せざるを得ない状況に自分を追い込む
私は、退職してからもやりたいことはたくさんある。しかし、現役時代と比べると時間がたくさんあるのでなかなか進まない。やりかけたことがいつも中途半端になっている。
そんなとき、誰かが背中を押してくれるとありがたい。せざるを得ないからだ。こうして今までかなりいろんな事をやってきたように思う。
村の民謡『片瀬豊年ばやし』を作るときもそうだった。歌は、全くできていないのに、練習日を決めてしまった。その日までに何が何でも曲だけは持って行かないと集まった連中に申し訳ない。
そこで、曲だけをCDに焼いて持って行った。しかし、作詞は全く進んでいない。次回の練習日までに作らなければならない。毎日曲を鳴らし続けて歌詞を作った。
今春も野向保育園から出演を依頼された。その日に合わせて必死に紙芝居を作った。頼まれなければ今もできていないだろうと思う。私の場合、時間があればできるというものではない。
今年の3月20日に図書館から平泉寺の紙芝居をしてほしいと頼まれた。一応作ってはあったが、予てから場面を追加したいと考えていた。そして、必死になって脚本を作り絵を描いた。
今回もまた、野向保育園から出演を依頼された。作りたいと思いながら中途半端にしておいた『ナマズのテツ』は脚本はできていたが、2枚しか絵が完成してなかった。
出番は、来月(5月)16日。今日からノルマを決めて絵を描き始めた。1日最低1枚は絵を描くと決めた。そして、今日は2枚の絵を完成させた。野向保育園から出演を依頼されなかったら当分の間は完成しないだろう。
時には、できてもいないのに、いろんな事を約束することがある。私はこれをアドバルーンと呼んでいる。第三者に意思表示をするのだ。アドバルーンを上げてしまうのだ。
こうして、これまでいろんなことをやってきたように思う。しかし、この方法ではいつも同じ感想を持つことになる。「あと一日あったらなあ」と思うことだ。
今もいくつかアドバルーンを上げている。童話や下手な小説、歌、紙芝居、……。家内などは間に合うかどうかとはらはらして見ていられないそうだ。
追われるのもまたよし。私のように意志の弱い人間は。今の私にはアドバルーンがペースメーカーになっているようだ。お陰で結構毎日が忙しいが、それでも充実はしている。
(日記 午前中、紙芝居の絵を描いた。午後も作業を続けた。途中から、夜のオカリナ教室に使う曲の編曲作業。午後7時半より、オカリナ教室。楽しく演奏することができた。私には脳の体操になっているように思う。)