RSS
 

Author Archive

断捨離とは言うけれど

25 3月

ゴミにできないモノ
 私の生きてきた時代は、戦後の最もモノのない時代から、モノのあふれている時代だ。特に、子ども時代は、使えそうなモノは何でも保管しておく癖がついた。

 その癖は今もなお続いている。いつかは間に合うだろう、いつかは何かの役に立つだろうと思うモノは捨てられない。先ずは使わないだろうと思いながら、保管している。

 例えばそのようなモノの一つに、報恩講などに使う漆塗りのお膳の類だ。他にも、酒に関する銚子や杯の類いだ。これを座敷に並べて食事をすることは先ずないだろう。しかし、昭和の30年代頃までは必ずあったのに。

 これを焼き捨てている人を見たことがあるが、私にはできない。次の世代に任せるしかない。唐箕などの農機具もそうだ。これをたたき壊して燃やすことはできない。ある時期までは農家には欠かせない貴重なモノだった。

 こうしたモノが、我が家にはまだまだある。家内が嫁入りの時に持って来たタンスやその中に入っている着物類。着物の中にはしつけ糸がついたままのものまである。ひな人形や鯉のぼりもある。一度も着たことのない背広もある。体格が変わったばかりでなく、まだまだ着られるからだ。

形がなく捨てられないモノ
 形がなくても捨てられないものがある。ゴミにしたくないものがある。それは、各種のレパートリーだ。ゴミになりかかっている。楽譜を見れば何とかなるものはまだその気になれば演奏できるかも知れない。難しい曲は手(指)が動かない。

 しかし、楽譜を見ながら演奏できないものもある。ハワイアンギターの各種レパートリー。『南国の夜』、『珊瑚礁の彼方』、『カイマナヒラ』……。ギターなら、『夜霧の忍び逢い』、『朝日の当たる家』、ベンチャーズの様々な曲、……。ウインドシンセなら、……といろいろある。時々思い出して演奏してみないとあっという間にゴミになる。

 あれこれやりたいものがあるので、少しずつゴミになりかけている。青春が遠くに行きかけている。何とか引き戻そうとするが……。自作の歌はCDにしていけば、何とか形を留めているが。



 

 
 

 

決めつける前に

24 3月

今年は選挙の年だという
 ただ投票率を上げようとする呼びかけが、今年も統一地方選挙を前に始まっている。選挙権を持つ高校生のために
学校を投票所にすることが過去にはあった。

 しかもそれは、選挙運動の初日にだったように記憶している。選挙運動期間中に、候補者が何を訴えるかを聞く前に、投票をしてしまえというのだろうか。これでは、市民のレベルはいつまでも上がらない。

 高校生も三年生になれば、順次18歳になって選挙権を持つようになる。しかし、その前にすべきことはないのだろうか。それは自分も社会を構成する一員だということを自覚するように、大人たちが指導する必要があるのではなかろうか。

 急に選挙権を持っても、社会に関心を持たなければ棄権するか、選挙に出かけても誰に投票するかわからず、適当に投票するというのでは、ただ選挙に行ったという経験しか得られない。これでは、社会をよくするためにはつながらないのではないかと思ってしまう。

世界のどの国の人も戦争は望んでいないはずなのに
 ウクライナの人も、ロシアの人も、アメリカの人も、中国の人も、生まれながらにして、他人を憎んだり、敵味方を決めつけたりはしないし、できないだろうと思う。

 ところが、指導的な対場の人間が何も知らない大衆を教育し、互いにいわれのない対立を生み出すようにしているように思えてならない。それらが増幅して、互いに敵・味方を作りだしてしまうように思えてならない。

 そして、敵を憎み、味方を守るために、話し合いではなく、武力を使っているように思える。そしてこのようなリーダを選んだのは、教育された一般大衆であるところに、この歯車がいつまでも回り続ける原因があるのだろうか。

 選挙の年に当たって、この歯車を止めなければと思うのだが、簡単ではない。でも、この歯車をより速く回す方には組しないでいたいと思う。今日は、書きたいことをうまく書けないもどかしさがある。 

 

 
No Comments

Posted in 政治

 

