江差・松前・福島へ
横綱記念館に感動(7月29日) 富良野を出て道央自動車道で先ず札幌JCTへ向かい、そこから苫小牧室蘭の経て、落部ICで一般道へ出て、江差へ向かう。このあたりの一般道は家内が運転。
江差と言えばなんとなく、「江差追分」が思い浮かぶ。また、ニシン漁なども同時に浮かんでくる。前回の旅行ではこのあたりは通らなかったので、なんとか今回は松前半島を回りたいと思った。
1866年(慶応2年)に徳川幕府の命運をかけ建造された軍艦開陽丸。オランダで建造された開陽丸は幕末、鳥羽伏見の戦い、江戸城開城、徳川幕府崩壊を見届け、1868年10月(慶応4年)に江戸を出帆、12月に蝦夷地に到着。 箱舘戦争最中の1868年12月(明治元年11月15日)に松前を落とし、江差に向かう土方歳三らの陸軍支援のため、海路江差へ向かうが暴風雪に遭いあえなく座礁、沈没したという。
その後100年有余年を経た昭和50年から始まった海中発掘調査では32,905点の遺物が引き揚げられたという。これらの歴史を含め多岐にわたる諸技術の変遷がわかる貴重な資料画展示してあった。
江差の後、松前城へ寄り,北海道最南端の白神岬へ。
白神岬を回り、次はどうしても行ってみたかった「横綱千代の山・千代の富士記念館」のある福島町だ。小さな町から二人の横綱が生まれているのだ。しかも、横綱千代の山は勝山市ゆかりの横綱だ。千代の山の奥様のお父さんが遅羽町出身ということだ。私の子供の頃には、横綱千代の山は何度か勝山へ巡業に来ておられるのだ。