証拠裁判主義とは
『証拠裁判主義 とは、 事実認定 は 証拠 によって行われなければならないという 刑事訴訟法 上の原則をいう。 』とある。
証拠がなければ有罪とは決めつけられないと言うことである。となると、その証拠をなかったことにするには、証拠物品を廃棄処分にするか、隠蔽すればよいと考える人が出てこないとは限らない。
明らかに証拠がある場合には、それらを書き換えてしまう証拠改ざんを行う者が出ないとも限らない。それもできない場合には裁判官そのものにプレッシャーを与えるか、代えることを考える人がいるかもしれない。
本人が知っているはず
本当はよくないことをしたかどうかは当の本人が知っているはずである。本人に倫理観がなければこのようなことは日常茶飯事に行われてしまうことになる。凡人ならば裁判所で徹底的に調べ上げられるだろう。
もしも、こんなことが、国家の命運を左右する人たちがやっていたとしたら国民は不幸であろう。
道徳教育の必要性
一頃盛んに道徳教育の必要性が国のおえら方から叫ばれていた。今の若者や子供たちの言動からそう考えたのだろうか?しかし、最もそれが必要なのはそれを言い張る人たちではなかろうか。
国会で見え透いた嘘をつき通す人たちを見ていると、これは私たち一般国民の側にその責任の一端があると思わなければならない。そうした人たちを選んだのは紛れもなく私たちなのだから。
若者たちは大人の姿を見て育つのだと言うことを忘れてはならないと思う今日この頃である。