小規模校での経験
私は、教員生活3年目に、平泉寺小中学校の中学校1年(1学年1クラスのみ)の担任になった。自分はそれなりに、一生懸命生徒達の指導にあたってきたが、それでもこれでいいのだろうかという不安はあった。
「井の中の蛙、大海を知らず」になってほしくない。山村の小さな中学校の子ども達のことだ。何とか、大きな中学校で、その様子を見て来て、クラスの他の生徒達の刺激になってほしいという願うようになった。
そこで、当時の中村一郎校長先生(我が生涯で最も尊敬する先生)に、「子ども達を勝山中学校で一日過ごさせてもらえませんか」とお願いすると即座に「いいでしょう」という返事。
私のクラスの希望する生徒4人は、1学年7クラス(だったと思う)の勝山中学校のT先生のクラスへお世話になることになった。とにかく、朝の会から、授業、帰りの会、そして、部活動まで、全て勝山中学校の生徒として過ごすのだ。
そして、生徒達は、何事もなく楽しそうに帰ってきた。少しは勉強してくれただろうと思っていた。ところが、こちらが忘れかけた頃に、今度は、勝山中学校のT先生のクラスだけではなく、他のクラスからも、「平泉寺中学校で勉強させてほしい」という申し出があったのだ。
事情を聞いてみると、驚くことに勝山中学校の生徒達が、4人の生徒の言動に刺激を受けたというのだ。T先生のクラスの成績は学年でも下位の方だったらしい。ところが、平泉寺の4人に刺激を受けて、急に勉強に励むようになり、クラスの成績が学年で上位になったというのだ。
そのため、この話を聞いた他のクラスの先生方も、平泉寺中学校で勉強させたいということになったらしい。勝山中学校の各クラスから希望する生徒が平泉寺中学校の私のクラスにやって来て、平泉寺の子ども達と一緒に授業を受けることになったのだ。(当時、勝山中学校の先生方も心が広いなあと思ったものだ。)
4人のサムライ
このことをT先生は当時の学校の新聞に『4人のサムライ』というタイトルで寄稿されたのだ。学校というのは、大きさだけが大切なのではない。何を学ぶかではないかと思う。
前をしっかり向いた校長がいること。できれば数年は同じ学校で勤務すること。そこに、前を向いた教員が少なくとも、何名かはいること。そうすれば、学校はきっと、前に向かって進むことになる。生徒も先生も。
同じような経験は、小規模校ではないが、高校教員になってからも、経験することになった。ある時期、成績低迷していた高校が一躍進学校に。そして、甲子園出場まで果たすことになったのだ。
ちなみに、高校の校長は地元出身で5年間継続して勤務して下さった。生徒にも、先生にも檄を飛ばし続けられた。『事を為すのは人である』と考えるようになったのは、このようないくつかの経験から得た確信から来ている。