か勝山へ巡業に来ておられるのだ。

横綱千代の山・千代の富士記念館の前で

横綱千代の山・千代の富士記念館の前で

横綱記念館の展示の一部

横綱記念館の展示の一部

横綱記念館にある稽古場。毎年、九重部屋の夏合宿に使われているとのことであった。

横綱記念館にある稽古場。毎年、九重部屋の夏合宿に使われているとのことであった。

 

 

 

 

 
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ダブルナビで北海道・東北3000km(③-3)

02 9月

トリックアート美術館
美瑛・富良野(7月28日午後) 富良野の温泉へ向かう途中、トリックアート美術館が見つかった。ここは、北海道上富良野町深山峠アートパークにあるのだ。面白そうなので入ってみることにした。先ずは写真で。

道路からもよく見えるトリックアート美術館

道路からもよく見えるトリックアート美術館

以下の写真はすべて壁面に描かれた平面絵画である。しかし、一見立体に見えるから不思議である。

今にも飛び出してきそうな車

今にも飛び出してきそうな車

平面に描かれている1枚の紙だがまるで浮かんでいるように見える。

平面に描かれている1枚の紙だがまるで浮かんでいるように見える。

一見大きな絵の前の階段に座っているようだが実は壁に寄りかかっているだけである。

一見大きな絵の前の階段に座っているようだが実は壁に寄りかかっているだけである。

壁から顔を出している馬の顔をなでているようだが、実は壁に描かれた平面の絵の馬に触れているだけである。

壁から顔を出している馬の顔をなでているようだが、実は壁に描かれた平面の絵の馬に触れているだけである。

旅行の最中に、予期せぬ建物(トリックアート美術館)に出会い、しばしトリックアートの不思議さに時間を費やした次第。この後、富良野の温泉で疲れを癒やす。

 
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ダブルナビで北海道・東北を3000km(③ー2)

28 8月

北の大地は花盛り
美瑛・富良野(7月28日午後) 旭山動物園を見学した後、旭川市を後にして、隣の美瑛へ。まず最初に「ゼルブ」の丘を目指す。広大な丘に色とりどりの花が咲き乱れていた。360度の景色が見える眺めのよい丘であった。

丘の頂上で記念写真。花々がとてもきれいだった。

丘の頂上で記念写真。花々がとてもきれいだった。

自動シャッターでパチリ。

自動シャッターでパチリ。

駐車場から見たゼルブの丘。原色の花々がまばゆい。

駐車場から見たゼルブの丘。原色の花々がまばゆい。

少しずつ富良野へ向かって車を進めた。途中の景色は北海道らしくどこまでも畑が続いている。大型機械でなければとても仕事はできないだろうと思う。

北海道らしい景色の中をダブルナビで車は進んでいく。

北海道らしい景色の中をダブルナビで車は進んでいく。

次の目標は「四季彩の丘」だ。観光雑誌を見て目標を定め、ナビに入力する。車のナビと家内のナビを頼りにすいすいと北海道の畑の中の道を進んでいく。道路脇の支柱には道路幅を示す矢印(写真上右)が取り付けられている。もしも、この矢印がなかったら、積雪時にはどこが道路かわからないだろう。

「四季彩色彩の丘」に着く頃には少しずつ雨が降り始めた。移動中は、多少の雨でも気にならないが、観光地ではやはり雨は困る。それでも、「四季彩の丘」の花畑の中の道を傘を差して散策することにした。

トラクターの運転手さんが一旦停止してシャッターを切って下さった。

トラクターの運転手さんが一旦停止してシャッターを切って下さった。

雨でもあるし、農耕用のトラクターが幌の付いた客用の乗り物を引いて花畑の中を走っている。私たちも、これに乗ることにした。しかし、この車の揺れときたら、半端ではなかった。

馬車に乗ったり歩いたりしながら「四季彩の丘」を楽しんだ。

馬車に乗ったり歩いたりしながら「四季彩の丘」を楽しんだ。

これもトラクターの運転手さんが撮って下さった写真。

これもトラクターの運転手さんが撮って下さった写真。

夜は富良野の温泉へ入り、運転の疲れをとった。天候はよくなかったが、北海道らしい景色を見た一日だった。

 
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ダブルナビで北海道・東北を3000km(③-1)

25 8月

職員の創意工夫が見られる旭山動物園の行動展示
旭山動物園(7月28日午前中)  札幌のホテルを出て一路旭川市の旭山動物園へ。この旭山動物園は、マスコミ等では有名な動物園だ。家内も「一度は見たい」と言うので見学を決めたのだ。

