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欲望のままに

12 4月

少しぐらいは我慢してもいいのでは
  大飯原発の再稼働をめぐり、政府の信頼が失われつつある。政府の「原発を再稼働したい」との思いが見え見えだからだ。福島原発の結果がまだ十分見えていない中での、再稼働は安全性より経済性を優先しているように思えてならない。

  福島原発の事故処理や事後の対応で信頼を失った政府が、「安全だ」とどんなに声高に叫んでも国民は納得しないだろう。日頃から「信頼」を得るための政治を行っているのだかどうかが、問われているのだ。

  これは、何も原再稼働問題ばかりではない。増税の問題もそうだ。日本の数倍の税金を払っている北欧などは、それなりに政府に対する信頼が国民にあるからだろう。

   現時点では、北海道電力の泊原子力発電所がただ1機稼働中だが、これも5月5日に定期検査に入るのだ。そうなると、全原発が停止することになるのだ。政府も全ての電力会社もそうした状況だけは避けたいようだ。

  今は、原発が1機しか稼働していないが、全国的に計画停電や過度な節電を行っているわけではない。夏場の全力需要期に電力不足が起こるということだろう。

 こういうときこそ、国民は計画停電に合わせて工場を稼働したり、節電に努めたりするなど少しは我慢しなければならないのではなかろうか。電力の難しいところは、ピーク時に合わせて発電しなければならないことだ。

  午後は電力不足になるが、夜は電力が足りるとなれば、これらを平準化することを考えて乗り切ればいいのではないのか。節電とこうしたアイディアで数年乗り切りながら、新エネルギーを開発すればいいのではないかと思う。

  エネルギーとして大いに可能性のある資源が日本にはあると言われている。それらを国家あげて利用可能な状態にすればいいのだ。困るとしたら既得権益を持つ原子力ムラとこれらに関わる人間ではなかろうか。

  今は、非常時なのだ。非常時には国民も企業も少しは我慢しなければならないと思う。欲望のままに育った人間がまっとうに成長した試しがないように、国家もまた同じではないのか。

  立ち位置のグラグラした政治家の言動を見ていると、いらいらする。それと同時に、生き残るために、与野党問わずに政界再編が行われるだろう。

   解散を叫ぶ者あれば今のままでは「大阪維新の会」の餌食になると動くに動けない者もいて、浮き足立っている。この国の政治は迷走するばかりである。

   「いま原発を再稼働させると何も変わらない。昔の安全神話が復活してすべての原発が動き、福島の教訓は生かされなくなる」との例の古賀氏のことばに説得力がある。

  欲望のままに生きるのではなく、たまには我慢するのもよいのではないか。新たな生き方、新たな良さが見えてくるのではなかろうか。

銭太鼓の練習に励む鹿谷町のおばさん達(於:鹿谷公民館)。

(日記 早朝、家内は福井の孫をみるために出かけて行った。午前10時、鹿谷のおばさん達の銭太鼓指導。メンバーの半数は足が痛いそうだが、座ってできるということで、銭太鼓を練習している。かなり上手だ。曲とリズムの関係を修正してあげたのでかなりよくなった。午後、3時40分、整骨院へ行く。)

鹿谷の帰りに見た霊峰“白山”。

 
 

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