「時喰い虫」が繁殖

23 3月

貯えられない時間
 誰にも等しく時は過ぎる。感じ方は違っても時の進み方は誰にも平等である。そして、いつも新しい明日が来る。しかしぼんやりしていると、今日になり、あっという間に昨日になってしまう。こんなに大切な時間をどう使っているだろうか。

 世の中には、時間を好んで喰う虫がはびこっている。人々の貴重な時間を遠慮会釈なしに喰い荒らすのだ。否、喰われると言うよりも無意識のうちに喰われてしまっていると行った方が正確かも知れない。

 その正体とは、一つはスマホであろう。そして、テレビ、そして、ゲーム、……、いろんな「時喰い虫」がはびこっている。怖いのは、幼い子どもが一旦この虫に狙われると生涯寄生される可能性のあることだ。

 このとき「時喰い虫」にはCMという菌もついている。そして、あれこれ買えと寝ても覚めてもあらゆる場面で迫ってくる。この時喰い虫のいない世界に住んでいたらどうなるだろうか。

 想像しなくても、70歳、80さ以上の高齢者なら誰もがそんな世界に住んでいたのだ。それが戦後のもののあまりなかったあの時代だろう。

 あまり贅沢はできなかったかも知れないが、創意工夫をこらし、季節毎に訪れる祭りや様々な行事には時間をかけて丁寧にこなしていたのだ。少なくとも今よりは心の余裕があっただろう。

 「時喰い虫」の全く存在しない世界で暮らすことは今や困難だろうが、それらに振り回されることなく、共生できる道を探らないと、人生は生きていると言うよりも、泳がされている、働いているというよりも働かされている、そんな風になりはしないか。

 若い人たちは、毎日頑張って働いているが、一月単位で考えると、車のために一週間以上、スマホや衣食住のために二週間、残りの一週間が貯蓄や余暇のためだろうか?これで結婚し、子どもができ、その教育費にお金をかけるとなったら、大変だろうなあと考えてしまう。

 国会中継を聞いていて、特に少子化の問題をテーマにしているのを聞いていたら、ついついこんなことを考えてしまった。再度、下記のグラフを掲げておきます。

 
 

大谷選手に続こう……

22 3月

DREAM & ACTION
 今日初めて大きな画面でWBCを観ることができるようになった。WBCの予選が始まった頃は、静止画でスコアだけを見ていた。期間中に、今年大学生になる孫娘が横浜から帰省した。そのときに、既にスマホで動画を見られる状態だった。

 早速、私もその環境にして、スマホで観たり、スマホをスマホで映し、テレビでポントの会わない画面で試合を観ていたが、今日、昨日機器を買って要約普通に観られる環境になった。

 野球の試合は、これまで漫画にもならないような展開で日本は勝ち進み、今日も逆転して、9回表ツーアウトという場面で、最後は大谷選手対トラウト選手という大リーグのスーパースター同士の対決、しかも同じチームという漫画にも描けないような場面。

 大谷選手が、トラウト選手を三振に切って取り、試合終了。侍ジャパンの優勝で幕が下りた。この試合を観て夫々何を考えただろうか。大谷選手の活躍を観て夫々何を感じただろうか。当然、大谷選手は最高殊勲選手。

 大谷マップを見ると、今日の頂点へ至る道は、偶然ではなく、地道な日々の積み重ねと、将来に対する確たる夢を持ち、それに向かってたゆまぬ努力をしたからに違いない。改めて、大谷マップを紹介したい。

大谷マップ ここに書いてある夢へ向かっての日々の取り組みが、今の大谷選手を導いたのは明らか。

「夢を持ち、それに向かって行動しましょう」と言いたい。  DREAM & ACTION! 