素朴な看板のある動物園入り口

素朴な看板のある動物園入り口

「旭山動物園」はどこにでもあるような地方の小さな動物園だ。象、ライオン、パンダはいないし、イルカやシャチ、鯨などのショウもない。

ここでのスターは、「シロクマ」「ペンギン」「アザラシ」「カバ」だ。他の動物園なら、さっと見て通り過ぎるくらいありふれた動物たちだ。しかし、その展示方法は全く独特だ。

「シロクマ」は、陸上でも、水中でも見ることができる。間近で見るその姿はとても迫力がある。また水中を動き回る姿をとてもユニークである。いつまでも見ていても飽きが来ない。

水中を泳ぎ回るシロクマ

水中を泳ぎ回るシロクマ

「ペンギン」は下や横からから見ることができ、まるで空を飛んでいるようだ。入園者は水中にあるガラス張りの通路を通りながら見るのだ。

まるで空を飛んでいるようなペンギンの動きがよくわかる。

まるで空を飛んでいるようなペンギンの動きがよくわかる。

「カバ」は、上から横から下から見ることができる。思ったよりもはるかに敏捷性があり、見ていても飽きが来ない。

下から横から上から動き回るカバの姿を見ることができる。動きは意外とすばしこい。

下から横から上から動き回るカバの姿を見ることができる。動きは意外とすばしこい。

「アザラシ」はガラスの筒を上から下へ、下から上へ泳ぎ回っている。写真を撮ろうとしても、なかなかシャッターを切れない。写真を撮るために何度も何度もシャッターを切ったがよい写真は撮れなかった。

太いガラス管の中を上下するアザラシの姿は見応えがある。

太いガラス管の中を上下するアザラシの姿は見応えがある。

それにここの動物園は手作り感がいっぱいだ。看板などはほとんどが職員の手作りのように見える。ちょっとした場所にもその工夫が見られる。

道路脇の空いたスペースにはこのような手作りの展示物が並べられて興味深い。

道路脇の空いたスペースにはこのような手作りの展示物が並べられて興味深い。

このような素朴な看板が至る所に見られる。

このような素朴な看板が至る所に見られる。

「寒いところに住む仲間」と書かれた手作り看板の動物たち

「寒いところに住む仲間」と書かれた手作り看板の動物たち

また、動物の視点で他の動物を見る工夫も凝らされている。猛獣の中のウサギの視点、雪原の中でアザラシの視点でシロクマを見ることができるような工夫もなされている。

シロクマの檻の中に半球の透明ドームが設置されていて、ここからアザラシの視点でシロクマを見ることができる。

シロクマの檻の中に半球の透明ドームが設置されていて、ここ(黄色い⇒)からアザラシの視点でシロクマを見ることができる。

このような旭山動物園の「動物の生態や習性に合わせた展示方法」おかげで全国トップレベルの人気を誇っているとのことである。

人気の秘密がわかった気がした。まちづくりでもビジネスでも教育でも何にでも応用の利く考え方である。まさに「知恵無限」である。

(7月28日の午後の見学は次回)

 
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ダブルナビで北海道・東北を3000km(②)

24 8月

青春の思い出「石原裕次郎記念館」
小樽 7月26日(火)の午前4時半に小樽港に到着。車に乗り込んで早朝の小樽のまちに上陸。こんなに早い時間には見学するところはないので、先ず小樽運河の脇の道を家内と散策。

小雨の降る中、小樽運河界隈を散策

小雨の降る中、小樽運河界隈を散策

かつては栄えていたのだろうが、今は古ぼけた建物が多い。そんな建物のいくつかはガラス館など観光施設に鞍替えしている。

話は変わるが、私はズボンを居間に忘れてきたので、ジャージしか持ち合わせがない。店が開いたら小樽の町で買うつもり。

“小樽のまち”と聞くとなんとなく東京ロマンチカの「小樽の人よ」を思い出す。歌の力は大きい。前回の北海旅行では、北一ガラス館などを見学したが、今回は小樽の町は運河界隈の散策と『石原裕次郎記念館』を中心に見学する予定。

午前9時から開館する『石原裕次郎記念館』を先ず見学。これで三度目だ。ここへ来るとなんとなく、高校時代の頃を思い出す。ほろ苦い青春時代がよみがえってくる。

左上:フェリ-甲板から早朝の小樽のまちへ車を進める。その他の写真は小樽の町並み。

左上:フェリ-甲板から早朝の小樽のまちへ車を進める。その他の写真は小樽の町並み。

当時流行った石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』の影響を受けて私は大学の軽音楽部でドラムを始めたのだ。今回も記念館では短い映画を上映していたが、その中にも裕次郎のドラムをたたく姿が入っていた。

