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“おばんどこ”の思い出

16 10月

川遊びの思い出
  福井に嫁いだ娘(長女)が、昨日、長男(私の孫)を連れて遊びに来た。娘は今産休中である。孫にとって我が家は楽しいのだろうか?今はまだ幼稚園児だが、小学生になても「勝山へ行きたい」と言うだろうか? 

 「おばんどこ」とは、「(母親の実家の)おばあちゃところ」という意味だと思う。そこには、母親の親である祖母がいて、優しく接してくれ、いとこ達とは楽しく遊ぶことができる楽しい場所というイメージがある。 

  しかし、私の娘や息子達も、祭りなどの行事があるとき以外は、そんなに家内の実家である平泉寺へ行くことはなかったように思う。今の時代は誰も彼もそうであるかも知れない。自宅にいても、退屈しないだけの遊び道具があり、友達もいるからであろう。 

私の子供時代の「おばんどこ」
  しかし、私の子供時代は違っていた。それは、母親の実家の近くに九頭竜川が流れていたからである。100mあまり歩けばそこは河原だったのである。川で遊ぶことは、山際に住む当時の私にとってはとても魅力的だった。

50数年前に泳いだ川の上流にある勝原で横浜に住む内孫の思いで作りに付き合った(今年の夏休み)。

   年の近いいとこや少し年の離れたおじさん達がいて、川で魚を捕って食べさせてくれた。また、母親の実家近くには、私と同様に大野市から遊びに来ている子ども達や地元の子ども達と、川以外でも楽しく遊ぶことができたのである。 

 小学校の頃、夏休みになると「おばんどこ」へ行くことはとても楽しみであった。何日間か、「おばんどこ」で過ごし、バスで勝山の自宅へ帰るときは、なぜか淋しくなったものだ。それほど、遊びの少なかった私の子供時代は、「おばんどこ」が魅力ある場所だったのである。 

    甘いものが極端に少なかった時代に、従兄弟と戸棚から砂糖を失敬して、それを新聞紙に包んで持ち歩き、舐めた思い出がある。多少の悪さも今となっては楽しい思い出である。 

  我が家の外孫達は、果たして「おばんどこ(私の家)」をぜひとも行ってみたいと思えるような魅力ある場所に思ってくれるだろうか。私も、自分の楽しかった頃の思い出の一部でも外孫達に返したいものである。 

(日記:午前中、そして、午後4時まで数学のホームページ作り。肩が凝る。眼も疲れる。少し考えなければならない。午後4時から、外へ出て家庭菜園の後始末。使い終わったものを、「燃やすもの」、「来年使うもの」に分けながら整理した。午前中、家内は孫を送って福井へ行った。娘に寄れば、孫は「ばあちゃんと別れて淋しい」と言っていたらしい。)

 
 

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