 
 

デジタルデバイド

21 3月

子供や若者に教えを乞う高齢者
 IT化が進む現代において、デジタルデバイド(情報格差)がますます広がろうとしている。特に、情報化社会に到来により、かつては職場などでは新人とベテランでは仕事の上では明らかな差があった。

 新人は、ベテランにものを教わり、その背中を見ながら、少しずつ追いつき追い越すというのが一般的なパターンだった。したがって、精進の後、先輩や親方を追い越して初めて恩返しができたという感じであった。

 ところが、近年急激に発達したデジタル機器やデジタル社会の到来により、年長者よりも若者、時には子供たちの方がそれらに柔軟に対応し、スマホなども、子供や若者の方がはるかに高齢者よりも技術的にも上の社会になってしまった。

 この面では、これらについて学ぶ機会がある高齢者はよいが、そうでない高齢者は様々なサービスを受けられず、情報を手にすることもできず、放置されようとしている。

進むデジタル化と取り残される高齢者
 2020年のコロナ禍をきっかけとして、デジタル環境は急激な変化を続け、さまざまな手続きのデジタル化やリモートでのコミュニケーションが一気に進み、リモートワークも増えた。

 そのような中、優先されるべき高齢者が情報格差によって取り残されがちな状況が起きつつある。私も、スマホを持ち、パソコンをネットにつないでなんとか、振り落とされないようにしているが、技術的には相当レベルが下であると自認している。

 私の場合、幸い、息子がこの世界で飯を食べているので、トラブルに際しては、遠隔で私のパソコンに入り込み、あれこれ不具合を直してくれるので何とか、これらの機器にへばりついて、楽しんでいるという具合である。

 もしこうした環境でなかったら、おそらく、絵を描くことも、映像を編集することも、音楽に関しても、すべて、何もできないでいただろうと思う。そして、デジタルの恩恵を受けることなく、日々暮らしていたかもしれない。

 自力でインターネットを駆使できなかったり、スマートホンやパソコンでの操作ない人たちと、そうでない人たちの格差が広がらないように願うばかりである。これも、現代の大きな差別ではなかろうか。

 いよいよ明日決勝を迎えるWBCも、通常のテレビでは見ることができず、つい最近までは映像抜きの実況を聞いていたが、ようやく、スマホで動画を見るように教わったばかりである。

 そして、今日、それをテレビで見る機器を買ってきたので、明日は大画面で日本ーアメリカ戦を見られるだろうか。わくわくする。きっと、ここにも大きな情報格差があるのではなかろうか。

 
No Comments

Posted in IT

 

観光資源というと

20 3月

観光資源は神社仏閣、名所旧跡、自然、動植物、名物、・・・・・
 どこかに何かを見に行くとき、何を目当てに出かけるだろうか?出かけたいだろうか?上記に書いたものもその一つかも知れないが、私は是非ともこれらに人間を加えたいと思う。

 あの人の話を聞きたい。あの人と一緒に過ごしたい。そんな人が複数いる町なら最高だ。是非とも訪れてみたい。それらの人を訪ねて話を聞いたり、いっしょに食事をしながら話し合うことが得きれば最高だし、教えを請うことや生き方に気づかせていただければ最高だ。

 神社仏閣や名所旧跡は大概はそんなに何度も出かけたくはならないだろう。人は時間が経てばまた会いたくなるだろうし、話を聞きたくもなろう。

 大学であれ、研究所であれ、職場であれ、あの人の元で働きたいと思うような人がいれば、いずれは観光資源のような存在になるのではなかろうか。魅力のある人間、人を引きつける人間と言うことだろうか。

 時々そのような人がいる。しかし、私とは生活空間が異なっておいそれと会いに行くことができない。今は、心の中で暖めておくしかない。でもいつかは出かけてお会いしたい。

 個人的には、東に話を聞きたい人がいれば出かけて(何度も)話を聞き、西に面白そうな人がいれば行って話を聞いた時期はある。それが、何かをするときの大きな力になったことは間違いない。

 今また、そうした人ができつつある。相手の年齢には一切関係がない。人生、人との出会いで楽しくなる。生き甲斐に繫がる。今は離れていても、SNSがあるのが嬉しい。そのうち、リアルで会いたいものだ。 

 

 

 

 
No Comments

Posted in

 

夢物語~鐘撞堂とAR(拡張現実)

19 3月

釣鐘のない鐘撞堂
 我が村にある佛母寺が、令和7年、33年に一度の御開帳を迎える。そのときには、開扉式を行って秘仏が公開されるのだ。私は、今から64年の高校時代、31年前の49歳の時に御開帳に巡り合わせている。