今回は大人二人の旅なので、館内でもゆっくりすることができる。途中で、喫茶コーナーへ入り、のんびりくつろぐ。

石原裕次郎は、俳優として歌手として活躍したのだ。特に、日本人離れした足の長さには日本中があこがれたものだ。

このドラム姿にあこがれて今でも時々ドラムをたたくことがある。

このドラム姿にあこがれて今でも時々ドラムをたたくことがある。

左:20歳頃の私(1963年) 右:三国観光ホテルで演奏する今年の私(2016年)

左:20歳頃の私(1963年) 右:三国観光ホテルで演奏する今年の私(2016年)

石原裕次郎記念館を家内と一緒にゆっくり見学した後、ズボンを買うためにナビで「ユニクロ」を探して買い物に出かけた。

ユニクロはナビのおかげですぐに見つかった。ジーンズを1本買って長さをその場で合わせてもらった。今日からは、ジーンズで過ごそう。

札幌 昼過ぎに札幌へ向かった。先ず今晩泊まるホテルの駐車場へ。チェックインの時間の午後3時より少し早いのでその分駐車料金は上積み。

北海道の開拓期を偲ぶ赤煉瓦の北海道庁旧本庁舎

北海道の開拓期を偲ぶ赤煉瓦の北海道庁旧本庁舎

その後、傘を差して雨の札幌市内を散策。大通公園ではサッポロビール祭りが開催されていて、一区画ごとにサッポロビール、キリンビール、アサビールなどの大型店とビアホールが並んでいる。

大通公園を散策した後、北海道庁旧本庁舎へ。前庭の花がとてもきれいだ。中の資料館を見て、次は、サッポロ時計台へ。これらの場所は一度来たことのある場所だが、なんとか寄りたかった。

左:きれいな花壇が整備されている札幌大通公園 右:札幌時計台

左:きれいな花壇が整備されている札幌大通公園 右:札幌時計台

かなり雨が降っていたのは残念だったが、何度か来たことのある場所なので、見学と言うよりも、運動不足解消のためのウオーキングをしているという感じだった。ホテルへ戻って家内はコインランドリーで洗濯。(札幌宿泊)

 
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ダブルナビで北海道・東北を3000km(①)

23 8月

10泊11日で北海道・東北旅行
20数年前に子供達と車で出かけた北海道へ家内と二人でもう一度旅行をしようと決めた。7月24日(日)の村の夕涼み会から8月6日(土)のさつき苑の夏祭り、翌7日(日)の村の山道作りの間の2週間を使うしかない。

新潟港で出港を待つフェリー「ゆうかり」

新潟港で出港を待つフェリー「ゆうかり」

今回の旅行の目的は、北海道を少し見て、後は東北の被災地を自分の目で見ることだ。最後は、映画「フラガール」のモデルとなったスパリゾート・ハワイアンズへ寄り、今春生まれた孫の顔を見ることも目的の一つだ。(他の孫達は8月7日にやって来ることになっている。)

早速、運動会の翌日の午後、新潟港へ向けてワゴン車で出発。「ダブルナビ」とは本当のナビと助手席に座る妻の指示だ。翌日の午前10時半の小樽行きのフェリーに乗ることにした。これも以前と全く同じ。

忙しかった毎日が嘘のようにのんびりした船旅。個室でのんびりくつろぐことができて車も運んでもらえるのがフェリーのよいところ。

途中で、小樽から新潟へ向かうフェリーとすれ違う。フェリー内では、新潟の歌手のコンサート。のんびりした時間が流れる。今回の旅行で一番困るのは、夏野菜の収穫と水やりだ。

上左:船上でのんびり。上右:鴎たちも旅に同行。下左:船上コンサート。下右:旅の楽しみの一つは食事(船内レストランで)。

上左:船上でのんびり。上右:鴎たちも旅に同行。下左:船上コンサート。下右:旅の楽しみの一つは食事(船内レストランで)。

トマトだけは、完熟したものから薄ピンク色のものまで数十個とキュウリなどを車に積み込んできたのだ。他は、家内の友達に頼んで、適当に処分してもらうことと、水やりだけはお願いしての出発だった。

計画はおおざっぱにしか決めていない。いざというときのために車にはマットレスで凹凸をなくして寝床が積んであるので、疲れたらどこでも休む(寝る)ことができるようにしての出発だった。はたしてどんな旅になることやら。(ブログの不具合で今頃旅行記をアップすることになった。)

 
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ショウガの種の保管(実験)

22 8月

第1期生、第2期生の種が順調に成長

初代種より収穫したショウガ

初代種より収穫したショウガ

私の住む片瀬はショウガの産地だった。今から100年ほどの前の若者達が書いた書籍「片瀬誌」に産地であったことが書かれている。

私の子供の頃には、祖母が大野・勝山地区はもちろんのこと永平寺、松岡町、美山、上庄地区へ売り歩いていたのを覚えている。

しかし、一つの弱点は“種ショウガ”を自分では保管できずに他地区から購入していることだ。自前の種でショウガを栽培できたらこれほどうれしいことはない。

初代種より収穫した新ショウガ。みずみずしくてとても柔らかで美味しかった。

初代種より収穫した新ショウガ。みずみずしくてとても柔らかで美味しかった。

私は、ショウガ研究のために、家内と二人で出雲大社の近くの出雲市斐川町出西地区へ車で出かけた。そして、道の駅やあちこちで聞きながらアポなしに出西ショウガ組合長の永富さん宅へ辿り着いた。

そしてショウガについてあれこれ聞かせていただくことができた。「出西ショウガ」に目を付けた理由は、テレビ番組でベッキーやカバちゃん達が出西ショウガを紹介していたからだ。

その後、村のSさんも種を自分で保管していると聞いたので、もしかしたら冬期に一定の温度さえあれば、自分でもショウガの種を保管できるのではないかと考えて一昨年からショウガ種の保管実験に着手。

昨年は自前の種と購入した種が半々だったが、今年は、すべて自前の種でショウガの栽培実験を行っている。今のところ生育は順調だ。私の実験の狙いは二つ。

1.シュウガ種を自前で保管して使うこと
 2.ショウガを早く成長させること

少なくとも、今年に関しては、1は完全にできているし、2もこれまでは神明神社の祭礼(9月18日)あたりからショウガを収穫し始めていたが、今年はすでに1ヶ月早くから収穫している。私のショウガの初収穫は8月16日だった。

今後何が起こるかわからない(全滅するかもしれない)が、これからも実験を続けていこうと思っている。毎日「新ショウガの一夜味噌漬け」を食べているが、最高である。これ

種の保管と植え付け

種の保管と植え付け、そして初収穫の2代目種による新ショウガ。

には家内も満足しているようだ。今月中には、紅ショウガも酢漬けも作る予定。何よりも、毎日ショウガを食べられるのは最高。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ショウガの出荷をする出西ショウガ組合長の永富さんの奥様。(2009年8月28日)

ショウガの出荷をする出西ショウガ組合長の永富さんの奥様。(2009年8月28日)

 
 

第二の人生に音楽を

30 5月

第5回 大学軽音楽OB演奏会に参加して
大学軽音楽部OB会の演奏会が三国観光ホテルのステージを借り切って開催された。いつもは日本の真ん中近くにある浜松で開催されている。部員が全国に散らばっているからである。

創部50周年を記念して開催されるようになったが、今回はその5回目の節目なので三国で開かれた。私は第2期生であるので、卒業してから50年あまりが経過している。この部活動は、創立後12、3年で廃部になってしまったらしい。

従ってOBは全員が60歳を超えている。最年長は74歳、私は73歳で2番目、一番若いメンバーは63歳である。今回は7バンドが出演した。40数名が地区ごとにバンドを編成しての出演である。

昔のメンバーと編成することはほとんどない。全国に散らばっているので、近辺の者とバンドを組んでいる。今回は、記念大会として部の創立メンバーで演奏するつもりだったが、本番1ヶ月前にメンバーの都合で演奏することができなくなった。私はドラムで出演するつもりだったが、出番がなくなってしまった。

慌てて、臨時のバンドを組んで出演することになった。バンド名も考える暇がないので後輩達が勝手に“やまさんバンド”としてプログラムに載せてくれた。

ギターとボーカルはOBではないが、普段私が勝山でバンドを組んでいるメンバーに頼むことにした。それに加えて、福井バンドの余力あるメンバー(テナー&ソプラノサックス、サイドギター、ベース、ドラム)に応援してもらって出演することになった。

私は、3曲はウインドシンセサイザーで演奏、2曲はドラムで出演した。練習不足ではあったが、それでも楽しく演奏することができた。

第1部は午後12時半から午後4時半まで、第2部は午後7時から9時までまさに音楽三昧の一日だった。「第2の人生に音楽を」を合い言葉にまだまだ続きそうな“アラセブン”達であった。

その後の2次会でも午前様になるまで音楽談義が続いて一日だった。この調子では動けなくなるまでバンドをやりそうな勢いである。私も、頑張らなくっちゃと思ったOB会であった。

OB会で演奏する「ヤマバンド」

OB会で演奏する「ヤマバンド」

福井、愛知、浜松、奈良、静岡などの出演バンド。連れ合い(妻)がボーカルというバンドもあった。

福井、愛知、浜松、奈良、静岡などの出演バンド。連れ合い(妻)がボーカルというバンドもあった。