 村にあるこの佛母寺だが、曹洞宗の末寺だ。ところが、村人はほとんどが浄土真宗であるために、この佛母寺には門徒がいない。それでも、これまで村をあげてこの寺を守ってきたのだ。

 今日は、村の総会で2年後の御開帳についても議題になり、今後の取り組みなどについて話された。日程や諸行事のあり方などについても報告された。

 この寺は以前は藁葺き屋根の古いお寺で、屋根の葺き替えには、村人が割り当てで茅を刈って持ち寄ったものだ。ところが、越前大仏の建立と共に、道を隔てたこのお寺も新築していただけることになった。

 本堂はそれでよいのだが、今にも倒れそうな鐘撞堂があり、釣り鐘はない。戦時中の金属供出により釣鐘も軍に差し出したからだ。釣り鐘のない鐘撞堂。せめて一夜だけでも、鐘の音を響かせられないだろうか。

福野氏のフェィスブックより

ここからは想像の世界
 早速、スマホで福野氏(jig・jp会長)に相談。私の夢を伝える。“張りぼて“の釣り鐘を作って、本物のごとく、鐘をつくと、そこから本物の鐘の音が「ゴ~~ン~」と鳴り響く。許されるならば、本山、永平寺の鐘の音だ。

 というのは、福野氏の会社jig・jpが上場したときに、いつもテレビで観るあの鐘を鳴らす機会があったそうだ。その後、福野氏はデジタルでその鐘をたたくことを考えたというのをフェイスブックで読んだからだ。だから、“張りぼて“の鐘でも可能だということだった。

 ところが、しばらくして、福野氏からの返事は「ARで鐘を作って、鳴らすと大音量で鳴るとか?」と返事が送られてきた。AR?拡張現実だ。現実の景色の中に、大きな鐘が現れるのだ。そこで、綱を引いて鐘をつくと大音量で「ゴ~~ン~」と永平寺の鐘が響くということだろう。

 私の想像をはるかに超えている。考えることは楽しい。一時、素晴らしい夢を見ることができた。できる、できないはともかく夢をいただいた気がする。この先どのような時代が来るのだろうか?

 
No Comments

Posted in IT

 

人と人との出会い

18 3月

人との出会いは必然のようで偶然、偶然のようで必然
 人と人との出会いは偶然のように感じることがある。たまたま、紙切れ一枚(辞令)で思わぬ所へ勤めるようになる。そして、将来に関わる大切な人との出会いが生まれる。

 そう考えると、その人との出会いはたまたま紙切れ一枚でそこへ出向いたための偶然のようにも思える。しかし、もう少し、深く考えてみると、その人と会ったのは私一人ではない。

 誰もが、将来に続く関係を結べるわけでもない。互いに、認め合う何かを持っていたからだろう。そう思うと、偶然から生まれた必然のようにも思える。

 この年になると、これまで生きてきた中で続く友達関係を大切にしたいと思う。上司部下ではなく、せいぜいあるのは歳の上下ぐらいであろう。それだって、関係の上下ではない。

 そうした関係が長く続くのは、やはり、前を向いているからではないかと思う。やはり、自分の考えを持っている人、前を向いている人、何かを目指している人、正義感のある人、そうした人なら何歳であろうと友達でいたいと思う今日この頃である。中学生から70歳代までいろんな人がいて、時々LINEをしたくなる。 

 
 

WBC大谷選手の活躍

17 3月

WBCを観るために
 NHKでも民放でも我が家のテレビではWBCは観られない。先日、横浜の孫娘が高3を終えた卒業旅行として我が家へやって来た。ところが、彼女のスマホでは動画で観られるのだ。アマゾンプライムで。

 しかし画面が小さい。大きく映そうとしてテレビにつないでも、大きくならない。そこで、苦肉の策としてもう一台のスマホで孫娘のスマホの画像を写し、それをテレビと拡大して映すという方法で何とか、観ることができた。

 しかし、昨日のイタリア戦は、孫娘がいないので、観ることができない。そこで、息子に教えてもらい、アマゾンプライムのアプリを入手して何とか動画で見ることができた。準決勝は面倒くさい方法ではなしに、大画面で観られるように今のうちから準備しておきたい。

大谷選手の活躍に勇気づけられる
 大谷選手の気合いのこもったピッチング。意表を突くバント、岡本の活躍などで日本は快勝した。大谷選手の活躍に、私も何か頑張ってみたい、そんな気持ちが湧いてくる。

 一昨年から、衛星放送で大谷君の出場する試合をかなり観ている。そして、一喜一憂している。毎回打席ではホームランを期待しているし、投げれば勝ち投手になることを祈っている。

 しかし、ただただ彼の活躍を傍観しているのもさみしい。彼がインターナショナルに活躍するなら、私もインターナショナルに活動することはないのか。レベルもスケールも彼に比べれば像と蟻くらいの違いがあるだろうが、気持ちだけは「俺だって」と年甲斐もなく、刺激を受け、できることを探している。

 失礼だが、WBCの試合を観ていると、日本のプロ野球が小さく見えてしまう。
   この時期は 二軍に見える NPB
とおかしなことを考えてしまう。マイアミでも、これまで同様日本チームに、大谷君に頑張ってほしいと願う。

 そして、大谷選手の一歩ずつ歩んで夢を掴んだ過程を若い人達にも見習ってほしいと願う。大谷選手の原点は、既に高校時代からの一歩一歩から始まっているのだから、みんなも自分の夢に向かって、一歩一歩、歩こうではないか。

大谷選手が高校時代に書いた夢実現のためのマップ(ほとんど全ての項目をクリアーしている)

 

 
 

学校は地域の中心であるべきでは

16 3月

南小学校そして南部中学校を中心に市街地が
 学校と周辺の町の変化について考えてみる。私は新築の成器南小学校の1年生として入学。この頃の、南校と言えば、田んぼの中の一軒家のようだった。周辺はほとんど田んぼでかなり町外れにできたと思う。
 
 そんな状況の中で、南小学校と元町の間に洋風の赤い屋根の家が一軒建っていたのを覚えている。片瀬の自宅からは南小学校が見通せたものである。

 南小学校界隈の大きな道路と言えば、本町ー立石ー山岸機業ー南小ー高島ー若猪野ー下荒井橋を通って、大野へ行く道が一本。これが勝山と大野を結ぶ主要道路だった。そして、もう一本は、立石ー毛屋ー平泉寺を結ぶ平泉寺街道だった。後は、集落間を結ぶ道があるだけだった。

 その後、国道ができたり、南部中ができたり、都市開発が進み、周辺は二つの学校の周辺は住宅地へと変貌していった。そして、ホームセンターやスーパー、病院など生活に必要な店舗が並び、集合住宅もできていった。いずれも、学校を中心に周辺が市街化していったのである。

勝山高校界隈この60年余
 勝山中学校と併設していた勝山高校が火災になり、勝山高校は、長山の麓へ移転することになった。あれから70年近くが過ぎた。

 勝山高校界ができた頃は、北側は長山公園、西側は狭隘な道の市街地、南側は精華高校(現奥越特別支援学校)東側は山地や三谷集落(現昭和町2)に囲まれていた。

 元々周辺が広がりようのない狭隘に地であったためにが、西側に国道ができたこと以外はほとんど同じような状況である。そのため、この70年近く、周辺は他の地域に比べて変化の少ない地域であった。

 ここに、新たに、勝山唯一の中学校を建てることにどのような意義があるのだろうか。以前にも書いたが、高校よりもはるかに大きな新中学校が建設されれば、何もかも高校と共用しなければならず、果たして、どちらの学校に対してもプラスになるのだろうかと考えてしまう。

 そして、勝山高校と新中学校との併設が、勝山高校の定員割れに起因していること、そして、中学校を併設すれば、勝山高校への進学者増が期待されると考えていること、併設すれば連携による教育効果が上がると期待されていること。これらのいずれもが果たしてそうかと多くの人が疑問を抱いていること。

 以上を考え合わせると、この学校再編問題を少なくとも、もう一年考え直してよりよい方向性を見いだすべきではないのかと私は考えるのだが、皆さんはいかがお考えでしょうか。